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第48話
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アスラさんの言う通り、セレーナさんは、お屋敷の事務室で帳簿をつけていた。
たった一人でだ。
本来、帳簿をつけるのはメイドの仕事ではない。これだけ大きなお屋敷なら、普通は会計担当の使用人が数名いて、手分けして帳簿を作成するものだ。
その、複数人でやる作業を、セレーナさんは一人でこなしている。
黙々と。
平然と。
日記でもつけるかのように、淀みなく、迷いなく書き込まれていく帳簿。その手際の素晴らしさは、セレーナさんが普通の使用人より遥かに高い能力の持ち主であることを如実に表していた。
セレーナさんは十代半ばの時に、大人に混ざって簿記資格の難関試験を受け、見事合格しており、その気になれば会計士としても食べていくことができると噂されているが、それは本当なのだろう。
集中しているセレーナさんの邪魔にならぬように、私は息をひそめ、入室のタイミングを待つ。そして、作業が一段落したタイミングを見計らい、お茶を持っていくことにした。
「セレーナさん、お茶をお持ちしました」
手を止め、長時間の記述作業で疲れた瞳を休ませるように閉じていたセレーナさんは、ぱちりと目を開き、私を見た。その表情には、アスラさんと取っ組み合いをしたときの苛烈さはなく、理知的でクールな、いつものセレーナさんである。
ただ、セレーナさんの眼差しは、やはり険しい。
私は一瞬、『頼んでないわよ、余計なことしないで』と言われるのではないかと思って身を硬くしたが、そんなことはなく、セレーナさんは表情を緩めたりはしないものの、「ありがとう」と言って、私の出したお茶を受け取ってくれた。
そして、優美な仕草でお茶を飲むセレーナさん。
その所作は、まさに理想的な、完璧なるメイド――いや、完璧なる、大人の女性である。
昨日も述べたが、セレーナさんは、私の憧れの女性だ。
……私はこのお屋敷に来るまで、大人の女性に、憧れを抱いたことなどない。だって、私の知る『大人の女性』は、意地悪なお母様と、二人の恐ろしいお姉様だけ。この三人は、私にとって絶対的上位者であり、恐怖の象徴でもあった。そんな人たちに、憧れなど感じるはずがない。
そんな私が、生まれて初めて敬意と憧れを感じた『大人の女性』が、セレーナさんだった。
セレーナさんの仕事ぶりは、速やかにして完璧。
私は、セレーナさんが失敗をするのを、一度も見たことがない。
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アスラさんの言う通り、セレーナさんは、お屋敷の事務室で帳簿をつけていた。
たった一人でだ。
本来、帳簿をつけるのはメイドの仕事ではない。これだけ大きなお屋敷なら、普通は会計担当の使用人が数名いて、手分けして帳簿を作成するものだ。
その、複数人でやる作業を、セレーナさんは一人でこなしている。
黙々と。
平然と。
日記でもつけるかのように、淀みなく、迷いなく書き込まれていく帳簿。その手際の素晴らしさは、セレーナさんが普通の使用人より遥かに高い能力の持ち主であることを如実に表していた。
セレーナさんは十代半ばの時に、大人に混ざって簿記資格の難関試験を受け、見事合格しており、その気になれば会計士としても食べていくことができると噂されているが、それは本当なのだろう。
集中しているセレーナさんの邪魔にならぬように、私は息をひそめ、入室のタイミングを待つ。そして、作業が一段落したタイミングを見計らい、お茶を持っていくことにした。
「セレーナさん、お茶をお持ちしました」
手を止め、長時間の記述作業で疲れた瞳を休ませるように閉じていたセレーナさんは、ぱちりと目を開き、私を見た。その表情には、アスラさんと取っ組み合いをしたときの苛烈さはなく、理知的でクールな、いつものセレーナさんである。
ただ、セレーナさんの眼差しは、やはり険しい。
私は一瞬、『頼んでないわよ、余計なことしないで』と言われるのではないかと思って身を硬くしたが、そんなことはなく、セレーナさんは表情を緩めたりはしないものの、「ありがとう」と言って、私の出したお茶を受け取ってくれた。
そして、優美な仕草でお茶を飲むセレーナさん。
その所作は、まさに理想的な、完璧なるメイド――いや、完璧なる、大人の女性である。
昨日も述べたが、セレーナさんは、私の憧れの女性だ。
……私はこのお屋敷に来るまで、大人の女性に、憧れを抱いたことなどない。だって、私の知る『大人の女性』は、意地悪なお母様と、二人の恐ろしいお姉様だけ。この三人は、私にとって絶対的上位者であり、恐怖の象徴でもあった。そんな人たちに、憧れなど感じるはずがない。
そんな私が、生まれて初めて敬意と憧れを感じた『大人の女性』が、セレーナさんだった。
セレーナさんの仕事ぶりは、速やかにして完璧。
私は、セレーナさんが失敗をするのを、一度も見たことがない。
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