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第一章 ゴブリンを嗤うものはゴブリンに泣く

対価はカラダで払うと言ったら、その服を脱げと言われた

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 焚き火がパチパチと火花を散らしている。
 アリアは与えられた白湯さゆを飲み、ぼんやりと火を見つめていた。

 隣ではラキスと名乗った男が、再び葉巻をくわえて紫煙をくゆらせている。

 彼の話を信じるのであれば、アリアを襲った主犯は宮廷召喚士長のロゴール。
 王族を護るべき宮廷召喚士の長が王女を暗殺……未遂。

 ショックは大きいが、信じられない話というわけではない。
 アリアは命を狙われる理由に心当たりがあった。

「プレシア姉さんが女王になるのに、ボクが生きていると困る人がいるみたいだ」
「そうか」

 ラキスが淡泊な相槌を返す。
 そんなことより葉巻を楽しむ時間の方が大切だ、と表情が物語っている。

「ボクがこのまま王宮に帰ったら、どうなると思う?」
「……報復がはじまるだろうな」
「やっぱり、そうかな」

 ロゴールがアリアを狙ったという証拠はない。
 強いて言えば、この怪しい男の証言だけ。

 それでもアリアが王宮に戻れば、自由派の貴族達はこの事件を貴族派の凶行と断定し、貴族派への報復を計画するはずだ。
 そのとき、標的はロゴールだけで済むだろうか。

「第一王女も危ないだろうな」

 アリアの頭の中を見透かしたかのように、ラキスがつぶやいた。

「ボクはプレシア姉さんが大好きなんだ。優しくて、ボクと違って言葉遣いもきれいで」
「そうか」
「ちょっとおっとりしているところはあるけど、包み込まれるような温かさがあって」
「そうか」

 アリアは自分から女王になりたいなどと言ったことは無い。

 女王になりたいと思ったことすらない。
 しかし、周囲はそれを許さない。

 本人たちの気持ちを無視して、どちらが女王に相応しいのかと勝手に盛り上がる。
 それも純粋に国を想ってのことではなく、貴族達の権力争いの道具として。
 なぜそんなくだらない理由で命まで狙われねばならないのか。

 アリアはなにもかもがむなしくなった。

「ボクはどうしたらいいかな?」
「……それはお前が決めることだ」

 隣に立つ男は厳しく、冷たい。
 決して答えをくれることはないだろう。

「いっそボクが……ここで死んでしまった方が……」
「お前がそれを望むのなら、そうすればいい」

(ボクの望み……。望みってなんだろう)

 自分が生きていることがバレたら、プレシア姉さんの命が危ない。
 プレシア姉さんの命が狙われるくらいなら……いっそのこと。
 アリアの思考は最悪の方向へと流れていく。

「ラキスさん、お願いがあるんだ」
「なんだ?」
「ボクのことを殺して――」
「自分の始末くらい、自分でつけろ」

 ラキスは空いた手で腰から短剣を取り出し、アリアの手に握らせる。

 この短剣で自害しろ、と。

 アリアは短剣を鞘から抜き、刀身を喉元へと突きつけた。
 手がぶるぶると震えて上手く持てない。
 脳裏に浮かぶのは生まれて十六年の思い出。
 いつだってそばに居てくれたのは、プレシア姉さんと、パーラだった。

『娘を護るのは母の務め』

 不意にパーラの最期の言葉がリフレインする。
 アリアを護るためにオルトロスに立ち向かい、その命を散らしたパーラ。
 その身体を土に還すことも叶わなかった。

 アリアの両眼からぼろぼろと涙がこぼれる。
 その雫が地面に落ちると同時に、手に持っていたはずの短剣も地面に転がっていた。

 もうひとりの母が繋いでくれた命。
 ほんの少し前、無駄には出来ないと誓った命。
 それをいとも簡単に捨てようとしていた自分に、アリアは恐怖した。

「やっぱり、ボクは死ねないや」
「そうか」
「でも、王宮にも戻らない」
「そうか」

 ラキスはひとつ覚えの「そうか」を繰り返す。
 自分には関係ない、という心の内を隠すつもりもないらしい。
 アリアはだんだんと、この無愛想な男に腹が立ってきた。

 後から思い返せば、それはやり場のない怒りをぶつけているだけの八つ当たり。

(この男の鼻を明かしてやりたい)

 その気持ちだけで口走った言葉だった。

「あなたのせいだ」
「なに?」
「責任を取ってよ」
「なんのことだ?」

 これまで仮面のように動かなかったラキスの顔。
 いまだに葉巻をくわえているが、その眉がついに斜めへと傾いた。

責任を取って」
「助けた責任だと?」
「あなたがボクを助けなければ、ボクはあの犬に食べられていた」
「そうだろうな」
「つまりプレシア姉さんは助かっていた。元々はそれだけの、簡単な話だったんだ」

