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雨の夜の出来事
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…知っているというより、記憶があると言った方が正確かもしれない。
ノアールは、二人にあった出来事を誰にも話していない。
ユリウスもきっとそうだ。
記憶にあるだけの事を、俺が語ることは憚られる。
「…もうよい。仮にノアが知っているとしても、それが事実かどうか妾たちには今更確認のしようがないであろう。」
「…そうですね。つい知りたがる癖は直さないと。ただ、子を宿せる王子が王族にだけ現れるのは、きっとその事に関係していると憶測せざるを得ません。憶測の域は超えませんがね。」
ノアールとユリウスにあった出来事について、追求されなかったことにほっとする。
「…ひー、ふー、みー…」
六妃が立ち上がると、唐突に数え始める。
「なに?」
「何を数えているの?」
母様たちが不審がっている。
…まさかだけど。
「…十人あるよ。同じある!」
え、今更?
数えなくても分かるだろ…
皆んな、きっとそう思っているはずだ。
「…そうじゃな。十人…。不思議なものじゃ。十人の女子たちは、ここで何を思って過ごしていたのだろうな…。」
一妃がぼそっと呟く。
「…ノアールは、」
ノアールは彼女たちのことをとても大切に思っていた。
ユリウスへの想いとは別のところで、彼女たちの存在に救われていた。
「…彼女たちがいたから、子を産むことができた。だから、とても感謝してる。」
この国で初めて子を産んだ王子は、ノアールだ。
閉ざされた後宮の奥深く、この部屋で十人の女たちに見守られながら。
皆が部屋を出払い、一人寝台に寝転ぶとユリウスの事を考える。
こんな雨の日に牢に入れられているなんて。
明日には出してもらえるだろうか。
父さんはあの日からここを訪れることはない。
早く出して欲しいという思いと、牢から出たらまた二度と会えなくなるような気がして、どこにも行かせたくないという複雑な思いのまま夜を過ごす。
窓に叩きつける雨音を聴きながら目を閉じていると、雨音の中にはいつしか賑やかな宴の音が混ざり合う。
ああこれは、ノアールの記憶だ。
長く続いた戦闘が終わりを迎え、勝利を祝う宴の晩。
王宮も後宮もまだ存在しなかった時代。
その日は街中が朝から湧いて、ノアールの家では戦いに参加した騎士やその家族を労う宴が準備された。
張り詰めていた緊張が解け、皆よく飲みよく食べよく笑い、賑やかな声が一晩中家の中に響いていた。
「ユリウス、戦いは終わったんだ。お前もそんな顔をしてないで、今日ばかりはもっと寛いだらいいじゃないか。」
酒の勢いで皆無礼講の中、ユリウスだけはいつもと変わらない様子でノアールの側に控えている。
「これでも充分に楽しんでいるつもりですが…」
「そうなのか?そうは見えないが。ほら、酒をついでやるから飲め。」
「いえ、酒は…」
「少しぐらいいいだろう。正直お前がいなければ、難しい戦いだった。感謝してるんだ。少しぐらい労わせてくれ。」
ノアールが注ぐ酒をユリウスはすいすいと口に入れていく。
「なんだ、お前飲める口なのか?」
「まあ、そうですね。それなりに。ノアール様よりは…。」
ニヤリと笑うユリウスに、ノアールは負けじと酒を口にしていく。
身体が熱い。
俺はまだ成人を迎えていないので酒を飲んだことはないのに、こうしている今も酔ったように熱っぽい。
