北海帝国の秘密

尾瀬 有得

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一章②

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 その『魔女』について話しておこうか。

 一方、その少し後の晩秋(一〇〇三年)。俺はといえばそんな郷里の騒ぎも知らず、たっぷりと宝の積んだ竜頭の船に乗って、冬場の逗留地であるアイルランドのとある小さな村へのこのこと向かっていた。

 長いことヨムスボルグから出ずっぱりで、イングランドやフランク王国、大陸の方でいくつかの戦場を渡った後でね。訪れるのは八年ぶりだった。

 その村の外れには金髪の、抜けるような白い肌をした美しい女が住んでいてな。
 それが『魔女』だ。

 何者なのかって? 実はよく知らないんだ。尋ねようにも喉のところに大きな傷があって、口がきけなくてね。一応、英語とノルド語で名乗ってはみたが、通じたかどうかは分からない。

 分かっていることと言えば、熱心なキリスト教徒ってことだ。よく椅子に座って窓辺で聖書を読んでいたからな。まあ、実際に読めていたのかも、今となっちゃ確かめようもないがな。

 だから、どうして村の外れに一人で住んでいるのかも村人も誰も知らなかった。いつの間にか居付いたって話で、それもあってか、村人からは『魔女』だなんて陰口を叩かれていてつまはじきだった。

 まあ、見た目のせいもあったんだろうな。男どもは邪な欲望を搔き立てられずにいられない後ろめたさを、女どもはそれが争いの原因になることを恐れ、またその美しさに対する嫉妬心もあって、そんなあだ名がつけられたんだろう。俺の勝手な憶測だがね。

 あいつ自身も村人とは一線を引いていた。嫌われていることを弁えていたのさ。自分でこさえた畑で食い扶持を得て誰とも関わらないようにして暮らしていた。

 とにかく、謎の女だったよ。
 『魔女』というあだ名にふさわしいフレイヤ神もかくやという美貌と、おそらくは聖書を解するだけの教養を持つ女。誰も出自を知らず、本当の名前さえも分からない。

 へっ……そういう、普通と違うところに、俺は惹かれちまったのかね。

 手下どもが村人にもてなされてる中、俺はひとり、少し離れた女の家に転がり込んだ。

 村人の誰もが俺を止めたが、関係なかったよ。俺がどんな女に惹かれようが、欲望を抱こうが、誰かに文句を言われる筋合いはないんだからな。

 女は俺を拒まなかった。
 不思議と、喋れなくても目と身振りで意志は通じるもんでね。まあ、俺にとっちゃ楽しい時間だったよ。女が本心でどう思っていたかは分からないがな。

 冬が終わり、俺は女に数年は食うに困らない程度の財産を置いていった。
 「また来る」と言って出立する俺を、女は心を溶かすような笑顔で見送ってくれた。

 その表情は今でも鮮明に思い出せるよ……いい女だった。間違いなくな……ちっ、なんだその顔は。まあいい。

 さて、そんなわけで、だ。
 本当は毎冬でも俺はそこに足を運びたかったんだがね。その年以降、再び女の元に行く機会はなかなか訪れなかった。

 というのもな、当時はノルウェーの方が騒がしかったし、それ以外にも戦場は引きも切らずにあった。
 そうこうしている間にイングランドとの戦がおっぱじまって、俺もそれなりに忙しくてね。ついつい足が遠のいていたんだ。

 それがようやくその機会を作れた。
 だからその時の俺は少しばかり気分が弾んでいたよ。久しぶりに女に会えるのが嬉しくてな。

 でもな。結論から言うが、俺は女には会えなかった。
 なぜなら、そのアイルランドの小さな村は、どこかの誰かに焼かれた後だったからだ。

 愕然としたよ。船の上から見える陸の景色に、俺と手下どもは我が目を疑ったもんさ。

 上陸すると、焼け落ちた家屋があちこちに残っていたが、人っ子ひとりいなかった。曇り空に覆われて、昼なのに少し薄暗くてな。海風がすこし冷たかったのを覚えてる。

 崩れた家屋をどかしたりしながら、俺は手下どもに周囲を検めさせた。生き残りがいる可能性も考えてな。

 やがて、捜索を終えたビョルンがこちらにやってきた。お前も知ってるだろ。さっきお前を呼びに行かせた、俺の一の子分さ。

 当たり前だがあいつもそん時はまだ若く……というより十五くらいの小僧でね。身体も今より少し小さかったし、そう……まだその頃には両目があった。

 戻ってきたあいつのその黒い瞳には、隠しようもないほどの怒りが溢れていたよ。

「生き残りはいねえ。やられたな」

 ビョルンに誘われ村の中を歩くと、やがて深く掘られた穴に案内された。死体を放り込むためだというのはすぐに分かった。燃え残った衣服と、夥しい人骨がそこにはあったからだ。

 女の家は、と問うとビョルンは首を横に振った。

「家は燃やされてるし、畑は荒れ放題。それなりに時間が経ってる」そして、深いため息をついて俺を見た。「で、どうするね、大将?」

「仕方ねえだろう。移動して別の村を探す。冬を越せる程度の貯えがあるところをな」

「そうじゃなくてよ……」ビョルンは苦り切った表情で頭を掻いた。「この落とし前はどうするよって話さ。誰だと思う? マンスターの連中か?」

 当時、アイルランド統一王朝を作ろうとする動きがマンスターの方にはあった。その小競り合いに巻き込まれたんじゃないかっていうのが、ビョルンの考えだ。

 だが、俺は違うと思った。根拠? そんなもんねえ。ただの勘だよ。

「さあな。ともかく、すぐに移動するぞ。手下どもに伝えて来い」

 ビョルンはまだ何か言いかけるような表情を見せたが、すぐに俺の命に従った。

 結局、俺たちは別の村に移動し、そこでその年の冬を越した。

 春になり、俺はあの村が何者によって襲撃を受けたのか調べることを手下ども数人に命じた。合わせて、あの村の生き残りがいやしないかもな。

 村邑の襲撃には奴隷がつきものだ。美しい女は特に人気の商品。傷物で口がきけないとはいえ、あの美貌だ、殺すよりも奴隷として売りに出した方が得と襲撃者は考えたはず。

 なら、女はどこかで生きているはずだ――なーんてな。ガラにもなくそんな風に考えていたんだよ。まったく、俺としたことがな。
 はは、そうさ。そうであって欲しいという願いが頭のどこかにあったんだろうがね。

 多くの奴隷商人をあたらせたよ。しかし結果は芳しくない。
 金髪の女の奴隷は商品として別に珍しくなかったし、商人たちも仕入れ先のヴァイキングのことなどいちいち覚えていない。戦は激しさを増していたから、奴隷なんていくらでも仕入れられたからな。

 もちろん、俺もその仕入れ先のひとつだ。多くの村を荒らし、幾多の戦場を渡り、数々の武功を上げ、沢山の略奪をした。ヨムスボルグに戻る暇なんかなかった。気にもしてなかったよ。

 一応、定期的にヨムスボルグへ戻るよう、軍規はあったがな。俺は放免されていた。なぜって? 俺が『のっぽ』のトルケル様だからさ。それくらい、あの頃の俺は好き勝手してたんだ。

 だから、俺はその時になってもまだ、どうしてこの村が滅ぼされるに至ったか、その理由に見当もついていなかった。まったく間抜けな話さ。自業自得っていうかな。

 そうしてなんの成果もなくあっという間に時が過ぎた。でもな、運命の悪戯とでもいうべきか、さらに時を経て、俺はようやく村の襲撃を実行した連中を知ることになったんだ。
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