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二章⑧
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顔を上げると、クヌートは酷く狼狽した顔をしていた。
一介の戦士に、それも一度は自分に刃を向けた男に過分な報酬だ。まさか断られるとは思っていなかったんだろう。
クヌートは立ち上がり、その拍子に膝上の聖書が落ちた。俺はばさりと音を立てるそれを黙って見つめていたよ。
「何故だ。デンマークでは不服か」
クヌートが掠れた声で問うたのを、俺は首を横に振って答えた。
「滅相もございません。あまりに過分な報酬。身に余る光栄です」
「ならば――」
「これまでの働きに報いて下さるというならば、私の望みはただ一つ。お暇を頂戴いたしたく存じます」
俺が再び頭を下げると、クヌートは黙り込んだ。
床の木目をじっと見つめている間、王の間は静かに時が流れたよ。どちらも口を開かず、それは永遠にも感じられるくらい長く感じた。
やがて、クヌートがどかりと椅子に腰を下ろす音が聞こえ、俺は顔を上げた。
あいつは苛ついていたよ。これまで見たことがないほどに。
イングランド再侵攻の際に、軍規に背いて略奪を行った将兵に死罪を言い渡す時だって、こんな顔にはならなかった。
足を組み、ひじ掛けに頬づえをつき、クヌートは深いため息をついた。
「余の元を離れ、どこへ行く?」
俺は空っとぼけて、笑顔を返した。
「さて。ここではないどこかで、静かに戦乙女の迎えを待つと致しましょうか」
「ここで待つとて一緒だ!」
クヌートは激高して叫んだ。
「なにもせずともよい。政治は余の仕事だ。戦は戦士の仕事だ。どちらでもない老いたそなたは、ただ我が子と静かに過ごしていればそれでよい。それがそなたの受け取るべき、そなたのこれまでの働きに応じた報酬だ。黙ってそれを甘受すれば良いではないか!」
あまりの剣幕だったからだろう。遠くから足音が近づいてきて、俺は振り返った。王の間の入り口に近衛兵が数名やってきていた。
クヌートは舌打ちし、すぐにそいつらに手を振って見せた。
「……大事ない。去れ」
「しかし……」
動揺して立ち尽くす近衛兵たちに、クヌートはもう一度、凍りつくような目で静かに言った。
「二度言わねば分からぬか」
びくりと身体を震わせて、近衛兵たちは足早に去っていった。クヌートの逆鱗に触れたと生きた心地がしなかっただろう。同情するぜ。それは俺のせいなんだから。
連中が去った後、俺は思うようにならない体を必死に動かして、のろのろと立ち上がった。
宥める必要があった。それができるのは、王宮中を探しても俺しかいなかったからな。
「恐れながら、私がそのご命令を戴けぬには理由がございます。それを申し上げても?」
クヌートは子供の様に口を尖らせてそっぽを向き、ひじ掛けを苛立たし気に指で叩いた。
「……許す。述べるがいい」
「は。それでは白状いたします。私は先般、ウェセックス王家エドマンド王及びデンマーク王ハラルド陛下の暗殺を企図致しました」
俺の言葉にクヌートは目を見開いた。そりゃあ驚いたろうよ。あいつは俺が連中を消したことを知らなかったんだから。
クヌートは二人の死を悼んでいた。共に手を取り合って、民のためにその身を粉にして善政を成し、この地上に楽土を築くのだと本気で考えていたんだ。
とんだ甘ったれ息子だよ、まったく。
「そなたが、あの二人を殺したと? 余に一言もなく、か」
「は。陛下の御身を第一に考え、そうすべきと判断いたしました。他にも王宮内のものを幾人か。すべて、陛下に仇なそうとした不埒者です」
どん、と強くクヌートがひじ掛けを叩いた。王冠の下、短く刈り揃えた金髪が浮き上がるほどの、怒りに満ちた表情だった。
「何故だ。あの二人はなかなかの仁であった。利用価値もあった」
「なかなかの仁、故に利用価値はございませぬ。楽土建設の大業は陛下お一人の御名によって行われるべきです。お三方当人同士はともかく、それにすり寄る輩は必ず互いを相食らわんとする戦の火種となります。それはこれまでの歴史が証明しおります。故に、将来の敵となる者どもが掲げんとする御旗から排除する必要がありました」
俺が言うと、クヌートはぐっと唇を噛み、黙り込んだ。
返す言葉もなかったろうぜ。それが王という立場の本質だと、頭では理解していたはずだからな。
王ってのは孤独だ。
すべてを一人で抱えて、責を負い、決断することが王の仕事だ。
志を同じくする仲間なんて求めちゃいけない。周りの光が強ければ強いほど、王のそれは霞んじまうんだから。
地上を照らし、眩く輝く太陽の光は、一つでなくちゃならん。