「それなら」とラキスがなにやら言い返そうとする。
 だがアリアは立ち上がり、ラキスの言葉をさえぎってまくし立てた。

「それをあなたが。それも自分の都合で、だ。それなら自分で死ね、なんて言わないでよ。ボクはパーラに誓って命を粗末にはしない。だから

 メチャクチャなことを言っているのはアリアにも分かっている。

 ラキスがいまここで、アリアを殺せば元の鞘に収まるだけ。
 それでも言わずにはいられなかった。
 いかなる形でも、この男を当事者として巻き込んでやりたかった。

 アリアはハァハァと肩で息をしながら、ラキスの反応を待つ。
 ラキスは口からふわりと煙を吐き出した。

「言いたいことはそれで終わりか?」
「そうだ、答えろ」
「そうだな。……その仕事、いくら払える?」
「へ? 仕事? いくら?」

 予想していなかった返答に、アリアは頓狂とんきょうな声を上げた。

「そうだ。その『お前を助けた責任を取る』という仕事の対価を教えろ」
「ちょ、ちょっと待って。責任を取る仕事の対価って、そんなメチャクチャな」
「メチャクチャはお互い様だろう」

 そう言われてしまうとグウの音も出ない。
 無茶な理論で要求をぶつけたら、さらに無茶な理論で対価を請求されただけの話。

「じゃ、じゃあ! あなたを宮廷しょ――」
「宮廷召喚士は勘弁してくれ。宮廷あんなところは二度とゴメンだ」

 それに、とラキスは続ける。

「お前は王宮には戻らないんじゃなかったか?」
「…………ッ!!」
 
 顔がカァーーーっと熱くなっていく。

「王宮にも戻らない」という言葉にウソは無い。
 だが、舌の根も乾かぬうちに『宮廷召喚士の席』を対価に提示しようとした。

 想定していなかった『対価』という問いに対して慌ててしまったのは事実。
 だとしても、とっさに出た回答が王族の権力に頼ったものとは不甲斐ない。

 アリアはただただ恥ずかしかった。

「大した覚悟だな」

 さらに容赦のない嫌味な追い打ち。
 アリアはうつむき、両拳をギュッと握りこんだ。

(きっと、ボクのことをバカにしているんだ。王族の権力を失った王女に、対価なんか支払えるはずがないって)

 アリア自身には何の価値も生み出せないのだ、と言いたいに違いない。
 その推察を裏付けるかのように、ラキスはこちらを試すような目で見ている。
 アリアの生涯でこれほどの辱めを受けたのは初めてのことだ。

 初めてのことばかりで、頭も心も追いつかない。
 なにがなんでもラキスに認める対価を提示してやる。
 命を失う寸前だったこの身に、今さら失うものなどない。

 それは傷つけられたプライドが出した決断。
 王族ではないアリア個人が、唯一差し出せる対価。

「……ではらう」
「なに?」
「対価はボクのカラダで払うって言ったんだ!!」

 アリアは薄い胸に掌を当てて宣言する。

 顔はどんどん熱くなっていく。
 自分ではわからないが、きっと真っ赤になっているに違いない。

 王女として王宮で過ごしていた頃のアリアなら、絶対に口にしない言葉だ。

 ラキスがぽかんとしていた。
 葉巻を持った手も宙で止まり、口にくわえるという動作を忘れている。

 さっき出会ってから今までで、彼の表情が最も崩れた瞬間かもしれない。

「その……カラダで、か?」
「なにかご不満で!?」
「いや、ご不満もなにも……まだ子ども――」
「なっ!! 失礼な! ボクはもう十六だ!」
「成人したばかりの子ども――」
「成人してるってことは、大人じゃないか!」

 アリアは鼻息荒く突っかかり、ラキスはすっかり迷惑顔だ。
 結局、「もう分かった」とラキスが折れるかたちで決着がついた。

「じゃあ、お前のカラダ? で手を打つ」
「なんで疑問形なんだ。本当に失礼なヤツだな」

 アリアのクレームは無視されるかたちで、ラキスが話を続けた。

「それじゃあ、これからのことだが……。まずはお前、その服を脱げ」
「え゙!?」

 反射的に、両腕で細い身体を覆った。
 確かに「カラダで払う」とは言った。
 言ったが、ものには順序と、心の準備というものがある。

 アリア、十六歳の春。
 唐突に訪れた貞操の危機であった。
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