84 / 105
第83話
しおりを挟む
「妹とキスしたわけですから、弟のジェームス様ともキスするんですか?」
「お前って真面目なようで、けっこう馬鹿なこと言うよな」
フレッド様は苦笑した。
・
・
・
それから、時は穏やかに流れ、私もメイドとして、仕事に勉強に、忙しくも充実した日々を過ごしていた。夏が過ぎ、秋も深まった頃、急激に冷えてきたのが良くなかったのか、大公様が大きく体調を崩し、とうとうベッドから出ることもできなくなってしまった。
大公様は、自身の世話を心から信頼するエリナさん一人に任せ、他のメイドたちには服の裾すら触れさせなかった。アマンダに毒を盛られたことで、もともと少々不安定だった精神が、さらにかたくなになってしまったのだろう。
いかに高貴なる大公様とはいえ、現在は痴呆の老人。その痴呆の老人を一人で介護する苦労は並大抵のことではないはずだが、エリナさんは文句ひとつ言わず、排泄物の片づけまでも自分一人でおこなっていた。
その、あまりにも甲斐甲斐しいお世話ぶりに、感心半分、呆れ半分で『昔、大公様にあれほど体を弄ばれたのに、よくあそこまでできるものだ』と噂する使用人たちもいたが、エリナさんはいつも通り、何も語ることなく、黙々と自分の職責を果たすだけだった。
そんなある日のこと、私はゴミ捨ての仕事中に、偶然エリナさんと出会った。……エリナさんは、大公様の排泄物を処理している最中で、漂ってくる臭いに、私はつい顔を顰めそうになってしまったが、何とか意志の力でこらえ、手伝いを申し出た。
「あの、エリナさん。エリナさんが大公様のお世話をすることは、大公様ご自身の命令ですので代行することはできませんが、せめて排泄物の処理くらいはお手伝いさせてください」
しかし、エリナさんは首を左右に振った。
「いいえ、結構よ」
相変わらず、その言い方は端的で、人間味を感じさせない。もっとも、エリナさんは一度長めに話し出せば止まらなくなるので、なんとか言葉を少なく済ませようとしていることを知っている私としては、その冷たい言い方すらもエリナさんの内面を感じ取り、微笑ましくなるのだが。
「だけど、さすがに毎日のことですから……。このままでは、エリナさんも疲弊しきってしまいます」
「これくらい、なんでもないわ。それに、考えてみて。大公様だって、ご自分の排泄物をあまり多くの人に見られたくはないはずよ。だから、私一人でいいの」
ご自分の排泄物をあまり多くの人に見られたくはないはず――
確かに、その通りだ。私はこれでも、多少は思いやりのある人間のつもりだったが、介護される側の気持ちをまるで考えていなかった。だが、エリナさんの深い思慮と優しさに感動しつつも、どうしても頭に浮かんでくる言葉があった。それは……
「お前って真面目なようで、けっこう馬鹿なこと言うよな」
フレッド様は苦笑した。
・
・
・
それから、時は穏やかに流れ、私もメイドとして、仕事に勉強に、忙しくも充実した日々を過ごしていた。夏が過ぎ、秋も深まった頃、急激に冷えてきたのが良くなかったのか、大公様が大きく体調を崩し、とうとうベッドから出ることもできなくなってしまった。
大公様は、自身の世話を心から信頼するエリナさん一人に任せ、他のメイドたちには服の裾すら触れさせなかった。アマンダに毒を盛られたことで、もともと少々不安定だった精神が、さらにかたくなになってしまったのだろう。
いかに高貴なる大公様とはいえ、現在は痴呆の老人。その痴呆の老人を一人で介護する苦労は並大抵のことではないはずだが、エリナさんは文句ひとつ言わず、排泄物の片づけまでも自分一人でおこなっていた。
その、あまりにも甲斐甲斐しいお世話ぶりに、感心半分、呆れ半分で『昔、大公様にあれほど体を弄ばれたのに、よくあそこまでできるものだ』と噂する使用人たちもいたが、エリナさんはいつも通り、何も語ることなく、黙々と自分の職責を果たすだけだった。
そんなある日のこと、私はゴミ捨ての仕事中に、偶然エリナさんと出会った。……エリナさんは、大公様の排泄物を処理している最中で、漂ってくる臭いに、私はつい顔を顰めそうになってしまったが、何とか意志の力でこらえ、手伝いを申し出た。
「あの、エリナさん。エリナさんが大公様のお世話をすることは、大公様ご自身の命令ですので代行することはできませんが、せめて排泄物の処理くらいはお手伝いさせてください」
しかし、エリナさんは首を左右に振った。
「いいえ、結構よ」
相変わらず、その言い方は端的で、人間味を感じさせない。もっとも、エリナさんは一度長めに話し出せば止まらなくなるので、なんとか言葉を少なく済ませようとしていることを知っている私としては、その冷たい言い方すらもエリナさんの内面を感じ取り、微笑ましくなるのだが。
「だけど、さすがに毎日のことですから……。このままでは、エリナさんも疲弊しきってしまいます」
「これくらい、なんでもないわ。それに、考えてみて。大公様だって、ご自分の排泄物をあまり多くの人に見られたくはないはずよ。だから、私一人でいいの」
ご自分の排泄物をあまり多くの人に見られたくはないはず――
確かに、その通りだ。私はこれでも、多少は思いやりのある人間のつもりだったが、介護される側の気持ちをまるで考えていなかった。だが、エリナさんの深い思慮と優しさに感動しつつも、どうしても頭に浮かんでくる言葉があった。それは……
147
お気に入りに追加
1,025
あなたにおすすめの小説
所詮、わたしは壁の花 〜なのに辺境伯様が溺愛してくるのは何故ですか?〜
しがわか
ファンタジー
刺繍を愛してやまないローゼリアは父から行き遅れと罵られていた。
高貴な相手に見初められるために、とむりやり夜会へ送り込まれる日々。
しかし父は知らないのだ。
ローゼリアが夜会で”壁の花”と罵られていることを。
そんなローゼリアが参加した辺境伯様の夜会はいつもと雰囲気が違っていた。
それもそのはず、それは辺境伯様の婚約者を決める集まりだったのだ。
けれど所詮”壁の花”の自分には関係がない、といつものように会場の隅で目立たないようにしているローゼリアは不意に手を握られる。
その相手はなんと辺境伯様で——。
なぜ、辺境伯様は自分を溺愛してくれるのか。
彼の過去を知り、やがてその理由を悟ることとなる。
それでも——いや、だからこそ辺境伯様の力になりたいと誓ったローゼリアには特別な力があった。