ばたんと寝返りをうつと、掛け布はだらりと床に落ちた。
二人だけで酒を酌み交わしていても、誰も不思議に思う様子はない。
戦闘の間、ずっとユリウスはノアールに付き従っていた。
戦闘中も、戦闘外でも。
その献身ぶりは有名で、ノアールがそんなユリウスのことを殊更に信頼していたことは周知の事実だ。
「ノアール様!建国されたら、早くに妃を娶らねば!」
騎士の誰かが声を上げると、そうだそうだと粋狂たちがこぞって囃し立てる。
「早くにお世継ぎを!」
いつも父から言われていることだ。
戦闘が終わった今、誰しもがそれを望んでいる。
「ユリウス殿もうちの娘などいかがですか?」
「いや、何を言う!それならうちの娘に!」
娘たちが頬を染めて父親にやめてくれとすがっているが、その顔は満更でもない。
ああ、もやもやする。飲み過ぎたのかもしれない。
娘たちは頬に手を当ててちらちらとユリウスに視線を送っている。
…羨ましい。
あんな風に好意を隠す必要もない娘たちを、羨ましく思う。
何処にも行き場がないこの想いは、永遠に日の目を見ることはない。
同性婚は禁じられている。
この地に古くから存在する神は、同性同士の交わりを固く禁じている。
教えに反した者たちが罰せられる姿を何度も目にしてきた。
信じてついてきた者たちを裏切ることは出来ない。
「…ユリウス、お前はどんな娘が好みだ?」
自分の発した言葉に、ずきんと胸が痛む。
「わたしは、特には…。それよりも、少し飲み過ぎです。」
「あの長い髪の娘なんてどうだ?綺麗な娘じゃないか。」
「…ノアール様、お部屋にお連れしますから、お休みください。たいぶ酔っているようです。そのようなお姿では…」
「…酔ってなんかいないぞ。でも、まあ少し休むか。連れて行ってくれるか?」
「…ええ。歩けますか?」
「…当たり前だろ。」
ユリウスは娘たちからの視線を無視し、ふらつく俺を支えて部屋へと向かう。
いつだって優先されるのは俺だ。
そこに感じている優越感は否めない。
「部屋に戻るのか?」
二人と離れた所で飲んでいた父から声を掛けられる。あれだけ飲んでいるのに、まだ平然としている。
「申し訳ありません、父上。少しばかり酔ってしまったようで。」
「気にするな。ゆっくり休めばいい。お前はよくやってくれた。…ユリウスも無理せずに早く休んで構わないからな。」
父上も今日は機嫌がいい。
部屋までの階段がいつもより長く感じる。
「…ああ、雨が降っていたんだな。」
階下の喧騒から遠ざかると、窓に叩きつける雨音にやっと気がつく。
「…そのようですね。」
張り詰めていた何かから解放される。
ユリウスは何も言わず、力の抜けた俺の身体を後ろからぎゅっと強く支えてくれた。
ノアールは、二人にあった出来事を誰にも話していない。
ユリウスもきっとそうだ。
記憶にあるだけの事を、俺が語ることは憚られる。
「…もうよい。仮にノアが知っているとしても、それが事実かどうか妾たちには今更確認のしようがないであろう。」
「…そうですね。つい知りたがる癖は直さないと。ただ、子を宿せる王子が王族にだけ現れるのは、きっとその事に関係していると憶測せざるを得ません。憶測の域は超えませんがね。」
ノアールとユリウスにあった出来事について、追求されなかったことにほっとする。
「…ひー、ふー、みー…」
六妃が立ち上がると、唐突に数え始める。
「なに?」
「何を数えているの?」
母様たちが不審がっている。
…まさかだけど。
「…十人あるよ。同じある!」
え、今更?
