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二章⑦
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……さ、話を戻そう。
そうして迎えた今年(一〇二一年)の夏。
あちこち飛び回って多忙を極めていたクヌートが、デンマーク本国のイェエリングの王宮に戻ってきた。俺はちょうど王宮にいてね。すぐに王の間に呼びつけられた。
ずるずると思うようにならない左足を引きずり、俺はのろのろと王の間に入ったもんだよ。
頭に金の王冠を乗せて神妙な顔で足を組んで座る玉座のクヌートは、黙して聖書を読んでいた。
最近、特によく読むようになったらしいというのは、王宮内のもっぱらの噂だった。政治的な意味合いだけでなく、クヌート自身もその神に傾倒し始めているようだったよ。
俺が来たのを見ると、クヌートは口元を綻ばせて聖書を閉じ、膝の上に乗せた。
傍に重臣たちはおらず、王の間は俺とクヌートの二人きりだった。
「待っていたぞ、トルケル伯。随分なザマだな。いよいよ戦乙女が待ちきれぬと見える。その魂を早く自分の元へ召し上げよと、オーディンにせっつかれているのだろう」
クヌートの憎まれ口に、俺は愛想笑いを返した。
「連れて行くなら早くしてもらいたいものですな。こんなザマの私めが役に立てばの話ですが」
「そう言うな。許せ、余の失言であった。まだ生きていてもらわねば困る」
笑顔を見せるクヌートに、俺はようやく拝跪して頭を下げた。
「クヌート陛下におかれましてはますますご健勝の様子。さて、この老骨めにご用とは、一体どうしたことでしょう?」
俺が問うと、クヌートは鷹揚に頷いて見せた。
「うむ。長らく余のために働いてくれ、ありがたく思っている。ついては、褒章を沙汰する」
「はあ」
少しもったいぶるように間をおいて、クヌートは口の端を上げた。
「これよりはそなたをデンマーク伯とする。その上で、我が子ハーデクヌーズの養父として、王宮で余生を過ごせ。自分の孫と思い、面倒を見てやって欲しい」
「……は?」
俺は素っ頓狂な声を上げて、思わずきょろきょろと周りを見回したよ。その様子を見て、クヌートは子供みたいな笑い声をあげた。
「なにを驚く。その身体ではもはや戦士としてそなたの価値はない」
俺は苦笑するしかなかった。言ってくれるよ。それが真実だとしても、もう少し言い方ってもんがあるだろうに。
「しかしながら、私ごときにそのような大任。他の重臣が納得致しますまい」
「それを納得させるのは余の仕事だ。そなたではない」
クヌートはかつて俺を従士に誘った時と同じく、あっさりとそう言ってのけた。
「無論、受けてくれるであろうな?」
俺は考え込んだよ。答えに迷ったんだ。
いやいや、普通なら喜んで飛びつく話だと、そう思うだろ?
確かにそうさ。へっ、なんとも皮肉じゃねえかよ。狂戦士と称されたこの俺が、戦士らしからぬ薄汚ぇやり口に手を染めた挙句、狡猾な兄貴が望み叶わなかった、デンマークを統べる者になっちまうとはな。
だがね、俺はそんな褒章は一握の砂ほども欲しくなかった。
いや、それはちょっと言い過ぎたな。権力は欲しくなかったが、クヌートの子を見守れるっていうのは魅力的ではあったかもな。
自分の孫と思って、か。知らないこととは言え、なかなかの殺し文句だ。困ったことに正真正銘、俺の孫なんだからな。
クヌートの子は王宮をうろついている時に何度か見たことがあったが、まあ……結構可愛らしかったよ。はは、この俺がそんなことを感じる日が来るなんてな。笑ってくれ。本当に歳を食ったもんさ。
王宮での楽隠居。
孫に剣を教え、共に釣りでも楽しみ、時折クヌートと言葉を交わし、静かに死を待つ毎日。
若い頃なら考えもしなかった暮らしだ。唾棄していたであろう退屈な末路だ。
だが、今の俺にとってそれは、戦乙女に手を引かれる以上に甘美な誘いだったかもしれない。
しかしな……それでも、だ。