天啓<ギフト>として女神様から賜った『魔力を象るチカラ』は想像を創造できる万能な能力だった。
壁の花としての自重をやめたローゼリアは天啓を自在に操り、大好きな人達を守り導いていく。
ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。
光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。
昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。
逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。
でも、私は不幸じゃなかった。
私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。
彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。
私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー
例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。
「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」
「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」
夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。
カインも結局、私を裏切るのね。
エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。
それなら、もういいわ。全部、要らない。
絶対に許さないわ。
私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー!
覚悟していてね?
私は、絶対に貴方達を許さないから。
「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。
私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。
ざまぁみろ」
不定期更新。
この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

婚約破棄されたので、隠していた力を解放します
ミィタソ
恋愛
「――よって、私は君との婚約を破棄する」
豪華なシャンデリアが輝く舞踏会の会場。その中心で、王太子アレクシスが高らかに宣言した。
周囲の貴族たちは一斉にどよめき、私の顔を覗き込んでくる。興味津々な顔、驚きを隠せない顔、そして――あからさまに嘲笑する顔。
私は、この状況をただ静かに見つめていた。
「……そうですか」
あまりにも予想通りすぎて、拍子抜けするくらいだ。
婚約破棄、大いに結構。
慰謝料でも請求してやりますか。
私には隠された力がある。
これからは自由に生きるとしよう。
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~
朱色の谷
恋愛
公爵家の末娘として生まれた幼いティアナ。
お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。
お父様やお兄様は私に関心がないみたい。
ただ、愛されたいと願った。
そんな中、夢の中の本を読むと自分の正体が明らかに。
◆恋愛要素は前半はありませんが、後半になるにつれて発展していきますのでご了承ください。
お前など家族ではない!と叩き出されましたが、家族になってくれという奇特な騎士に拾われました
蒼衣翼
恋愛
アイメリアは今年十五歳になる少女だ。
家族に虐げられて召使いのように働かされて育ったアイメリアは、ある日突然、父親であった存在に「お前など家族ではない!」と追い出されてしまう。
アイメリアは養子であり、家族とは血の繋がりはなかったのだ。
閉じ込められたまま外を知らずに育ったアイメリアは窮地に陥るが、救ってくれた騎士の身の回りの世話をする仕事を得る。
養父母と義姉が自らの企みによって窮地に陥り、落ちぶれていく一方で、アイメリアはその秘められた才能を開花させ、救い主の騎士と心を通わせ、自らの居場所を作っていくのだった。
※小説家になろうさま・カクヨムさまにも掲載しています。
【完結】欲しがり義妹に王位を奪われ偽者花嫁として嫁ぎました。バレたら処刑されるとドキドキしていたらイケメン王に溺愛されてます。
美咲アリス
恋愛
【Amazonベストセラー入りしました(長編版)】「国王陛下!わたくしは偽者の花嫁です!どうぞわたくしを処刑してください!!」「とりあえず、落ち着こうか?(にっこり)」意地悪な義母の策略で義妹の代わりに辺境国へ嫁いだオメガ王女のフウル。正直な性格のせいで嘘をつくことができずに命を捨てる覚悟で夫となる国王に真実を告げる。だが美貌の国王リオ・ナバはなぜかにっこりと微笑んだ。そしてフウルを甘々にもてなしてくれる。「きっとこれは処刑前の罠?」不幸生活が身についたフウルはビクビクしながら城で暮らすが、実は国王にはある考えがあって⋯⋯?
お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】
私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。
その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。
ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない
自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。
そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが――
※ 他サイトでも投稿中
途中まで鬱展開続きます(注意)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる