素足のリシュワ

進常椀富

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深淵へのいざない

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 レンガ造りの屋敷に達すると、扉の内側から騎士がひとり出てきて案内を引き継いだ。門衛は戻っていく。
 騎士は屋敷の内部へ招き入れ、しばらく待っているように告げた。

 なかは広間で、床には繊細な模様の入った絨毯が敷かれ、天井にはシャンデリアが下がっている。
 多くのろうそくに火がつけられていて、光に満ちていた。
 壁には大きな風景画がかかり、その周囲には流れるような模様が描かれている。
 贅を尽くしたような一邸だった。

 コドンの侵攻で荒れ果ててしまったのは、世界のほんの一部でしかない。
 被害を免れた場所は、このように歴史を引き継いでいるのだった。
 
 それに比べて自分たちの変わりようは途轍もないものだと、リシュワは痛感した。
 左の寄生腕の鋭い指先を何度か握りしめる。

 やがてオブスレット公らしい人物が、中央の階段を降りてきた。
 白髪が巻いていて、顔の半分は白黒混じった髭に覆われている。しかし、その髭はよく整えられていた。
 細かい刺繍の施された胴着を着て、内側はシルクのシャツ、ブーツはろうそくの明かりを照り返して光っていた。細身の剣を帯びている。

 かつては共和国の敵第一位として、リシュワもその肖像画を見たことがあった。
 実際に見たのは初めてだったが、概ね画のとおりだった。
 オブスレット公はリシュワを灰色の瞳で鋭くみつめてきた。
 リシュワは背嚢を下ろし、書簡を取りだした。

 調査団の長が姿勢を正して大声で告げた。
「シャットン方面調査団のベルガーです! ご報告に参りました!」
 オブスレット公は片手を軽く振った。
「まずは王へご報告せよ。わたしには明日、報告書を回してくれ。下がってよい」
 異例のことだったらしく、ベルガーは戸惑っていた。公が促す。
「下がってよい」
「はっ!」
 調査団の長、ベルガーは騎士に付き添われて出ていった。

「ジェントル・オーダーのダクツからの書簡です」
 リシュワは右腕で書簡を差しだした。受け取りながらオブスレット公は興味を示した。
「右腕は寄生腕ではないのか」
 意外に馴れ馴れしい人物だと思いながら、リシュワは答えた。
「わたしは左半身が寄生腕と寄生脚です。妹のレオネは寄生肢を持っていませんが新鬼人です」
 オブスレット公はレオネにも興味深げな目を注いだ。
「噂では子供の新鬼人がいると聞いていたが、こんなに若い新鬼人は初めて見る。いくつかね?」
 レオネは答えた。
「十四歳です」
「十四歳で一騎当千の戦士か。凄まじい時代となったものだ。あまりゆっくりもできないが、座って話そう」

 オブスレット公は広間から右手の扉へ歩きはじめた。リシュワたちもついていく。
 扉を抜けるとそこは調度の整った応接室だった。
 家具は優美で、すでに燭台が灯っていた。落ち着く雰囲気がある。

 オーク材らしいどっしりしたテーブルと、椅子があった。
 公は奥の椅子に腰かけ、リシュワたちにも椅子が勧められた。
 すぐに水とパン、果物の乗ったトレイが運びこまれる。

「新鬼人は腹が減るのだろう。食べていてくれ」
 オブスレット公は書簡を開け、中身を読みはじめた。
 リシュワとレオネは水を飲み、ぶどうとりんごをかじって待つ。

 りんごを食べ終え、パンをちぎりはじめたとき、オブスレット公は顔をあげた。
「食べながらでかまわない。続けてくれ。きみたちの持ってきた書簡を読み終えた。おおよそのことは知っていたが、新たな細かい事実は目新しいものだった。産獣術は新鬼人という超人を生み出すのみならず、魔導と組み合わせることでさらなる超人を造りだせるらしいというような書かれていたが、きみたちは知っていたかね」
 リシュワは答えた。
「神柱という存在があります。実際に会いました。新鬼人とは比べものにならない力を漂わせていました」
「どこで会った」
「最初はわたしのもといた工房で。次にはシャットンの西の廃寺院で」
「そのような存在がソルナル領内にいたというのか。わたしも会ってみたい」
「ノゼマという名ですが、コドンのいる場所をあちこち放浪しているようです」
「コドンか。そうよな、コドンと関わりあっているに決まっている。そういえば、コドン侵攻時、きみたちはどこに居たんだね。そのとき重症を負って新鬼人となったのだと思うが」
「わたしとレオネは共和国にいました。共和国の兵士だったからです」
「ほう……」
 オブスレット公はしばし目を伏せて考えこんだ。再び口を開く。
「コドン侵攻はさまざまな事象を破壊した。かつての敵ともこうして膝をつきあわせることができるし、コドンたちは新しい技術を持ちこんできた。悪いことばかりじゃない。共和国の兵士だったということは読み書きができるね?」
「できますが……」

 オブスレット公はあごを撫でながら、ゆっくり言った。
「わたしはダクツやナッシュとも親しいが、新鬼人の友人はもっと欲しい。かつての敵とはいえ、もう過去のことだ。われわれも仲良くやっていけるだろう。そう思わないかねリシュワ?」

 わだかまり未満のようなものがまったくないわけではなかったが、リシュワはいまの流れに従うことを選んだ。
「共和国はもうないですし、わたしはジェントル・オーダーの一員です。あなたがスポンサーであるところの」
「コドンとも、新鬼人とも手を取り合っていかねばならん。新しい時代には。これできみとも友人になれたと思おう」

 オブスレット公はパピルスの手紙をたたみながら言った。
「そこでなにが起こっているか、わたしは複数の情報源から得た情報を総合してことにあたる主義だ。きみからも個人的な手紙が欲しい。文面はなんでもかまわん。困っていること、足りない物の催促、コドンと言い争ったようなことなど、そういうことでかまわないので手紙を欲しい。きみたちの砦で門衛を務めているシュルツはわたしの手の者だ。彼に手紙を託してくれれば、然るべき順路を通ってわたしのもとへ届く。これは覚えておいてもらいたい」

 やんわりとした方法だが、オブスレット公はリシュワに内通者になれと言っているのだった。
 リシュワもレオネも、ジェントル・オーダーを気に入っているとはいえ、ほかに身寄りのないのも事実だった。
 ここで公爵に取り入っておいても損はないだろう。
 リシュワはよそ行きの微笑を見せた。
「了解しました、オブスレット公。友人として折々にご連絡さしあげます」
 オブスレット公は手を叩いて喜んだ。
「それでいい! それと、また書簡を運んでもらう場合にはきみたちにやってもらえるよう要請しておこう。話は以上だ。残っている食べ物は袋に入れてもっていきたまえ。宿は上等なところを確保してある。案内の者を同行させよう。それではさらば、リシュワ、レオネ、また会おう」

 騎士見習いらしい若者が入ってきて、オブスレット公は出ていった。
 若者は自分が宿まで案内するという。代金は公持ちだった。

 邸を出ていきながら、リシュワはオブスレット公の如才なさに舌を巻くばかりだった。
 こんな人間と戦っていたなんて、そら恐ろしくなる。
 リシュワはそれ以上考えないことにした。
 いまは新しい時代に突入しているのだから。
 かつての敵はいまや頼もしい味方なのだった。
 
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