82 / 88
邂逅
80
しおりを挟む
感じられていた温もりがなくなり、すうすうとした寒さを感じて目が覚めたとき、隣にユリウスはいなかった。
そこにいたのは、険しい顔をした領主である父親だけだ。
「…お前は何も言わなくていい。全てはあの男のやった事だ。これまでの疲れで体調を崩して寝込んでいると、皆にはそう伝えてある。いいな。」
「…ユリ」
「その名を、呼ぶな!」
父親のこれまでにない剣幕にノアールは圧倒された。
「お前は、あの者に騙され、裏切られたんだ。あんなによくしてやったのに…」
「違います!父上!わたしが…」
「なにが違う!?まさかあの者に心を奪われたとでも言うのか?禁忌を犯してまで、お前を信じて従ってきた者たちを見捨てるつもりか!?」
父親の言葉に、ノアールは何も返す言葉が出てこなかった。
ノアールに付き従い、戦を共にしてきたのはユリウスだけじゃあない。
混乱し続けていたこの地で、皆疲弊していた。兵士も民も、誰しもが穏やかに暮らせる国を望んでいる。
自分がすべき事は、一つだけだ。
誰かの胸の中で、自分一人の悦びに酔いしれている訳にはいかない。
それでも…
「…ユリウスは、何処へ?お願いです!もうこのようなことは決して!ですから、ユリウスに…」
「…もう此処へはいない。お前が会うことは、二度とない。」
これ以上何も言うなと背中を向けた父親を、ノアールは見送ることしかできなかった。
翌々日から、ユリウスが不在のままノアールは執務に励んだ。
ノアールの隣にいつも並んでいたユリウスがいないことを始めは皆訝しんでいたが、極秘の任務で隣国に行っているらしいという噂が流れると、誰も訝しむことはなくなった。
ただ毎日、何も考えずにひたすら政務に就く。そして、ノアールは教会に通った。
自分のせいでユリウスはここを追い出された。あの晩、先に仕掛けたのは自分だ。
それでもユリウスはノアールを突き離さずに、受け入れてくれた。
それが忠誠心からだったのか、同じような想いを少しでも抱いてくれていたからなのか、もう知る術はない。
禁忌を犯したことを懺悔し、ユリウスが無事でいることを祈り、国の安泰を願う。
ユリウスへの断ち切れない想いと、自分の置かれた立場との葛藤で、ノアールからは次第に笑顔が消えていった。
王宮より先に後宮が築かれると、父親はノアールに従っていた十人の女たちを呼び寄せ、その中の誰かを娶るようノアールへと命じた。
早くに妻を亡くしていた父親にとって、ノアールは唯一のかけがえのない子で、同じ様にノアールに子が出来れば、以前のような笑顔が戻るはずだと、父親なりの親心ではあった。
ノアールは、父親の気持ちも理解していたつもりだ。
父親のする事が、自分への愛情からくるものだと。
王となれば、王妃、世継ぎと世間からもさらに求められるだろう。
世継ぎ…
自分が女だったら…
きっと、ユリウスとだって…
押し込められる様に入れられた後宮内で、ノアールは十人の女たちを、時折ぼんやりと眺めることが増えていた。
「ノアール様、体調は如何ですか?あまり眠れていない様ですが…?」
一番の王妃候補と囁かれている、十人の取りまとめ役だ。
「ああ、すまない。少し考え事を。君たちこそ、こんな所に呼び寄せられて迷惑だっただろう。」
十人は一斉に、皆首を横に振る。
「いいえ、迷惑だなんて。」
「わたしたちは誰も王妃になろうだなんて考えていません。」
「自分より綺麗なノアール様の隣に並ぶのは…ちょっと。」
誰かがそう言うと、他の9人もそうねと言って笑い出す。
彼女たちとノアールの間に、男女の雰囲気などは始めから全くなかった。
戦中、女である彼女たちは、女であるが故の辛い経験もしてきた。
そのため女でもできる仕事があって、仲間がいればそれで良いと言う。
実際、彼女たちは時にぶつかり合いながらも、上手く纏まっている。
王妃という肩書きにも、男としてのノアールにも全く興味がないようだった。
「ノアール様は、なんていうか、その、私たち皆んなの恩人なんです。」
「領主様から呼び出されて、後宮入りする前に、皆んなで話し合いました。」
「ノアール様がこの中の誰かを望むのなら、それに従います。ですが…」
「ノアール様は、私たちをそんな形で望んではいませんよね。」
彼女たちといるのは心地が良い。
でもそれは、ユリウスといる時の心地よさとは別物だ。
「…ノアール様が望んでいられるのは…」
まさかと思う。父親さえ、あの晩のことがなければ、知る由がなかったはずだ。
「………ユリウスではないのですか?」
違うと、冗談を言うなと笑って答えられればいいのに、ノアールは硬直して上手く返事ができなかった。
「この地では、禁忌とされています。ですが、私たち十人にとっての神はノアール様です。ですから、ノアール様の想いを咎めるような者は、今此処に誰一人いません。」
彼女たちの眼差しは真摯なもので、ユリウスがいなくなってから、その日初めてノアールは張り詰めていた何かから解放された気がした。
そこにいたのは、険しい顔をした領主である父親だけだ。
「…お前は何も言わなくていい。全てはあの男のやった事だ。これまでの疲れで体調を崩して寝込んでいると、皆にはそう伝えてある。いいな。」
