素足のリシュワ

進常椀富

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異形の襲撃

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 一年間、世捨て人のように暮らしてきたが、世間では新しい時代が始まっているのだろう。
 そのあたりも、この旅で経験しておきたいことだった。

 ふたりの足取りは軽く、ときおり旅人や商人の荷馬車とすれ違うだけの、ゆったりした旅だった。
 新鬼人は体力があり、足も速い。
 リシュワたちは夜も遅くまで歩いてから休息に入った。

 街道から少し離れて火を焚いて腰を下ろす。
 周囲は静かだった。
 虫の声とふくろうの鳴き声、焚き火の爆ぜる音。それくらいしかしない。

 大きめのコインのようなコーンドジャーを火で炙りながら、リシュワは言った。
「この身体になってから旅をするのは初めてだったが、思いもしなかったほど楽なものだな。レオネの調子はどうだ」
 レオネはドライフルーツを噛みながら答えた。
「あたしもすごく楽。夜通し歩けると思う。まあ寝ろっていうなら寝るのも悪くないけど」
「この調子なら明日には村を通りすぎてソルナルにつくだろう。予定よりも早く帰れそうだ」
「帰ったら、あの女のコドンと戦うの?」
「そのつもりだ。といっても稽古さ。殺し合うわけじゃない」
「ヘズル・デンスを信用してるの?」

 リシュワはコーンドジャーをかじって咀嚼した。
 しばらく沈黙が流れる。
 ややあって口を開く。
「わからない。でも、なにかある。悪くないものが。あの巨人女は嫌いじゃない」
「そう思ってるのは姉さんだけかもしれないのに?」
「そうだな……」

 翌朝は暗いうちから歩き始めた。
 夕方にはソルナルに達するつもりだった。
 肩を並べて、まだだれも通らない街道を進むうちに薄明るくなってきた。
 それと同時に異変が起こる。
 早駆けの馬が行手から走ってきた。
 騎乗者は必死の形相をしていた。
 リシュワたちに一言叫んで、速度を落とさず走り去る。
「この先には行くな! もう終わりだ!」

 それから次々と馬が走ってきて、速度の遅い荷馬車も連なってきた。
 荷馬車はリシュワが近づいても速度を落とさない。
 しかたないのでリシュワは並走しながら聞いた。
「いったいなにが起きた!」
 御者は商人のようだった。
「悪いことはいわねえ、逃げろ! ばけものだ! とんでもねえやつだ! 逃げるしかねえ!」
 リシュワは走りながら食い下がった。
「わたしはジェントル・オーダーだ。詳しく教えてくれ!」
「騎士だってかなわねえよ、あんなの! 命が惜しけりゃ助けを呼びに戻れ!」
 埒があかないと思い、リシュワは追求をやめた。
 レオネのところへ戻る。
「なにかが起こってる。いってみるしかないだろう」

 リシュワとレオネは村へ向かって走り始めた。
 逃げてくる馬や馬車は多くなり、徒歩のものも混じりはじめた。
 みんな持てる限りの家財を背負って、必死の形相で逃げてくる。

 ドーン、ドーンという爆発音のようなものが聞こえ、遠くから悲鳴が響いてきた。
 もう村へ行って直接様子を見たほうが早い。
 リシュワとレオネは駆けた。

 木々の幹に囲まれた街道を曲がると、一気に展望が開けた。
 大きめのシャットンという村だったが、そこに異様な光景が広がっていた。

 異形がいる。

 家々の屋根よりはるかに高い位置に、肌色の塊が浮いていた。
 長い蜘蛛のような足が蠢き、その物体を空へ持ちあげている。
 膨れあがった胴体の背には、髪の生えた人間の首が生えていた。
 首は奇怪な悲鳴をあげてのたうっている。
 首がひときわ高く叫ぶと、地上へ向けて光線が発射された。
 太い光線は細く収斂していき、そして家が爆発した。
 炎が広がり、悲鳴があがる。
 村から脱出してくる人々であたりはパニックになっていた。

 リシュワは手で庇を作って観察したが、見ればみるほどよくわからない物体だった。
「あれは、いったいなんだ」
 レオネは肩から弓を外して矢の準備をしていた。
「とにかく化け物じゃん! どうするの?」

 コドンの侵攻以後、リシュワたちも異様なものを山ほど見てきたが、これはまた別種のもののように思えた。
 産獣の類とも違う。
 異形の空浮かぶ胴体にはどことなく人間の名残りがあった。
 色も肌色だったからそう思うのかもしれない。

