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第一章 ゴブリンを嗤うものはゴブリンに泣く
いわゆるひとつの政略結婚
しおりを挟むまさに春嵐。
陽気な日差しが一変、その日は朝から強い風と大雨に見舞われた。
「なにも今日、嵐にならなくても」
王宮と宮廷を繋ぐ回廊で、ロゴールは忌々しげに黒い雲をにらんでいた。
今日は王国の今後に関わる重要な日だ。
昨日であれば晴天であったのに、と無意味なタラレバを考えてしまう。
「私は気にしておりませんよ」
背後から響く声。
ロゴールが驚いて振り向くと、思いがけぬ人物が立っていた。
その男の特徴的な濃い緑の髪も、白い礼装も、嵐ですっかり濡れてしまっている。
「ルシガー殿下!! いらっしゃっていたのですか!?」
ティータイムの頃合い――午後三時頃――が約束の時間だったはず。
まだ一時間ほど余裕がある。
「ああ。愛しき我がフィアンセにお会いしたくて、気がはやってしまったよ」
ハンカチで上品に髪を拭きながら、気障なセリフで愛を語る男。
ルシガーはスリムキヤ帝国の第三王子である。
彼が言うフィアンセとは、我が国の第一王女であらせられるプレシア殿下のこと。
王国とスリムキヤ帝国の戦争が終結して五年。
両国の融和の象徴として進められた婚姻。
これが成立すれば、王国と帝国の関係はより強固なものとなる。
いわゆるひとつの政略結婚。特にめずらしいものではない。
それはさておき、気になるのは――なぜ王子殿下がひとりでここにいるのか、だ。
「はっ。すぐに王女殿下へ使いを。……して、殿下の側近の方はどちらに?」
「うむ。ヤツは巻いてきた」
「さようで……は? いまなんと!?」
いま「巻いてきた」と聞こえたが……。
状況から察するに、どうやら聞き間違いではなさそうだ。
側近も護衛も置いて、他国の宮廷に足を踏み入れるとは。
この男は命が惜しくはないのか。
もちろん、ロゴール達に王子を殺すつもりなど毛頭ない。
しかし、ここは五年前まで戦争をしていた国。
帝国に恨みを持った者が暴走しない保証など、どこにもない。
「なに。間もなく身内となるのだ。細かいことを気にするでない」
「そ、そう申されましても」
「そんなつまらぬことよりも、ロゴール殿。私と少し、話でもどうだ?」
「わ、私と、ですか!?」
隣国の第三王子からの思いもよらぬ提案に、ロゴールは慌てふためく。
相手は王族だ。
もし機嫌を損ねでもしたら、ロゴールの首くらいは簡単に飛ぶ。
職という意味では無く、物理的に飛ぶ。
「迷惑だったか?」
「いえ、滅相もございません!!」
迷惑などと、口が裂けても言えようものか。
そんなことはルシガー王子も分かっている。
ロゴールの返答に、そうであろうと頷く顔がニヤリと笑っていた。
「まずはアリア殿下の件、心中お察しする」
「はっ!! 我々、宮廷召喚士としましても自身の不甲斐なさに歯噛みする思いです」
「さもありなん」
社交辞令に建前で返す白々しい会話。
大仰にうんうんと頷くルシガー王子にロゴールは鼻白む。
王子にとっても、政敵の神輿であるアリア王女は邪魔であった。
彼女が王宮からいなくなることを望み、貴族派に圧力をかけていたのは他ならぬ彼だ。
王子の王国訪問が決まったのも、アリア王女失踪の報が伝わったからである。
王子が圧力はかけたとはいえ、あくまでソルピアニ王国貴族派の独断。
全ては闇の中で行われたもの。
つまりは存在しない功績。さりとて功績は功績。
上に立つ者には報いる義務がある。
これは遠回しに「よくやってくれた」と彼なりにロゴールを労っているのだ。
だが、存在しない功績である以上、この件について深く追求されることはない。
「ちゃんと王女の死亡を確認したのか」などと無粋な確認はされまい。
その後もふたりは国家間の情勢など、貴族らしい世間話を続けた。
