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32. 夜会①
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次に来たフランコからの手紙は、色々と報告があったものの随分と残念な内容だった。
母、ソフィアの交友関係を浚おうと何日も足を棒にしてアリンドを歩き回っているが、あてにしていた知り合いはあの流行り病の時に他界していたり、地方に引っ越しをしていたりと空振り続きであること。男については写真を見せて街中の高齢者や壮年層に聞き込みをしてみたりするが、手掛かりになるようなモノは一つも出てこないこと。
来週以降は地方の引っ越し先と聞いた場所へ足を延ばしてみるとのことだった。確かな住所まではわからないらしく、それも歯切れの悪い意志表明に読み取れる。探偵でも二十年以上昔の写真一枚ではやはり名前も分からぬ男を見つけ出すのは難しいらしい。ミルクティー色の頭は項垂れる。半分諦めが入った吐息をつき、封筒を閉じた。
シャルロットにとってはそんなパッとしない秋の朝である。近頃すっかり先生を脱ぎ捨てカーターの屋敷に泊まり込んでいるビビアンと朝から流行りの観劇の話をしながらオムレツを食べる。
「来月ならバルカスがチケット取ってくれるって」
「バルカスさんが? ねぇじゃあ私、マオ姫役はアニータが出る日が良い~!」
「私も、私も! 賛成!! じゃあ、それで頼みましょ」
「奥様、バティーク様がお見えだそうです」
「え、今ですか?」
そう言えば、ジェフにアポイントが入ったと言ってたっけ。オムレツを急いで飲み込んで口を拭く。
「バティーク様って、お兄様よね!? 会うのが二回目の。それなのにこんな非常識な時間に訪問を!?」
化粧もしていないガウン姿のビビアンが『ムリムリムリムリムリ』と言って消えていく。
「お通ししても宜しいですか? 旦那様が奥様と一緒に朝食を取られてはと仰られたようで」
シャルロットはテルミアによって既に完璧だったので、問題なく頷いた。
「ロティ!」
「おはようございます、お兄様」
いそいそとセバスに続いてプライベートダイニングに入ってきたバティークが、立ち上がって待っていた妹を見つけて破顔する。
「久しぶりだね!」
そうでもない。
「ジェフに挨拶されると聞いていました。もう終わったのですか?」
「うん、彼はもう出発したよ。君の代わりに見送っておいた」
「まぁ、そうですか」
普段から全く見送る習慣のないシャルロットはチラリとテルミアを見る。テルミアは小刻みに頷いていた。奥様って毎朝見送るんだ? しまった、一度も見送ったことがない。シャルロットは心の中で契約夫に謝った。
セバスがコーヒーを淹れ、シャルロットはニコニコしているバティークの横でオムレツの続きを食べる。
「ロティ、オムレツを食べるんだね」
「はい、いただきます」
「オムレツはプレーンが好きかな? 僕はキノコが入ったオムレツが好きなんだ」
「ん~、私はトロトロなら何でも好きです」
「トロトロ派なのか。可愛いな!」
テルミアとセバスは離れた場所から様子を見守った。
この会話が自分たちの主人とであったなら……。ジェフなど新聞を読みながら朝食をとるので、注意でもしなければブツブツブツブツ何か言い続けてシャルロットを見もしないまま終わる朝すらあった。
「ロティ、今日は夕方から忙しいだろうか? 偶然オペラの良いチケットが手に入って。良ければ君と行きたいな、と」
「へぇ~、オペラ! …って、観たことがないのでわからないのですが、お芝居…ですよね?」
「そうか、ロティはオペラが初めてなのか! これは絶対に是非僕と。そう、芝居だけど台詞は全て歌なんだ。ウィーンで人気のオペラ歌手がリンドに遠征してきていてね。結構人気のチケットなんだよ。どうだろう?」
バティークはスーツの内ポケットから抜き出した写真付きのチケット二枚を見せる。写真にはスポットライトを浴びた煌びやかな男女が大きな口を開けてこちらを見ている舞台の様子が写っていた。
