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雫
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今日遅くなる
一人で住むには広すぎる新築マンションの一室で、ピロンと機会音が響く。
開いたスマホのメッセージを確認すると、準備していた夕飯を一人で食べ、残りを冷蔵庫に閉まう。
共に暮らす伊央は、日が変わるまで帰って来ない。
今ごろきっと、彼女と一緒だろう。
大学に入って何人目なのか、もう数えるのもやめてしまった。高校の時から数えたらきりがない。
気がつくと別れていて、新しい彼女がいる。その繰り返しだ。
自室に駆け込み、隠している器具とローションで自分を慰める。
伊央はどんな風に女を抱くのだろう。今どんな顔をして彼女を抱いているんだろう。伊央に抱かれるのを想像しながら、いつものように手を動かす。
想像の中の伊央は、雫と呼んで何度も突き上げてくる。そんなことは、現実には決して起こらない。分かっているのに、やめられない。毎回苦しさと虚しさで胸がいっぱいになるのに。
「…くっ、う、伊央…」
ドロリと吐き出された白濁を見るたび、罪悪感にかられる。こんなこと、いつまでも続けていちゃいけない。
伊央が知ったら、きっと軽蔑するだろう。
急いで片付けると、シャワーを浴びてベッドに入り込む。
彼女といても、伊央が泊まってくることはない。どんなに遅くなってもかならず帰ってくる。
寝たふりをしたまま、がさごそと帰ってきたのを確認してから、俺もやっと眠りにつく。
朝には、なんてことないふりをして、普通におはようと、そう言うんだ。
罪悪感のせいか、いつもちゃんと顔を見られないけど、伊央はきっとそんなこと気がついていない。
それでいい。
だって、俺と伊央は親友だから。
男が好きだと自覚したのは、中学に入学してからだと思う。
女の子たち特有の、甘い匂いや時折見せる媚びた表情が苦手だ。
夜の仕事をする母親と二人だけで暮らしてきたせいだろうか。
普段は化粧っ気のない母親が、夜になると濃いめの化粧を施し、甘ったるい香りのする香水をつけて家を出て行く。母親がその姿でいる間、俺はずっと一人だ。幼い頃は一人の夜が怖かった。
今でも化粧や香水の匂いが苦手で、嫌いではないが女性を好きになることができない。
何人かに淡い想いを抱き、それでも想いを告げることなんてないまま高校に入学し、伊央に出会った。
ひょろひょろと身長ばかりが伸びて、もうすぐ180になろうかと言う俺よりも、伊央はさらに大きかった。
バスケ部のエースで、少しだけ長めの黒髪は、いつもどこかぴょんと髪が跳ね上がっている。今だって俺がなおしてあげなければ、そのまま外出してしまう。
端正な顔立ちをしているのに、そういう所には無頓着でいつもどこか飄々としている。
伊央と俺はなぜか気が合い、すぐに意気投合し、連絡先を交換して仲良くなった。
本当に最初は、仲の良い親友ができたと喜んでいたんだ。
伊央に彼女ができても、別れても、特段心が揺らぐことはなかった。
たまたまバイトが休みの日、伊央から誘われて試合を観に行った。
何人かの女子が来ていて、その中には伊央がその当時付き合っていた彼女もいた。校内でも可愛いと有名な目が大きくて、ふわふわとした、いかにもな女の子だ。
きゃあきゃあと、伊央が得点するたびに声をあげている。初めて観る伊央の試合に、その子の気持ちがわかるような気がした。
伊央は誰よりもかっこいい。いつもどこか怠そうにしている雰囲気とは違う。そのギャップもまた見るものを惹きつけるのかもしれない。
俺も女だったら、きっと、きゃあきゃあ言っていただろうに、逆に言葉を失って見入ってしまった。
試合が終わると、伊央が手を振ってきたのは、彼女じゃなく俺だ。
「雫、待ってろよ。一緒に帰ろうぜ。」
彼女からの視線を感じ、気まずい思いをしながら言われるままに待っていると、本当に伊央はやって来た。
「…彼女来てたのに、いいの?」
「ああ、さっき別れた。」
