異人こそは寒夜に踊る

進常椀富

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 この状況では、凛可をどうしようと、白猪崎の思うがままだった。
 凛可は唇を噛みしめて泣くことしかできない。悪夢のような深い絶望へ落ちていく。現実逃避のためか、凛可は数日前の出来事を鮮明に思いだした。
 凛可がゴムの男に乱暴されそうになったとき、彼は颯爽と現れた。
 次元接続体・イチが。
 凛可は思う。イチは人の窮地を救う運命にある男だと。きっといまも、ここへ向かっているに違いない。ヒーローは必ず現れる。
 信じれば!
 突然、瀧本が大声をあげた。
「対策班の車だッ!」
 白猪崎も驚く。
「なに?!」
 凛可の背後のことなので、様子はわからない。だが、次の瞬間には、この建物の出入口が大音響とともにたわんでいた。
 もう一撃、鐘の音のような音が響く。
 次の一撃で、ドアは吹き飛んだ。
 そこに三人の人影が立っていた。本体より先に突入してきたらしい。
 二人は機動隊員の制服を着ている。一人は顔が金属で、もう一人は……。
 凛可を襲ったゴム男だった! 
 凛可はパニックになりかけた。
 しかし、中央に立つ男の姿が、安堵を呼び起こした。
 ボロ雑巾のようなその男が叫ぶ。
「凛可はどこだッ!」
 やはりヒーローは現れた。
 凛可は喜びの声をあげる。
「イチッ!」
 白猪崎が怒鳴った。
「どうしてここがわかった!? 電話の電波も通さないはずなのに!」
 イチは短く答える。
「戦っているのはオレだけじゃない!」
 空間が泡立つように、騒乱が始まった。
 リンクフリー製造機を操作していた男たちが、腰から拳銃を抜いた。
 紗英が霧となって宙を舞う。
 大地は砲弾のように突進し、瀧本が右へ回りこんでいく。
 鉄の女が拳銃を持った三人へ突っ込んでいった。銃弾が浴びせられても、ものともしない。
 イチは大地の右フックを屈んでかわした。そこを炎に包まれる。だが、イチはそのまま炎を突き抜けた。次の瞬間には、瀧本が崩れ倒れる。イチの拳でやられていた。
「おまえはもう敵じゃない。何度言わせるつもりだ」
 言い放つイチへ、大地がさらに襲いかかった。その動きが固まる。首に肌色のロープが巻きついていた。
「うごおぉッ!」
 大地のうめき越しにイチが言う。
「いいぞ郷田(ごうだ)! そいつはオレと同じだ。『鎖』と『ハンマー』!」
「了解」ゴム男が答える。
 その場へ、鉄の女が合流した。銃を持った男たちはすでに倒れている。大地に対する『鎖』と『ハンマー』が開始された。
 不意に、イチの身体が霧に包まれる。しかし、イチは動かない。霧が濃密になったその刹那。イチが居合切りのように動いた。振るった手刀の下に、紗英が倒れる。
「おまえの動きは見えるじゃないか」
 イチはどこかで聞いたような言葉を吐いた。
 白猪崎のグループは、あっという間に壊滅した。大地が『鎖』と『ハンマー』になんとか抵抗しているだけで、小牧は区画の隅で縮こまって震えている。
「くそっ!」
 白猪崎が毒づいて、凛可にナイフを向けようとした。天井からぶら下げたモニターを見て、つぶやく。
「くそ、くそ、人数が違いすぎる……」
 凛可には見えなかったが、そのモニターには怒涛のように押し寄せる機動隊員たちの姿が映っていた。
 白猪崎はナイフを収め、凛可の椅子についているアームレストに手をかけた。
「このほうが早い」
 頑丈な椅子のアームレストを引きちぎる。この男も、確かに次元接続体らしい怪力だった。
 凛可は椅子からは開放されたものの、手錠をつけたまま、白猪崎の脇に抱えられた。
 悲鳴のように叫ぶ。
「イチーッ!」
「だまれ! 一緒に来るんだ!」
 凛可が殴ろうと蹴ろうと、白猪崎はビクともせずに、走りだした。奥の扉へ向かう。
「凛可!」
 イチは凛可のもとへ駆けようとした。しかし、タイミングが悪かった。
 殴られた大地の身体が突っ込んできて、イチは弾き飛ばされた。双方ともにスピードがあったので、反発力も強い。
「うぐっ!」イチは壁に叩きつけられた。
 その隙に、白猪崎は奥の扉のロックを解除した。飛び込むと、背後ですぐ扉が閉まった。
 凛可を抱えたまま、白猪崎が狭い通路を走る。凛可は手足を振って、最大限の抵抗を試みた。
「いやーっ! 離して! 離して!」
 無駄だった。白猪崎の勢いは緩みもしない。
 突き当りの扉に達し、白猪崎は再びパスワードを入力してロックを解除した。
