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一章⑨
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胴体だけになった二つの死体がどさりと倒れると、そこに現れたのはビョルンだった。
額から左目にかけて斬られたらしい。それなりの深手に顔の半分を血に染めながらも、あいつは俺の姿を認めると安心したように大きく息を吐いた。
「大将……無事だったか」
「おぉよ。お前さんの方はなんだ、そのザマは」
「……あんたとは違ぇんだよ」
ビョルンは苦笑しつつ、俺に歩み寄った。まあ、俺も憎まれ口は叩いたがね。心の底では一応安否を心配していたから、あいつの無事な姿を見れてほっとしていたよ。
「他の連中は?」
「あらかた無事だ。奇襲だったから、さすがに何人か犠牲が出たがな」
聞けば俺と別れた後で各々の家に帰ったり酒を飲んでいたりとしていたところに兄貴の手勢が襲ってきたという。
とはいえ、さすがは俺の手下だぜ。見事に返り討ちにして港で船を確保し、いざとなりゃいつでも出航できるように俺を待っているらしい。ったく、頼りになる連中さ。
俺はビョルンと並び、兄貴に向き直った。俺たちが呑気に喋っていたっていうのに、あいつは剣先を震わせたまま、馬鹿みたいに突っ立っていた。
胸の前で両拳の骨を鳴らすと、兄貴は腰の引けた立ち姿でじりじりと後ずさった。俺はゆっくりとその距離を詰めた。
「さて、シグヴァルディよ。掟を忘れたか? 『各人は他人のために自分の兄弟のように復讐しなくてはならぬ』さ。テメエの命で俺の手下が何人か死んだ。覚悟はできてんだろうな?」
俺が言うと、兄貴は叫び声をあげて俺を剣で突こうと突進してきた。
やれやれ、本当に剣の基本から忘れちまったのかね。俺はそれを横に避けて足を払って奴を転ばせた。
前のめりに転んで膝をついた兄貴の腹をちっと強めに蹴り上げてやると、くぐもった声を上げた後で、奴は口からねばついた腹の液を吐き出したよ。
つんとすえたにおいが立ち込める中、俺は荒い息で蹲る兄貴の髪の毛を掴み、無理矢理に顔を上げさせた。
「曲がりなりにも血を分けた兄弟のよしみだ。言え。人質にした女どもはどこにいる?」
兄貴の目は涙に濡れ、怯えきっていた。
そう、血を分けた兄弟だ。言ったところで俺が命を助けるはずがないことを奴は心得ていた。言わなければ死より辛い拷問が待っていることも。
果たしてどっちがマシか。両天秤はすぐに傾いて、奴はあっさりと口を割ったよ。
「……ここにはいない」
「そんなわけがあるか」
「嘘ではない……お前がカンタベリーから帰参するという報を受けた際、私はあの者どもを別の場所に移動させる心づもりでいた……しかし、その船は嵐に遭い海の藻屑と消えたのだ。さすがは『魔女』よ。逸話通りその存在がオーディン神に疎まれでもしたのやも知れぬな」
俺はさっと頭に血が上った。兄貴の首を掴み、思い切り締め上げた。ビョルンが俺を止めなかったら首の骨を折っちまっていただろう。
兄貴はごほごほとむせつつも、どこかで見たような下卑た笑みを浮かべた。
「どの道、本国へ呼び戻された時点でお前の子はその役割を演じ続けるしかない。我が身が可愛ければな。つまり、あの者どもの人質としての価値は薄れている。用済みだ。始末する手間が省けたというものよ」
そう言って試すような視線を俺に送り、兄貴は続けた。
「……トルケル。今ならスヴェン王にとりなしてやる……私と共にデンマーク王家を乗っ取るのだ。我ら兄弟で」
呆れたね。この期に及んで的の外れた命乞いだ。こんな醜悪な野郎を身内に持っちまったなんてな。恥ずかしくて涙が出るぜ。
俺はため息をついた。
再び六つ数えて、深く、深く、深呼吸をする。
身体中の怒りという怒りを追い出すように。
すぐに冷静さを取り戻せたよ。そして冷えた心のまま、この場において最も必要であることを淡々と、粛々と済ませることにした。
俺は兄貴の顔面を思い切り殴りつけた。
何度も、何度も。
その臭ぇ口がくだらねえ戯言を吐かなくなるまで。息の根が止まるまで。
殺された俺の手下どもや俺の女。
顔も知らぬ、名前も付けられなかった娘。
その魂が安らぐまで。
何度も、何度も、何度もだ。
どれくらい経ったか、ビョルンは黙ってその様子を見ていたが、やがて俺の肩にそっと手を置いて言った。
「……大将。後始末の時間だ」
俺は小さく頷いた。
手を離し、どさりと兄貴の身体がが地べたに落ちるのを、俺は凪の海のような心持ちで見つめたもんさ。
ぴくりとも動かなくなった兄貴を見ても、真っ赤に腫れ上がってどこが目鼻かもわからない小汚え顔を見ても、俺はなにも感じなかった。
ふと見れば、殴り続けていた自分の拳の皮が裂けていたが、痛みはまるでなかった。
