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序章
陽炎の向こう側へ
しおりを挟む株式会社エオスの作業場は、小高い丘上にある工業団地の一角にある。
作業場の裏は、約6万人規模の湖南市全体が眺望できる西南向きの場所だ。
晃司は、ブラスト処理を早く済まして時間を作り、作業場の裏でこの街を眺めていた。
生い茂るコナラの向こうには、古い住宅街に隣接して新しく造成された住宅街が広がり、官庁街あたりに5階建位のビル街、大型スーパーマーケットの巨大な屋根、線を引いた様に街の中心を走る国道、大規模な一級河川と緑生い茂っている堤防、その上にクロスする様に新幹線が伸びている。
その日はとても天気が良く、太陽が建物を照らして光り輝き、車や新幹線の動きがアクセントを入れている。
「この街に住む人たちは皆んなちゃんと働いて暮らして社会が動いている。みんな親は子供を育て、働いている。そして、俺にそれができるのだろうか?魂に煽られ続けている俺に?いや、誰もが魂に煽られている筈だ。」
晃司にはこの街の全てが眩く、文字通り輝いて見えた。それと共に凝視すればする程陽炎でユラユラと揺らめいていて、自分と街の間にベールがかって、壁になり、立ち塞がっている様にしか見えない。
それは、晃司が営業の仕事に馴染めずに引きこもりだした23歳の時からだった。
「おい!謝れ!」
「最初にご説明をした通りですが。」間違ってはいなかった。
「聞いてないよ!」
「交わした契約書に記載してありますが。」
「、、最初にこんな金かかるってそんな説明聞いてないと言ってるんだよ!何偉そうにしてんだ!もう止めだ!」
帰社するとキツく所長にも諭された。
「お前人として間違ってんだよ!」
「、、、どっちが間違ってるんだろ。」
「何口答えしてんねん!社会常識やろ!お客様に、頭を下げる。例え間違えていなかったとしても気持ちの問題や!」
社会に出れば、理不尽な事もやり過ごして金を稼いで生きる。生きていく為には当たり前のこと。それがどうにも受け入れられず、どんな仕事も、アルバイトの軽作業ですら「冷や汗」と動悸、人生の終わりの様なフラッシュバックに苛まれて数日で辞めざるを得なかった。
それ以来、社会に適応しようと2年間に渡ってリハビリを進める様に努力を重ねた。山での枝打ち、工場での組み立て作業、そして株式会社エオスでの洗浄作業へと、自分にできる事でステップアップしてきていた。
その過程で、千晴との付き合い、そして結婚することになった。この事実は、更に晃司が社会に適応する後押しをしてくれていた。憧れの普通の生活。普通に働く事。そして遂に、子供を授かり、、
「武田さん!新規洗浄依頼来てますから早く戻って下さい!」
今森主任が急に背後から声をかけてきた。今森主任は晃司より5つ年下で独身だ。背はスラッとして180cmあるが、細々とした作業が好きで自ら好んで株式会社エオスの洗浄作業という仕事に取り組んでいる。
「は、はい、すいません!」いや、晃司が気づいていなかったのだ。
「それはそうと、聞きましたよ!子供さんができたんですってね。おめでとうございます!」
千晴が産婦人科で正式に妊娠した診断を受けた事を木武くんに昨日話したところだ。
「ありがとうございます!」
「私は独身でよく分からないんですけど、ここの給与で家族養っていけるんですかね?」
独身の今森主任に悪気は無かったが、晃司の心配を射抜く。
「うーん、、取り敢えず働き続けて、贅沢さえしなければ、なんとか、ね。」
「韓国とか台湾、アジアの安さには敵わないですけど、せめて品質で勝てればね、、」
今森主任の指摘通り、今年に入って仕事の量は確実に減っていた。1998年に入り韓国のDRAMが世界市場を席巻しており、品質だけで太刀打ちできるのか?半導体製造も斜陽産業となるのか?という恐怖が業界全体に広がっていた。
より一層不安が増したのは、今森主任の言葉からでは無い。現実として、今年に入り初めて一時金が削減されたからだ。そして、来年はひょっとして一時金が出ないかもしれない。という噂が社内に流れている。
木武との遊び話相手をそこそこに、真面目にブラスト機に向かい、ウェハー表面に付着する汚染物質にブラスト処理していたが、仕事場がグレーに見え始め、急速に興味を失っていった。
転職について思い巡らし始めていた。
「自分に何の仕事ができるだろう?」
物相手の仕事は止めたいけど、自分には何もできない。でも、どうせなら人の役に立ちたい。「ありがとう。」とか言われたいけど、自己満足の為か?、、、思考が止まない。
ふと、胸の奥の方に、忘れていた過去の記憶が蘇り、瞬いた。
それは、晃司が23歳の出来事だった、、、
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