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二章⑨
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「そこにきて私が東アングリアばかりかデンマーク伯を拝命する、そのような一介の戦士には過分な褒賞に諸将は疑念を抱くでしょう。これもまた新たな火種となります。何故、陛下はあのような男を引き立てるのか。なにか裏があるのではあるまいか。さては汚れ仕事を命じた報酬か。あやつめ、上手くやったものだ、などとあらぬ噂が立ちましょう。真実は私の独断であっても、です」
王宮の連中っていうのはその日暮らしの農奴とは違う。少しでもおこぼれに預かろうと必死さ。
あわよくば自分が一番甘い汁を吸いたいと平気で足を引っ張り合う。裏でこそこそと動いて、そのタネを探そうとそこら中に目を光らせている。
そういう小汚ねえクソどもの集まりだ。
俺はその事実を、クヌートを傍で見守り続けることで弁えていた。
「しかしながら、私がこのまま王宮を去れば、話はそこで終わりです。噂は所詮噂に過ぎず、クヌート様が成し遂げられる偉業がいずれ彼らを黙らせましょう。むしろ私を都合よく利用した挙句に使い捨てたと、諸将は震えあがるやも。陛下の苛烈さに箔がつくというものです」
俺がいい目を見るということは、俺にすり寄ってくる奴や俺を疎み調べようという奴が現れる。
エドマンドとハラルドの暗殺の件であればまだマシさ。そんな程度の黒い噂なら、歴史を紐解きゃそこら中に転がってるしな。
俺が恐れてるのはそんなことじゃない。そう、クヌートの秘密のことさ。
俺も歳だ。今はまだ頭がはっきりしちゃいるが、耄碌した時になにを口走るか分かったもんじゃねえ。秘中の秘を腹の底に押し留められず、こうしてお前さんに話しているみたいにな。
つまりだ、なにかの拍子でクヌートの秘密が露見する可能性が高くなるってわけだ。
俺はイングランドに勝ったあの時から、いや、クヌートの従士となった、初めっからその気だったんだ。
あいつの身の安全を確保する。敵はすべて排除し、そしてその血に濡れた剣は俺がすべて持っていく。
クヌートの秘密。あいつが俺の息子であるという真実と共に。だから――
「いずれにせよ、私は王宮を去るべきなのです。それが私めの最後の役目かと存じます」
俺は語り終え、再び頭を下げた。
それからどれくらい時間が経ったかな。クヌートはじっと黙っていたが、あいつが節を刻むこつこつという指の音だけが王の間に響いていた。
数えているうちに分かんなくなっちまってね。随分と長い時間だった気もするし、すぐだった気もする。
音が止まり、俺はそれをきっかけに上目遣いでクヌートを見た。
クヌートは目を閉じていた。空気を震わせるような怒りは影を潜め、ただ静かに唇を引き結び、その顔は普段の、兵たちに命を下し差配を振るう王者のそれだった。
やがて、長いため息と共にクヌートは口を開いた。
「そなたを御せなかった余の不覚を悔やむばかりだ。そのような大事をよくぞこの場において白状できたな。余の友を殺し、あまつさえ兄をも殺し、余の名を貶めんとする所業、万死に値する」
「は。どのような罰もお受けいたします」
俺が顔を上げると、クヌートは手を前にかざした。
「追放だ。先の褒賞は取り消す。二度と余の前に顔を見せるな」
ーー完璧だよ、クヌート。まあ、殺してくれてもよかったがな。
俺はあいつの英断に微笑んだ。
「……は」
俺はもう一度頭を下げ、振り返ってクヌートに背を向けた。のろのろと左足を引きずりながらゆっくりと歩いていると、クヌートが「待て」と声をかけてきた。
俺は立ち止まったが、振り返らなかった。
「……まだなにかありますか? あまりこの場にいると、逃した魚に未練が出てきちまうんですがね」
俺の無礼な軽口も、振り返りもしなかったことも、クヌートは咎めることなく微かに笑ったような吐息を漏らした。
そして、
「……スヴェン王陛下がお隠れになる直前。ゲインズバラで戦勝会をしていた折だ」
背中越しに聞こえるクヌートの声は淡々としていたが、どこかその頃を懐かしんでいるようにも聞こえた。
「突然、なんのお話です?」
訝る俺の声を無視して、クヌートは続けたよ。
「ロンドンを奪い、テムズ川からウェセックス方面への補給路を確保した余の働きを褒めた後、スヴェン王陛下は諸将の前でこう仰せになった。八年の長きに渡りヨムスボルグに預けたのは間違いではなかった、幼い頃とはまるで別人のようだ、と」
俺は背筋がぞっとした。そして、身体がぴくりとも動かないように全身を集中させたよ。
――スヴェン王。あのジジイ。まさか……?
「そして余の肩に手を置き、こう続けた。これぞ我が息子、クヌートである。こうして顔を一目見れば分かる。いかに大きく成長し姿形が変わろうと、これは余の血を分けた子であると。余の大業を継ぐ男であると。この頼もしき後継を皆で支えて欲しい、それが余の願いだ、と」
知っていたのか。それとも、知らずにそんなことを言ったのか。
すでにこの地上にいないスヴェン王に、それを聞くことはできない。
クヌートはそれを聞き、なにを思ったのだろう。恐れを抱いただろうか。それとも?
