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エピソード39 後始末
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〈エピソード39 後始末〉
ヴァルムガンドルとの激闘から一週間が過ぎた。
予定調和とでも言うべきか、勇也たちの戦いはダーク・エイジの組織の入念な根回しもあって映画の撮影だったというオチが付いた。
一般人に知られたらまずいことに関しても、組織が存分に働いて、隠蔽工作に奔走した。また、破壊された物も組織が多額のお金と労力をつぎ込んで、今も修復している。
というような顛末を勇也はイリアから聞いた。
そのイリアはソフィアから聞いた話だというので、そこに嘘や誤謬はないだろう。それでも、欠けている情報はあるだろうが、そういう部分に関しては改めてソフィアに尋ねれば良い。
一方、勇也は上八木市にある総合病院で療養していた。
ヴァルムガンドルとの戦いの後、すぐに意識が朦朧として倒れてしまった勇也は、そのまま、大至急、病院に運ばれた。
そこで、手厚い治療を受けたのだが、体の傷は己のものとした神気の力でほとんど治っていたのに意識だけはなかなか取り戻せなかった。
その間は、夢も見ることができなかったし、生死の境を彷徨っている感すらあった。
が、それから、ちょうど一週間が経つと、もう二度と目を覚まさないのではと思われた勇也は奇跡が起こったように目を開けた。
それはあまりにも自然な感じの目覚めだった。
その時の病室には疲労困憊したようなイリアがいて、意識を取り戻した勇也を見ると大袈裟な感じで喜びを弾けさせ、また暑苦しく抱き着いてきた。
これがまた恥ずかしかったのだが、勇也もイリアの心配は十分、理解できていたので、ただ優しく笑っていた。
その後、勇也は自分が一週間も眠っていたことを聞かされ、心底、驚いたが、最初に頭に浮かび上がったのは入院の費用のことだった。
そこがいかにも節約家を自任する勇也らしい心配の在り方だったし、そういうところは、どんなに大きな出来事があっても変わることはなかった。
そんなこんなで、意識を取り戻してから数日が経過し、勇也は早く退院できないかなと思いながら病室のベッドで朝からスマホを弄っていた。
その傍にはイリアがいて見舞い品としてもらったリンゴの皮を剥いている。そんな病室に勇也とイリアを救った立役者の一人であるソフィアがやって来た。
「思ったよりも元気そうだな、勇也君。これは見舞い品のメロンだし、高級なやつだから良く味わって食べるんだぞ」
勇也の傍らまでやってきたソフィアは病室の備え付けの棚の上に大きなメロンをどっしりと置いた。
見舞いにメロンというのはいささか安直に感じられたが、メロンのような値の張る物を持ってきてくれたのはソフィアだけだったので、その厚意はありがたく受け取っておくことにする。
「ありがとうございます、ソフィアさん。でも、お見舞いに来てくれるなんて正直、意外でしたし、一体、どういう風の吹き回しですか?」
勇也は何か裏があるのではと疑ってしまった。
裏がなければ動いてくれないのがダーク・エイジの構成員なのでは、と邪推もしていたし。
もっとも、そんな組織だったら、自分の起こしたことの後始末を請け負ってくれたりはしなかっただろう。
その点だけは理屈抜きに感謝しているのだ。
「それはまた冷たいことを言ってくれるな、勇也君。私だって人殺しも辞さないような組織にいるが人並みの感性はちゃんと持ち合わせてるんだぞ。だから、目を覚まさなかった君のことは大いに心配していた」
ソフィアは心外だとでも言いたそうな口調で言うと、あっけらかんとした顔で笑う。
その自分をからかうような様子を見た勇也は少しだけムッとしてしまった。