「わぁ。これ、一番大きな国立ホールですね」
「そうだよ。VIP席だから、ゆっくり食事をしながら観よう」
「食事つき!?」
「はは、そうだよ。どうかな?」
「テルミアさん、行っても良いですか?」
「奥様、また旦那様に叱られますよ。何でも好きになさってください」
「あ、そうだった…えっと、じゃあ行きたいです!」
「そうか、ありがとう、シャルロット!!」
なぜか礼を言われて両手をぶんぶん握って振られる。
その日からバティークは妹をしばしば誘い、色んな場所へと連れて行くようになった。シャルロットは真偽のほどが不明な『兄』とオペラにコンサート、ラジオの収録見学やプライベートスキーなど、そのうちビビアンも一緒になって通常とは規模違いの体験するようになる。そのどれもがVIPらしく豪華でのんびりとしていて、優雅で美味しく、楽しかった。
バティークは会いに来る時こそ強引さもあったが、日常的に顔を見るようになれば穏やかで優しくて、驚くほど妹に甘かった。恐らくシャルロットが突然四つん這いで歩きだしても蕩ける笑顔で見守るだろうくらいに。
楽しかった半面、たくさん遊んでバティークと別れる時、決まって罪悪感にとらわれた。妹じゃないのに、こんなに良くしてもらっていたなら大変に申し訳ない。それは兄とのお出かけを繰り返すごとに少しずつ積み重なる。
ふとした瞬間に妹が見せる憂いの表情に、バティークは何かあるのかと優しく尋ねるが答えはない。たびたび想像を膨らませるうちに、彼の中でシャルロットという存在は地球よりも大きくなり始めていた。
****
十月後半から小規模な夜会が繰り返され、やがて中規模な夜会も増し、王族主催のイベントも発表されると十二月からリンドの本格的な社交シーズンがスタートした。
今夜はいよいよシャルロットがあの素晴らしいドレスを着て夜会に出る日である。
プライベートダイニングも朝から暖炉に火が入り、大きなソファには毛足の長いラグが敷かれるようになった。シャルロットもワンピースの上にモコモコのガウンを羽織ってポーチ・ド・エッグを食べる。
「ところでビビアン」
「なぁに、セバスちゃん」
「あなた、仕事は良いのですか」
いつものように寝起きの適当な恰好でシャルロットとお喋りしながら朝食を食べるビビアンにセバスが紅茶を注ぎながら尋ねる。
「仕事ってなんだっけ…」
呆けたような顔をして宙を見つめる赤毛の親友にシャルロットは笑い声を上げた。
「でもビビ、予約の取れない人気講師なんでしょう? 私の授業で半年分を無理やりバルカスさんが買い上げたって後から聞いたわ」
「そうよぉ。私、どうしてもロティと仲良しになりたくって」
親友のリップサービスにシャルロットは喜ぶ。
「私、まだカーターさん家にいたいの。いいでしょ? セバスちゃん」
「いいでしょって、入っていた予約はどうしたんですか?」
「別の方をご紹介したわ。だからまだ三か月ここに居座る」
「バルカスさんはご存知なんですか?」
セバスの問いにビビアンは難しい顔ながらも首肯する。
「いい加減帰れって反対してたけど。絶対に帰らない!! ま、そんなこと言いながらも私を追い出す気はないみたいだし?」
くるくると指先で赤毛を遊ばせて答える。
「ジェフ様が良いと言えば、バルカスさんが追い出す理由はありませんからね。奥様、紅茶のお代わりを?」
「半分だけ貰います、ありがとう。ジェフがダメなんて言う時がありますか?」
「ないですね。ジェフ様は本当に屋敷の中のことには無頓着なので」
「じゃあ、もうビビはずぅっと居ればいいわよ」
「ん~! 屋敷に住み着いた幽霊みたいにならないように頑張るわ。敵は難攻不落なの」
「頑張って、ビビ」
「今夜の夜会ですっかり見違えた私をエスコートして陥落させてやる。今夜はちょっとセクシー路線!」
「セクシー最高!」
赤毛の決意表明にシャルロットが拍手をし、盛り上がっている所に寝起きでボサボサのジェフが入ってくる。
「誰がセクシーだ」
