北海帝国の秘密

尾瀬 有得

文字の大きさ
上 下
4 / 23

一章②

しおりを挟む
 その『魔女』について話しておこうか。

 一方、その少し後の晩秋(一〇〇三年)。俺はといえばそんな郷里の騒ぎも知らず、たっぷりと宝の積んだ竜頭の船に乗って、冬場の逗留地であるアイルランドのとある小さな村へのこのこと向かっていた。

 長いことヨムスボルグから出ずっぱりで、イングランドやフランク王国、大陸の方でいくつかの戦場を渡った後でね。訪れるのは八年ぶりだった。

 その村の外れには金髪の、抜けるような白い肌をした美しい女が住んでいてな。
 それが『魔女』だ。

 何者なのかって? 実はよく知らないんだ。尋ねようにも喉のところに大きな傷があって、口がきけなくてね。一応、英語とノルド語で名乗ってはみたが、通じたかどうかは分からない。

 分かっていることと言えば、熱心なキリスト教徒ってことだ。よく椅子に座って窓辺で聖書を読んでいたからな。まあ、実際に読めていたのかも、今となっちゃ確かめようもないがな。

 だから、どうして村の外れに一人で住んでいるのかも村人も誰も知らなかった。いつの間にか居付いたって話で、それもあってか、村人からは『魔女』だなんて陰口を叩かれていてつまはじきだった。

 まあ、見た目のせいもあったんだろうな。男どもは邪な欲望を搔き立てられずにいられない後ろめたさを、女どもはそれが争いの原因になることを恐れ、またその美しさに対する嫉妬心もあって、そんなあだ名がつけられたんだろう。俺の勝手な憶測だがね。

 あいつ自身も村人とは一線を引いていた。嫌われていることを弁えていたのさ。自分でこさえた畑で食い扶持を得て誰とも関わらないようにして暮らしていた。

 とにかく、謎の女だったよ。
 『魔女』というあだ名にふさわしいフレイヤ神もかくやという美貌と、おそらくは聖書を解するだけの教養を持つ女。誰も出自を知らず、本当の名前さえも分からない。

 へっ……そういう、普通と違うところに、俺は惹かれちまったのかね。

 手下どもが村人にもてなされてる中、俺はひとり、少し離れた女の家に転がり込んだ。

 村人の誰もが俺を止めたが、関係なかったよ。俺がどんな女に惹かれようが、欲望を抱こうが、誰かに文句を言われる筋合いはないんだからな。

 女は俺を拒まなかった。
 不思議と、喋れなくても目と身振りで意志は通じるもんでね。まあ、俺にとっちゃ楽しい時間だったよ。女が本心でどう思っていたかは分からないがな。

 冬が終わり、俺は女に数年は食うに困らない程度の財産を置いていった。
 「また来る」と言って出立する俺を、女は心を溶かすような笑顔で見送ってくれた。

 その表情は今でも鮮明に思い出せるよ……いい女だった。間違いなくな……ちっ、なんだその顔は。まあいい。

 さて、そんなわけで、だ。
 本当は毎冬でも俺はそこに足を運びたかったんだがね。その年以降、再び女の元に行く機会はなかなか訪れなかった。

 というのもな、当時はノルウェーの方が騒がしかったし、それ以外にも戦場は引きも切らずにあった。
 そうこうしている間にイングランドとの戦がおっぱじまって、俺もそれなりに忙しくてね。ついつい足が遠のいていたんだ。

 それがようやくその機会を作れた。
 だからその時の俺は少しばかり気分が弾んでいたよ。久しぶりに女に会えるのが嬉しくてな。

 でもな。結論から言うが、俺は女には会えなかった。
 なぜなら、そのアイルランドの小さな村は、どこかの誰かに焼かれた後だったからだ。

 愕然としたよ。船の上から見える陸の景色に、俺と手下どもは我が目を疑ったもんさ。

 上陸すると、焼け落ちた家屋があちこちに残っていたが、人っ子ひとりいなかった。曇り空に覆われて、昼なのに少し薄暗くてな。海風がすこし冷たかったのを覚えてる。

 崩れた家屋をどかしたりしながら、俺は手下どもに周囲を検めさせた。生き残りがいる可能性も考えてな。

 やがて、捜索を終えたビョルンがこちらにやってきた。お前も知ってるだろ。さっきお前を呼びに行かせた、俺の一の子分さ。

 当たり前だがあいつもそん時はまだ若く……というより十五くらいの小僧でね。身体も今より少し小さかったし、そう……まだその頃には両目があった。

 戻ってきたあいつのその黒い瞳には、隠しようもないほどの怒りが溢れていたよ。

「生き残りはいねえ。やられたな」

 ビョルンに誘われ村の中を歩くと、やがて深く掘られた穴に案内された。死体を放り込むためだというのはすぐに分かった。燃え残った衣服と、夥しい人骨がそこにはあったからだ。

