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第二章 禁足地に隠された真実

いまは遠き、少年が見た悪夢のような現実(前編)

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 少年の国で戦争が始まった。
 突如、隣国が宣戦を布告したのだ。

 侵略で真っ先に犠牲となるのは、国境に近い村に住む者達と相場が決まっている。
 軍が駆けつける頃には、村の二、三は蹂躙されているのが常だ。

 少年が住む村も、その運命さだめから逃れることは出来なかった。



 それはまだ太陽が高く上っていた時間のことだ。

「父さん!」
「俺のことはいい! 早く裏から逃げろ!!」

 父が家の扉を体全体で押していた。
 家の扉からは鈍器で殴りつけるような音が響き、外からは大勢の雄叫びが聞こえる。

「行け! 子どもたちを頼む」
「……あなた」

 父の怒声に押されるように頷いた母は、少年と弟を連れて裏口から外に飛び出した。

 三人は村のすぐそばにある雑木林に駆けこむ。
 普段は薪拾いがてら、子どもの遊び場となっている場所。
 ここには戦火を逃れるための避難場所がある。

「御神木まで走って!」

 兄弟は母に連れられ、避難場所の目印の樹まで全速力で駆け抜けた。

 樹齢は千年を超えると噂される御神木。
 その樹の下に掘られた洞穴が有事の避難場所となっている。

 落ち葉でカモフラージュされた入口。
 木製のフタをコンコココン、とリズムよくノックするのが合図だ。

 中から人の声が返ってくる。

「何人だ?」
「三人です! 私と、子どもがふたり!」

 奥で何かを話している声。
 数秒後、残酷な返事が戻ってきた。

「……無理だ。入れない」
「では、子どもだけでも!」

 間を置かず母は少年と弟だけでも、と懇願する。
 恐らくこうなることも想定していたに違いない。

「……ひとりが限界だ」

 母が言葉を失った。
 子どもはふたり。
 救えるのは、どちらかひとり。

 もし想定していたとしても、答えを出せるような問いではない。
 ならば答えを出すのは少年の役目だ。

「弟をお願いします!」
「……わかった」

 母が何かを言おうとして口をつぐんだ。
 ズズッとフタがずれ、人がひとり通れる幅のすき間ができる。
 しかし、弟は泣いてダダをこねるばかりで、中へ入ろうとしない。

「やだ、やだよ。お母さん! お兄ちゃん! ボクだけ置いていかないで!!」

 弟は少年より五つも年下。まだ十歳に届かない。
 このような状況を前にすれば、不安になって当たり前。
 とはいえ、このままというわけにもいかない。

「大丈夫。すぐにまた会えるから」

 少年は泣きべそをかく弟の頭を撫で、涙を拭ってやった。

「早くしろっ。敵に見つかったら、俺たちまで全滅だ」
「わかってます。いくんだ、マリオ」
「絶対だよ。絶対迎えにきてよ! お母さん、お兄ちゃん! 約束だよ!!」
「ああ。約束だ」

 少年は弟をなだめすかして避難場所へと押し込むと、母を見上げて笑った。

「母さん。行こう」

 とは言ったものの、近くにある避難場所はここだけだ。
 一体、どこへ向かえばいいというのか。

 少し離れたところから、葉や枝を乱暴に踏む足音がする。
 雑木林にも敵兵は入り込んできているようだ。
 ふたりに残された時間は、それほど多くはない。

「そこ、登れる?」

 母の指が差した先は、御神木のうろ。
 木の中にぽっかりと空いた空間は、それなりの大きさに見えた。
 しかし、母の背よりも高いところにあるため、うろの正確な大きさは分からない。

「ちょっと見てきてくれない?」
「うん。わかった」

 少年は母の肩を借りて、うろに手をかける。
「よっ」と体を持ち上げて、うろの中へ。

 決して余裕があるわけでは無いが、ぎゅっと詰めれば母とふたり、なんとか入れないことは無いだろう。

 少年は母を呼ぼうと、入り口へと体を向ける。
 そのとき、御神木の下の方から下卑げびた男達の声が聞こえた。

「おい! 女だ! 女がいるぞ!」
「なんだよ、ババアじゃねえか。この村には年頃の娘はいねぇのか?」
「じゃあ、お前は引っ込んでろ。あの女はオレのもんだ」
「バッカ! それとこれとは話が別よ」