「…ユリ」
「その名を、呼ぶな!」
父親のこれまでにない剣幕にノアールは圧倒された。
「お前は、あの者に騙され、裏切られたんだ。あんなによくしてやったのに…」
「違います!父上!わたしが…」
「なにが違う!?まさかあの者に心を奪われたとでも言うのか?禁忌を犯してまで、お前を信じて従ってきた者たちを見捨てるつもりか!?」
父親の言葉に、ノアールは何も返す言葉が出てこなかった。
ノアールに付き従い、戦を共にしてきたのはユリウスだけじゃあない。
混乱し続けていたこの地で、皆疲弊していた。兵士も民も、誰しもが穏やかに暮らせる国を望んでいる。
自分がすべき事は、一つだけだ。
誰かの胸の中で、自分一人の悦びに酔いしれている訳にはいかない。
それでも…
「…ユリウスは、何処へ?お願いです!もうこのようなことは決して!ですから、ユリウスに…」
「…もう此処へはいない。お前が会うことは、二度とない。」
これ以上何も言うなと背中を向けた父親を、ノアールは見送ることしかできなかった。
翌々日から、ユリウスが不在のままノアールは執務に励んだ。
ノアールの隣にいつも並んでいたユリウスがいないことを始めは皆訝しんでいたが、極秘の任務で隣国に行っているらしいという噂が流れると、誰も訝しむことはなくなった。
ただ毎日、何も考えずにひたすら政務に就く。そして、ノアールは教会に通った。
自分のせいでユリウスはここを追い出された。あの晩、先に仕掛けたのは自分だ。
それでもユリウスはノアールを突き離さずに、受け入れてくれた。
それが忠誠心からだったのか、同じような想いを少しでも抱いてくれていたからなのか、もう知る術はない。
禁忌を犯したことを懺悔し、ユリウスが無事でいることを祈り、国の安泰を願う。
ユリウスへの断ち切れない想いと、自分の置かれた立場との葛藤で、ノアールからは次第に笑顔が消えていった。
王宮より先に後宮が築かれると、父親はノアールに従っていた十人の女たちを呼び寄せ、その中の誰かを娶るようノアールへと命じた。
早くに妻を亡くしていた父親にとって、ノアールは唯一のかけがえのない子で、同じ様にノアールに子が出来れば、以前のような笑顔が戻るはずだと、父親なりの親心ではあった。
ノアールは、父親の気持ちも理解していたつもりだ。
父親のする事が、自分への愛情からくるものだと。
王となれば、王妃、世継ぎと世間からもさらに求められるだろう。
世継ぎ…
自分が女だったら…
きっと、ユリウスとだって…
押し込められる様に入れられた後宮内で、ノアールは十人の女たちを、時折ぼんやりと眺めることが増えていた。
「ノアール様、体調は如何ですか?あまり眠れていない様ですが…?」
一番の王妃候補と囁かれている、十人の取りまとめ役だ。
「ああ、すまない。少し考え事を。君たちこそ、こんな所に呼び寄せられて迷惑だっただろう。」
十人は一斉に、皆首を横に振る。
「いいえ、迷惑だなんて。」
「わたしたちは誰も王妃になろうだなんて考えていません。」
「自分より綺麗なノアール様の隣に並ぶのは…ちょっと。」
誰かがそう言うと、他の9人もそうねと言って笑い出す。
彼女たちとノアールの間に、男女の雰囲気などは始めから全くなかった。
戦中、女である彼女たちは、女であるが故の辛い経験もしてきた。
そのため女でもできる仕事があって、仲間がいればそれで良いと言う。
実際、彼女たちは時にぶつかり合いながらも、上手く纏まっている。
王妃という肩書きにも、男としてのノアールにも全く興味がないようだった。
「ノアール様は、なんていうか、その、私たち皆んなの恩人なんです。」
「領主様から呼び出されて、後宮入りする前に、皆んなで話し合いました。」
「ノアール様がこの中の誰かを望むのなら、それに従います。ですが…」
「ノアール様は、私たちをそんな形で望んではいませんよね。」
彼女たちといるのは心地が良い。
でもそれは、ユリウスといる時の心地よさとは別物だ。
「…ノアール様が望んでいられるのは…」
まさかと思う。父親さえ、あの晩のことがなければ、知る由がなかったはずだ。
「………ユリウスではないのですか?」
違うと、冗談を言うなと笑って答えられればいいのに、ノアールは硬直して上手く返事ができなかった。
「この地では、禁忌とされています。ですが、私たち十人にとっての神はノアール様です。ですから、ノアール様の想いを咎めるような者は、今此処に誰一人いません。」
彼女たちの眼差しは真摯なもので、ユリウスがいなくなってから、その日初めてノアールは張り詰めていた何かから解放された気がした。
56
お気に入りに追加
302
あなたにおすすめの小説
悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
*
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、自らを反省しました。BLゲームの世界で推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)

