北海帝国の秘密

尾瀬 有得

文字の大きさ
上 下
21 / 23

二章⑨

しおりを挟む
「そこにきて私が東アングリアばかりかデンマーク伯を拝命する、そのような一介の戦士には過分な褒賞に諸将は疑念を抱くでしょう。これもまた新たな火種となります。何故、陛下はあのような男を引き立てるのか。なにか裏があるのではあるまいか。さては汚れ仕事を命じた報酬か。あやつめ、上手くやったものだ、などとあらぬ噂が立ちましょう。真実は私の独断であっても、です」

 王宮の連中っていうのはその日暮らしの農奴とは違う。少しでもおこぼれに預かろうと必死さ。

 あわよくば自分が一番甘い汁を吸いたいと平気で足を引っ張り合う。裏でこそこそと動いて、そのタネを探そうとそこら中に目を光らせている。
 そういう小汚ねえクソどもの集まりだ。

 俺はその事実を、クヌートを傍で見守り続けることで弁えていた。

「しかしながら、私がこのまま王宮を去れば、話はそこで終わりです。噂は所詮噂に過ぎず、クヌート様が成し遂げられる偉業がいずれ彼らを黙らせましょう。むしろ私を都合よく利用した挙句に使い捨てたと、諸将は震えあがるやも。陛下の苛烈さに箔がつくというものです」

 俺がいい目を見るということは、俺にすり寄ってくる奴や俺を疎み調べようという奴が現れる。

 エドマンドとハラルドの暗殺の件であればまだマシさ。そんな程度の黒い噂なら、歴史を紐解きゃそこら中に転がってるしな。

 俺が恐れてるのはそんなことじゃない。そう、クヌートの秘密のことさ。

 俺も歳だ。今はまだ頭がはっきりしちゃいるが、耄碌した時になにを口走るか分かったもんじゃねえ。秘中の秘を腹の底に押し留められず、こうしてお前さんに話しているみたいにな。

 つまりだ、なにかの拍子でクヌートの秘密が露見する可能性が高くなるってわけだ。
 俺はイングランドに勝ったあの時から、いや、クヌートの従士となった、初めっからその気だったんだ。

 あいつの身の安全を確保する。敵はすべて排除し、そしてその血に濡れた剣は俺がすべて持っていく。
 クヌートの秘密。あいつが俺の息子であるという真実と共に。だから――

「いずれにせよ、私は王宮を去るべきなのです。それが私めの最後の役目かと存じます」

 俺は語り終え、再び頭を下げた。

 それからどれくらい時間が経ったかな。クヌートはじっと黙っていたが、あいつが節を刻むこつこつという指の音だけが王の間に響いていた。

 数えているうちに分かんなくなっちまってね。随分と長い時間だった気もするし、すぐだった気もする。

 音が止まり、俺はそれをきっかけに上目遣いでクヌートを見た。

 クヌートは目を閉じていた。空気を震わせるような怒りは影を潜め、ただ静かに唇を引き結び、その顔は普段の、兵たちに命を下し差配を振るう王者のそれだった。

 やがて、長いため息と共にクヌートは口を開いた。

「そなたを御せなかった余の不覚を悔やむばかりだ。そのような大事をよくぞこの場において白状できたな。余の友を殺し、あまつさえ兄をも殺し、余の名を貶めんとする所業、万死に値する」

「は。どのような罰もお受けいたします」

 俺が顔を上げると、クヌートは手を前にかざした。

「追放だ。先の褒賞は取り消す。二度と余の前に顔を見せるな」

 ーー完璧だよ、クヌート。まあ、殺してくれてもよかったがな。
 俺はあいつの英断に微笑んだ。

「……は」

 俺はもう一度頭を下げ、振り返ってクヌートに背を向けた。のろのろと左足を引きずりながらゆっくりと歩いていると、クヌートが「待て」と声をかけてきた。

 俺は立ち止まったが、振り返らなかった。

「……まだなにかありますか? あまりこの場にいると、逃した魚に未練が出てきちまうんですがね」

 俺の無礼な軽口も、振り返りもしなかったことも、クヌートは咎めることなく微かに笑ったような吐息を漏らした。

 そして、

「……スヴェン王陛下がお隠れになる直前。ゲインズバラで戦勝会をしていた折だ」

 背中越しに聞こえるクヌートの声は淡々としていたが、どこかその頃を懐かしんでいるようにも聞こえた。

「突然、なんのお話です?」

 訝る俺の声を無視して、クヌートは続けたよ。

「ロンドンを奪い、テムズ川からウェセックス方面への補給路を確保した余の働きを褒めた後、スヴェン王陛下は諸将の前でこう仰せになった。八年の長きに渡りヨムスボルグに預けたのは間違いではなかった、幼い頃とはまるで別人のようだ、と」