テルミアに案内されて妻の隣に腰かけた。
「わぁ、ジェフの声、ガサガサ」
酷い楽器みたいな声にシャルロットが目を丸くすると、ジェフは目を瞑って背凭れに頭を預けた。だらしくなくずるずると足が伸びる。
「昨夜は予算のおねだり大会でな…キャバレーを貸し切って…おえ…飲まされた…セバス、湯をくれ」
「キャバレーって、どんなところですか?」
「良いのですよ、奥様が知る必要はありません! 妙なことばかり仰っていると訴えられますよ、ジェフ様」
「誰に?」
テルミアが二人の間に割って入り、シャルロットの前から食器を下げる。
「おはようございます、ジェフ様」
「おはよう、ビビアン」
「ねぇ、私あと三か月居座るけど、いい?」
「どうぞ、どうぞ」
秒でのあっけない了解にシャルロットは驚いてジェフの顔を見る。
「ジェフは、お友達ならずっと家に置いてくれるのですか?」
「なに? ん? あっつ」
湯を一口飲もうとして火傷する。
「奥様は、ビビアンがジェフ様のお友達だから屋敷に長く滞在できるのか、と聞いていらっしゃるのですよ」
「んぁー、なるほど…んん、ちょっと違うな。別にビビアンと私はお友達ではない」
「そうね。私もお友達になった記憶はないわ」
ビビアンが同調した。
なーんだ、そうか。シャルロットは自分が公爵の娘じゃなかった場合でも、ジェフの友達になれば解決!?と閃いたのだが、悲しいかな、参考にはならなかった。
「残念」
「どの辺りが? まぁ、面倒を見なければいけない対象ではある。だけどそれよりビビアンは君の友達だ。私が追い出すのもおかしい。君が許可してるようなもんだろ」
「私が!?」
驚いた顔をして自分を指さすシャルロットにビビアンが拗ねる。
「ちょっとちょっと、私の押し付け合いをしないでちょうだいよ。お生憎様、私はバルカスの招待枠でここにいるんですからね! 若旦那様に聞いたのは彼に追い出されないための保険よ」
「ほぉ。私は保険か」
「そうよ、全く。お揃いのガウン着ちゃって私をたらい回しにするなんて。やってられないわ」
シャルロットは同じペイズリー柄でサーモンピンク、ジェフは茶色のガウンである。二人はのんびりと互いのガウンを見合いっこした。この所、セバスとテルミアは意識して二人にお揃いを着せる『お揃い強化月間』に入っている。
「見て、ジェフのはここにちっちゃいハートがある」
「君のにもあるぞ、ここに。……バルカスは出て行けって?」
「まだ!! まだ大丈夫!」
「毎晩のように夜這いしに行くからだ」
「バルカスが夜這いされたって減らないわよ」
ツンとしてそっぽを向くビビアンに対しジェフはどうでも良さそうに肩を竦める。
「あ、そうだ、シャルロ…」
思い出して隣の顔を見ると、ボサボサの男は目を細める。
「はは。朝から夜這いは刺激が強かったか」
ひとり赤くなっていたシャルロットが顔を見られて俯く。
「ビビアン」
「ビビアン!」
セバスとテルミアが小さく窘める。
「ごっめ~ん、ロティ!! って言いだしたの私じゃないんだけど!? …でもごちそうさまでしたっ」
「あ、逃げたな」
消えていく赤毛を見送ってから、ジェフはゆっくり冷め始めた湯を飲んだ。
「今日は終日こちらで執務予定だ。今日が夜会だろう? 渡すものがあるから、君の用意が出来たら最後に私たちの部屋においで。書斎の奥だよ」
「かしこまりました」
昼過ぎに自邸で用意を整えたバルカスがジェフの執務室を訪れる。長身で細身ながら鍛えたバルカスは黒いスリーピースの正装によりますます男ぶりが上がる。長い髪は一つに束ねられ、ビビアンの髪の色をした赤いビロードのリボンが結われている。
「準備は万全か?」
「もちろんです」
「なんだかんだでお前が公式に彼女のエスコートをするのは初めてじゃないか?」
「……」
面白くなさそうな顔を浮かべたバルカスは、目を閉じて小さく頷く。
バルカスはずっとのらりくらりと躱して来た。ビビアンも家庭教師での付き添いという立場を脱いだ状態では敢えて社交場に出て行ったりもしなかったから、エスコート無しでも良かった。けれど今回は少し違う。