コンビニごと異世界転生したフリーター、魔法学園で今日もみんなに溺愛されます
はるはう
BL
コンビニで働く渚は、ある日バイト中に奇妙なめまいに襲われる。
睡眠不足か?そう思い仕事を続けていると、さらに奇妙なことに、品出しを終えたはずの唐揚げ弁当が増えているのである。
驚いた渚は慌ててコンビニの外へ駆け出すと、そこはなんと異世界の魔法学園だった!
そしてコンビニごと異世界へ転生してしまった渚は、知らぬ間に魔法学園のコンビニ店員として働くことになってしまい・・・
フリーター男子は今日もイケメンたちに甘やかされ、異世界でもバイト三昧の日々です!
【完結】ここで会ったが、十年目。
N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化)
我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。
(追記5/14 : お互いぶん回してますね。)
Special thanks
illustration by おのつく 様
X(旧Twitter) @__oc_t
※ご都合主義です。あしからず。
※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。
※◎は視点が変わります。

金の野獣と薔薇の番
むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。
彼は事故により7歳より以前の記憶がない。
高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。
オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。
ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。
彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。
その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。
来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。
皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……?
4/20 本編開始。
『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。
(『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。)
※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。
【至高のオメガとガラスの靴】
↓
【金の野獣と薔薇の番】←今ココ
↓
【魔法使いと眠れるオメガ】
推しの為なら悪役令息になるのは大歓迎です!
こうらい ゆあ
BL
「モブレッド・アテウーマ、貴様との婚約を破棄する!」王太子の宣言で始まった待ちに待った断罪イベント!悪役令息であるモブレッドはこの日を心待ちにしていた。すべては推しである主人公ユレイユの幸せのため!推しの幸せを願い、日夜フラグを必死に回収していくモブレッド。ところが、予想外の展開が待っていて…?

無能の騎士~退職させられたいので典型的な無能で最低最悪な騎士を演じます~
紫鶴
BL
早く退職させられたい!!
俺は労働が嫌いだ。玉の輿で稼ぎの良い婚約者をゲットできたのに、家族に俺には勿体なさ過ぎる!というので騎士団に入団させられて働いている。くそう、ヴィがいるから楽できると思ったのになんでだよ!!でも家族の圧力が怖いから自主退職できない!
はっ!そうだ!退職させた方が良いと思わせればいいんだ!!
なので俺は無能で最悪最低な悪徳貴族(騎士)を演じることにした。
「ベルちゃん、大好き」
「まっ!準備してないから!!ちょっとヴィ!服脱がせないでよ!!」
でろでろに主人公を溺愛している婚約者と早く退職させられたい主人公のらぶあまな話。
ーーー
ムーンライトノベルズでも連載中。

BLR15【完結】ある日指輪を拾ったら、国を救った英雄の強面騎士団長と一緒に暮らすことになりました
厘/りん
BL
ナルン王国の下町に暮らす ルカ。
この国は一部の人だけに使える魔法が神様から贈られる。ルカはその一人で武器や防具、アクセサリーに『加護』を付けて売って生活をしていた。
ある日、配達の為に下町を歩いていたら指輪が落ちていた。見覚えのある指輪だったので届けに行くと…。
国を救った英雄(強面の可愛い物好き)と出生に秘密ありの痩せた青年のお話。
☆英雄騎士 現在28歳
ルカ 現在18歳
☆第11回BL小説大賞 21位
皆様のおかげで、奨励賞をいただきました。ありがとう御座いました。

魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます
オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。
魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる