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二章⑩
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「さて、トルケルよ。最後に意見を聞かせてくれ」
クヌートは言葉を切って立ち上がり、足元に転がったままだった聖書を拾って再び玉座に腰かけた。
その目はどこか憂いを帯びていた。口元は自嘲するように歪んだ笑みを浮かべていた。
「余には分からぬ。前妻エルギフの子も現王妃エマの子も、市井で玉打ち遊びに興じる民草の子らも、余には見分けがつかぬ。しかしながら、スヴェン王は一目見れば分かったという。本当だったと思うか?」
「……本当か、とは?」
俺が眉を寄せて問うと、クヌートは苦笑して、俺から膝元の聖書に視線を移す。
「こうして顔を一目見れば分かる。いかに大きく成長し姿形が変わろうと、これは自分の血を分けた子であると。そのスヴェン王の言は真であったのだろうか?」
俺は息を呑み、返答に迷った。
その答えはない。スヴェン王が真実を語ったのか、それは永遠に謎さ。
ただ、初めて会った時、俺には分かった。
このクヌートが自分の息子であると。
それはもちろん、あの『魔女』に似ていたこともあるが、それ以上に、頭ではなく本能的にそれが分かった。
だから、スヴェン王もそうだったとしても、不思議はないのかもしれない。
クヌートが偽物であることを、スヴェン王は感覚で理解していたのかもしれない。
それを知ったが故に、クヌートは自らの手でスヴェン王に引導を渡したのかもしれない。
すべては憶測の域を出ず、スヴェン王が突然に身罷られたという事実だけが世に残る。
いずれにせよ、それを証せるものはいない。
この世のどこにも、いやしないんだよ。
ようやく伝えるべき答えを頭の中でまとめて、俺は答えた。
「分かりかねます。私には子がおりませぬ故」
「ふ……子がいない、か。そうであったな……」
そう呟くと、クヌートは足を組んで再び聖書を読み始めた。
「さらばだ、トルケル。二度と会うことはあるまい」
こちらを見ようともせず、クヌートは聖書に目を落としたまま淡々としていた。まるで、俺のことなど興味を失った、というような態度だった。
冷たいと思うかい? いいや、それがあいつなりの踏ん切りの付け方なんだと、俺は受け取っているよ。
俺はもう一度、頭を下げた。これがあいつとの今生の別れだと、俺にも分かっていた。
こいつにしてやれることは、もうなにもない。
俺にはもう、なにもな。
「陛下の御為に働けたこと、このトルケルの生涯の誉れにございました。お達者で」
そうして俺は、王宮を追放刑にあったってわけだ。手下どもを連れてこの農場にやってきたのは、だからさ。
三年くらい前かな。ハラルド亡きあとデンマーク王位を継いだクヌートの領内視察にくっついて国内を色々と見て回っているうちに、この農場を見知ったんでね。
実を言うと、お前さんもその時に見かけたよ。一目見て気に入った。聞けば随分と働き者で、元は先代の主の妾だが今は天涯孤独の身という。
なら俺がもらうと主に話をつけてな。代わりに、隠居するならここに来るから手下を農場の護衛戦力にしてやる、と言ったら、一も二もなく取引成立だ。へっ、来るまでに三年も時間がかかったのは、ちと想定外だったが。
まあ、実際、当たりだったぜ。お前さんは本当によく働くしな。ジジイの世話なんざゴメンだったろうが、まあ、許してくれや。代わりに俺がくたばったら、財産はすべてくれてやるから。
結構あるぜ? 少なくとも数年は食うに困らねえーーん? なんだ、その顔は。ああ、いいんだよ、俺がいいと言ってんだから黙って受け取れ。
あ? 手下ども? あいつらはいいんだ。いや、いらねえんだと連中が言い張るんだからよ。
まあ、歴戦の猛者とはいえ、あいつらも年をくったからな。このままここで畑を耕して嫁でも取って、ガキをこさえてベッドで死ぬのもいいんじゃねえか?
俺がくたばりゃ連中も好きにするさ。クヌート陛下はこのままの勢いでノルウェーも平らげる気でいるし、戦士が食うに困ることなんてまだまだありゃしねぇよ。陛下の楽土建設は途上なんだからな。
俺はその道から外れちまったし、その完成を見ることもなかろう……ん、仕方ねえよ。俺ももう長くはねえ。足にきちまってるんだ、当然さ。自分が一番よくわかってる。
戦乙女にも振られたし、こんな俺の魂は死んだらどうなるのかね……まあ、どうでもいいさ。
俺は自分の命を使い切った。クヌートの秘密を守り切り、あいつを王にした。思い描いていた形とはかなり違うが、その点には満足しているよ。
ん? なんでこの話をお前さんにしたかって?
……なんでかな。ふとな、お前さんにならこの秘密を明かしてもいい気がしたんだ。
この農場に来てお前さんを最初に見た時から思っていたが、もしかしたら、あいつに似ているからかもな。
たった一冬過ごしただけの、あの憐れで美しい、口のきけない『魔女』に……ちっ、ガラでもねえ。今のは忘れてくれ。
……そうだな。もしかしたら、自慢したかったのかもな。お前さん、口は堅いだろ? そういうのは、見て分かるんでね。
いいじゃねえか、少なくともこの地上じゃ、他に誰にも自慢できる相手がいないんだからよ。
聞くがいい。何者も恐れぬ戦士であり、地上に楽土を築いたあの稀代の名君クヌート王陛下は、実のところこの『のっぽ』のトルケルの息子なのだ! なーんちゃってな。
……やれやれ、随分と長く喋ったから喉が渇いたぜ。水を持ってきてくれ。
クヌートは言葉を切って立ち上がり、足元に転がったままだった聖書を拾って再び玉座に腰かけた。
その目はどこか憂いを帯びていた。口元は自嘲するように歪んだ笑みを浮かべていた。
「余には分からぬ。前妻エルギフの子も現王妃エマの子も、市井で玉打ち遊びに興じる民草の子らも、余には見分けがつかぬ。しかしながら、スヴェン王は一目見れば分かったという。本当だったと思うか?」
「……本当か、とは?」
俺が眉を寄せて問うと、クヌートは苦笑して、俺から膝元の聖書に視線を移す。
「こうして顔を一目見れば分かる。いかに大きく成長し姿形が変わろうと、これは自分の血を分けた子であると。そのスヴェン王の言は真であったのだろうか?」
俺は息を呑み、返答に迷った。
その答えはない。スヴェン王が真実を語ったのか、それは永遠に謎さ。
ただ、初めて会った時、俺には分かった。
このクヌートが自分の息子であると。
それはもちろん、あの『魔女』に似ていたこともあるが、それ以上に、頭ではなく本能的にそれが分かった。
だから、スヴェン王もそうだったとしても、不思議はないのかもしれない。
クヌートが偽物であることを、スヴェン王は感覚で理解していたのかもしれない。
それを知ったが故に、クヌートは自らの手でスヴェン王に引導を渡したのかもしれない。
すべては憶測の域を出ず、スヴェン王が突然に身罷られたという事実だけが世に残る。
いずれにせよ、それを証せるものはいない。
この世のどこにも、いやしないんだよ。
ようやく伝えるべき答えを頭の中でまとめて、俺は答えた。
「分かりかねます。私には子がおりませぬ故」
「ふ……子がいない、か。そうであったな……」
そう呟くと、クヌートは足を組んで再び聖書を読み始めた。
「さらばだ、トルケル。二度と会うことはあるまい」
こちらを見ようともせず、クヌートは聖書に目を落としたまま淡々としていた。まるで、俺のことなど興味を失った、というような態度だった。
冷たいと思うかい? いいや、それがあいつなりの踏ん切りの付け方なんだと、俺は受け取っているよ。
俺はもう一度、頭を下げた。これがあいつとの今生の別れだと、俺にも分かっていた。
こいつにしてやれることは、もうなにもない。
俺にはもう、なにもな。
「陛下の御為に働けたこと、このトルケルの生涯の誉れにございました。お達者で」
そうして俺は、王宮を追放刑にあったってわけだ。手下どもを連れてこの農場にやってきたのは、だからさ。
三年くらい前かな。ハラルド亡きあとデンマーク王位を継いだクヌートの領内視察にくっついて国内を色々と見て回っているうちに、この農場を見知ったんでね。
実を言うと、お前さんもその時に見かけたよ。一目見て気に入った。聞けば随分と働き者で、元は先代の主の妾だが今は天涯孤独の身という。
なら俺がもらうと主に話をつけてな。代わりに、隠居するならここに来るから手下を農場の護衛戦力にしてやる、と言ったら、一も二もなく取引成立だ。へっ、来るまでに三年も時間がかかったのは、ちと想定外だったが。
まあ、実際、当たりだったぜ。お前さんは本当によく働くしな。ジジイの世話なんざゴメンだったろうが、まあ、許してくれや。代わりに俺がくたばったら、財産はすべてくれてやるから。
結構あるぜ? 少なくとも数年は食うに困らねえーーん? なんだ、その顔は。ああ、いいんだよ、俺がいいと言ってんだから黙って受け取れ。
あ? 手下ども? あいつらはいいんだ。いや、いらねえんだと連中が言い張るんだからよ。
まあ、歴戦の猛者とはいえ、あいつらも年をくったからな。このままここで畑を耕して嫁でも取って、ガキをこさえてベッドで死ぬのもいいんじゃねえか?
俺がくたばりゃ連中も好きにするさ。クヌート陛下はこのままの勢いでノルウェーも平らげる気でいるし、戦士が食うに困ることなんてまだまだありゃしねぇよ。陛下の楽土建設は途上なんだからな。
俺はその道から外れちまったし、その完成を見ることもなかろう……ん、仕方ねえよ。俺ももう長くはねえ。足にきちまってるんだ、当然さ。自分が一番よくわかってる。
戦乙女にも振られたし、こんな俺の魂は死んだらどうなるのかね……まあ、どうでもいいさ。
俺は自分の命を使い切った。クヌートの秘密を守り切り、あいつを王にした。思い描いていた形とはかなり違うが、その点には満足しているよ。
ん? なんでこの話をお前さんにしたかって?
……なんでかな。ふとな、お前さんにならこの秘密を明かしてもいい気がしたんだ。
この農場に来てお前さんを最初に見た時から思っていたが、もしかしたら、あいつに似ているからかもな。
たった一冬過ごしただけの、あの憐れで美しい、口のきけない『魔女』に……ちっ、ガラでもねえ。今のは忘れてくれ。
……そうだな。もしかしたら、自慢したかったのかもな。お前さん、口は堅いだろ? そういうのは、見て分かるんでね。
いいじゃねえか、少なくともこの地上じゃ、他に誰にも自慢できる相手がいないんだからよ。
聞くがいい。何者も恐れぬ戦士であり、地上に楽土を築いたあの稀代の名君クヌート王陛下は、実のところこの『のっぽ』のトルケルの息子なのだ! なーんちゃってな。
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