「不可抗力です。まさか他の男に譲る訳にもいかないし」
「腹をくくった訳でもないと。ちゃんとビビアンのパパが来ない夜会を選んだのか」
「当たり前でしょう!!」
バルカスがジェフを睨む。
「ははは。だが盗撮されるだろうな。極めて重要な証拠写真……にされるかも」
「それはもう諦めています。ですが今日の私たちはオマケです。完全に人目はマルーン兄妹が持って行くでしょうから、まだ言い訳も立ちます。多少は気楽ですかね。私はバティークとの会話を楽しみますよ。頻繁に屋敷に出入りされるようになって、既に良好な関係を築きつつありますから、今夜半分落とします」
「はは。そうだな。兄妹で社交場に現れるのは初めてだ。確かに噂の的になる。セバスやテルミアから聞く限り、バティークは妹に変わらず夢中なようだ。きっと嬉しそうに過ごす」
「むしろ以前よりも気持ちが大きくなっているようにも思いますね。シャルロット様を見守る慈愛の垂れ流しぶりが半端ないです。すこし行き過ぎている気配すら」
「ああ、状況的には申し分ない。今日以降、私達が契約関係にあると言うカードを使っていい。お前が思う最良のタイミングで」
「かしこまりました」
「こんなに上手くいくとはな…自分からこちらに付かせたい。来週には食事会だ。完全に落とすならその時だろう」
「…もし」
少しタメを作った後で、バルカスが言う。
「なんだ」
「もしですが、契約だと打ち明けた後で向こうがシャルロット様を引き取りたいと言ってきたら、どうするのですか」
すっかり政治の頭になっていたジェフは、思わぬ質問に数秒バルカスと見つめ合った。
「いや……どうもこうもない。工場の件が落ち着けばどのみち契約は終了だ」
「バティークに返しますか」
「返す? それは知らん。別に元からバティークのモノでもないだろう。シャルロットの好きにさせればいい」
「わかりました。では私は、それがジェフ様の公式な見解…だとして了解しておきます」
「バルカ」
「あ、そうだ、ジェフ様、署名を頂きたい書類をそちらに置いていたのでした」
バルカスがパチンと指を鳴らして忘れていた用事を口にし、執務室を横断する。
ジェフは机に座り直し、読みかけの書類に戻った。
母、ソフィアの交友関係を浚おうと何日も足を棒にしてアリンドを歩き回っているが、あてにしていた知り合いはあの流行り病の時に他界していたり、地方に引っ越しをしていたりと空振り続きであること。男については写真を見せて街中の高齢者や壮年層に聞き込みをしてみたりするが、手掛かりになるようなモノは一つも出てこないこと。
来週以降は地方の引っ越し先と聞いた場所へ足を延ばしてみるとのことだった。確かな住所まではわからないらしく、それも歯切れの悪い意志表明に読み取れる。探偵でも二十年以上昔の写真一枚ではやはり名前も分からぬ男を見つけ出すのは難しいらしい。ミルクティー色の頭は項垂れる。半分諦めが入った吐息をつき、封筒を閉じた。
シャルロットにとってはそんなパッとしない秋の朝である。近頃すっかり先生を脱ぎ捨てカーターの屋敷に泊まり込んでいるビビアンと朝から流行りの観劇の話をしながらオムレツを食べる。
「来月ならバルカスがチケット取ってくれるって」
「バルカスさんが? ねぇじゃあ私、マオ姫役はアニータが出る日が良い~!」
「私も、私も! 賛成!! じゃあ、それで頼みましょ」
「奥様、バティーク様がお見えだそうです」
「え、今ですか?」
そう言えば、ジェフにアポイントが入ったと言ってたっけ。オムレツを急いで飲み込んで口を拭く。
「バティーク様って、お兄様よね!? 会うのが二回目の。それなのにこんな非常識な時間に訪問を!?」
化粧もしていないガウン姿のビビアンが『ムリムリムリムリムリ』と言って消えていく。
「お通ししても宜しいですか? 旦那様が奥様と一緒に朝食を取られてはと仰られたようで」
シャルロットはテルミアによって既に完璧だったので、問題なく頷いた。
「ロティ!」
「おはようございます、お兄様」