「え?」
「別に今日は何の約束もしてなかったのに、雫と帰るって言ったら怒り出すから。意味わかんねえ。」
「いや、それはまずいんじゃ。俺一人で帰るから、今からでも彼女と帰れば?」
さすがに俺のせいで別れるなんてことは、居た堪れない。
「なんで?雫バイトで忙しいから、たまにしかこうやって一緒に帰れないだろ。なんか美味いもんでも食って帰ろうぜ。」
「でも、だからって別れなくても…」
「もう別れたから。雫のことあれこれ煩い。そういう煩い奴嫌い。」
俺のあれこれって、何だろ。
「俺来ない方が良かったんじゃ…」
「なんで?一度さ、雫に観てもらいたかったんだ。ちゃんと試合してるとこ。どうだった?」
「どうって、すごくかっこよかったよ。」
「まじか?雫からかっこいいなんて言われると、なんだか照れ臭い。」
笑いながら俺の肩を組んできた伊央からは、いつも使っている制汗剤のいい匂いがした。
どくんと胸が高まる。
これは、駄目だ。伊央は駄目だ。
「…かっこいいなんて、聞き慣れてるだろ。」
「ふん。俺からすれば、お前の方がずっとかっこいいけどな。」
「な、俺のどこが…」
「あ、ここのラーメン美味いんだって。腹減ったから、ここでいい?」
「…うん。」
町中華風の、いい具合にくたびれた店の暖簾をくぐると、にんにくのいい匂いが食欲をそそる。
あっと言う間に出来上がったラーメンを豪快に啜りだした伊央を横目に、スープが熱すぎて箸が進まない。
「うま。伸びるぞ。早く食えよ。」
「猫舌だから…」
「雫らしいな。じゃあゆっくりでいいから食え。今日は俺の奢り。試合観に来てくれてありがとな。」
ぴろんぴろんと何度も鳴るスマホに目を落とすと、伊央は面倒臭そうに電源を落とし、俺が食べ終わるまでずっと待っていてくれた。
「旨いか?」
「…うん。美味しいね。」
伊央は、駄目なのに。
「二人して、にんにく臭いだろうな。」
氷が入った水をがぶがぶと飲み干すと、目を細めて伊央が笑った。
駄目だ駄目だと思う気持ちとは反比例し、その日からいつの間にか、伊央に親友以上の気持ちを抱くようになってしまった。
一人で住むには広すぎる新築マンションの一室で、ピロンと機会音が響く。
開いたスマホのメッセージを確認すると、準備していた夕飯を一人で食べ、残りを冷蔵庫に閉まう。
共に暮らす伊央は、日が変わるまで帰って来ない。
今ごろきっと、彼女と一緒だろう。
大学に入って何人目なのか、もう数えるのもやめてしまった。高校の時から数えたらきりがない。
気がつくと別れていて、新しい彼女がいる。その繰り返しだ。
自室に駆け込み、隠している器具とローションで自分を慰める。
伊央はどんな風に女を抱くのだろう。今どんな顔をして彼女を抱いているんだろう。伊央に抱かれるのを想像しながら、いつものように手を動かす。
想像の中の伊央は、雫と呼んで何度も突き上げてくる。そんなことは、現実には決して起こらない。分かっているのに、やめられない。毎回苦しさと虚しさで胸がいっぱいになるのに。
「…くっ、う、伊央…」
ドロリと吐き出された白濁を見るたび、罪悪感にかられる。こんなこと、いつまでも続けていちゃいけない。
伊央が知ったら、きっと軽蔑するだろう。
急いで片付けると、シャワーを浴びてベッドに入り込む。
彼女といても、伊央が泊まってくることはない。どんなに遅くなってもかならず帰ってくる。
寝たふりをしたまま、がさごそと帰ってきたのを確認してから、俺もやっと眠りにつく。
朝には、なんてことないふりをして、普通におはようと、そう言うんだ。
罪悪感のせいか、いつもちゃんと顔を見られないけど、伊央はきっとそんなこと気がついていない。
それでいい。
だって、俺と伊央は親友だから。
男が好きだと自覚したのは、中学に入学してからだと思う。
女の子たち特有の、甘い匂いや時折見せる媚びた表情が苦手だ。
夜の仕事をする母親と二人だけで暮らしてきたせいだろうか。
普段は化粧っ気のない母親が、夜になると濃いめの化粧を施し、甘ったるい香りのする香水をつけて家を出て行く。母親がその姿でいる間、俺はずっと一人だ。幼い頃は一人の夜が怖かった。
