北海帝国の秘密

尾瀬 有得

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二章④

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 しくじったよ。丸腰とはいえ、まさか俺をこうも簡単にあしらう戦士がいたとは。

 ……それが他ならぬ、俺の息子とはな。しかも、よくよく見てみりゃあーー

「……その剣は、刃を潰しておられるので?」

「ああ。稽古用だ。殺さずに倒すならこれに限る」

 ……かっと来たね。
 耳元でふんと鼻を鳴らす音が聞こえた。

「大した腕だ。さすがはトール神の化身と謳われることはある。だが、老いには勝てぬようだな。三年前ならこうはいかなかったであろう」

 クヌートはそう言い放つと、絡めていた腕を解き、俺の背中をとんと押した。俺は前につんのめって片膝をつき、むせながらクヌートに向き直った。

 あっさりと解放されたことに驚きつつ、頭の中では、必死に考えを巡らせていたよ。もちろん、どうやってこの男を捕えるか、さ。

 だが、そのどれもが思いついた端から俺自身によって否定された。
 太刀打ちできない――戦いにおいてそんな結論にたどり着いたのは初めての体験だったよ。

 俺は背筋に冷たい汗が流れるのを感じつつ、立ち上がった。

 クヌートの全身からは俺がこれまで相対したことのないような覇気が溢れていて、それは夜の闇を震わせるような重圧だった。
 蛇に睨まれた蛙っていう例えは、こういう時に使うんだろうなんて、俺は呑気に思ったもんさ。

 殺される。クヌートを暗殺に来た敵の一人として。
 そう覚悟を決めてみると、不思議と安堵と喜びが湧いたよ。

 俺は戦士だ。ろくな死に方をしないことくらい分かっていた。さもありなんだ。こんなところでなにも知らない息子に賊として殺されるなんて、この上なくろくでもねえ死に様さ。

 もちろん悔しさもあったし、いざ目の前に迫っていると思うと、我ながら驚きだったが、死の恐怖もわずかながらあった。

 それでもな。この俺をも超える戦士に殺されるなら、それは無上の喜びだった。待ち望んでいたと言ってもいい。そんな奴はいねえと思っていたんだからな。

 それも、まさか……あんなに守らなくてはと息巻いていた我が子が、そんなお節介は無用だと突っぱねるようなとんでもねえ男になっていたことに、俺は安堵していたんだ。

 こんなに嬉しいことはねえ。そうだろ?

 複雑な心持に自分でも驚きながら、俺はクヌートの前に拝跪して頭を下げた。そうすべきだと、身体が勝手に動いたよ。

「どうぞ、お斬り捨て下さい」

 ん? どうしてそこで事情を話さなかったかって?

 お前は俺の息子なんだ、今すぐに俺と一緒にここからずらかるぞ、そのために俺はここに乗り込んできた、ってか?

 はは、相手に命を握られているこの状況で言ってもな。そんなもん、気が狂ったと思われるのがオチさ。

 『のっぽ』のトルケルは命惜しさにろくでもねえ嘘っぱちを並べやがったと名を汚され、斬って捨てられる。そんなのはまっぴらごめんだったよ。

 人も財もいずれは消えゆくもんだがね、名というものは後世まで残るもんだ。勇名も悪名もな。

 同じ殺されるならこの場でただ一人の敵として斬られるべきだと俺は思った。

 それにもうシグヴァルディも人質もいないんだ。秘密を知っていることは助命の理由にはならない。むしろ、頭を捻るまでもねえ、そんな輩は始末した方がずっと利口だ。

 この男に斬られ、俺の死と共に秘密は永遠に闇に葬られる。それがこの場で考えうる、クヌートにとって最善の選択だ。
 仕方がないさ。失敗した以上、それも悪くない結末だ。俺はそれを受け入れ始めていた。

 クヌートは剣を腰のベルトに下げた鞘に納め、ゆっくりとこちらに近づいてきた。

「外へ出る。ついて来い」

「……?」

 覚悟を決めて身を固くしていた俺は肩透かしを食ったよ。

 クヌートはなんら警戒することなく俺を通り過ぎ、すたすたと歩いて入り口へ向かっていた。その背中を俺は呆気に取られて見つめたもんだ。

 もちろん、突っ立ってても仕方ないから、すぐに後を追った。

 外へ出ると誰もいなくて妙に静かでね。いつの間にやら、家の明かりはどれも消えていて、まるでこの町に俺たちしかいないみたいだった。

 クヌートが俺を振り返って言った。

「進めていた本国への撤収作業はあらかた終わっている。船はそのほとんどが出航した。町に残っている戦力は余を含め、そなたの陽動の対応に当たらせた三百名ほどだけだ」

 それがこの町の現状の種明かしさ。俺は喉の奥から苦いものが込み上げてきて、思わず歯を食いしばった。
 へっ、道理で哨戒中の兵がいないわけだ。この町はすでに放棄されていたんだ。それを見抜けなかったとは、とんだ間抜けだったよ、俺は。

「……策士ですな。そんなそぶりは見受けられませんでしたが」

「そなたほどではない。大ぼらを吹きおって、なにが二千の兵だ。そんな力が今のイングランドにあるものか。だが、余はあえて捨て置いた。おかげで兵どもに焦りが生じ、遅々として進まなかった撤収の算段が前倒しに進んだからな。その点は礼を言わねばなるまい」

 くすりと笑うクヌートに俺は舌打ちを返した。

 この俺が掌で踊らされるなんてな。この男、ただ強い戦士というだけじゃない。頭もなかなか切れやがる。

 向かい合っていた俺たちの上、雲がかかっていた月がその姿を現し、クヌートの顔がよく見えるようになった。

 落ち着いてよく見ると、その顔はあいつに、俺が惚れたあの『魔女』によく似ていた。同時に、なんだろうな。形は全然違うのに、目の雰囲気が俺に似ていたように思えた。

 こいつが俺の子だという確信を持ったのはその時だ。なぜだろう、不思議とな。
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