が、こんなことで短慮なところを見せるのも度量が小さいと思い、露骨に気分を害したような顔はしなかった。
「そうだったんですか。無神経なことを言ってすみません。でも、心配してくれたのはちょっと嬉しいですね」
お見舞いに来てくれたのは母親も含めた自分の身内だけだ。だが、彼らの態度はよそよそしく、勇也としても到底、喜べるようなものではなかった。
それだけに赤の他人であるはずのソフィアの心遣いは胸に染み渡る。と、同時にこんな人が自分の母親だったらなとまた夢想してしまった。
「素直でよろしい。とにかく、私が今日ここに来たのは君に幾つか報告しておきたいことがあったからなんだ」
ソフィアは打って変わった真剣な顔をするとそう切り出した。
「報告したいこと?」
「まず、最初に言っておくが、私は組織の幹部を解任された。君に肩入れしすぎて組織の利益を大きく損なうことをしてしまったからな。むしろ、解任だけで済んだのは僥倖と言うべきだろう。ゼルガウスト卿の寛大さには感謝だな」
ソフィアは別に気落ちしたような様子を見せるわけでもなく言ったし、むしろ、肩の荷が降りてせいせいしたような顔をしていた。
その顔を見るに何らかの重責から解放されたのは間違いない。
「はあ」
勇也は心に名状しがたい苦さが混じるのを感じる。
ソフィアが不利益を被った責任の一端は確実に自分にあるということをしっかりと認識していたからだ。
なので、そのお詫びは、何らかの形でしなければならないと思う。
「また、組織は君とヴァルムガンドルの戦いの後始末をやらされて、かなり憤懣やる方ない感情を抱いている。これは本当に困ったことだ」
イリアの時みたいに、組織が強硬な手段に打って出るようなアプローチをしてくるかもしれないことを考えると勇也の胃も締めつけられる。
命を懸けるような戦いはもう懲り懲りだ。
とはいえ、誰であろうと自分の日常を脅かそうとするのなら、その時は勇也も敢然と立ち向かうつもりでいた。
やっぱり、自分の平和は自分で守らないとな。他人から与えられた平和は得てして長続きしないものだ。
「確かに困りますね。中央広場を滅茶苦茶にしてしまいましたし、その修繕の費用は一生働いても返せませんよ」
費用の返済を求められたら、自分は破産するしかなくなる。良い大学に行くという目標も諦めざるを得なくなるだろう。
せっかくイリアのおかげで、借金を完済する目途が付いていたのに。
「そういうことだ。だから、組織は君を何とかして取り込みたいと思っている。要するに恩を感じているなら、組織の一員になれということだ」
ソフィアは身も蓋もないような感じで言った。
「それはお断りさせて頂きます。組織には色々と助けてもらいましたが、やはり、俺は裏の世界の住人にはなれません」
一度、組織の一員になったら、なし崩し的に人道に悖ることをやらされるようになる気がしてならない。
それはヴァルムガンドルとの戦いで自分に力を貸してくれた大勢の人たちの想いを裏切ることになる。
清廉潔白な生き方を目指すつもりはないが、それでもみんなを失望させるような悪いことは絶対にできない。
その気持ちだけは、何があろうと決して譲れなかった。
「そう言うと思ったよ。だが、何事も食わず嫌いは良くないぞ。簡単なアルバイトという形で良いから、組織の仕事を手伝ってみないか?」
ソフィアは甘い囁きを感じさせる声で言った。
「じゃあ、考えておきます。組織についてもっと知れば、考え方が変わる可能性はありますし……」
勇也は何とも曖昧な態度で言葉を返したし、今はソフィアの言葉に押し切られないようにするだけで精いっぱいだ。
もっと泰然とした態度を持てるようにならないと人間としては駄目だな。
この先、似たような出来事があれば泥沼に足を取られることにもなりかねないし、そうなれば、後は沈み込んでいくだけだ。
勇也としても、そんな救いのない人生はまっぴらご免だった。