……不思議な気分だったね。もう少しすっきりすると思っていたんだがな。
額から左目にかけて斬られたらしい。それなりの深手に顔の半分を血に染めながらも、あいつは俺の姿を認めると安心したように大きく息を吐いた。
「大将……無事だったか」
「おぉよ。お前さんの方はなんだ、そのザマは」
「……あんたとは違ぇんだよ」
ビョルンは苦笑しつつ、俺に歩み寄った。まあ、俺も憎まれ口は叩いたがね。心の底では一応安否を心配していたから、あいつの無事な姿を見れてほっとしていたよ。
「他の連中は?」
「あらかた無事だ。奇襲だったから、さすがに何人か犠牲が出たがな」
聞けば俺と別れた後で各々の家に帰ったり酒を飲んでいたりとしていたところに兄貴の手勢が襲ってきたという。
とはいえ、さすがは俺の手下だぜ。見事に返り討ちにして港で船を確保し、いざとなりゃいつでも出航できるように俺を待っているらしい。ったく、頼りになる連中さ。
俺はビョルンと並び、兄貴に向き直った。俺たちが呑気に喋っていたっていうのに、あいつは剣先を震わせたまま、馬鹿みたいに突っ立っていた。
胸の前で両拳の骨を鳴らすと、兄貴は腰の引けた立ち姿でじりじりと後ずさった。俺はゆっくりとその距離を詰めた。
「さて、シグヴァルディよ。掟を忘れたか? 『各人は他人のために自分の兄弟のように復讐しなくてはならぬ』さ。テメエの命で俺の手下が何人か死んだ。覚悟はできてんだろうな?」
俺が言うと、兄貴は叫び声をあげて俺を剣で突こうと突進してきた。
やれやれ、本当に剣の基本から忘れちまったのかね。俺はそれを横に避けて足を払って奴を転ばせた。
前のめりに転んで膝をついた兄貴の腹をちっと強めに蹴り上げてやると、くぐもった声を上げた後で、奴は口からねばついた腹の液を吐き出したよ。
つんとすえたにおいが立ち込める中、俺は荒い息で蹲る兄貴の髪の毛を掴み、無理矢理に顔を上げさせた。
「曲がりなりにも血を分けた兄弟のよしみだ。言え。人質にした女どもはどこにいる?」
兄貴の目は涙に濡れ、怯えきっていた。
そう、血を分けた兄弟だ。言ったところで俺が命を助けるはずがないことを奴は心得ていた。言わなければ死より辛い拷問が待っていることも。
果たしてどっちがマシか。両天秤はすぐに傾いて、奴はあっさりと口を割ったよ。
「……ここにはいない」
「そんなわけがあるか」
「嘘ではない……お前がカンタベリーから帰参するという報を受けた際、私はあの者どもを別の場所に移動させる心づもりでいた……しかし、その船は嵐に遭い海の藻屑と消えたのだ。さすがは『魔女』よ。逸話通りその存在がオーディン神に疎まれでもしたのやも知れぬな」
俺はさっと頭に血が上った。兄貴の首を掴み、思い切り締め上げた。ビョルンが俺を止めなかったら首の骨を折っちまっていただろう。
兄貴はごほごほとむせつつも、どこかで見たような下卑た笑みを浮かべた。
「どの道、本国へ呼び戻された時点でお前の子はその役割を演じ続けるしかない。我が身が可愛ければな。つまり、あの者どもの人質としての価値は薄れている。用済みだ。始末する手間が省けたというものよ」
そう言って試すような視線を俺に送り、兄貴は続けた。
「……トルケル。今ならスヴェン王にとりなしてやる……私と共にデンマーク王家を乗っ取るのだ。我ら兄弟で」
呆れたね。この期に及んで的の外れた命乞いだ。こんな醜悪な野郎を身内に持っちまったなんてな。恥ずかしくて涙が出るぜ。
俺はため息をついた。
再び六つ数えて、深く、深く、深呼吸をする。
身体中の怒りという怒りを追い出すように。
すぐに冷静さを取り戻せたよ。そして冷えた心のまま、この場において最も必要であることを淡々と、粛々と済ませることにした。
俺は兄貴の顔面を思い切り殴りつけた。
何度も、何度も。
その臭ぇ口がくだらねえ戯言を吐かなくなるまで。息の根が止まるまで。
殺された俺の手下どもや俺の女。
顔も知らぬ、名前も付けられなかった娘。
その魂が安らぐまで。
何度も、何度も、何度もだ。
どれくらい経ったか、ビョルンは黙ってその様子を見ていたが、やがて俺の肩にそっと手を置いて言った。
「……大将。後始末の時間だ」
俺は小さく頷いた。
手を離し、どさりと兄貴の身体がが地べたに落ちるのを、俺は凪の海のような心持ちで見つめたもんさ。
ぴくりとも動かなくなった兄貴を見ても、真っ赤に腫れ上がってどこが目鼻かもわからない小汚え顔を見ても、俺はなにも感じなかった。
ふと見れば、殴り続けていた自分の拳の皮が裂けていたが、痛みはまるでなかった。
……不思議な気分だったね。もう少しすっきりすると思っていたんだがな。
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