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二章③
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館の中は大部屋になっていて、真っ暗だった。正しく言えば、窓は衝立で開けっ放されていて微かな星明りが頼りだったが、奥の方は深い闇でな。
おそらくは寝所に続くのだろうと間取りを思い浮かべつつ、俺は周囲を警戒しながら、ゆっくりと一歩ずつ奥へと進んでいった。
十歩ほど歩いたところで、俺は唐突に殺気を感じて後ろを振り返った。
瞬間、反射的に後ろに跳び退っていたよ。きらりと光る刃が俺の腹を薙ごうとしていたのが見え、どっと冷や汗が出たもんだ。
「驚いた。完全に気配は殺したつもりだったが……」
驚きの声を上げたのは、背丈の高い細身の影だった。そいつは微かに光る切っ先を俺に向けたまま、低く、それでいてよく通る声で先を続けた。
「さすがだな。そなたが『のっぽ』のトルケルか。ようやく会えた」
どうやら入り口の陰に隠れていたようだ。この俺がそれを察知できなかったとはな。まったく迂闊だったよ。
暗闇に慣れてきて、段々とその影の姿がはっきりしてきた。
服装は戦装束ではなくチュニックとズボン。短く整えられた金髪、闇の中でも映える白い肌の顔。鷲鼻気味だが美しく整っていて、口元は若さと自信に満ち溢れていた。
俺はそいつが誰かを瞬時に理解できた。ようやく会えたというなら俺も同感さ。
そう、これが、名も知らぬ我が息子との感動の初体面だ。
「クヌート様、御自らお出迎えとは、痛み入りますな。まさかお一人ではありますまい?」
「いや、一人だ。そなたが単身で余の元へ来ることは想像がついていたからな。外の騒ぎはおおかた陽動であろう。兵どもには深追いしないよう言ってある」
クヌートは小さく笑い声をあげた。
「そなたも変装ならもう少しうまくやれ。その巨躯も、身に沁みついた戦士としての所作も、いかに隠したとてそうそう消せるものではない。奴隷の振りをするには無理がある」
俺は一瞬だけ驚いたよ。潜入がばれていたこともそうだし、随分と態度に余裕が見えたのもそう。
それに、賊が来ると踏んでいながらそれを自分一人で迎え撃とうなんてな。
確かに伏兵の気配は感じなかった。またとない好機に、俺は思わず口元が緩んだ。
「不用心ですな。私が来ると分かっていながら護衛も伴わぬとは」
あとはこいつをふんじばって連れ帰り、それからすべての事情を明かす。それで俺の目的は達成だ。
本物同様にクヌートはきちんと死んだことになり、雇い主のエゼルレッドも勝利を得て、すべて世はこともなしさ。その後、デンマークとイングランドがどうなるかなんて、はっきり言って俺にはどうでもよかった。
ところが、クヌートはさして慌てた様子もなく言った。
「そなたの相手をすれば護衛が死ぬ。無駄に兵を犠牲にすることはない。私だけで十分だ」
「ほう。お一人で迎えうたれることを、従士どもは受け入れなさったと?」
「受け入れるしかあるまい。余に敵う者も逆らえる者も、軍内にはいないのだから。それにそなたの策には重大な誤りがある。余という駒を取るにはそなた一人では足りぬことだ」
「……大した自信でいらっしゃる」
俺は腰を落として、一足飛びにクヌートに掴みかかった。流石に全力でぶん殴っちまったら死にかねないからな。襟の当たりを引っ掴んで地面に引き倒してやろうと思ったんだ。
だが、クヌートは俺の伸びた右腕を避けつつ顎のあたりを掌で薙いだ。
視界が揺れてすっと膝の力が抜けた。俺が動きを止めると、クヌートは素早く背後に回って膝の裏を蹴った。
ーー速ぇ……この野郎……!
