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第二部 獣人武闘祭

第212話(マリエールの追憶)

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「どうした、お嬢ちゃん。そんなに泣いて」

 ぱっと見、そのおじさまは、不潔な浮浪者にしか見えませんでした。

 カリクラ家のやり方を恥じているとはいえ、小奇麗な環境で育ったわたくしは、一瞬嫌悪の表情を浮かべました。しかし、おじさまは気を害した様子もなく、再び同じ言葉を発しました。

「どうした、お嬢ちゃん。そんなに泣いて」

 その声の調子は、ぶっきらぼうでありながら、なんとも温かく、気がつけば、わたくしは自分の身の上話をしていました。

 ……浅ましい考えですが、浮浪者になら、どう思われても構わないという腹積もりもあったのでしょう。とにかく、その時のわたくしは、寂しくて悲しくて、誰かに話を聞いてもらいたかったのです。

 おじさまは、口をはさむこともなく、ただ静かに、わたくしの話を聞いてくれました。心の内を打ち明けるだけで、人の心が多少は軽くなるものであることを、わたくしはこの時、初めて知りました。

 長い話が終わる頃には、日が沈みかけていました。

 そろそろ帰らなければいけませんが、わたくしは、あの家には帰りたくありませんでした。悲しい思い出話をすればするほど、軽くなる心とは反対に、カリクラ家に対する悪い感情が膨らみ、我が家が魔の巣のように思えて仕方なかったのです。

 そんなわたくしの様子を見かねたのか、おじさまは言いました。

「そんなに家に帰りたくねえなら、うちに来るか?」

 わたくしは、首を縦に振りました。
 それから、なんてとんでもないことをしているのだと気がつきました。

 いくら心が弱っているからといって、見知らぬ男の家に泊めてもらうなんて。とても、正気とは思えません。しかし、それでもやっぱり、あの忌まわしい我が家に帰るのは嫌でした。

『大丈夫、大丈夫。もしもこの人が、何かしようとしてきたら、走って逃げればいい。力ではかなわなくても、足なら若い自分の方が速いはずだ』……わたくしは、そんなふうに無理やり自分を納得させて、おじさまの後をついていきました。

 なんて愚かな、希望的観測でしょう。自分とおじさまの、どちらが足が速いかなんて、比べるまでは分かりっこないのに。

 今になって思うと、あまりに危なっかしい行動です。

 実際、おじさまの足は、わたくしよりはるかに速かったのです。ただ、本当にありがたいことに、おじさまは、傷心の少女をかどわかすような、卑劣な男性ではありませんでした。
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