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第6話
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まあ、エリックが私の婚約破棄を冗談だと思っているのなら、勝手に思い続けていればいい。この国では双方の同意がなくても、片方の強固な意志表示さえあれば婚約は取り消すことができる。私がお役所で手続きをして、婚約解消の書類が自宅に届けば、これが冗談でないとようやく理解することができるだろう。
私は短く「それじゃ」と言い、席を立った。言うべきことは伝えたし、これ以上目の前の二人に対して人生の貴重な時間を使いたくなかった。
そこでやっと、鈍感なエリックにも私の本気が伝わったらしい。にやついていた表情がスッと硬くなり、私の進路をふさぐように立ち上がった。
「おい、ちょっと待て。クリスタ、お前、今のこと、まさか本気じゃないだろうな」
困惑して追いすがるというより、腹を立てて詰問しているといった感じの口調だった。いつもは無神経なりに私のことを『きみ』と呼んでいたのが、今は怒気を含んだ『お前』という呼び方に変わっている。これが彼の本性なのか、それとも少し強く言えば私が怯むとでも思っているのか……
まあ、そんなことは今さらどうでも良かった。私は再び短く「本気ですよ」と言い、エリックの横を通ってレストランを出ようとする。
その私の腕を、エリックが「待てと言ってるだろう!」と怒鳴って強くつかんだ。その動作は暴力的で、握る力にも遠慮がない。私は痛みと驚きで一瞬悲鳴を上げかけたが、『こんな男に弱みを見せてなるものか』というプライドが、私の唇を真一文字に結ばせ、情けない声を漏らすことを許さなかった。私は毅然とエリックを睨み、言う。
「放して。人を呼ぶわよ」
その言葉にエリックは怯んだ。『暴力を振るった』というレベルではないが、力任せに女性の腕を引いている姿が目撃されて噂になれば、困るのは彼の方だ。
「くそっ」
忌々しげにそう吐き捨てると、エリックは私の腕を放した。……彼は細身だが、凄い力だった。これまで無神経な面は何度も見てきたが、暴力的になる面を見たのは今日が初めてだ。つくづく婚約を解消してよかった(まだ手続きは終わっていないが)。こんな男と結婚していたかもしれないと思うとゾッとする。
足早にその場を去ろうとする私の背に、嫌というほどに聞きなれてしまったキャロルの金切り声が響いてくる。
「あんた、お兄様に恥をかかせてタダで済むと思ってるの? 私、もともとあんたのことなんか嫌いだったから、お兄様とあんたの婚約が無くなるのは嬉しいし、うちの家にはなんの損もない。でもあんたのうちはどうかしら? 大した家でもないくせに、名家であるうちにたてついて、この辺りで今まで通りに暮らせると思って……」
「黙りなさい、小娘」
「なっ、こ、小娘ですって……!」
このまま無視して行ってしまっても良かったが、あまりといえばあまりなキャロルの物言いに、私は一度だけ振り返って厳しい言葉を投げかけた。……思えば、この子に対してはずっと我慢のし通しだった。こんな程度の低い子を相手に口論するなんてくだらないことかももしれないが、一度くらい言い返したっていいだろう。
私は短く「それじゃ」と言い、席を立った。言うべきことは伝えたし、これ以上目の前の二人に対して人生の貴重な時間を使いたくなかった。
そこでやっと、鈍感なエリックにも私の本気が伝わったらしい。にやついていた表情がスッと硬くなり、私の進路をふさぐように立ち上がった。
「おい、ちょっと待て。クリスタ、お前、今のこと、まさか本気じゃないだろうな」
困惑して追いすがるというより、腹を立てて詰問しているといった感じの口調だった。いつもは無神経なりに私のことを『きみ』と呼んでいたのが、今は怒気を含んだ『お前』という呼び方に変わっている。これが彼の本性なのか、それとも少し強く言えば私が怯むとでも思っているのか……
まあ、そんなことは今さらどうでも良かった。私は再び短く「本気ですよ」と言い、エリックの横を通ってレストランを出ようとする。
その私の腕を、エリックが「待てと言ってるだろう!」と怒鳴って強くつかんだ。その動作は暴力的で、握る力にも遠慮がない。私は痛みと驚きで一瞬悲鳴を上げかけたが、『こんな男に弱みを見せてなるものか』というプライドが、私の唇を真一文字に結ばせ、情けない声を漏らすことを許さなかった。私は毅然とエリックを睨み、言う。
「放して。人を呼ぶわよ」
その言葉にエリックは怯んだ。『暴力を振るった』というレベルではないが、力任せに女性の腕を引いている姿が目撃されて噂になれば、困るのは彼の方だ。
「くそっ」
忌々しげにそう吐き捨てると、エリックは私の腕を放した。……彼は細身だが、凄い力だった。これまで無神経な面は何度も見てきたが、暴力的になる面を見たのは今日が初めてだ。つくづく婚約を解消してよかった(まだ手続きは終わっていないが)。こんな男と結婚していたかもしれないと思うとゾッとする。
足早にその場を去ろうとする私の背に、嫌というほどに聞きなれてしまったキャロルの金切り声が響いてくる。
「あんた、お兄様に恥をかかせてタダで済むと思ってるの? 私、もともとあんたのことなんか嫌いだったから、お兄様とあんたの婚約が無くなるのは嬉しいし、うちの家にはなんの損もない。でもあんたのうちはどうかしら? 大した家でもないくせに、名家であるうちにたてついて、この辺りで今まで通りに暮らせると思って……」
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このまま無視して行ってしまっても良かったが、あまりといえばあまりなキャロルの物言いに、私は一度だけ振り返って厳しい言葉を投げかけた。……思えば、この子に対してはずっと我慢のし通しだった。こんな程度の低い子を相手に口論するなんてくだらないことかももしれないが、一度くらい言い返したっていいだろう。
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