でも、どう息巻いても人間の心はすぐには変わらないし、成長できたと実感するにはやはり時間が必要だ。
「良い返事を期待しているぞ。君が私の仕事を手伝ってくれたら、こんなに心強いことはないし」
「でも、俺の持つ力は俺だけのものではありませんからね。あまり好き勝手なことはできませんよ」
自分の持つ力は草薙の剣の権能によって支えられている。その草薙の剣の精神は高潔の一言に尽きる。
だからこそ、遠くない将来に困難に直面した時、心の弱さに負けて道を踏み外すようなことをやらないためにも、自分が持つ力とは真剣に向き合わなければ。
でないと、草薙の剣に見捨てられることにもなりかねない。
「それは難儀だな。まあ、この話は良いとして、もし、何か聞きたいことがあるなら言ってくれ。組織も今回の件については色々と調べていて、判明したことも幾つかある」
ソフィアは声に頼もしい響きを持たせながら言った。
「なら、どうして悪魔たちは神を生み出す場所として、この町を選んだんですか? あれだけのことをしておいて理由がないというわけではないんでしょ?」
悪魔たちにとっては日本のこの町は完全に異国のはずだ。
モニュメントを設置するだけなら、どこの町でもできたことだし、上八木市に白羽の矢が立った理由はなんだろう。
まさか、実験性が極めて強かった試みを行う場所を適当に選んだというわけではあるまいに。
「それは簡単だ。この町は日本でも有数の霊的に優れた地だからだ。実際、霊脈があるところには寺や神社がたくさん建てられているからな」
ソフィアの話を聞き、勇也もようやくその点について思い至った。
数多くの神社のPRをしてきた自分が今日の今日まで上八木市の霊性を失念していたとは、抜けているにもほどがある。
もっとも、霊性なんて目に見えるものではないし、ついこの前まで普通の人間だった自分がそういった要素に目を向けられなかったとしても、別に責められるようなことではない。
「なるほど」
勇也は得心のいった顔で相槌を打った。
「霊的に優れた地は、神を生み出す土壌としては打ってつけだ。そういう意味では、この町ほど相応しい場所もあるまい」
なら、この地の霊性の強さは日本だけでなく世界にも誇れるものなのかもしれないな。そこに目を付けて再び悪さをするような連中が現れなければ良いが。
「そういうことですか。やっと納得できましたし、俺もこの町の霊性についてはもっと注目していきたいと思います」
勇也は憑き物が落ちたような顔で言った。
「それが良いな。ちなみに、この町にこぞって宗教団体の支部を立てるように勧めていたのは、どうも悪魔たちらしいな」
「悪魔たちがこの町の特殊な性質について、リークしていたということですか?」
それは笑えない事実だった。
悪魔の計略で、人々を正しく導こうとする神が生まれるなんて、何だか本末転倒の感じがしてならなかったからだ。
もっとも、神も悪魔も互いの立場を分ける境界線は極めて曖昧で、どちらに転ぶかは紙一重の差なのかもしれない。
少なくとも、自分は悪魔だけにはならないようにする所存だ。
「そうみたいだな。一時的とはいえ、宗教団体と悪魔たちの利害が一致したというわけだ。真面目に神を信じている者たちが悪魔の掌で踊らされていたというのは何とも皮肉な話だが」
「確かに、皮肉が利きすぎていますね。宗教に頼っている人たちも、この世界に満ちている悪辣な皮肉をもっと知れば良いのに」
この話を宗教に傾倒している人たちに聞かせたら、どんな反応を示すだろうか。やはり、妄信振りを見せて、茶番のような話だと一蹴するのだろうか。
何にせよ、自分の母親は聞く耳を持たないだろう。
もし、聞く耳があるのなら、とっくに自分や父親の言葉を受け入れて宗教からは足を洗っている。
それができないから今があるのだ。