 女の家は、と問うとビョルンは首を横に振った。

「家は燃やされてるし、畑は荒れ放題。それなりに時間が経ってる」そして、深いため息をついて俺を見た。「で、どうするね、大将?」

「仕方ねえだろう。移動して別の村を探す。冬を越せる程度の貯えがあるところをな」

「そうじゃなくてよ……」ビョルンは苦り切った表情で頭を掻いた。「この落とし前はどうするよって話さ。誰だと思う? マンスターの連中か?」

 当時、アイルランド統一王朝を作ろうとする動きがマンスターの方にはあった。その小競り合いに巻き込まれたんじゃないかっていうのが、ビョルンの考えだ。

 だが、俺は違うと思った。根拠? そんなもんねえ。ただの勘だよ。

「さあな。ともかく、すぐに移動するぞ。手下どもに伝えて来い」

 ビョルンはまだ何か言いかけるような表情を見せたが、すぐに俺の命に従った。

 結局、俺たちは別の村に移動し、そこでその年の冬を越した。

 春になり、俺はあの村が何者によって襲撃を受けたのか調べることを手下ども数人に命じた。合わせて、あの村の生き残りがいやしないかもな。

 村邑の襲撃には奴隷がつきものだ。美しい女は特に人気の商品。傷物で口がきけないとはいえ、あの美貌だ、殺すよりも奴隷として売りに出した方が得と襲撃者は考えたはず。

 なら、女はどこかで生きているはずだ――なーんてな。ガラにもなくそんな風に考えていたんだよ。まったく、俺としたことがな。
 はは、そうさ。そうであって欲しいという願いが頭のどこかにあったんだろうがね。

 多くの奴隷商人をあたらせたよ。しかし結果は芳しくない。
 金髪の女の奴隷は商品として別に珍しくなかったし、商人たちも仕入れ先のヴァイキングのことなどいちいち覚えていない。戦は激しさを増していたから、奴隷なんていくらでも仕入れられたからな。

 もちろん、俺もその仕入れ先のひとつだ。多くの村を荒らし、幾多の戦場を渡り、数々の武功を上げ、沢山の略奪をした。ヨムスボルグに戻る暇なんかなかった。気にもしてなかったよ。

 一応、定期的にヨムスボルグへ戻るよう、軍規はあったがな。俺は放免されていた。なぜって? 俺が『のっぽ』のトルケル様だからさ。それくらい、あの頃の俺は好き勝手してたんだ。

 だから、俺はその時になってもまだ、どうしてこの村が滅ぼされるに至ったか、その理由に見当もついていなかった。まったく間抜けな話さ。自業自得っていうかな。

 そうしてなんの成果もなくあっという間に時が過ぎた。でもな、運命の悪戯とでもいうべきか、さらに時を経て、俺はようやく村の襲撃を実行した連中を知ることになったんだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

古色蒼然たる日々

minohigo-
歴史・時代
戦国時代の九州。舞台装置へ堕した肥後とそれを支配する豊後に属する人々の矜持について、諸将は過去と未来のために対話を繰り返す。肥後が独立を失い始めた永正元年(西暦1504年)から、破滅に至る天正十六年(西暦1588年)までを散文的に取り扱う。

東へ征(ゆ)け ―神武東征記ー

長髄彦ファン
歴史・時代
日向の皇子・磐余彦(のちの神武天皇)は、出雲王の長髄彦からもらった弓矢を武器に人喰い熊の黒鬼を倒す。磐余彦は三人の兄と仲間とともに東の国ヤマトを目指して出航するが、上陸した河内で待ち構えていたのは、ヤマトの将軍となった長髄彦だった。激しい戦闘の末に長兄を喪い、熊野灘では嵐に遭遇して二人の兄も喪う。その後数々の苦難を乗り越え、ヤマト進撃を目前にした磐余彦は長髄彦と対面するが――。 『日本書紀』&『古事記』をベースにして日本の建国物語を紡ぎました。 ※この作品はNOVEL DAYSとnoteでバージョン違いを公開しています。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

薙刀姫の純情 富田信高とその妻

もず りょう
歴史・時代
関ヶ原合戦を目前に控えた慶長五年(一六〇〇)八月、伊勢国安濃津城は西軍に包囲され、絶体絶命の状況に追い込まれていた。城主富田信高は「ほうけ者」と仇名されるほどに茫洋として、掴みどころのない若者。いくさの経験もほとんどない。はたして彼はこの窮地をどのようにして切り抜けるのか――。 華々しく活躍する女武者の伝説を主題とし、乱世に取り残された武将、取り残されまいと足掻く武将など多士済々な登場人物が織り成す一大戦国絵巻、ここに開幕!

かくまい重蔵 《第1巻》

麦畑 錬
歴史・時代
時は江戸。 寺社奉行の下っ端同心・勝之進(かつのしん)は、町方同心の死体を発見したのをきっかけに、同心の娘・お鈴(りん)と、その一族から仇の濡れ衣を着せられる。 命の危機となった勝之進が頼ったのは、人をかくまう『かくまい稼業』を生業とする御家人・重蔵(じゅうぞう)である。 ところがこの重蔵という男、腕はめっぽう立つが、外に出ることを異常に恐れる奇妙な一面のある男だった。 事件の謎を追うにつれ、明らかになる重蔵の過去と、ふたりの前に立ちはだかる浪人・頭次(とうじ)との忌まわしき確執が明らかになる。 やがて、ひとつの事件をきっかけに、重蔵を取り巻く人々の秘密が繋がってゆくのだった。 強くも弱い侍が織りなす長編江戸活劇。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

処理中です...