私だってあなたを愛するつもりはありません、宰相殿

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11. 残念な人

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「史上最年少宰相でいらっしゃる坊ちゃまが実の所、残念な人であることは存じ上げておりましたがね。まさかここまでとは」
「天才だと思っていたけど、もう脳みそも枯れてきてるんじゃないの?」
「やっぱり薬を盛るべきだった」
「………」

 車から降り立った主人に、三人が冷ややかな目線を寄越し、真っ赤な顔で荒い息を上げる奥方を憐れむ。

 ジェフは抱えた毛布の塊に目を落とした。
 いや別に、風邪をひかせようなんて一ミリだって考えちゃいなかった。
 だけどあの感じじゃ『ベッドで寝ろ』なんてセクシャルハラスメント以外の何物でもなかっただろうし、自分が起きていたら部屋で男と二人、眠れもしなかっただろう。そういった色々を考えた末に、自分がベッドに入って寝たのである。

「だからそれがバカだって言ってるのよ」
「ビビアン。俺は一応さいしょ」
「はぁぁぁぁぁ!? じゃあ何? この状況でバカじゃないって言ってもらえるとでも思ってる訳!? 折角のチャンスをぐっちゃぐちゃにした挙句、熱出させるなんて愚の骨頂よぉ!!」
 小言を聞きながらもスタスタとシャルロットの部屋へと速足で向かう。三人がタキシードの後を追う。
「折角も何も、俺は頼んでないんだが」
 荒い息を吐くシャルロットが薄っすらと目を開けた。ジェフが顔を覗くと、見たことのない可愛らしい顔でにこりと笑う。
「ん?」
 目を丸くするジェフの横で、セバスがやれやれと首を振った。
「テルミアが怒りに揺れる様子が目に浮かびますな~」
「揺れてどうなる」
「俺が絞め技を繰り出しましょう!」
 お前が繰り出してどうする。
 颯爽と主人を追い越していったバルカスが、契約妻の部屋の扉を開ける。

 部屋には専属侍女がこの世の恐怖を煮詰めたようなオーラを放って待っていた。
「ジェフ様、どうなってそうなったのか、お伺いしても?」
「あ~…ベッドは、一つしかなくてだな」
「坊ちゃまは一国のど偉い宰相様ですから。そりゃあお一人でベッドをお使いになる」
「明け透けに言うなよ、セバス。ジェフ様だってさすがに恥ずかしい」
「おだまりなさい! お二人とも!! 奥様は、どこで、どのようにして、寝て、いらしたか、と聞いているんです!」
 怒号に三人の目が細められる。
「んぉ~…大きな出窓の側で? 枕は……あった! ……えーと、あとはこの、着ているバスローブと……いや、バスローブだ、け?で」
 ど偉い宰相の目が泳ぐ。
「つまりジェフ様はふかふかの暖かく素晴らしいベッドで、奥様が外気の伝わる寒々しい出窓の床板でこのバスローブ一枚のまま丸くまぁぁーるぅぅぅくなって寝ていらしたと。そういうことですね。それでお熱が?」
 まだまだ肌寒いこの国の六月初旬、まさか外で寝る人間もいない。
「お~…おーん…」
 テルミアがベッドの掛布をめくり、皺ひとつないシーツの上へ『どうぞ降ろせ』と無言で手のひらを差し向ける。
 ジェフは長身を斜めに折り曲げながら、ゆっくりと毛布の塊をベッドへと降ろそうと…降ろそうとしたその時、シャルロットがもぞもぞと動き、ぺたりと夫の首元に寄ってすりりと頬をあてた。まるで降ろされまいと首に手を回して、引っ付いてくるように。
「んん…」
 ジェフが中腰のまま固まる。あれ、抱いているのはシャルロットではなかったか?
 テルミア、セバス、ビビアンにバルカスが信じられないものを見る目でジェフとその妻(仮)を見る。
「あれっ、結局手を出したんですか? 成功?」
「!! 変なもの飲ませたんじゃ」
「断じて何にもしてないぞ!!」
 シャルロットは焦る男の声にまた薄目を開け、ジェフにしがみついたまま呟いた。
「おじさ…しんど…ぃ」
 おじさま、オーケイ! コレは確かにシャルロット。
「あ、ああ。そうだな。悪かった。よし、ベッドに降ろすから手を離して」
「いや」
 ぎゅっとしがみついてくる。ジェフはまた目を丸くした。
 バルカスがぱちん! と鳴らした指でベッドを指す。
「そのまま同衾を!」
「するか、バカ!」
「させるわけがないでしょう!! さっさと降ろして、出て行って下さいませ!!」
 グワッとテルミアが牙をむく。ジェフが急いでシャルロットを騙し騙しあやしてベッドに寝かせると、また赤い顔で寝息を立て始めた。

 三人は追い出され、テルミアが世話を始める。
「なんだったんだ? 今の」
 頭を掻きながらジェフが首を捻ったが、シャルロットの態度を理解する者はいない。白けた顔で三人は主人を見返す。
「さぁ。私たちに聞かれても」


 ****

 健康自慢のシャルロットだったが、それから三日間熱が下がらなかった。ジェフはさすがに責任を感じたし、使用人達もいつも元気な奥様の姿が見えず心配した。環境の変化にやっとひと段落がついて疲れが出ただけだろう…そんな医師の見立てもあり、テルミアが手厚く世話を焼くうちに顔色も良くなってくる。