いそいそとセバスに続いてプライベートダイニングに入ってきたバティークが、立ち上がって待っていた妹を見つけて破顔する。
「久しぶりだね!」
そうでもない。
「ジェフに挨拶されると聞いていました。もう終わったのですか?」
「うん、彼はもう出発したよ。君の代わりに見送っておいた」
「まぁ、そうですか」
普段から全く見送る習慣のないシャルロットはチラリとテルミアを見る。テルミアは小刻みに頷いていた。奥様って毎朝見送るんだ? しまった、一度も見送ったことがない。シャルロットは心の中で契約夫に謝った。
セバスがコーヒーを淹れ、シャルロットはニコニコしているバティークの横でオムレツの続きを食べる。
「ロティ、オムレツを食べるんだね」
「はい、いただきます」
「オムレツはプレーンが好きかな? 僕はキノコが入ったオムレツが好きなんだ」
「ん~、私はトロトロなら何でも好きです」
「トロトロ派なのか。可愛いな!」
テルミアとセバスは離れた場所から様子を見守った。
この会話が自分たちの主人とであったなら……。ジェフなど新聞を読みながら朝食をとるので、注意でもしなければブツブツブツブツ何か言い続けてシャルロットを見もしないまま終わる朝すらあった。
「ロティ、今日は夕方から忙しいだろうか? 偶然オペラの良いチケットが手に入って。良ければ君と行きたいな、と」
「へぇ~、オペラ! …って、観たことがないのでわからないのですが、お芝居…ですよね?」
「そうか、ロティはオペラが初めてなのか! これは絶対に是非僕と。そう、芝居だけど台詞は全て歌なんだ。ウィーンで人気のオペラ歌手がリンドに遠征してきていてね。結構人気のチケットなんだよ。どうだろう?」
バティークはスーツの内ポケットから抜き出した写真付きのチケット二枚を見せる。写真にはスポットライトを浴びた煌びやかな男女が大きな口を開けてこちらを見ている舞台の様子が写っていた。
「わぁ。これ、一番大きな国立ホールですね」
「そうだよ。VIP席だから、ゆっくり食事をしながら観よう」
「食事つき!?」
「はは、そうだよ。どうかな?」
「テルミアさん、行っても良いですか?」
「奥様、また旦那様に叱られますよ。何でも好きになさってください」
「あ、そうだった…えっと、じゃあ行きたいです!」
「そうか、ありがとう、シャルロット!!」
なぜか礼を言われて両手をぶんぶん握って振られる。
その日からバティークは妹をしばしば誘い、色んな場所へと連れて行くようになった。シャルロットは真偽のほどが不明な『兄』とオペラにコンサート、ラジオの収録見学やプライベートスキーなど、そのうちビビアンも一緒になって通常とは規模違いの体験するようになる。そのどれもがVIPらしく豪華でのんびりとしていて、優雅で美味しく、楽しかった。
バティークは会いに来る時こそ強引さもあったが、日常的に顔を見るようになれば穏やかで優しくて、驚くほど妹に甘かった。恐らくシャルロットが突然四つん這いで歩きだしても蕩ける笑顔で見守るだろうくらいに。
楽しかった半面、たくさん遊んでバティークと別れる時、決まって罪悪感にとらわれた。妹じゃないのに、こんなに良くしてもらっていたなら大変に申し訳ない。それは兄とのお出かけを繰り返すごとに少しずつ積み重なる。
ふとした瞬間に妹が見せる憂いの表情に、バティークは何かあるのかと優しく尋ねるが答えはない。たびたび想像を膨らませるうちに、彼の中でシャルロットという存在は地球よりも大きくなり始めていた。
****
十月後半から小規模な夜会が繰り返され、やがて中規模な夜会も増し、王族主催のイベントも発表されると十二月からリンドの本格的な社交シーズンがスタートした。
今夜はいよいよシャルロットがあの素晴らしいドレスを着て夜会に出る日である。
プライベートダイニングも朝から暖炉に火が入り、大きなソファには毛足の長いラグが敷かれるようになった。シャルロットもワンピースの上にモコモコのガウンを羽織ってポーチ・ド・エッグを食べる。
「ところでビビアン」