クヌートがそれを理解していない甘ったれなら、この身を持ってそれを正してやるまで。
それが俺の、あいつにしてやれる最後の仕事だった。
一介の戦士に、それも一度は自分に刃を向けた男に過分な報酬だ。まさか断られるとは思っていなかったんだろう。
クヌートは立ち上がり、その拍子に膝上の聖書が落ちた。俺はばさりと音を立てるそれを黙って見つめていたよ。
「何故だ。デンマークでは不服か」
クヌートが掠れた声で問うたのを、俺は首を横に振って答えた。
「滅相もございません。あまりに過分な報酬。身に余る光栄です」
「ならば――」
「これまでの働きに報いて下さるというならば、私の望みはただ一つ。お暇を頂戴いたしたく存じます」
俺が再び頭を下げると、クヌートは黙り込んだ。
床の木目をじっと見つめている間、王の間は静かに時が流れたよ。どちらも口を開かず、それは永遠にも感じられるくらい長く感じた。
やがて、クヌートがどかりと椅子に腰を下ろす音が聞こえ、俺は顔を上げた。
あいつは苛ついていたよ。これまで見たことがないほどに。
イングランド再侵攻の際に、軍規に背いて略奪を行った将兵に死罪を言い渡す時だって、こんな顔にはならなかった。
足を組み、ひじ掛けに頬づえをつき、クヌートは深いため息をついた。
「余の元を離れ、どこへ行く?」
俺は空っとぼけて、笑顔を返した。
「さて。ここではないどこかで、静かに戦乙女の迎えを待つと致しましょうか」
「ここで待つとて一緒だ!」
クヌートは激高して叫んだ。
「なにもせずともよい。政治は余の仕事だ。戦は戦士の仕事だ。どちらでもない老いたそなたは、ただ我が子と静かに過ごしていればそれでよい。それがそなたの受け取るべき、そなたのこれまでの働きに応じた報酬だ。黙ってそれを甘受すれば良いではないか!」
あまりの剣幕だったからだろう。遠くから足音が近づいてきて、俺は振り返った。王の間の入り口に近衛兵が数名やってきていた。
クヌートは舌打ちし、すぐにそいつらに手を振って見せた。
「……大事ない。去れ」
「しかし……」
動揺して立ち尽くす近衛兵たちに、クヌートはもう一度、凍りつくような目で静かに言った。
「二度言わねば分からぬか」
びくりと身体を震わせて、近衛兵たちは足早に去っていった。クヌートの逆鱗に触れたと生きた心地がしなかっただろう。同情するぜ。それは俺のせいなんだから。
連中が去った後、俺は思うようにならない体を必死に動かして、のろのろと立ち上がった。
宥める必要があった。それができるのは、王宮中を探しても俺しかいなかったからな。
「恐れながら、私がそのご命令を戴けぬには理由がございます。それを申し上げても?」
クヌートは子供の様に口を尖らせてそっぽを向き、ひじ掛けを苛立たし気に指で叩いた。
「……許す。述べるがいい」
「は。それでは白状いたします。私は先般、ウェセックス王家エドマンド王及びデンマーク王ハラルド陛下の暗殺を企図致しました」
俺の言葉にクヌートは目を見開いた。そりゃあ驚いたろうよ。あいつは俺が連中を消したことを知らなかったんだから。
クヌートは二人の死を悼んでいた。共に手を取り合って、民のためにその身を粉にして善政を成し、この地上に楽土を築くのだと本気で考えていたんだ。
とんだ甘ったれ息子だよ、まったく。
「そなたが、あの二人を殺したと? 余に一言もなく、か」
「は。陛下の御身を第一に考え、そうすべきと判断いたしました。他にも王宮内のものを幾人か。すべて、陛下に仇なそうとした不埒者です」
どん、と強くクヌートがひじ掛けを叩いた。王冠の下、短く刈り揃えた金髪が浮き上がるほどの、怒りに満ちた表情だった。
「何故だ。あの二人はなかなかの仁であった。利用価値もあった」
「なかなかの仁、故に利用価値はございませぬ。楽土建設の大業は陛下お一人の御名によって行われるべきです。お三方当人同士はともかく、それにすり寄る輩は必ず互いを相食らわんとする戦の火種となります。それはこれまでの歴史が証明しおります。故に、将来の敵となる者どもが掲げんとする御旗から排除する必要がありました」
俺が言うと、クヌートはぐっと唇を噛み、黙り込んだ。
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王ってのは孤独だ。
すべてを一人で抱えて、責を負い、決断することが王の仕事だ。
志を同じくする仲間なんて求めちゃいけない。周りの光が強ければ強いほど、王のそれは霞んじまうんだから。
地上を照らし、眩く輝く太陽の光は、一つでなくちゃならん。
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