 三日が経ち、その晩もシャルロットの部屋の扉が鳴った。
「はぁい」
 答えるとジェフがセバスを連れて顔を覗かせる。
「おかえりなさい、おじさま!」
 シャルロットは読んでいた本を閉じて、ベッドの上から起き上がろうとする。
「そのままでいい。気分はどうだ」
 帰宅してすぐの足で様子を見に来た様子のジェフに、シャルロットは嬉しそうな顔をする。
「もう熱も下がりましたし、明日からは先生の授業も再開していただきます」
「んー、そうか。まぁ無理は別にしなくてもいい。テストがあるわけじゃないしな」
「はい、ありがとうございます。だけど先生の授業は面白いので早く受けたくて」
「そうか、なら良いが。少し体調も戻ってきたと聞いて、のど越しの良さそうなスイーツを持って帰ってきた。食べられるようなら食べなさい」
「食べます! おじさまも一緒に?」
「ん? …ん~私は酒」
「テルミア、ジェフ様の分も一緒にゼリーをこちらまで運ぶように言伝を」
「かしこまりました」
 ジェフの口を目線で封じ、セバスがベッドの横に椅子を運ぶ。

 数種のフルーツゼリーの中からシャルロットはチェリー、ジェフはメロンを選んだ。
「美味しいです!」
「そうか」
 それからシャルロットはにこにことゼリーを食べ、ジェフはその様子を複雑な気持ちで眺めてメロンを口に入れる。三日経っても熱が下がっても、シャルロットの様子が以前とは明らかに違うので、そろそろ皆がはっきりと感じていた。そしてジェフ以外の全員が期待している。
「シャルロット様」
「はい?」
 しばらく様子を見守っていたセバスがジェフの後ろから奥様に尋ねる。
「その……どうして何時までもジェフ様を『おじさま』と?」
 好意を持たれたのであれば、優しくリードして名を呼ばせるべきだった。枯れた坊ちゃまに出来ぬことをするのが、この老執事の仕事である。

「どうして? って…偉い人なのにおじさんは失礼ですし。だから様です、『おじ様』。ね?」
 三十八の男におじ様も十分失礼だと思ったが、ジェフは二ミリくらい頷いておいた。
「是非、ファーストネームでお呼びください。ご夫婦なのですから」
「うふふ!」
 楽しそうにシャルロットが笑う。
「ご夫婦なんて! そういう契約なだけなのに。セバスさんだってご存知じゃないですか」
「…そう、です、ね、さようでございました。はは…このセバス…淡い夢を…」
 がっくりと項垂れる老執事に憐れみの目を向け、ジェフはにやにやする。
「残念だったなぁ」
「坊ちゃまがそれを?」
「あ、そうだ、おじさま。おじさまの書斎に『テグナー全集』があると聞いたのですが、お借りしても良いですか? 探したのですが、図書室にはなくて」
「ああ、そういえばこっちに置いていたかな。良いよ」
「じゃあ、今から行っても良いですか? 少し歩きたい気分だし」
「どうぞ」
 食べ終わったゼリーを下げてもらい、ジェフの執務室横にある書斎に移動して、中に入れてもらった。天井まで届く本棚に見入り、シャルロットの瞳が時折興味深そうに瞬く。
「本が好き?」
 窓辺を背に、揺れるミルクティー色の頭を眺めながらジェフが尋ねる。
「ん~…そもそも暇もお金もなくて。読む訳じゃなかったのですが、ビビアン先生の話を聞いていると、色々と読みたくなってきます」
「ほぉ」
「でも全集がこんなにあるなんて。タイトルを忘れてしまいました。何巻かしら。年の差がある恋人の話を紹介してもらったのです。それが読みたくて」
「……ほぉ?」
 見上げる書棚の本を取ろうと手を伸ばした上に、ジェフの手が伸びていく。
「多分これかな。第四巻」
「ありがとうございます! おじさまもお好きなの? お話全部覚えてるとか? ふふ」
「覚えてるよ」
 冗談で言ったつもりが、平然と返されてシャルロットがキョトンとする。
「え、たまたま?」
「いや、読んだ本は忘れない…本というか、大事な書類も、会話も」
「本当に? 全部、覚えてるんですか?」
「あ~、小説を一字一句は覚えたりしないよ。面倒だからな。私は大概その一冊なら三十分で読み終わるような読み方だ」
「じゃあ、覚えようと思ったら覚えられる?」
「ああ」
 まじまじと手の中の分厚い一冊を見てぷっくりした唇が開く。
「やーっば」
「ははは『やーっば』か。いいな、それ。今度使おう」
「どうやって覚えるんですか?」
 本を胸に、興味津々で尋ねる。
「さぁ。どうやって……覚えたいのか? それなら覚えようと思って覚えるだけじゃないのか。不要でも勝手に覚えている時の方が多いが」
「コツはないんですか?」
「嫌なことでも覚えないといけない場合は写真みたいにして覚える」
「写真!?」
「……心のシャッターを切るんだ」
 少しタメを作って言った台詞に、シャルロットは噴き出してケタケタと笑い出した。
「面白かった?」
 満面の笑みで笑いながら頷く。
「気持ち悪かったです」
「きも…そうか、まぁいい」
 そのままニコニコと首を傾げて、本をお借りしますね、と部屋を出ていく。後姿を見ながらジェフが口を開いた。
「他も読みたければ、いつでも入って良い。セバスに言っておく」
「ありがとうございます! じゃあ今度、おじさまのお勧めの本をお借りしたいです。難しくないのを選んでくださいますか?」
「私のお勧めで良いのか?」
「はい! 折角なら、おじさまのお勧めを読みます。じゃあ、おやすみなさい」
「…おやすみ」

 パタンとドアが閉まる。
 残されたジェフは一冊分の穴が開いた書棚を見つめて、頭を掻いた。
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