今でも化粧や香水の匂いが苦手で、嫌いではないが女性を好きになることができない。
何人かに淡い想いを抱き、それでも想いを告げることなんてないまま高校に入学し、伊央に出会った。
ひょろひょろと身長ばかりが伸びて、もうすぐ180になろうかと言う俺よりも、伊央はさらに大きかった。
バスケ部のエースで、少しだけ長めの黒髪は、いつもどこかぴょんと髪が跳ね上がっている。今だって俺がなおしてあげなければ、そのまま外出してしまう。
端正な顔立ちをしているのに、そういう所には無頓着でいつもどこか飄々としている。
伊央と俺はなぜか気が合い、すぐに意気投合し、連絡先を交換して仲良くなった。
本当に最初は、仲の良い親友ができたと喜んでいたんだ。
伊央に彼女ができても、別れても、特段心が揺らぐことはなかった。
たまたまバイトが休みの日、伊央から誘われて試合を観に行った。
何人かの女子が来ていて、その中には伊央がその当時付き合っていた彼女もいた。校内でも可愛いと有名な目が大きくて、ふわふわとした、いかにもな女の子だ。
きゃあきゃあと、伊央が得点するたびに声をあげている。初めて観る伊央の試合に、その子の気持ちがわかるような気がした。
伊央は誰よりもかっこいい。いつもどこか怠そうにしている雰囲気とは違う。そのギャップもまた見るものを惹きつけるのかもしれない。
俺も女だったら、きっと、きゃあきゃあ言っていただろうに、逆に言葉を失って見入ってしまった。
試合が終わると、伊央が手を振ってきたのは、彼女じゃなく俺だ。
「雫、待ってろよ。一緒に帰ろうぜ。」
彼女からの視線を感じ、気まずい思いをしながら言われるままに待っていると、本当に伊央はやって来た。
「…彼女来てたのに、いいの?」
「ああ、さっき別れた。」
「え?」
「別に今日は何の約束もしてなかったのに、雫と帰るって言ったら怒り出すから。意味わかんねえ。」
「いや、それはまずいんじゃ。俺一人で帰るから、今からでも彼女と帰れば?」
さすがに俺のせいで別れるなんてことは、居た堪れない。
「なんで?雫バイトで忙しいから、たまにしかこうやって一緒に帰れないだろ。なんか美味いもんでも食って帰ろうぜ。」
「でも、だからって別れなくても…」
「もう別れたから。雫のことあれこれ煩い。そういう煩い奴嫌い。」
俺のあれこれって、何だろ。
「俺来ない方が良かったんじゃ…」
「なんで?一度さ、雫に観てもらいたかったんだ。ちゃんと試合してるとこ。どうだった?」
「どうって、すごくかっこよかったよ。」
「まじか?雫からかっこいいなんて言われると、なんだか照れ臭い。」
笑いながら俺の肩を組んできた伊央からは、いつも使っている制汗剤のいい匂いがした。
どくんと胸が高まる。
これは、駄目だ。伊央は駄目だ。
「…かっこいいなんて、聞き慣れてるだろ。」
「ふん。俺からすれば、お前の方がずっとかっこいいけどな。」
「な、俺のどこが…」
「あ、ここのラーメン美味いんだって。腹減ったから、ここでいい?」
「…うん。」
町中華風の、いい具合にくたびれた店の暖簾をくぐると、にんにくのいい匂いが食欲をそそる。
あっと言う間に出来上がったラーメンを豪快に啜りだした伊央を横目に、スープが熱すぎて箸が進まない。
「うま。伸びるぞ。早く食えよ。」
「猫舌だから…」
「雫らしいな。じゃあゆっくりでいいから食え。今日は俺の奢り。試合観に来てくれてありがとな。」
ぴろんぴろんと何度も鳴るスマホに目を落とすと、伊央は面倒臭そうに電源を落とし、俺が食べ終わるまでずっと待っていてくれた。
「旨いか?」
「…うん。美味しいね。」
伊央は、駄目なのに。
「二人して、にんにく臭いだろうな。」
氷が入った水をがぶがぶと飲み干すと、目を細めて伊央が笑った。
駄目だ駄目だと思う気持ちとは反比例し、その日からいつの間にか、伊央に親友以上の気持ちを抱くようになってしまった。
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