「なぁに、セバスちゃん」
「あなた、仕事は良いのですか」
いつものように寝起きの適当な恰好でシャルロットとお喋りしながら朝食を食べるビビアンにセバスが紅茶を注ぎながら尋ねる。
「仕事ってなんだっけ…」
呆けたような顔をして宙を見つめる赤毛の親友にシャルロットは笑い声を上げた。
「でもビビ、予約の取れない人気講師なんでしょう? 私の授業で半年分を無理やりバルカスさんが買い上げたって後から聞いたわ」
「そうよぉ。私、どうしてもロティと仲良しになりたくって」
親友のリップサービスにシャルロットは喜ぶ。
「私、まだカーターさん家にいたいの。いいでしょ? セバスちゃん」
「いいでしょって、入っていた予約はどうしたんですか?」
「別の方をご紹介したわ。だからまだ三か月ここに居座る」
「バルカスさんはご存知なんですか?」
セバスの問いにビビアンは難しい顔ながらも首肯する。
「いい加減帰れって反対してたけど。絶対に帰らない!! ま、そんなこと言いながらも私を追い出す気はないみたいだし?」
くるくると指先で赤毛を遊ばせて答える。
「ジェフ様が良いと言えば、バルカスさんが追い出す理由はありませんからね。奥様、紅茶のお代わりを?」
「半分だけ貰います、ありがとう。ジェフがダメなんて言う時がありますか?」
「ないですね。ジェフ様は本当に屋敷の中のことには無頓着なので」
「じゃあ、もうビビはずぅっと居ればいいわよ」
「ん~! 屋敷に住み着いた幽霊みたいにならないように頑張るわ。敵は難攻不落なの」
「頑張って、ビビ」
「今夜の夜会ですっかり見違えた私をエスコートして陥落させてやる。今夜はちょっとセクシー路線!」
「セクシー最高!」
赤毛の決意表明にシャルロットが拍手をし、盛り上がっている所に寝起きでボサボサのジェフが入ってくる。
「誰がセクシーだ」
テルミアに案内されて妻の隣に腰かけた。
「わぁ、ジェフの声、ガサガサ」
酷い楽器みたいな声にシャルロットが目を丸くすると、ジェフは目を瞑って背凭れに頭を預けた。だらしくなくずるずると足が伸びる。
「昨夜は予算のおねだり大会でな…キャバレーを貸し切って…おえ…飲まされた…セバス、湯をくれ」
「キャバレーって、どんなところですか?」
「良いのですよ、奥様が知る必要はありません! 妙なことばかり仰っていると訴えられますよ、ジェフ様」
「誰に?」
テルミアが二人の間に割って入り、シャルロットの前から食器を下げる。
「おはようございます、ジェフ様」
「おはよう、ビビアン」
「ねぇ、私あと三か月居座るけど、いい?」
「どうぞ、どうぞ」
秒でのあっけない了解にシャルロットは驚いてジェフの顔を見る。
「ジェフは、お友達ならずっと家に置いてくれるのですか?」
「なに? ん? あっつ」
湯を一口飲もうとして火傷する。
「奥様は、ビビアンがジェフ様のお友達だから屋敷に長く滞在できるのか、と聞いていらっしゃるのですよ」
「んぁー、なるほど…んん、ちょっと違うな。別にビビアンと私はお友達ではない」
「そうね。私もお友達になった記憶はないわ」
ビビアンが同調した。
なーんだ、そうか。シャルロットは自分が公爵の娘じゃなかった場合でも、ジェフの友達になれば解決!?と閃いたのだが、悲しいかな、参考にはならなかった。
「残念」
「どの辺りが? まぁ、面倒を見なければいけない対象ではある。だけどそれよりビビアンは君の友達だ。私が追い出すのもおかしい。君が許可してるようなもんだろ」
「私が!?」
驚いた顔をして自分を指さすシャルロットにビビアンが拗ねる。
「ちょっとちょっと、私の押し付け合いをしないでちょうだいよ。お生憎様、私はバルカスの招待枠でここにいるんですからね! 若旦那様に聞いたのは彼に追い出されないための保険よ」
「ほぉ。私は保険か」
「そうよ、全く。お揃いのガウン着ちゃって私をたらい回しにするなんて。やってられないわ」
シャルロットは同じペイズリー柄でサーモンピンク、ジェフは茶色のガウンである。二人はのんびりと互いのガウンを見合いっこした。この所、セバスとテルミアは意識して二人にお揃いを着せる『お揃い強化月間』に入っている。