とはいえ、母親の説得を諦めるつもりは毛頭ない。
その意思があるからこそ、命の危険も顧みずに羅刹神やエル・トーラーと戦ったわけだし。あの戦いが無駄だったとは思いたくない。
「ああ」
ソフィアは何かを感じ入るように目を伏せると、そう返事をした。
「最後に尋ねますが、この町はこれからどうなるんですか?」
この町の行く末こそ本当に案じなければならないもののはずだ。
勇也もまた何かの企みで、この町が利用されるのを許すつもりはないし、その時が来たら万難を排して戦うつもりだった。
「どうにもならんよ。モニュメントの仕掛けについてはイリア君が全て破壊してくれたし、これで神が頻繁に生まれるようなことはなくなる」
イリアのやることに手落ちはないか。粗忽なようで、意外なほど几帳面なところを見せるのがイリアだし。
だから、家事全般もそつなくこなすことができる。
「もう生まれてしまった神たちはどうすれば良いんですか? 彼らを見捨てるようなことは俺にはできません」
この町の神たちのことが、今の勇也にとっては一番の心配事だ。
「それはヴァルムナートも言っていた通り、自分で身の振り方を考えるしかない。連中は人間の子供ではないのだから、自分の意志で責任ある生き方を選ぶべきだ」
ソフィアはそこまでは面倒を見切れないといった感じで突き放すように言った。
それを聞き、あの神たちに、そういう生き方ができれば苦労はしないだろうと勇也も消沈しながら反論したくなる。
「それは大きな課題ですね。残された神たちが、また大きな問題を起こさないという保証はありませんし」
ダーク・エイジが血気に逸るような神たちに対する抑止力になってくれると考えるのはやはり都合が良すぎるか。
「そうだな。だからこそ、私もこの町から離れるわけにはいかないし、人と神の架け橋となろうとしている組織の中で奮闘させてもらうよ」
ソフィアは話を締め括るように言うと、勇也に向かって小さな箱を差し出す。それは、ヴァルムガンドルとの戦いの最中にどこかに行ってしまった護封箱だった。
ソフィアが回収してくれたのなら、礼を言うしかない。
「これは……」
勇也は心がズキズキと痛むのを感じながら、護封箱を受け取る。護封箱を触る指は緊張か、はたまた恐怖のためか微かに震えていた。
「何も言わずに開けてみたまえ。きっと今の君の心を救ってくれるはずだ」
ソフィアは微笑みながら勇也を促した。
それを受け、勇也は恐る恐る護封箱の蓋を開ける。
すると、中から光の球体が飛び出して、それは宙を泳ぐようにクルクルと回転する。何とも懐かしい光景だ。
そして、病室のベッドの上で静止すると、光の球体は猫の形を取った。
「元気にしてたか、勇也。おいらはこの通り、元気いっぱいだし、お前の活躍はちゃんとソフィアから聞いてるぞ」
護封箱の中から現れたのは体を二つに割られて死んだはずのネコマタだった。これには勇也も絶句しそうになるし、胸にも熱いものが込み上げてくる。
「ネコマタじゃないか! お前は死んだはずじゃ……」
勇也は夢でも見ているのかと思いながら、ネコマタの愛嬌たっぷりの顔を見詰めた。
「ソフィアが生き返らせてくれたんだよ。おいらを生み出せる依り代はソフィアが大切に保管してくれていたし、それに神気を注ぎ込んでもらって、この通りの状態さ!」
ネコマタは白いお腹を形の良い肉球でポンポンと叩いた。
それはいかにも陽気なネコマタらしい振る舞い方だったし、それを見て、勇也は自分の表情が丸めた紙屑のようにクシャクシャになるのを感じる。
自然と両目から涙が溢れ出てきた。
「……良かった。お前の死に顔はずっと目に焼きついたまま離れなかったし、生き返ってくれて本当に良かった……」
勇也は力が抜けたように下を向くと、ネコマタの温かくて柔らかい体の感触を確かめながら低い嗚咽を漏らす。
こんな心温まる感涙が、今までの人生にあっただろうか。少なくとも記憶にはない。