 扉が開くと、その先は屋外だった。ガラクタの山に囲まれて、一台の国産高級車が停まっていた。
 白猪崎は車の助手席を開けて、凛可を押し入れる。同時に、まだついたままになっていた右手首と左手首の手錠を、凛可の右足首につないだ。凛可は完全に動きを封じられた。
 白猪崎が運転席に座り、エンジンをかける。
 どこかから取りだしたリモコンを向けると、ゴミの山の一画が開いた。そこはカムフラージュされた脱出口だった。
 白猪崎がアクセルを踏み、車が動きだす。
 ガラクタのゲートを抜けると、雑草の生い茂った運動場に出た。工場がまともに操業していたころ、社員のレクリエーションに使われていた場所だった。
 広い運動場を一直線に横切りながら、白猪崎が言う。
「フフフ、おまえさえいれば、いくらでも組織を建て直せる。次元接続体が何人でも手に入るんだからな」
「イチがそんなことさせない!」
「どうだかな。運命はオレに味方するだろう」
 ドン、という衝撃が走り、フロントガラスが真っ白になった。
 白くひび割れたフロントガラスをめくりあげ、イチが顔を覗かせる。
 前が見えなくなって、白猪崎はブレーキを踏んだ。白猪崎が怒鳴った。
「ちくしょう! 一人か! なら、オレの力を思い知らせてやるッ!」
 白猪崎が車のドアを開けた。自分が外へ出ながら、凛可も一緒に引きずりだす。
 凛可を土の上へ落とした直後、イチが肉薄して白猪崎を殴り飛ばした。白猪崎はもんどり打って倒れる。
 イチは凛可を抱きあげ、数メートル離れた地点に、優しく降ろした。
 血塗れの顔でイチが言う。
「待ってろよ、凛可。ゆっくりするのはアイツを倒してからだ」
 白猪崎は口の血を拭いながら立ちあがった。
 イチは指さして怒声をだした。
「キサマッ! 凛可にひどいことしやがって! 絶対に許さん!」
 白猪崎の目がきらりと光る。余裕の口調で言った。
「おまえ、オレを誰だと思ってる……?」
 それは能力の発動を意味する言葉だった。
「……」
 イチは黙った。あげていた腕が徐々に降ろされ、両肩も力が抜けて下がる。そして、どこかうつろな声で言った。
「あ、兄貴……、生きていたのか……」
 凛可はその言葉に衝撃を受けた。イチの兄は、イチが生まれる前後に死んだはずだった。それにイチと白猪崎は特に似たところもない。
 白猪崎は唇の端を持ちあげて笑った。
「そうだ、オレはおまえの兄貴だ。ここで会えて嬉しいだろう? 大事な兄貴だ。逆らうなよ」
 白猪崎は名前を言わなかった。凛可は悟った。これが白猪崎の能力なのだと。対象の認識を歪ませて、逆らえない人物だと思い込ませてしまうらしかった。
 凛可は叫ぶ。
「イチーっ! 気をしっかりもって! お兄さんじゃないよ!」
 しかし、その声は聞こえていないようだった。イチはへらへらと笑っている。
「兄貴……、兄貴……。オレ、なんでもいうこと聞くよ……」
「だろうな弟よ。まず……、これは再会のお祝いだッ!」
 白猪崎はイチの腹へ拳をめりこませた。イチは苦痛に身を折ってうめく。
「ぐふっ! す、すげーよ、兄貴のパンチ、サイコーに効く……」
「おまえの苦痛に歪む顔もサイコーだ!」
 白猪崎は裏拳で、イチの顔を横殴りにした。
 イチは口から血を流して笑った。
「へへへ、いてーなー、兄貴……」
「フフフフ、まだまだこれからだぞ、弟よ」
 白猪崎は撲殺するかのように拳のラッシュを叩き込んだ。イチは倒れないものの、されるがままだった。
「イチ! イチ! 正気に戻って!」
 凛可の呼びかけは効果がない。
 白猪崎が殴り疲れたかのように動きを止めた。苦々しい声で言う。
「まったく頑丈な野郎だ。オレの拳をこれだけ受けておいて死なないなんて」
「へ、へへへ、兄貴のパンチ、こえーよ……」
 思いついたように、白猪崎はイチに聞いた。
「弟よ、おまえが自分みたいに頑丈な相手を倒したいときはどうするんだ? 兄貴に教えてくれ」
「イチ、言っちゃだめ!」
 凛可は制止したが、イチは喋ってしまった。
「人の形をしている限り、脳への血流を遮断すれば倒れる、だよ兄貴」
「おお、そうか弟よ! よし、動くなよ!」
 白猪崎はイチの背後へいき、首に太い腕を回した。そして締めあげる。
「ぐげげ! おぶっ!」
 イチの顔が苦痛に歪んだ。
「イチーッ!」
 凛可は叫びながら、無様なかっこうで立ちあがった。このままではイチが死ぬ。そんなことは我慢できなかった。なんとかしなければ!