体勢を崩したところにクヌートの左腕が首に絡みついて、ぐいっと締め上げられた。
すっと剣先が首元に迫った。突き付けられたその白刃を睨み、俺は空気を求めて喘ぐことしかできなかった。
おそらくは寝所に続くのだろうと間取りを思い浮かべつつ、俺は周囲を警戒しながら、ゆっくりと一歩ずつ奥へと進んでいった。
十歩ほど歩いたところで、俺は唐突に殺気を感じて後ろを振り返った。
瞬間、反射的に後ろに跳び退っていたよ。きらりと光る刃が俺の腹を薙ごうとしていたのが見え、どっと冷や汗が出たもんだ。
「驚いた。完全に気配は殺したつもりだったが……」
驚きの声を上げたのは、背丈の高い細身の影だった。そいつは微かに光る切っ先を俺に向けたまま、低く、それでいてよく通る声で先を続けた。
「さすがだな。そなたが『のっぽ』のトルケルか。ようやく会えた」
どうやら入り口の陰に隠れていたようだ。この俺がそれを察知できなかったとはな。まったく迂闊だったよ。
暗闇に慣れてきて、段々とその影の姿がはっきりしてきた。
服装は戦装束ではなくチュニックとズボン。短く整えられた金髪、闇の中でも映える白い肌の顔。鷲鼻気味だが美しく整っていて、口元は若さと自信に満ち溢れていた。
俺はそいつが誰かを瞬時に理解できた。ようやく会えたというなら俺も同感さ。
そう、これが、名も知らぬ我が息子との感動の初体面だ。
「クヌート様、御自らお出迎えとは、痛み入りますな。まさかお一人ではありますまい?」
「いや、一人だ。そなたが単身で余の元へ来ることは想像がついていたからな。外の騒ぎはおおかた陽動であろう。兵どもには深追いしないよう言ってある」
クヌートは小さく笑い声をあげた。
「そなたも変装ならもう少しうまくやれ。その巨躯も、身に沁みついた戦士としての所作も、いかに隠したとてそうそう消せるものではない。奴隷の振りをするには無理がある」
俺は一瞬だけ驚いたよ。潜入がばれていたこともそうだし、随分と態度に余裕が見えたのもそう。
それに、賊が来ると踏んでいながらそれを自分一人で迎え撃とうなんてな。
確かに伏兵の気配は感じなかった。またとない好機に、俺は思わず口元が緩んだ。
「不用心ですな。私が来ると分かっていながら護衛も伴わぬとは」
あとはこいつをふんじばって連れ帰り、それからすべての事情を明かす。それで俺の目的は達成だ。
本物同様にクヌートはきちんと死んだことになり、雇い主のエゼルレッドも勝利を得て、すべて世はこともなしさ。その後、デンマークとイングランドがどうなるかなんて、はっきり言って俺にはどうでもよかった。
ところが、クヌートはさして慌てた様子もなく言った。
「そなたの相手をすれば護衛が死ぬ。無駄に兵を犠牲にすることはない。私だけで十分だ」
「ほう。お一人で迎えうたれることを、従士どもは受け入れなさったと?」
「受け入れるしかあるまい。余に敵う者も逆らえる者も、軍内にはいないのだから。それにそなたの策には重大な誤りがある。余という駒を取るにはそなた一人では足りぬことだ」
「……大した自信でいらっしゃる」
俺は腰を落として、一足飛びにクヌートに掴みかかった。流石に全力でぶん殴っちまったら死にかねないからな。襟の当たりを引っ掴んで地面に引き倒してやろうと思ったんだ。
だが、クヌートは俺の伸びた右腕を避けつつ顎のあたりを掌で薙いだ。
視界が揺れてすっと膝の力が抜けた。俺が動きを止めると、クヌートは素早く背後に回って膝の裏を蹴った。
ーー速ぇ……この野郎……!
体勢を崩したところにクヌートの左腕が首に絡みついて、ぐいっと締め上げられた。
すっと剣先が首元に迫った。突き付けられたその白刃を睨み、俺は空気を求めて喘ぐことしかできなかった。
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