オトガイの雫

なこ

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小夜先輩から言われた言葉が頭から離れない。

一緒にいるから、諦め切れない。

その通りだと思う。

一緒にいればいるほど、離れがたくて、どうしようもない。

バイトからの帰り道、見上げた冬の空は澄んでいてオリオン座の三つ星が輝いている。

はあと吐く息は真っ白だ。

どうしたら、いいんだろう。

かじかむ手のひらをダッフルコートのポケットに突っ込むと、スマホがぴろんと鳴った。


_夕飯作った


伊央からだ。


_今どこ?

         近くのコンビニの前

_アイス食いたい

              わかった


この普通の日々がずっと、続いたらいいのに。

コンビニに寄って、少し高めの伊央が好きなバニラアイスと、自分用のチョコアイスを買う。

二つの味を買って、いつも半分こ。二人で暮らす様になってできた、二人だけのさもない習慣。

もう少しだけ、このまま、一緒に…

コンビニを出ると、ちらほらと小雪が舞っていた。

寒いわけだ。

アイスが入ったビニール袋をぶらぶらとさせ、帰路を急ぐ。

マンションの部屋には、灯りが見える。

早く、伊央に会いたい。

はやる気持ちを抑え、部屋の扉を開くと小さな女物の靴が並んでいた。

あるはずのないものに、目を見張る。

「…雫か?」

部屋の方から、伊央の声がする。

「ねえ、ちょっと、イオってば!」

その声に被って聴こえるのは、女の人の声。

なんで…

二人で暮らすここには、付き合う相手も友達も連れて来ないって、そう約束させたのは伊央なのに。

「雫?」

びくっと身体が震え、手にしていたビニール袋がごとりと落ちる。

転がった二つのアイスの先には、伊央がいる。

壁の影になって姿は見えないのに、伊央のパーカーの袖口をぎゅっと掴んで話さない毒々しい赤のネイルが、くっきりと鮮やかに目についた。

「ご、ごめん!」

思わず口に出たのは、なぜか謝罪の言葉だ。

ここにいちゃいけない。いたくない。

「雫!ちがっ、待てって!雫っ!!!」

背後から伊央が叫んでいる気がするけど、きっと空耳だ。

そう言って引き留めて欲しいって、俺の願望が聴こえさせる幻聴に違いない。

さっき通って来た道を、どこまでも逆走する。

どこに向かえばいいんだろう。

ああ、苦しいな。心臓がばくばくとしている。

こんなに走り続けているから、だから苦しいんだ。

限界まで走って走って、ふと立ち止まってまた空を見上げると、さっきまで輝いていた三つ星はどこにもなくて、鉛色の空からは、白い雪が延々と降りそそいでいた。

「…雫、くん?」

「小夜、先輩…」

「やっぱり、雫くんだ!ぶらぶらして帰ろうと思ってたら、すごい勢いで走って行く人が見えて、雫くんに似てると思って、追いかけてきちゃった。」

そう言って笑う小夜先輩の長い睫毛に、白い雪が舞い降りては溶けていく。鼻は真っ赤だ。

「先輩…」

「どした?……泣いて、る?」

言われるまで、泣いていたことすら気がつかなかった。

「俺、やっぱり、も…無理…」

「…うち近くだから、行こう。雪降ってきたから、寒いでしょ。こたつあるよ、ね。」

俺よりもずっと小さな小夜先輩に手を引かれ、ゆっくりと歩き始める。

何にも話さず、何も聞かず、ずっと手を握りしめくれる小夜先輩はあったかい。

ぐずぐずと鼻をすすりながら後をついていく俺は、きっと今酷い顔をしてるだろう。

道を角に沿って二回曲がると、小夜先輩が住むマンションに着いた。

現代的な造りをした部屋の片隅には、小さなこたつ。小夜先輩らしい。

「こたつ、入っててね。夕飯は?」

「…まだ、です。」

今晩は伊央と二人で、伊央が作った夕飯を食べるつもりだったのに。

「じゃあね、鍋作るから、待ってて。寒い日はやっぱり鍋だよねえ。」

土鍋を台所の下から取り出し、小夜先輩が鍋の支度を始める。

ざくざくと白菜を切る音や、水の流れる音、火を点ける音を聴きながら、こたつに潜り込んで涙を拭う。

伊央は、何を作っていたんだろう。あの赤いネイルの人と食べているんだろうか。

「はい、どうぞ。」

エプロンを付けた先輩が、ぐずぐずと鼻を啜る傍に箱ティッシュを置いてくれた。

エプロン、似合ってるなあ。

いいな。小夜先輩は。

ずっと片想いしていた相手と結ばれて。

こんなに可愛くて、優しくて、俺もこんな風だったら、伊央は振り向いてくれたかな。

…違う。それでも、きっと無理だ。だって、伊央が付き合う人はいつも女性で、俺は男だから。

止まらない涙と鼻水をティッシュで拭う。

柔らかい。

鼻セレブだ。

小夜先輩は、こんなところまで優しい。

「できたよ~」

こたつの上に置かれた鍋の蓋を開けると、ふわあっとした湯気の向こうで先輩が優しく笑っている。

食欲なんて湧かないと思っていたのに、熱々とした白菜を一切れ口にすると、ぐうとお腹が鳴った。

外に降る雪みたいに、先輩が作ってくれた豆乳鍋は真っ白で冷えた身体に染み渡った。

「あったかい…」

「雫くん、すごく冷えてたもん。こたつも強にしようか?」

「いいえ、もう十分にあったまりました。」

「そう?こたつ、いいでしょ?身体だけじゃなく、心まであっためてくれる気がしない?」

「確かに、ほんと、そうかも…」

「でしょう!あ、ちょっとだけ電話してくる。」

立ち上がった先輩が手にしているスマホの着手相手は、きっとあの人だ。

コートのポケットに入ったままの自分のスマホを思い出し、何気なく開くと見たことのない数の着信が入っていた。

開いてみると、全て伊央からだ。

メッセージも入っていたけど、見る気がしない。

「ごめんね。もっと食べて。最後はおじやにしようか。」

戻ってきた先輩の前で、床の上に放ったスマホが光り着信を告げている。

「……。」

「…電源、落としちゃえば?今日一日ぐらい心配させたって、それぐらいしたって、ばちは当たらないと思うよ。」

口を尖らせた先輩が言う。

着信の相手を察しているようだ。

あの部屋に、俺と伊央以外の人がいたことを思い出すと、ずんと胸に重石がのしかかる。

今は何も話したくない。

鳴り続く着信を無視し、そのまま電源を落とした。







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