そろそろ王女と面会の時間、というタイミングで王子が不意に話題を変えてきた。
「ときにロゴール殿。この国には立ち入りが禁じられた地があると聞くが本当か?」
あまりに唐突な質問。
その問いの真意が見えず、ロゴールも警戒せざるを得ない。
王子はそんなロゴールを見て、そう警戒するなと笑った。
「なに。これから世話になる国のことだ。色々と知っておきたくてな」
そのように言われては、口を閉ざすのも失礼にあたるというもの。
ロゴールは当たり障りのない返事でお茶を濁すことにする。
「はっ。失礼いたしました。我が国には確かに禁足地がございます」
「うむ。なぜ禁足地となっているのだ?」
「さて。もう何百年も前から続いておりますので」
ウソではない。
もちろん、色々と伝承はある。
だが、そこに確固たる事実は無い。
ロゴールが話すのは厳然たる事実のみ。
とはいえ余計な興味を持たれたくはない。
少し脅すくらいはしておいた方が良いだろう、とロゴールは考えた。
「ただ『彼の地に踏み入った者は二度と帰れぬ』とだけ」
「ほお。それはなんとも。剣呑なことだな」
剣呑、という言葉とは裏腹に、王子は満足気な表情を浮かべている。
「殿下、そろそろお時間でございます」
「むっ。そうか。ロゴール殿との話が楽しくて時間が飛んでいってしまった」
「それは恐縮です」
「これからもよろしく頼む」
笑顔で去っていくルシガー王子を見送り、ロゴールは宮廷へと戻る。
(あの男。一筋縄ではいかなそうだ)
最後まで腹の内を見せることなく、探り合いだけで去っていった第三王子。
宮廷の政争を生き抜いてきたロゴールの直観が危険人物であると告げている。
しかし、大局を見ればこの婚姻を進めないという選択肢は無い。
(結局、この国を守れるのは俺しかいないのだ)
この先訪れるであろうルシガー王子との政争。
ロゴールは自らの双肩に国の命運を担い、悠然と回廊を歩いていく。
執務室へと戻ったロゴールを待っていたのは、白いメッセージバードだった。
激しい雨が降る中、そのクチバシで、コンコンと窓をつついている。
窓を開けてやると、メッセージバードがするりと部屋に入り込む。
寒かったのだろう、ぶるぶると身体を震わせる。
水しぶきがロゴールの顔にかかった。
こういう雨の日にはよくあることだ。
そんな些末なことよりも、大事なのは携えているメッセージ。
「さて、今回は『当たり』だと良いがな」
今日だけで四通目だ。
ロゴールはその脚に結びつけられた紙を解き、両手でサッと広げる。
アリア王女を捜索するにあたり、ロゴールはいくつかの罠を張った。
例えば、行く当てのない者が集まる貧民街。
例えば、流れ者の冒険者が集まる酒場。
例えば、国外への通行証を発行する機関。
例えば、他国へと向かう商隊。
有力な情報には懸賞金を支払う、というエサにいくつもの情報がかかった。
しかし、金目当ての輩も多く、明らかな作り話や確度の低い情報が多い。
「これだから下賤な平民どもは手に負えん」と、つい愚痴もこぼしたくなる。
だが、しかし。
「これは、当たりかもしれん」
ロゴールはソファーに腰を落ち着けて、もう一度内容を読み返す。
「…………ふっ。くくくくっ」
途中から思わず笑いがこぼれていた。
まさか本当に生きていたとは。
しかも望外のオマケ付きとは恐れ入った。
なぜアレが一緒なのかは分からないが、まとめて始末する良い機会だ。
「やはり天は自ら助くる者を助く」
これはロゴールが諦めずに地道な捜索を続けてきたことへの褒美に違いない。
『絶対に死んでますよ』などという希望的観測に乗らなくて正解だった。
ロゴールは自ら王女を出迎え、今度こそ確実に送り届ける覚悟を決めた。
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