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最終章 ちょっと変わった二人きりの冒険者パーティー

女王になる姉と冒険者になる妹の別れ

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 地平線から太陽が顔を出した。
 アリアは、朝陽に照らされたプレシアの頬を優しく撫でる。

「プレシア姉さん。助けてくれてありがとう」

 しかし姉は地面に横たわり、目を閉じたまま。
 豊かな胸が規則正しく上下しているから、生きていることは間違いない。

「それにしても……生きて大地を踏むことが出来て、本当に良かったですね」

 アークがちょっと涙目で言った。
「ああ、そうだな」とラキスが紫煙を吐きながら答えた。

 平気そうな顔で葉巻を吸っているが、彼の指先は小刻みに震えている。

 かくいうアリアは、さっきまで気絶していた。
 それほどに凄まじかった。天に召されることを覚悟したほどに。

 あのとき、古龍が着地すると同時にプレシアの魔力が尽きた。
 魔力が尽きたということは、古龍がその姿を消したということだ。

 当然、四人は着地の勢いのまま大地へ投げ出される。それが物理法則。
 空中を舞っているとき、アリアは「ああ、ボクは死ぬんだな」と思った。

 結果、生きてて本当に良かった。
 目覚めてすぐにドライアドの【中級範囲治癒術】を使ったが、回復スキルの重要性をこれほど痛感した日はない。

「んん……」とプレシアの口から吐息がこぼれた。

「プレシア姉さん!」
「ああ、アリア。ここは……?」
「守護者の森……禁足地だよ」

 アリアの言葉を受け、上半身を起こしたプレシアが周囲を見回す。

「そう。……夢じゃなかったのね。あなたが生きていてくれて、本当に良かった」
「心配かけてごめん」

 アリアが謝ると、プレシアは首を横に振った。

「いいのよ。あなたのせいじゃないもの」
「それはそうなんだけど」

 そういえば、アリアは暗殺されそうになったから逃げただけだった。

「あなたの命を狙ったのは、やっぱりロゴール?」
「…………」

 姉がどこまで知っているのかわからず、アリアは言いよどんでしまう。
 アリアはロゴールに見逃して貰っている身。
 ここで彼の悪事を肯定することは、なんとなくアンフェアな気がした。

「まあ、今となってはどうでも良いことだけど」
「……どういうこと?」
「ロゴールは殺されたわ」
「え!? なんで……誰が?」
「わからない、ってことになってる。だけど、たぶん帝国の仕業。……というかルシガー殿下じゃないかしら」