ネコマタは自分が誰を本当に大切にしているのか、それを改めて教えてくれた。自分にとってネコマタはもうイリアと同じ家族なのだ。
だからこそ、二度と家族を失うようなことがあってはならない。
家族を守るためなら、自分はどんな強大な敵と戦うことになっても何度だって立ち上がれるだろう。
それが家族の絆というものだ。
「男が簡単に涙を見せたら駄目だろ。せっかくおいらが復活したんだからもっとシャキッとしなきゃ」
ネコマタ言葉は勇也の心を優しく包み込む。それは実に温かい包容力だった。
「そうだな。お前の言う通りだよ。でも、今は涙を止められそうにないんだ……」
勇也も自分がここまで涙脆いとは知らなかった。でも、それはとても愛おしく感じられたし、誰かのために涙を流せる心を忘れてはいけない。
「おいらのことを思って涙を流してくれるのは嬉しいよ。でも、おいらは勇也がいつも明るく笑ってくれている方が嬉しいな」
そう言って、ネコマタははにかむように笑った。それを見て、勇也も鼻水を服の袖で拭い取りながら笑う。
「そっか。なら、俺も泣いてばかりはいられないし、お前が復活したお祝いもしてやるよ。やっぱり、お前が欲しいのは水月堂の饅頭か?」
饅頭が食べたいのなら、それこそ山のように買ってやっても良い。それくらい今の自分は嬉々としているのだ。
「そういうことなら、栗が入ってる饅頭を買って欲しいな。ちょっと値段は高いけど、お祝いならバチは当たらないだろ?」
「もちろんだ」
つい、栗入りは値が張るなと思ってしまった勇也はたどたどしく返事をした。
「とにかく、おいらはこれからもお前の式神として頑張るつもりだから、よろしく頼むな、勇也!」
ネコマタは竹を割ったような明るさを見せると、勇也の涙を吹き飛ばすように笑った。
「ああ!」
勇也は今度こそ涙を全て拭うと湿っぽい空気を振り払うように破顔一笑する。悲しみはもうなく、目尻に少しだけ残っていたのは嬉し涙だった。
「さてと、私はそろそろお暇させてもらうよ。繰り返すようだが私は君に組織に入ってもらいたいと思っている。ヴァルムガンドルを倒した君なら組織の体質すら変えられると思っているからな」
ソフィアの言葉に勇也は買い被り過ぎだと言いたくなる。でも、自分の力のなさを必死に釈明するのは野暮に感じられたので控えめな言葉を返す。
「持ち上げすぎですよ。俺にある力なんて微々たるものですし、ソフィアさんの期待には応えられません」
勇也はこの場合は美徳とは言えない謙遜の仕方をした。それに対し、ソフィアも息継ぎをするように笑って、涅槃にでも入るような顔をする。
「悲しいことを言ってくれるな。まあ、君らしいと言ってしまえばそれまでだし、今はそれでも良いことにしておこう」
苦笑していたソフィアだが、すぐに険しい顔で言葉を続ける。
「ただし、ヴァルムナートの最後の警告だけは忘れてくれるなよ。世界の終わりは本当に近いみたいだからな。私たちも、それに備えなければならない。でないと、取り返しのつかない後悔を味わうことになるだろう」
ソフィアは親の仇でも見るような目で窓の外を見ながらそう言うと、「ではな」と軽く言葉を発して振り返ることなく病室から出て行った。
ヴァルムガンドルとの激闘から一週間が過ぎた。
予定調和とでも言うべきか、勇也たちの戦いはダーク・エイジの組織の入念な根回しもあって映画の撮影だったというオチが付いた。
一般人に知られたらまずいことに関しても、組織が存分に働いて、隠蔽工作に奔走した。また、破壊された物も組織が多額のお金と労力をつぎ込んで、今も修復している。
というような顛末を勇也はイリアから聞いた。
そのイリアはソフィアから聞いた話だというので、そこに嘘や誤謬はないだろう。それでも、欠けている情報はあるだろうが、そういう部分に関しては改めてソフィアに尋ねれば良い。
