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第三章 一世一代の大博打

悪夢にうなされる夜は終わりにしよう

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 禁足地の近くにある森。
 フクロウの鳴き声もしない、とても静かな夜だ。
 空には雲が厚く、月の光も、星の光も届かない。

 静寂に包まれた黒闇の世界。
 十センチメートル先も見えない闇の中、ルシガーは灯りも持たず立っている。

「時は満ちた」

 ルシガーは待っていた。
 視界の全てを闇が奪い去る夜を。

「もう悪夢にうなされる夜も終わりだ」

 舞台は森で、相手はゴブリンの悪夢。
 ルシガーにとって、出来ることならなかったことにしたい苦い思い出。

 この戦いにおいて『戦闘での勝利』は必須条件ではない。
 ルシガーが大いなる力の元へとたどりつき、支配下に収められれば戦いは終わる。
 ならばやるべきことは夜襲しかあるまい。

 一個小隊五十名を囮とし、闇に紛れて封印の地までたどり着く。
 倒せない強敵は倒さなければ良い。
 目的だけを速やかに達成すれば勝ち。

 五年前に気づいていれば、もっと他にいいやり方もあったかもしれない。
 いや、今さらだ。
 あの敗北があったからこそ、今日はヤツの鼻を明かすことが出来る。

 ルシガーは拳を握って心を整えると、隣の影に小さく声を掛けた。

「準備はどうだ?」
「万事、整っております」

 返ってきたのは小隊長の声。
 辺りが暗くて相手の顔はよく見えない。

 それは、つまり。
 これ以上無い最高のコンディションということ。

「相手はゴブリンの悪夢だ」
「はっ」

 返事に緊張の色が見える。

 彼は五年前の戦争でもルシガーと共に戦った。
 今なお、ゴブリンの悪夢に捕らわれた友である。

 ゴブリンの悪夢の強さを、その身を持って知っている。

「生きてまた会おう」
「殿下もご武運を」
「うむ」

 我ながら空々しい言葉だ、とルシガーは下唇を噛み締めた。

 彼らは囮だ。戦力は決して十分とは言えない。
 再び会える可能性がどれほどあるというのか。

 もちろん、小隊長もそれはわかっている。
 主であるルシガーのため、帝国の未来の礎となることを受け入れた忠臣。

 一個小隊五十名が暗闇に包まれた森を前進する。
 ルシガーはその背を見送ると、ひとり森の影へと姿を隠した。


   §   §   §   §   §


 風が吹き、木々がザワザワと揺れる。
 先ほどまで静かだったせいか、ひどく耳障りに感じた。

 夜襲とは、夜に襲う、と書く。
 しかしこの小隊は襲うべき相手を知らない。

 ただ、山の麓を目指して目立つように行軍することが任務である。
 そうすれば、きっと敵の方から出てくる。――というのはルシガー殿下の言葉だ。
 小隊長である自分はその言葉を信じるだけ。