 プレシアの思いがけない告白に、アリアは再び言葉を失ってしまう。
 同時にアリアも姉に伝えなくてはならないことを思い出した。

「そのルシガーだけど……、たぶん死んだよ」
「え!?」
「その……古龍に乗って、振り落とされて、山頂の陥没地に落ちていった」

 プレシアは目を丸くしたまま、固まっている。
 アリアはそのまま話を続けた。

「万が一、生きていたとしても……あのドロドロに巻き込まれて溶けてるんじゃないかな」
「ふふっ。なにそれ。だっさ。ふふふふ、あはははははははは!」

 プレシアが心底愉快そうに笑っている。
 母である女王が倒れてからこちら、こんなに楽しそうな姉を見るのは初めてだ。

「あぁ、おっかしい。こんなに笑ったのは久しぶりよ」
「次期女王も大変だね」
「なにを他人事みたいに言ってるのよ」

 プレシアが頬をふくらませてアリアにクレームを入れる。
 アリアはそんな姉が愛しくて仕方がない。

「もうボクは死んだことになってるから、他人事だもん」
「あら。ロゴールはいないんだし、王宮に帰ってきたらいいじゃない」

 なんと甘美な誘い文句だろう。
 王宮に戻って、もう一度姉と暮らす。
 女王となる姉を支えて、ソルピアニ王国にその身を捧げる一生。

 心から悪くないと思える。
 手に入れたばかりの、小さな自由を手放すことになるとしても。

 しかし、アリアは静かに首を振る。

「ロゴールが死んだんじゃ、尚更帰れないよ」
「そう……ね」

 プレシアが悲しそうな顔で頷いた。
 姉もわかっている。わかった上で、ただ願望を口にしたんだ。

 ロゴールがいなくなった、ということは貴族派が弱体化したということ。
 それは同時に自由派が力を持った、ということを意味する。

 彼らは今、プレシアが女王となる前提で権力争いをしていることだろう。
 だが、ここにアリアがと王宮に戻ればどうなるか。

 神輿を取り戻した自由派は、再びアリアを女王にしようと画策するに違いない。

 それはプレシアの身に危険が及ぶということ。
 アリアが王宮に戻れば政争が激化するだけだ。

 ふたりの間に、音の無いの時間が流れる。
 そんな沈黙を破ったのはプレシアだった。

「ねえ、アリア。私、あなたが王宮を出てからの話を聞きたいわ」

 プレシアは、ラキスとアークの方を見ながら続けた。

「それに、あっちのふたりの話も聞きたい」
「……うん!」

 そんなプレシアに、アリアはこれまでのことを余すことなく語った。
 それは苦労話ではなく冒険譚。
 今の生き方を選んだことに後悔は無いと、姉に伝えたかった。 

 ふたりは太陽が頭上に昇るまでしゃべり続けた。
 

   §   §   §   §   §


「さて、と。そろそろ王宮に帰らないと。黙って抜け出してきちゃったからね」

 プレシアがペロッと小さく舌を出した。

「王宮も宮廷も、今ごろは大騒ぎなんじゃない?」
「どうせ騒いでるだけで、なにもできずに右往左往しているわよ」

 姉の辛辣な物言いに、アリアはただ苦笑するしかなかった。
 ロゴールを失って、宮廷の貴族達が足を引っ張り合っている様子が目に浮かぶ。

 今さらどうしようもないことだが、そんな悲惨な状態にあるこの国を姉ひとりに背負わせることに負い目を感じる。

「そんな顔しない。私なら大丈夫よ。ほら、笑って笑って」
「……うん」

 姉に励まされてしまった。
 なんだか姉の雰囲気が変わったような気がする。
 昔から優しく包容力のある姉だったが、これほど頼もしかっただろうか。

 これから女王となるであろう姉の変化、成長を、アリアは心から喜ばしく思った。

「アリアはこれからどうするの?」
「うーん、もう少しこの国に居るよ。プレシア姉さんの即位式は見ておきたいしね」

 そう言いながら、アリアはラキスとの会話を思い出した。
 
 ルシガーの野望も止めた。
 古龍の暴走も止めた。
 だから即位式は滞りなく行われるはずだ。

「あら。じゃあいつかは国を出るつもりなの?」
「ほかの国を見てみたい、とは思ってる」
「そう……。寂しくなるわね」
「……うん。ボクも寂しい」

 プレシアがアリアを抱きしめる。
 身長差のあるふたりの抱擁は、アリアの顔がプレシアの胸にうずもれてしまう。

 そんなことは構わず、アリアもプレシアにしがみついた。

 ふたりはいま、今生の別れを交わしている。
 アリアがこれからこの国で過ごそうと他の国へ行こうと、これだけは変わらない。

 プレシアは女王になる。
 アリアは冒険者になる。

 ふたりの間に生じる身分の格差。
 それはどうしようもなく、絶望的な隔絶だ。
 なにか奇跡でも起こらない限り、再びこうして抱き合うことはないだろう。

「あ、プレシア姉さん。ちょっと待って」
「なあに?」
「お土産があるんだ」
「まあ、なにかしら」

 アリアがアークに目配せをする。
 彼はにっこり笑って荷馬車を引いてきた。

 プレシアが荷馬車の幌をめくると、中には捕らえられた帝国兵が数人。
 手足を縛られ、猿ぐつわをはめられている。

「あらあら。これは、素敵なお土産ね」
「アーク達のお手柄だから、ご褒美は弾んであげてね」
「もちろんよ」

 有り体に言えば、捕虜だ。
 友好国であるはずの王国に、武装して侵入してきた帝国軍の捕虜。
 外交カードとして、これほど強力な切り札もそうそうない。
 
 これで王国は、帝国に対して賠償を含む強気な交渉をすることができる。

 もちろん、縁談の件も仕切り直しとなるだろう。
 婚約者のルシガー王子がなのだから。

 プレシアは、大きな手柄を携えて悠々と王宮へ戻っていった。
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