 少年にはうろの外を見ることは出来なかった。

 今から母がどんな目に遭うのか。
 もう理解できない歳ではない。

「おいおい。そいつは一体なんのつもりだ?」
「女が刃物を持つのは料理の時だけでいいんだよ。ほら、バカな真似はよせっ」

 母が何をしているのか。
 気になるものの、やはり少年には勇気が出ない。

「そんな刃物じゃ、人なんか殺せねぇぞ」
「いいから。大人しくしてろって。痛くはしねぇからよ。へへへ」

 下品な笑い声に少年は思わず耳を塞ぐ。
 しかし、塞いだところで声が聞こえなくなるわけではない。

「おい……。バカ! やめろ、やめろって!!」

 突然、男たちが慌てる声が聞こえた。
 もしかしたら母は、なにか逆転の秘策でも持っていたのかもしれない。

 例えば、強いモンスターを召喚できるとか。
 例えば、ものすごい剣の使い手だったりとか。
 例えば、爆弾を持ってきていたとか。

 少年の心に灯ったのは微かな希望。
 その光に背中を押され、少年は慎重にうろから下を覗きこむ。

 母が華麗に敵兵を打ち倒した光景に期待していた。
 しかし、少年の目に飛び込んできた光景は、そんな愉快なものではなかった。

 鎧に身を包み、剣を持った兵士がふたり。
 その兵士と御神木との間で、自らの首を小刀で突く母の壮絶な最期。

 辺り一面に真っ赤な鮮血が舞った。

 糸の切れた人形のように崩れ落ちる母の肢体。
 両腕で顔を覆い、降りかかる血のシャワーを浴びる兵士。

 少年は叫んだ。
 いや、叫んだつもりだった。

 しかし、ノドから声が出ない。
 恐怖のためか、絶望のためか。
 ただ「カッ……カハッ」と空気が漏れるだけ。

 しかし、故に少年は助かった。
 敵兵は少年には気づかず「ひでぇ目に遭った」と文句を言いながら去っていった。

 陽が暮れ、辺りが宵闇に包まれた頃。
 御神木の下から村人がひとり出てくる。
 敵兵がいなくなったことを確認するためだろう。

 地に伏す母に気づいた村人は、一瞬だけ顔をしかめ、祈りを捧げた。

 そのとき、少年は弟のことを思い出した。
 弟に母の亡骸を見せるわけにはいかない、そう思った。

 少年はすぐさま、木のうろから飛び降りた。
 驚く村人に事情を説明し、一緒に母の遺体を移動させる。

 弟の目につかないよう。すぐには気づかれない場所に遺体を隠した。

「お兄ちゃん! お兄ちゃん!!」
「マリオ!」
「お兄ちゃん! 無事だったんだね! ……お母さんは?」

 愛しい弟との再会。
 当然聞かれるだろう質問には、事前に答えを用意しておいた。

「分からない。でも、きっとどこか遠くに逃げたはずだ」
「本当?」
「ああ。本当だ」

 少年は笑顔でウソをついた。
 弟の心を護るため、優しいウソをついた。

 村へ戻ると、多くの家が焼け落ちていた。
 少年の家も、例にもれず焼け落ちていた。

 父の遺体は見つからなかった。
 いや、父と判別できる遺体は見つからなかった。
 どれもこれも真っ黒に焼けていて、誰が誰だか分からなかった。 

 その後しばらくして、軍の到着によって防衛線は押し上げられた。

 村を焼かれた者達は、それぞれ親類を頼って散っていった。
 少年と弟も、やはり近くの村の親類を頼った。

 運よく母の叔父――顔も知らない大叔父――に頼ることが出来たのは幸運だった。
 親類を頼れず、戦争孤児として下男げなんになる者も大勢いるのだから。

 ――これはどこにでもある戦争孤児の話。
 ここまで、少年はむしろ恵まれていた。

 しかし、この悪夢にはまだ続きがあった。
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