「僭越ながら、お断り申し上げます」
俺はどうしたって首を縦に振るわけにはいかなかった。
そうして迎えた今年(一〇二一年)の夏。
あちこち飛び回って多忙を極めていたクヌートが、デンマーク本国のイェエリングの王宮に戻ってきた。俺はちょうど王宮にいてね。すぐに王の間に呼びつけられた。
ずるずると思うようにならない左足を引きずり、俺はのろのろと王の間に入ったもんだよ。
頭に金の王冠を乗せて神妙な顔で足を組んで座る玉座のクヌートは、黙して聖書を読んでいた。
最近、特によく読むようになったらしいというのは、王宮内のもっぱらの噂だった。政治的な意味合いだけでなく、クヌート自身もその神に傾倒し始めているようだったよ。
俺が来たのを見ると、クヌートは口元を綻ばせて聖書を閉じ、膝の上に乗せた。
傍に重臣たちはおらず、王の間は俺とクヌートの二人きりだった。
「待っていたぞ、トルケル伯。随分なザマだな。いよいよ戦乙女が待ちきれぬと見える。その魂を早く自分の元へ召し上げよと、オーディンにせっつかれているのだろう」
クヌートの憎まれ口に、俺は愛想笑いを返した。
「連れて行くなら早くしてもらいたいものですな。こんなザマの私めが役に立てばの話ですが」
「そう言うな。許せ、余の失言であった。まだ生きていてもらわねば困る」
笑顔を見せるクヌートに、俺はようやく拝跪して頭を下げた。
「クヌート陛下におかれましてはますますご健勝の様子。さて、この老骨めにご用とは、一体どうしたことでしょう?」
俺が問うと、クヌートは鷹揚に頷いて見せた。
「うむ。長らく余のために働いてくれ、ありがたく思っている。ついては、褒章を沙汰する」
「はあ」
少しもったいぶるように間をおいて、クヌートは口の端を上げた。
「これよりはそなたをデンマーク伯とする。その上で、我が子ハーデクヌーズの養父として、王宮で余生を過ごせ。自分の孫と思い、面倒を見てやって欲しい」
「……は?」
俺は素っ頓狂な声を上げて、思わずきょろきょろと周りを見回したよ。その様子を見て、クヌートは子供みたいな笑い声をあげた。
「なにを驚く。その身体ではもはや戦士としてそなたの価値はない」
俺は苦笑するしかなかった。言ってくれるよ。それが真実だとしても、もう少し言い方ってもんがあるだろうに。
「しかしながら、私ごときにそのような大任。他の重臣が納得致しますまい」
「それを納得させるのは余の仕事だ。そなたではない」
クヌートはかつて俺を従士に誘った時と同じく、あっさりとそう言ってのけた。
「無論、受けてくれるであろうな?」
俺は考え込んだよ。答えに迷ったんだ。
いやいや、普通なら喜んで飛びつく話だと、そう思うだろ?
確かにそうさ。へっ、なんとも皮肉じゃねえかよ。狂戦士と称されたこの俺が、戦士らしからぬ薄汚ぇやり口に手を染めた挙句、狡猾な兄貴が望み叶わなかった、デンマークを統べる者になっちまうとはな。
だがね、俺はそんな褒章は一握の砂ほども欲しくなかった。
いや、それはちょっと言い過ぎたな。権力は欲しくなかったが、クヌートの子を見守れるっていうのは魅力的ではあったかもな。
自分の孫と思って、か。知らないこととは言え、なかなかの殺し文句だ。困ったことに正真正銘、俺の孫なんだからな。
クヌートの子は王宮をうろついている時に何度か見たことがあったが、まあ……結構可愛らしかったよ。はは、この俺がそんなことを感じる日が来るなんてな。笑ってくれ。本当に歳を食ったもんさ。
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若い頃なら考えもしなかった暮らしだ。唾棄していたであろう退屈な末路だ。
だが、今の俺にとってそれは、戦乙女に手を引かれる以上に甘美な誘いだったかもしれない。
しかしな……それでも、だ。
「僭越ながら、お断り申し上げます」
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