「見て、ジェフのはここにちっちゃいハートがある」
「君のにもあるぞ、ここに。……バルカスは出て行けって?」
「まだ!! まだ大丈夫!」
「毎晩のように夜這いしに行くからだ」
「バルカスが夜這いされたって減らないわよ」
ツンとしてそっぽを向くビビアンに対しジェフはどうでも良さそうに肩を竦める。
「あ、そうだ、シャルロ…」
思い出して隣の顔を見ると、ボサボサの男は目を細める。
「はは。朝から夜這いは刺激が強かったか」
ひとり赤くなっていたシャルロットが顔を見られて俯く。
「ビビアン」
「ビビアン!」
セバスとテルミアが小さく窘める。
「ごっめ~ん、ロティ!! って言いだしたの私じゃないんだけど!? …でもごちそうさまでしたっ」
「あ、逃げたな」
消えていく赤毛を見送ってから、ジェフはゆっくり冷め始めた湯を飲んだ。
「今日は終日こちらで執務予定だ。今日が夜会だろう? 渡すものがあるから、君の用意が出来たら最後に私たちの部屋においで。書斎の奥だよ」
「かしこまりました」
昼過ぎに自邸で用意を整えたバルカスがジェフの執務室を訪れる。長身で細身ながら鍛えたバルカスは黒いスリーピースの正装によりますます男ぶりが上がる。長い髪は一つに束ねられ、ビビアンの髪の色をした赤いビロードのリボンが結われている。
「準備は万全か?」
「もちろんです」
「なんだかんだでお前が公式に彼女のエスコートをするのは初めてじゃないか?」
「……」
面白くなさそうな顔を浮かべたバルカスは、目を閉じて小さく頷く。
バルカスはずっとのらりくらりと躱して来た。ビビアンも家庭教師での付き添いという立場を脱いだ状態では敢えて社交場に出て行ったりもしなかったから、エスコート無しでも良かった。けれど今回は少し違う。
「不可抗力です。まさか他の男に譲る訳にもいかないし」
「腹をくくった訳でもないと。ちゃんとビビアンのパパが来ない夜会を選んだのか」
「当たり前でしょう!!」
バルカスがジェフを睨む。
「ははは。だが盗撮されるだろうな。極めて重要な証拠写真……にされるかも」
「それはもう諦めています。ですが今日の私たちはオマケです。完全に人目はマルーン兄妹が持って行くでしょうから、まだ言い訳も立ちます。多少は気楽ですかね。私はバティークとの会話を楽しみますよ。頻繁に屋敷に出入りされるようになって、既に良好な関係を築きつつありますから、今夜半分落とします」
「はは。そうだな。兄妹で社交場に現れるのは初めてだ。確かに噂の的になる。セバスやテルミアから聞く限り、バティークは妹に変わらず夢中なようだ。きっと嬉しそうに過ごす」
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「ああ、状況的には申し分ない。今日以降、私達が契約関係にあると言うカードを使っていい。お前が思う最良のタイミングで」
「かしこまりました」
「こんなに上手くいくとはな…自分からこちらに付かせたい。来週には食事会だ。完全に落とすならその時だろう」
「…もし」
少しタメを作った後で、バルカスが言う。
「なんだ」
「もしですが、契約だと打ち明けた後で向こうがシャルロット様を引き取りたいと言ってきたら、どうするのですか」
すっかり政治の頭になっていたジェフは、思わぬ質問に数秒バルカスと見つめ合った。
「いや……どうもこうもない。工場の件が落ち着けばどのみち契約は終了だ」
「バティークに返しますか」
「返す? それは知らん。別に元からバティークのモノでもないだろう。シャルロットの好きにさせればいい」
「わかりました。では私は、それがジェフ様の公式な見解…だとして了解しておきます」
「バルカ」
「あ、そうだ、ジェフ様、署名を頂きたい書類をそちらに置いていたのでした」
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