オトガイの雫

なこ

文字の大きさ
上 下
10 / 18
伊央

10

しおりを挟む
「…雫か?」

雫しかいないと分かっているのに、雫じゃなければいいと、そう思って部屋を出ると、俯いたまま固まっている雫がそこにいた。

「雫?」

一度びくっと震えると、手にしていたコンビニの袋が落ちる。

「…ご、ごめん!」

目も合わせようとしないまま、雫は飛び出して行ってしまった。

なんで雫が謝るんだ。

謝らなきゃいけないのは、俺の方だろ。

「雫!ちがっ、待てって!雫っ!!!」

女の手が、ぐいっと俺の袖をひいて引き留めてくる。

「イオ!」

「なんで止めるんだよ!お前、くそっ!」

「気を利かせてくれたんだよ。ねえ、わたし泊まっていっていいよね。」

「…は?」

「あ、アイスだ。」

足元には、雫が買ってきてくれたアイスが二つ転がっていた。

「…触んな。」

「…え?」

アイスを拾い上げようとする女を押し退ける。

「帰れよ。」

「嫌だ。別れたくない。一緒に暮らしたら、イオもきっとわたしのこともっと好きになってくれるから。」

もっと、好き?

初めから、好きなんて欠片もなかったのに?

「…教授に連絡しようか。あんたの愛人が勝手に押しかけて来て、帰ってくれないって。」

さっと女の顔色が変わる。

「…冗談、でしょ。」

「冗談なんかじゃない。お前、邪魔なんだよ。帰れ。二度と此処に来るな。」

女の靴をドアの向こうに投げ捨てる。

「…な!ひどい!」

「ひどい?お互い様だろ。お前、結構悪どいことしてるって、聞いてるけど?」

「なに、言って…、ちょっと、イオ、やめてよ!」

ぐいぐいと、女を外に押しやる。

「ちょ、わたし、諦めないから!もう一度、ちゃんと話し合お…」

ばたんと、扉を閉じる。

扉の向こうに女の気配を感じるが、あいつだって大事にはしたくないだろう。

父親は、確かそれなりの会社の社長だ。

はあ………

雫は?雫…

何度雫のスマホに連絡しても、返信はない。

溶けかかったアイスを前に、頭を抱える。

本当なら、今頃雫と二人で食べていたはずだ。

しんと静まりかえった部屋の中で、刻々と時間だけが過ぎて行く。

何度スマホを確認しても、雫からの連絡はない。

表示されるのは、あの女からのメッセージだけだ。

「…なんでだよ。どこに言ったんだ…」

ぶるっと寒気がして、窓の外を見ると雪が降っていた。

「…雫」

いてもたってもいられず、あてもないまま外へ飛び出す。

雫のバイト先はもう閉まっていた。

ふらふらと街にたむろする若者たちや、酔っ払いをかき分けて雫の姿を探す。

雫、どこに行ったんだよ。

謝るのは、俺の方だろ。

雫と二人だけの空間に誰も入れたくなくて、あんな約束をさせたのは俺なのに。

友達も恋人も誰もあの部屋には連れて来るなって。

ふらふらと彷徨い続け、少しの期待を胸にマンションへ帰っても、雫の姿はなかった。

このまま雫が帰って来なかったら?

このまま出て行ってしまったら?

雫がいない生活なんて、想像できない。

雫と出会うまで、俺はどうやって過ごしていたんだ?

気がつけば、白白と夜が明けてきた。

雫は無事だろうか?

一体、どこに?

まさか、あのいつも一緒にいる?

…ばちが当たったのかもしれない。

雫を好きなくせに、性欲を吐き出すためだけに女たちを利用してきた、ばちが。

「…は。何やってんだ、俺は。」

テーブルに並べられたままの料理を片付ける。

出しっぱなしになっていたアイスはすっかり溶け切ってしまっていた。

『伊央、一口ちょうだい。』

『ほら。雫のも、一口。』

『あ、伊央、それ一口じゃない!』

ふざけてたくさん掬いあげたひと匙を見て、雫がむくれる。

むくれながら笑っている雫の顔を思い出し、胸が詰まる。

「本当に、俺は、何やってるんだろうな…」

インターホンが鳴る。

雫か?

念の為確認すると、あの女だ。

話す気にもならない。

無視したままやり過ごすと、どうやら諦めて帰ったようだ。

一体何人から付き合って欲しいと言われ、言われるがまま付き合っては別れてきたんだろう。

たった一人でいいのに。

誰からも好かれなくていいのに。

たった一人だけでいいのに…

雫はもう、帰ってこないんだろうか。

玄関からがたがたと音がする。

「…雫か?」

自分でも驚くほど、声が上擦っていた。

リビングに入らず、そのまま部屋に向かおうとする雫の前に立ち塞がると、今まで見たこともない表情をした雫と目が合う。

赤く腫れ上がった目が、きっと俺を睨んでくる。

「…どこ行ってたんだよ。」

心配したんだ。

戻ってくれただけでほっとしているのに、その目を見て、つい問い詰めるような口調になってしまった。

どこにいたんだ。あいつといたのか…

「…出て行くから!」

問い詰める俺に、雫が声を荒らげる。

やっと帰ってきた雫のその一言に、心が抉られる。

許せる訳がない。

雫が出て行くなんて、あり得ない。

どんなことをしてでも、引き止める。

もうあの時のように耐えることはできない。

雫を引き止めるためなら、なんだってする。

俺がこんなにお前に執着しているなんて、雫、お前は思いもしないんだろうな。










しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

壁ドンの壁

田×四
BL
壁ドンの壁はどんな壁?

眠りの森

NaRu
BL
ちょこっとサスペンスです💦 思い付きで書いてるので矛盾点などあるかもしれませんがご容赦ください😅

目が覚めたら、カノジョの兄に迫られていた件

水野七緒
BL
ワケあってクラスメイトの女子と交際中の青野 行春(あおの ゆきはる)。そんな彼が、ある日あわや貞操の危機に。彼を襲ったのは星井夏樹(ほしい なつき)──まさかの、交際中のカノジョの「お兄さん」。だが、どうも様子がおかしくて── ※「目が覚めたら、妹の彼氏とつきあうことになっていた件」の続編(サイドストーリー)です。 ※前作を読まなくてもわかるように執筆するつもりですが、前作も読んでいただけると有り難いです。 ※エンドは1種類の予定ですが、2種類になるかもしれません。

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

学園の支配者

白鳩 唯斗
BL
主人公の性格に難ありです。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

処理中です...