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第19話
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次に、『ド』の隣にある『レ』をそっと押し、さらに話は続く。
「さすがに、強豪校の部活に入るだけあって、皆上手だった。中でも別格だったのは、私の前にフルートを演奏した広瀬綾乃さん。お母さんが市民吹奏楽団に入ってて、広瀬さん自身も小学校四年生から音楽教室に通って猛練習をしてるから、顧問の先生が思わず『ほお』って息を漏らすくらいの腕前だった」
私は話を続けることを、少しだけためらうように『ミ』の鍵盤の上を何度かつつき、それから意を決し、ゆっくりと『ミ』を押し込んで、昔話の核心に触れる。
「そして、私の番が来た。先生が気を使って『広瀬があれだけの演奏をした後じゃやりにくいだろうが、人のことは気にせず、のびのびと普段やっているように演奏しなさい』って言ってくれたから、私は短く『はい』って言って、本当にのびのびと、普段やっているように演奏したの。そしたら……」
私はもう、鍵盤を押さなかった。遊ばせていた左手をきゅっと握り、当時の情景を思い起こすように、瞳もとじる。
「先生も、先輩も、一年生たちも、そして広瀬さんも、皆一斉に顔色が変わった。演奏が終わると、先生が私に駆け寄って来て、真剣な顔で『誰にフルートを習っている?』って聞いてきたの。本当に、少しも笑ってなくて、もの凄い剣幕だったからビックリしたけど、私は素直に『お父さんのお友達の樫野先生に習ってます』って答えた」
「吹奏楽部の者たちは、そなたが史郎の娘であることを知らなかったのか?」
「うん、その時まではね。私が言った『お父さんのお友達の樫野先生』は、音楽の世界じゃ凄く有名な人で、そこからの話の流れで、私がピアニスト稲葉史郎の娘だってことを、皆が知ったの。その後は、先生も先輩たちも、とにかく私だけを特別扱いしたんだ。……それで、しばらく経った頃、広瀬さんに突然言われたの」
「何と言われたんだ?」
私は、ゴクリと唾を飲み込んだ。当時広瀬さんに言われたことは、一言一句完璧に覚えている。忘れたいと何度も思ったけど、決して忘れることはできなかったその言葉を、今度は自分自身の唇から発する。
「稲葉さんってさ、私たちのこと馬鹿にして、見下してるでしょ。天才の自分と比べたらゴミ同然のヘタクソだって」
言い終えた途端、軽い吐き気を覚えて口元を押さえる。……大した言葉じゃない。インターネットの世界に溢れる残酷な悪口に比べれば、それほど汚い言葉でもない。でも、当時の私が感じた衝撃と同じ苦い思いが、胸の中に溢れる。どうしてか? それは、広瀬さんの言葉に、隠す気もない悪意と攻撃の意思が含まれていたからだ。
……自分で言うのもなんだけど、私の家は裕福で、お父さんもお母さんも優しい。小さな頃から友達にも恵まれて、ぬくぬくと幸せいっぱいに育ってきた。なので、こんなふうに人から悪意をぶつけられたのは、生まれて初めてだった。だから私は、とにかく驚いて、そして悲しくて、何も言えなくなってしまった。
「さすがに、強豪校の部活に入るだけあって、皆上手だった。中でも別格だったのは、私の前にフルートを演奏した広瀬綾乃さん。お母さんが市民吹奏楽団に入ってて、広瀬さん自身も小学校四年生から音楽教室に通って猛練習をしてるから、顧問の先生が思わず『ほお』って息を漏らすくらいの腕前だった」
私は話を続けることを、少しだけためらうように『ミ』の鍵盤の上を何度かつつき、それから意を決し、ゆっくりと『ミ』を押し込んで、昔話の核心に触れる。
「そして、私の番が来た。先生が気を使って『広瀬があれだけの演奏をした後じゃやりにくいだろうが、人のことは気にせず、のびのびと普段やっているように演奏しなさい』って言ってくれたから、私は短く『はい』って言って、本当にのびのびと、普段やっているように演奏したの。そしたら……」
私はもう、鍵盤を押さなかった。遊ばせていた左手をきゅっと握り、当時の情景を思い起こすように、瞳もとじる。
「先生も、先輩も、一年生たちも、そして広瀬さんも、皆一斉に顔色が変わった。演奏が終わると、先生が私に駆け寄って来て、真剣な顔で『誰にフルートを習っている?』って聞いてきたの。本当に、少しも笑ってなくて、もの凄い剣幕だったからビックリしたけど、私は素直に『お父さんのお友達の樫野先生に習ってます』って答えた」
「吹奏楽部の者たちは、そなたが史郎の娘であることを知らなかったのか?」
「うん、その時まではね。私が言った『お父さんのお友達の樫野先生』は、音楽の世界じゃ凄く有名な人で、そこからの話の流れで、私がピアニスト稲葉史郎の娘だってことを、皆が知ったの。その後は、先生も先輩たちも、とにかく私だけを特別扱いしたんだ。……それで、しばらく経った頃、広瀬さんに突然言われたの」
「何と言われたんだ?」
私は、ゴクリと唾を飲み込んだ。当時広瀬さんに言われたことは、一言一句完璧に覚えている。忘れたいと何度も思ったけど、決して忘れることはできなかったその言葉を、今度は自分自身の唇から発する。
「稲葉さんってさ、私たちのこと馬鹿にして、見下してるでしょ。天才の自分と比べたらゴミ同然のヘタクソだって」
言い終えた途端、軽い吐き気を覚えて口元を押さえる。……大した言葉じゃない。インターネットの世界に溢れる残酷な悪口に比べれば、それほど汚い言葉でもない。でも、当時の私が感じた衝撃と同じ苦い思いが、胸の中に溢れる。どうしてか? それは、広瀬さんの言葉に、隠す気もない悪意と攻撃の意思が含まれていたからだ。
……自分で言うのもなんだけど、私の家は裕福で、お父さんもお母さんも優しい。小さな頃から友達にも恵まれて、ぬくぬくと幸せいっぱいに育ってきた。なので、こんなふうに人から悪意をぶつけられたのは、生まれて初めてだった。だから私は、とにかく驚いて、そして悲しくて、何も言えなくなってしまった。
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