 ぞっとする相手だが、放っておくわけにもいかない。リシュワは剣を引き抜いた。
「迷う時間も惜しい。いまのわたしたちはジェントル・オーダーだ。村人が逃げる時間稼ぎくらいはしてやらなければならない。しかけるぞレオネ」
「わかった!」 
「わたしは突っ込む。おまえは矢を放て!」

 リシュワはマントを翻して走りはじめた。
 強化された脚での疾走は馬より速い。
 逃げ惑う人々が邪魔なら、寄生脚の跳躍で頭の上を飛び越えた。

 怪物は尖った足先で家々の屋根に穴を開け、壁を蹴散らす。
 思い出したように光線を発して爆発を誘発していた。
 大きいが動きは素早くないようだった。

 村の中央を貫く道を走りながら近づいていく。
 怪物の胴体に矢が突きたった。
 レオネの放ったものだった。傷口から赤い血の流れが見える。
 矢が刺さるなら剣も通用するだろう。

 問題は脚にしか攻撃の手が届かないことだった。
 リシュワの伸びる寄生腕にしても、地上から直接胴を狙うには距離がありすぎた。

 怪物が光線を発し、離れたところで爆発した。
 もう悲鳴をあげるような人間は残っていないようだった。炎が家を舐めるばかり。

 リシュワは接近した。
 脚の一本が目の前の地面に降りる。ここを攻撃するしかない。

 リシュワは寄生脚の力で一気に肉薄し、剣で切り抜けた。
 怪物がなんともいえない叫びをあげる。
 リシュワは振り返って傷の具合を確認した。
 みごとにざっくり傷口が開いていた。
 そこでリシュワはぞっとするようなものを見た。
 長い蜘蛛のような脚の先端は、鋭い爪が生えていたものの、人間の足の形をしていたのだった。
 見上げれば、瘤だらけの胴体も男のものに近かった。
 この怪物は人間が変異したものと考えて間違いないようだった。
 産獣術によるものか、そうでないかは置いておくとして。

 怪物は首をめぐらし、光線を放った。
 リシュワに命中してしまう。熱湯をかけられたように熱かった。
 しかし、光線が収束するまで爆発は起こらない。
 余裕で逃れることができた。熱いだけだ。

 油断すれば命を落とす。
 しかし、コドン戦士の重く素早い一撃に比べれば、ずっと戦いやすいともいえた。
 リシュワは怪物の下を走りまわりながら、次々と斬りつけていった。
 傷は開くが、決定打にはほど遠い。脚を切り落とすのは難しそうだった。
 胴を攻めるにはどうすればいいか。
 空を背景にした胴体には、矢が二本、三本と突き刺さっている。
 効いてはいるが、やはり決定打とはなっていない。
 レオネがうまく頭を貫いてくれれば倒せるかもしれないが、そこまで運に頼るつもりはなかった。

 曲芸的な試みに挑んでみるしかなかった。
 リシュワは脚の一本を狙って、伸縮する寄生腕を伸ばした。がっちり掴む。
 脚の上部を掴み、引き倒すのではなく、自分の身体を持ち上げた。
 リシュワの身体は一気に上昇し、節くれだった脚の関節部にとりついた。

 胴体までもう少し!

 振り落とされるまえに、リシュワは跳躍した。
 黒い弾丸のように跳び、怪物の胴体へ着地することができた。
 崩れた人間の顔をした首が、リシュワの目の前にあった。
 リシュワは剣を振りあげた。
 光線が出たとしても、爆発するまえに首を切り落せる。絶妙なタイミングだった。

 だが、うまくいかなかった。
 たくさんある瘤が割れて、人間の腕が突きだしてきたのだった。
 何本も飛びだしてきた血まみれの腕は、リシュワの身体をとらえ、地上へ放り投げた。
「くっ!」
 危ういところだったが、リシュワは足から着地できた。

 今回はうまくいかなかったが、もう一回試してみるべきか?

 素早く次の手を考えていると、怪物が身をよじらせていた。
 楽器で無理やり人間の声を真似たような音をだす。
「オンナ、オンナ、ニンゲン……ニンゲン、オレハ……ニンゲ……」
 それから表現しようのない叫び声をあげると、怪物は一直線に移動しはじめた。
 それはまるで逃走のように見えた。
 リシュワは警戒しながら様子を見守る。
 怪物は一直線に走り去り、逃げていった。
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