数えなくても分かるだろ…
皆んな、きっとそう思っているはずだ。
「…そうじゃな。十人…。不思議なものじゃ。十人の女子たちは、ここで何を思って過ごしていたのだろうな…。」
一妃がぼそっと呟く。
「…ノアールは、」
ノアールは彼女たちのことをとても大切に思っていた。
ユリウスへの想いとは別のところで、彼女たちの存在に救われていた。
「…彼女たちがいたから、子を産むことができた。だから、とても感謝してる。」
この国で初めて子を産んだ王子は、ノアールだ。
閉ざされた後宮の奥深く、この部屋で十人の女たちに見守られながら。
皆が部屋を出払い、一人寝台に寝転ぶとユリウスの事を考える。
こんな雨の日に牢に入れられているなんて。
明日には出してもらえるだろうか。
父さんはあの日からここを訪れることはない。
早く出して欲しいという思いと、牢から出たらまた二度と会えなくなるような気がして、どこにも行かせたくないという複雑な思いのまま夜を過ごす。
窓に叩きつける雨音を聴きながら目を閉じていると、雨音の中にはいつしか賑やかな宴の音が混ざり合う。
ああこれは、ノアールの記憶だ。
長く続いた戦闘が終わりを迎え、勝利を祝う宴の晩。
王宮も後宮もまだ存在しなかった時代。
その日は街中が朝から湧いて、ノアールの家では戦いに参加した騎士やその家族を労う宴が準備された。
張り詰めていた緊張が解け、皆よく飲みよく食べよく笑い、賑やかな声が一晩中家の中に響いていた。
「ユリウス、戦いは終わったんだ。お前もそんな顔をしてないで、今日ばかりはもっと寛いだらいいじゃないか。」
酒の勢いで皆無礼講の中、ユリウスだけはいつもと変わらない様子でノアールの側に控えている。
「これでも充分に楽しんでいるつもりですが…」
「そうなのか?そうは見えないが。ほら、酒をついでやるから飲め。」
「いえ、酒は…」
「少しぐらいいいだろう。正直お前がいなければ、難しい戦いだった。感謝してるんだ。少しぐらい労わせてくれ。」
ノアールが注ぐ酒をユリウスはすいすいと口に入れていく。
「なんだ、お前飲める口なのか?」
「まあ、そうですね。それなりに。ノアール様よりは…。」
ニヤリと笑うユリウスに、ノアールは負けじと酒を口にしていく。
身体が熱い。
俺はまだ成人を迎えていないので酒を飲んだことはないのに、こうしている今も酔ったように熱っぽい。
ばたんと寝返りをうつと、掛け布はだらりと床に落ちた。
二人だけで酒を酌み交わしていても、誰も不思議に思う様子はない。
戦闘の間、ずっとユリウスはノアールに付き従っていた。
戦闘中も、戦闘外でも。
その献身ぶりは有名で、ノアールがそんなユリウスのことを殊更に信頼していたことは周知の事実だ。
「ノアール様!建国されたら、早くに妃を娶らねば!」
騎士の誰かが声を上げると、そうだそうだと粋狂たちがこぞって囃し立てる。
「早くにお世継ぎを!」
いつも父から言われていることだ。
戦闘が終わった今、誰しもがそれを望んでいる。
「ユリウス殿もうちの娘などいかがですか?」
「いや、何を言う!それならうちの娘に!」
娘たちが頬を染めて父親にやめてくれとすがっているが、その顔は満更でもない。
ああ、もやもやする。飲み過ぎたのかもしれない。
娘たちは頬に手を当ててちらちらとユリウスに視線を送っている。
…羨ましい。
あんな風に好意を隠す必要もない娘たちを、羨ましく思う。
何処にも行き場がないこの想いは、永遠に日の目を見ることはない。
同性婚は禁じられている。
この地に古くから存在する神は、同性同士の交わりを固く禁じている。
教えに反した者たちが罰せられる姿を何度も目にしてきた。
信じてついてきた者たちを裏切ることは出来ない。
「…ユリウス、お前はどんな娘が好みだ?」
自分の発した言葉に、ずきんと胸が痛む。
「わたしは、特には…。それよりも、少し飲み過ぎです。」
「あの長い髪の娘なんてどうだ?綺麗な娘じゃないか。」
「…ノアール様、お部屋にお連れしますから、お休みください。たいぶ酔っているようです。そのようなお姿では…」
「…酔ってなんかいないぞ。でも、まあ少し休むか。連れて行ってくれるか?」
「…ええ。歩けますか?」
「…当たり前だろ。」
ユリウスは娘たちからの視線を無視し、ふらつく俺を支えて部屋へと向かう。
いつだって優先されるのは俺だ。
そこに感じている優越感は否めない。
「部屋に戻るのか?」
二人と離れた所で飲んでいた父から声を掛けられる。あれだけ飲んでいるのに、まだ平然としている。
「申し訳ありません、父上。少しばかり酔ってしまったようで。」
「気にするな。ゆっくり休めばいい。お前はよくやってくれた。…ユリウスも無理せずに早く休んで構わないからな。」
父上も今日は機嫌がいい。
部屋までの階段がいつもより長く感じる。
「…ああ、雨が降っていたんだな。」
階下の喧騒から遠ざかると、窓に叩きつける雨音にやっと気がつく。
「…そのようですね。」
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ユリウスは何も言わず、力の抜けた俺の身体を後ろからぎゅっと強く支えてくれた。
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