 俺は背筋がぞっとした。そして、身体がぴくりとも動かないように全身を集中させたよ。

 ――スヴェン王。あのジジイ。まさか……?

「そして余の肩に手を置き、こう続けた。これぞ我が息子、クヌートである。こうして顔を一目見れば分かる。いかに大きく成長し姿形が変わろうと、これは余の血を分けた子であると。余の大業を継ぐ男であると。この頼もしき後継を皆で支えて欲しい、それが余の願いだ、と」

 知っていたのか。それとも、知らずにそんなことを言ったのか。
 すでにこの地上にいないスヴェン王に、それを聞くことはできない。

 クヌートはそれを聞き、なにを思ったのだろう。恐れを抱いただろうか。それとも?

「領地割譲の沙汰を終え、スヴェン王陛下は乾杯の音頭を取った。そして角杯を煽った後、突如に倒れられた。余が抱きかかえると、胸の鼓動は止まっており、息をしていなかった」

 戦が終わりかけた矢先の、突然の訃報。
 俺にとっては驚くべき朗報。

 それはまるで、戦乙女が戦場の勇者の魂を求めるあまり、再び世を乱さんと地上に火種を落としたように。

 ――いや、まさか……

 俺はゆっくりと振り返った。

 クヌートは水平線の先、地の果てを見通すような遠い目をしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

薙刀姫の純情 富田信高とその妻

もず りょう
歴史・時代
関ヶ原合戦を目前に控えた慶長五年(一六〇〇)八月、伊勢国安濃津城は西軍に包囲され、絶体絶命の状況に追い込まれていた。城主富田信高は「ほうけ者」と仇名されるほどに茫洋として、掴みどころのない若者。いくさの経験もほとんどない。はたして彼はこの窮地をどのようにして切り抜けるのか――。 華々しく活躍する女武者の伝説を主題とし、乱世に取り残された武将、取り残されまいと足掻く武将など多士済々な登場人物が織り成す一大戦国絵巻、ここに開幕!

空母鳳炎奮戦記

ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。 というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!

かくまい重蔵 《第1巻》

麦畑 錬
歴史・時代
時は江戸。 寺社奉行の下っ端同心・勝之進(かつのしん)は、町方同心の死体を発見したのをきっかけに、同心の娘・お鈴(りん)と、その一族から仇の濡れ衣を着せられる。 命の危機となった勝之進が頼ったのは、人をかくまう『かくまい稼業』を生業とする御家人・重蔵(じゅうぞう)である。 ところがこの重蔵という男、腕はめっぽう立つが、外に出ることを異常に恐れる奇妙な一面のある男だった。 事件の謎を追うにつれ、明らかになる重蔵の過去と、ふたりの前に立ちはだかる浪人・頭次(とうじ)との忌まわしき確執が明らかになる。 やがて、ひとつの事件をきっかけに、重蔵を取り巻く人々の秘密が繋がってゆくのだった。 強くも弱い侍が織りなす長編江戸活劇。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

天狗の囁き

井上 滋瑛
歴史・時代
幼少の頃より自分にしか聞こえない天狗の声が聞こえた吉川広家。姿見えぬ声に対して、時に従い、時に相談し、時に言い争い、天狗評議と揶揄されながら、偉大な武将であった父吉川元春や叔父の小早川隆景、兄元長の背を追ってきた。時は経ち、慶長五年九月の関ヶ原。主家の当主毛利輝元は甘言に乗り、西軍総大将に担がれてしまう。東軍との勝敗に関わらず、危急存亡の秋を察知した広家は、友である黒田長政を介して東軍総大将徳川家康に内通する。天狗の声に耳を傾けながら、主家の存亡をかけ、不義内通の誹りを恐れず、主家の命運を一身に背負う。

処理中です...