「領地割譲の沙汰を終え、スヴェン王陛下は乾杯の音頭を取った。そして角杯を煽った後、突如に倒れられた。余が抱きかかえると、胸の鼓動は止まっており、息をしていなかった」
戦が終わりかけた矢先の、突然の訃報。
俺にとっては驚くべき朗報。
それはまるで、戦乙女が戦場の勇者の魂を求めるあまり、再び世を乱さんと地上に火種を落としたように。
――いや、まさか……
俺はゆっくりと振り返った。
クヌートは水平線の先、地の果てを見通すような遠い目をしていた。
王宮の連中っていうのはその日暮らしの農奴とは違う。少しでもおこぼれに預かろうと必死さ。
あわよくば自分が一番甘い汁を吸いたいと平気で足を引っ張り合う。裏でこそこそと動いて、そのタネを探そうとそこら中に目を光らせている。
そういう小汚ねえクソどもの集まりだ。
俺はその事実を、クヌートを傍で見守り続けることで弁えていた。
「しかしながら、私がこのまま王宮を去れば、話はそこで終わりです。噂は所詮噂に過ぎず、クヌート様が成し遂げられる偉業がいずれ彼らを黙らせましょう。むしろ私を都合よく利用した挙句に使い捨てたと、諸将は震えあがるやも。陛下の苛烈さに箔がつくというものです」
俺がいい目を見るということは、俺にすり寄ってくる奴や俺を疎み調べようという奴が現れる。
エドマンドとハラルドの暗殺の件であればまだマシさ。そんな程度の黒い噂なら、歴史を紐解きゃそこら中に転がってるしな。
俺が恐れてるのはそんなことじゃない。そう、クヌートの秘密のことさ。
俺も歳だ。今はまだ頭がはっきりしちゃいるが、耄碌した時になにを口走るか分かったもんじゃねえ。秘中の秘を腹の底に押し留められず、こうしてお前さんに話しているみたいにな。
つまりだ、なにかの拍子でクヌートの秘密が露見する可能性が高くなるってわけだ。
俺はイングランドに勝ったあの時から、いや、クヌートの従士となった、初めっからその気だったんだ。
あいつの身の安全を確保する。敵はすべて排除し、そしてその血に濡れた剣は俺がすべて持っていく。
クヌートの秘密。あいつが俺の息子であるという真実と共に。だから――
「いずれにせよ、私は王宮を去るべきなのです。それが私めの最後の役目かと存じます」
俺は語り終え、再び頭を下げた。
それからどれくらい時間が経ったかな。クヌートはじっと黙っていたが、あいつが節を刻むこつこつという指の音だけが王の間に響いていた。
数えているうちに分かんなくなっちまってね。随分と長い時間だった気もするし、すぐだった気もする。
音が止まり、俺はそれをきっかけに上目遣いでクヌートを見た。
クヌートは目を閉じていた。空気を震わせるような怒りは影を潜め、ただ静かに唇を引き結び、その顔は普段の、兵たちに命を下し差配を振るう王者のそれだった。
やがて、長いため息と共にクヌートは口を開いた。
「そなたを御せなかった余の不覚を悔やむばかりだ。そのような大事をよくぞこの場において白状できたな。余の友を殺し、あまつさえ兄をも殺し、余の名を貶めんとする所業、万死に値する」
「は。どのような罰もお受けいたします」
俺が顔を上げると、クヌートは手を前にかざした。
「追放だ。先の褒賞は取り消す。二度と余の前に顔を見せるな」
ーー完璧だよ、クヌート。まあ、殺してくれてもよかったがな。
俺はあいつの英断に微笑んだ。
「……は」
俺はもう一度頭を下げ、振り返ってクヌートに背を向けた。のろのろと左足を引きずりながらゆっくりと歩いていると、クヌートが「待て」と声をかけてきた。
俺は立ち止まったが、振り返らなかった。
「……まだなにかありますか? あまりこの場にいると、逃した魚に未練が出てきちまうんですがね」
俺の無礼な軽口も、振り返りもしなかったことも、クヌートは咎めることなく微かに笑ったような吐息を漏らした。
そして、
「……スヴェン王陛下がお隠れになる直前。ゲインズバラで戦勝会をしていた折だ」
背中越しに聞こえるクヌートの声は淡々としていたが、どこかその頃を懐かしんでいるようにも聞こえた。
「突然、なんのお話です?」
訝る俺の声を無視して、クヌートは続けたよ。
「ロンドンを奪い、テムズ川からウェセックス方面への補給路を確保した余の働きを褒めた後、スヴェン王陛下は諸将の前でこう仰せになった。八年の長きに渡りヨムスボルグに預けたのは間違いではなかった、幼い頃とはまるで別人のようだ、と」
俺は背筋がぞっとした。そして、身体がぴくりとも動かないように全身を集中させたよ。
――スヴェン王。あのジジイ。まさか……?
「そして余の肩に手を置き、こう続けた。これぞ我が息子、クヌートである。こうして顔を一目見れば分かる。いかに大きく成長し姿形が変わろうと、これは余の血を分けた子であると。余の大業を継ぐ男であると。この頼もしき後継を皆で支えて欲しい、それが余の願いだ、と」
知っていたのか。それとも、知らずにそんなことを言ったのか。
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「領地割譲の沙汰を終え、スヴェン王陛下は乾杯の音頭を取った。そして角杯を煽った後、突如に倒れられた。余が抱きかかえると、胸の鼓動は止まっており、息をしていなかった」
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それはまるで、戦乙女が戦場の勇者の魂を求めるあまり、再び世を乱さんと地上に火種を落としたように。
――いや、まさか……
俺はゆっくりと振り返った。
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