片翅の火蝶 ▽お家存続のため蝋燭頭の旦那様と愛し合います▽

偽月

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二章 恋の病に薬なし

-23- 籠る熱

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 結い処を出て、雀通りの戻ると太蝋は八重に訊ねた。

「さて、行ってみたい所はあるか?」

 着替えさせられたきりの新品の薄物に落ち着かない気分のまま、八重は「ええと……」と言い淀んだ。
 行ってみたい所と言われても碌に知らない土地では、何があるのかさえ分からない。
 火縄家がある村よりも見所はあるのだろうが……。

 とは言え、何も答えないでいるのも失礼に当たりそうだ。
 八重は胸の前で手を拱いて、必死に考えを巡らせた。
 そうして言い淀んでいる内に焦りが募っていく。
 すると。

「ゆっくり考えなさい」

 太蝋は八重の手をそっと握った。
 手の平に爪先が食い込むほどの力で握りしめられた拳が、手袋越しに伝わる体温で解れていく。
 焦りを見破られて、慰められたのだと分かった八重は気恥ずかしくなって顔を赤く染めた。

「あ……ぅ……」

 恥ずかしさと申し訳なさに涙が込み上げてきそうになって、八重は目を伏せた。
 落とした視線の先には自分の手を握る太蝋の手が在り、今度は違う意味で緊張してくる。

「……。……歩きながら考えようか」

 八重の耳に息を飲み込むような音が届いてすぐ、太蝋に手を引かれて歩くことになった。
 太蝋は後ろ手の状態で八重の手を引いて、するすると人混みの中を歩いて行く。
 八重は、そのすぐ後ろを着いて行くので精一杯だったが、人にぶつかることは無かった。
 大きい背中に庇われていたからだろう。


 雀通りでも最も人混みになっている箇所を抜けると、太蝋は後ろ手を身体の横につけて、隣で八重を歩かせながら言う。

「帰りは別の道を通ろう。雀通りは揉みくちゃにされそうだ」
「は、はい。……あ、あの、旦那様……」
「ん? 行きたい所、思い付いたか?」
「そ、その……手、を……」

 八重の言葉を聞き、太蝋は足を止めた。手を繋いだまま八重を見ると、耳まで真っ赤に染まっており、空いている手で胸元を抑えて苦しそうにしている。その姿を見て、太蝋は咄嗟に手を放した。

「強く引っ張りすぎたか? 手を痛めたか?」
「い、いえっ。だ、大丈夫です……っ」

 八重は太蝋に握られていた手を触りながら目を泳がせて答えた。

 男に手を握られて歩くなんて、子供の時以来だった。その相手も父親しかいない。
 手袋越しでも分かる骨張った男の手や、その力強さに胸が高鳴って八重を動揺させた。
 そんな動揺を太蝋に悟られるのも恥ずかしい。
 なんとかして誤魔化せないものかと思いながら、八重は周辺の景色に視線を向けた。視界に映ったのは、川だ。

「あ……。か、川、を……川を見たいです……っ」
「川?」

 太蝋は首を傾げながら、八重が指差した方を見た。確かに視線の先には、石壁で整備された川がある。

(何の変哲もない川を見て面白いのか?)

 そう思ったものの、八重が望んでいるなら向かわない選択肢は浮かんでこなかった。

「じゃあ、川辺で散歩でもしようか」
「は、はいっ」

 八重の返事を聞いてすぐ、太蝋は川に向かって歩き出した。
 その少し後ろを歩いて行く八重。何処となくぎこちなさを漂わせながら、二人は町の川の側を目指した。
 綺麗に削られた石塊が積まれ、土手となり整備された川を、人を乗せた小舟が下流に向かって漕いで行っている。
 川辺の周りにも長屋が立ち並んでおり、雀通りほどでは無いにしても活気付いていた。

「ここも人が沢山……」

 人の往来も盛んなようで八重が想像する川辺とは似ても似つかなかった。
 川の音だけが聞こえるような田舎の川を想像していただけに、船が川を漕ぐ音以上の人の騒めきが耳に付く。

「川を船で移動する町人が多いからね。この川は北西から東に向かって流れていて、途中で別の大きな川と合流して海まで流れていくんだ。上流の方が夕陽町、下流の方は吾妻町。どっちの方へ行きたい?」

 太蝋が指差しながら川の説明をしてくれたのを聞き、八重は夕陽町があると言う上流の方に目を向けながら答えた。

「上流で、宜しいでしょうか……?」
「良いよ。ここよりは静かな筈だ。行こうか」

 そう言って太蝋は上流に向かって歩き出した。
 何気なく上流の方が人通りが少ないことを示唆しながら歩いて行く太蝋の背中を見ながら、八重は騒ぐ胸を手で抑える。
 まるで静かな川を望んでいたことを見破られたようで、落ち着かなかった。
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