オトガイの雫

なこ

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雫と伊央

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「…伊央、どうして、嘘、だ。」

伊央が俺を選ぶことなんて、一生無いと思っていた。

今だって、これは悪い冗談なんじゃないかと疑ってしまう。

「嘘?何が?」

上目遣いにじっと俺を見つめる伊央の目を直視できない。

「…だって、伊央は、女の人が好きだろ。」

付き合うのは、いつだって女の人だった。

本当は嬉しくてたまらないのに、それと同時に染み付いた自己防衛が働く。

これはきっと嘘だ。冗談なんだ。

うまく笑って、怒ったふりをして、それから……

「…隣、座れよ。」

背もたれから起き上がり、ぽんとソファーを叩いて伊央が促す。

いつもこのソファーで遅くまで映画を観たり、ふざけ合ったりしていたのに、なぜかいつもの距離感では座れない。

怖い。もうこれ以上苦しい思いはしたくない。

「なんで離れて座るんだよ。」

「…なんとなく。」

「で、嘘って、いうのは?」

「…好きだって、」

「嘘なのか?」

優しかった伊央の声色が、険しいものに変わる。

「伊央が俺を、その、好き、だなんて、嘘だろ。」

「なんだ、そっちの方か。嘘の訳ない。雫こそ、嘘だなんて言わないよな。」

ソファの端に座る俺に向かって、伊央が距離を縮めてくる。

「…俺は、嘘じゃないけど。」

「なら、抱きしめてもいいか?」

「え?」

キスするときは、何もきかなかったくせに?

俯いていた顔を上げると、伊央の筋肉質な腕にそっと包み込まれる。

「……、い、伊央?」

「……はああああああ。」

なんで、そんな深いため息?

「……伊央、俺、男だよ。」

「…知ってる。」

「あの女の人は…?」

「別れた。」

「…すきって、本気?」

「ああ。さっきから言ってる。」

「本当に…?」

「信じられないか?」

伊央に抱きしめられているこの状況ですら信じられない。

昨日に遡って、昨日の俺に話しても絶対信じてくれないだろう。

「…信じられない。」

「だな。今までが、酷すぎたもんな。」

「気まぐれ?」

「んな訳ないだろ。」

「…だって、どうしてか、分からないんだ。伊央が、俺を、だなんて…っ」

抱きしめる手にぎゅっと力が込められる。

「信じてくれるまで、待つから。それまでは手を出さない。」

「伊央、痛いよ、少し力緩めて…」

「…雫、」

ふいに耳元で名前を囁かれ、身体がびくっと跳ね上がる。

「やっと、手に入れたんだ…。絶対に、手放さない…。」

掠れた声で囁やかれるその言葉に、ぞくっと身体が震える。

たとえ一瞬でも、伊央に求められるのなら本望なのかもしれない。

その後、傷ついたとしても。

やっぱり、俺はどうしようもないぐらい、伊央を欲している。

きつく抱きしめられるその痛みに、感じていた怖さすら凌駕するほど、いつの間にか俺の心と身体は歓喜していた。




「はああああああ……」

部屋に戻ると、もう一度深いため息が出る。

「はあ、やばいな、これ。」

かわいすぎるだろ。

思わずキスしてしまった時の、あの顔…

俺の腕の中で、固くなって震える姿…

遠慮がちに抱きしめ返してくる細い腕…

雫のあんな姿を見るのは初めてのことだ。

あのまま押し倒そうとして、よく踏みとどまれたと思う。

もう少しだけ待とう。

あんな表情をさせたのが自分だと思うと、もう少しだけ待つことも苦じゃない。

雫が、信じられないと言うのは理解できる。

これまでの自分を振り返れば、しょうがないことだ。

信じてもらえるまで待つと言ったのは嘘じゃないが、果たしてその期間がどれぐらいか、あまり長くはもたない気がする。

壁一枚を隔てた向こうで、雫は今何を考えているんだろうか。

隣からは物音一つしない。

ベッドに仰向けになり、天井を見上げると、またため息が出る。

もう少し、もう少しだ。

このベッドで、雫が眠るようになるまで。

雫を抱いて眠れるようになるまで。

何度か寝返りをうち、なかなか寝つけないまま夜が更けていく。

隣の部屋で、同じように眠れずに過ごす雫の姿なんて知らないまま。












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