 そのとき、凛可の目に映る世界が変わった。
 苦しむイチと締めあげる白猪崎。その両方の身体から緑に輝くロープが生えていた。多数のロープは空中をゆらめき、先端が空気に溶けている。
 すこし前も、白猪崎の身体にちらりと見えたものだった。イチにも生えていることからして、邪悪のオーラとか、そういうものでではない。
 もしかしたら。そう思い、凛可は自分の身体に目を落とした。やっぱりだ。自分の身体からも、緑に光るロープが生えていた。
 自分たちは次元接続体と呼ばれている。その三人ともが、虚空につながる管を生やしていた。凛可は直感した。
 この緑に輝くロープが次元接続体の力の供給源。
 次元接続!
 イチにこれが見えると聞いたことはない。なら、自分だけに見えるのだ。これは自分の力だ。それならなにか使い途はないのか。
 凛可はダメもとで、白猪崎のロープが切れればいいと念じてみた。
 果たして、念は通じた。
 白猪崎の肩に生えていたロープが、ぷつりと切れて消える。
 使えるッ! 
 これが自分の能力だと、凛可は悟った。
 このまますべての接続を切断すれば、白猪崎は能力を失うかもしれない!
 凛可は意識を集中して、白猪崎のロープを切っていった。
 イチのうめきに焦りながらも、一本ずつ確実に。
 十本も切ったとき、変化が現れた。それまで無抵抗だったイチが、白猪崎の腕を押さえたのだった。イチは喉を鳴らしながら言った。
「兄貴……なにか違う……」
 白猪崎は焦った様子を見せた。
「なにを言う、弟よ! オレは兄貴だぞ!」
 凛可の切断が遅いので、最初に切ったロープが復活してしまう。このままでは白猪崎の力を奪えない。それでも凛可は懸命に切断を続けようとした。
 突然、凛可の隣に人影が立った。意識を集中していたので、近づかれるまでわからなかった。ぎょっとして見あげると、わけがわからないながらも、よく知っている人物が立っていた。
 黒い服に身を包んだその男は、凛可の父、咲河健太郎だった。
 健太郎は落ちついた口調で言った。
「座ってお父さんの手を握りなさい、凛可。初心者のやりかたを教えよう」
 時間がなかった。凛可は疑問を押し殺して従う。
 座って父の手を握ると、白猪崎のロープが次々と切れはじめた。
 健太郎が言う。
「これが『次元接続の切断』だ。次元接続体を一時的に普通の人間にしてしまう能力。最初は切るのに手間取る。だから、先に切った場所が復活するごとに、また切りに戻ってから続けるんだ」
 凛可は言われたとおりに試してみた。確かにうまくいく。半分も切ったころには、もうイチは苦しんでなかった。完全に白猪崎へ抵抗していた。イチの腕力は白猪崎より強い。
 初めて自分の能力に抵抗され、白猪崎は泣きそうな声を出していた。
「なんで? なんで? どうして?」
 イチと白猪崎の筋肉がきしみ、力が拮抗する。
 とうとうイチはつぶやいた。
「なにが兄貴だ、バカヤロウ……」
 そこからの動きは電撃的に素早かった。
 イチは片手で、白猪崎の腕を一気に逆側へ折り曲げた。
 骨の折れる音と、白猪崎の絶叫が響いた。
「ぎゃぁああああああッ!」
 白猪崎は悶えながら倒れた。イチは喘ぎながらも振り返り、白猪崎の胸ぐらをつかんで持ちあげる。白猪崎は恐慌に陥っているようだった。
「はわ! はわ! おわわわわ!」
 白猪崎と目線をあわせてイチは言った。
「おまえは本物のクズだ。だが、おもしろいことを言ったら許してやろう」
 束の間の沈黙。
 白猪崎は冷や汗をかきながら、まくしたてた。
「ボ、ボク、蒙古斑がまだ残ってるんです! 赤ちゃん許して! バブバ……」
 怒りを噛みつぶすように、イチがつぶやく。
「サイテーだよ」
 イチは右の拳を引く。次の瞬間、目に見えるような憤怒をこめて弾丸のように突きだす。
「怒りの拳を喰らえ、外道ッ!」
 拳が白猪崎のあごをとらえてえぐる。
「うごぉおおおおおッ!」
 白猪崎の身体が宙を飛んで、土の上に落下する。白目を剥いて気絶していた。下顎が外れて、横に曲がっている。
 冷めた目でそれを見て、イチが呼吸を整えながら言う。
「手加減はしておいた。しばらく飯は食えないだろうけどな」
 戦いは終わった。イチの勝利で。
 凛可は安堵の息をついた。足が震えてくる。
 気づいてみると、凛可の隣にはもう一人、図書館前でみかけた老人が立っていた。
 老人は仏頂面でつぶやく。
「こんなもんか……」
 そこへ羽ばたきが聞こえたかと思うと、半人半鳥の郁子が降りてきた。
「おつかれ、おつかれ」
 さらに、誰もいない空間からも声がした。
「ヒヒヒヒ、大将もしょうがねえな、こんなに手間取っちまって」
 凛可はいつのまにか、『自警団』のメンバーに囲まれているようだった。
 イチが呆然とした目つきで凛可のほうを見ていた。気の抜けた声でイチが口を開く。
「し、師匠……?」
 凛可はきょとんとして聞き返した。
「えっ……? 誰のこと?」
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