 小隊は自分を含めて五十名。
 五名にひとつ角灯ランタンを持たせ、十分な明るさを確保しながら森を進んでいく。

「うわあぁっ!!」
「どうした! 敵か!?」

 小隊長は角灯を片手に、声のした方へ静かに近寄ると、すぐに状況を確認する。
 パッと見たところ、負傷している者はいない。

「どうした、なにがあった?」

 小隊長の問い掛けに、ひとりの兵士がおずおずと手を挙げた。

「申し訳ありません。足に、何かが絡んだようで」

 ここは森だ。絡むものといえば草くらいのもの。
 だが敵地であることを鑑みれば、罠を仕掛けられている可能性もある。

 小隊長は兵の足元を角灯で照らした。
 やはり草しか見えないが、如何せん灯りの量が足りない。

「灯りを集めろ」

 同じく角灯を持った兵が、三人、四人と集まり足元を照らした。

「な、なんだ……これは」

 角灯を持った兵達が驚愕の声をあげた。

 集められた光に照らされた兵の足。
 絡んだ、という言葉では言い表せないほど、ビッシリと草が巻き付いていた。

「ひ、ひいぃぃぃ!」

 角灯の灯りで自らの足を直視した兵が、情けない声をあげてその場に座り込んだ。

「うっ、うわあぁぁ!!」
「ひっ! あ、足が!!」

 あちらこちらで悲鳴があがる。
 角灯を照らすまでもなく、他の兵も草に足を取られているのだと予想がついた。

 おおよそ自然には起こりえない現象。
 すなわち何者かによる作為的な行動の結果であり、つまりは攻撃だ。

 悲鳴をあげたくなる気持ちもわかるが、戦場ではその一瞬が致命傷になる。

「慌てるな。こんなもの剣で斬れば――」

 そのとき、小隊長の耳は空を裂く風切り音を捉えた。
 ガシャン、と音を立てて角灯が割れる。

 角灯が割れる直前、その光が照らしていたもの。 
 彼方から飛来したそれは、間違いなく斧だった。

「手斧、だと……」

 角灯の灯りを狙って投げてきたのだろう。
 
 誰が? 
 手斧を投擲する戦い方は、王国軍の戦い方とは印象が異なる。
 ならばゴブリンの悪夢か。
 それともどちらでもない別の誰かなのか。

 いずれにせよ疑いようのない事実は相手が人である、ということ。
 すでに戦いの火蓋は切り落とされていた。

 静寂を破る風切り音。
 兵の悲鳴。
 人が倒れる音。

 手斧が次々と投げ込まれてくる。

 すでにこちらの位置は補足されている。
 こちらからは相手が見えない。

 誰の目から見ても劣勢。
 さりとて、このままやられっぱなしというわけにもいかない。

「各員、防御陣形!」
「「「おう!」」」

 大きく揃った声が、森の中に響いた。
 その声に呼応し、兵が一斉に動き出す。

 前衛は木を背に、仲間を囲うように盾を構える。
 鋼鉄で鋳造された盾が、飛んでくる手斧を弾く。

「火を放て」
「はっ!!」

 劣勢になっていても、小隊の動きに動揺はない。

 これも想定していたことだ。
 この小隊われわれの役目は囮。そして陽動。

 先手を取られたとはいえ、敵の目を引きつけている今の状況は悪くない。

 この間、ルシガー殿下は自由に動けているのだ。
 状況はベストでは無いが、ベター。

 辺りが明るくなってきた。
 周囲の草木に火が回っているのだ。

(さあ、我々を放っておくと森が無くなるぞ)

 ルシガー殿下の目的が達成されるまで、どんな手を使ってでも敵の目を引きつける。

「ぐあっ」

 背後からの悲鳴に目線をやると、槍兵が肩に矢傷を受けていた。

「手当してやれっ!」
「はっ!!」

 衛生兵などおらずとも、応急手当レベルであれば全ての兵が身につけている。
 そんなことよりも、矢が飛んできた方向が問題だ。
 
 あの矢は横から射られていた。
 手斧を投げ込んでいる者とは別の手合いがいる。

(このまま防御陣形で留まるのは不利か)

 小隊長が次の一手を思索する中、背後から部下の悲鳴のような叫びが届いた。

「小隊長、ダメです!」
「ん?」

 背後を見遣ると、先ほど矢傷を受けた槍兵が泡を吹いて倒れていた。

「毒か。解毒剤は?」
「ダメです、効きません」
「チッ!!」

 解毒剤は全ての毒に効くわけではない。
 毒によって解毒剤が違うし、解毒剤が無い毒もある。
 普段、携行している解毒剤は、帝国が毒矢に使用している毒を中和するもの。

 解毒剤が効かない毒矢。
 五年前にも悩まされたことを思い出す。
 
 毒の分析も行ったが、神経毒であることしかわからなかった。
 今も、有効な対策は立てられていない。

 少し離れた木の上。
 暗闇に琥珀色の光が見えた気がした。

「…………ゴブリンの悪夢め」

 小隊長の心に深く刻まれた恐怖の古傷がひらく。

 気持ちを誤魔化そうと、下唇を強く噛み締める。
 鉄臭い血の味が口の中に広がっていった。
 
 まずは敵の正体がハッキリしたことを前向きに考えよう。

 毒に対する有効な対策は見つけられなかった。
 しかし、『ゴブリンの悪夢』への対策は当然してきた。

「毒矢に注意しろ! 召喚部隊、矢避けの風を起こせ! 森は片っ端から焼き尽くせ! 弓兵は矢を放て! 当てずっぽうで構わん!!」

 小隊長が声を張って部隊を動かす。

 勝つ必要はない。
 敵の目を引きつけつつ、凌ぎ続ければいい。
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