一方、勇也は上八木市にある総合病院で療養していた。
ヴァルムガンドルとの戦いの後、すぐに意識が朦朧として倒れてしまった勇也は、そのまま、大至急、病院に運ばれた。
そこで、手厚い治療を受けたのだが、体の傷は己のものとした神気の力でほとんど治っていたのに意識だけはなかなか取り戻せなかった。
その間は、夢も見ることができなかったし、生死の境を彷徨っている感すらあった。
が、それから、ちょうど一週間が経つと、もう二度と目を覚まさないのではと思われた勇也は奇跡が起こったように目を開けた。
それはあまりにも自然な感じの目覚めだった。
その時の病室には疲労困憊したようなイリアがいて、意識を取り戻した勇也を見ると大袈裟な感じで喜びを弾けさせ、また暑苦しく抱き着いてきた。
これがまた恥ずかしかったのだが、勇也もイリアの心配は十分、理解できていたので、ただ優しく笑っていた。
その後、勇也は自分が一週間も眠っていたことを聞かされ、心底、驚いたが、最初に頭に浮かび上がったのは入院の費用のことだった。
そこがいかにも節約家を自任する勇也らしい心配の在り方だったし、そういうところは、どんなに大きな出来事があっても変わることはなかった。
そんなこんなで、意識を取り戻してから数日が経過し、勇也は早く退院できないかなと思いながら病室のベッドで朝からスマホを弄っていた。
その傍にはイリアがいて見舞い品としてもらったリンゴの皮を剥いている。そんな病室に勇也とイリアを救った立役者の一人であるソフィアがやって来た。
「思ったよりも元気そうだな、勇也君。これは見舞い品のメロンだし、高級なやつだから良く味わって食べるんだぞ」
勇也の傍らまでやってきたソフィアは病室の備え付けの棚の上に大きなメロンをどっしりと置いた。
見舞いにメロンというのはいささか安直に感じられたが、メロンのような値の張る物を持ってきてくれたのはソフィアだけだったので、その厚意はありがたく受け取っておくことにする。
「ありがとうございます、ソフィアさん。でも、お見舞いに来てくれるなんて正直、意外でしたし、一体、どういう風の吹き回しですか?」
勇也は何か裏があるのではと疑ってしまった。
裏がなければ動いてくれないのがダーク・エイジの構成員なのでは、と邪推もしていたし。
もっとも、そんな組織だったら、自分の起こしたことの後始末を請け負ってくれたりはしなかっただろう。
その点だけは理屈抜きに感謝しているのだ。
「それはまた冷たいことを言ってくれるな、勇也君。私だって人殺しも辞さないような組織にいるが人並みの感性はちゃんと持ち合わせてるんだぞ。だから、目を覚まさなかった君のことは大いに心配していた」
ソフィアは心外だとでも言いたそうな口調で言うと、あっけらかんとした顔で笑う。
その自分をからかうような様子を見た勇也は少しだけムッとしてしまった。
が、こんなことで短慮なところを見せるのも度量が小さいと思い、露骨に気分を害したような顔はしなかった。
「そうだったんですか。無神経なことを言ってすみません。でも、心配してくれたのはちょっと嬉しいですね」
お見舞いに来てくれたのは母親も含めた自分の身内だけだ。だが、彼らの態度はよそよそしく、勇也としても到底、喜べるようなものではなかった。
それだけに赤の他人であるはずのソフィアの心遣いは胸に染み渡る。と、同時にこんな人が自分の母親だったらなとまた夢想してしまった。
「素直でよろしい。とにかく、私が今日ここに来たのは君に幾つか報告しておきたいことがあったからなんだ」
ソフィアは打って変わった真剣な顔をするとそう切り出した。
「報告したいこと?」
「まず、最初に言っておくが、私は組織の幹部を解任された。君に肩入れしすぎて組織の利益を大きく損なうことをしてしまったからな。むしろ、解任だけで済んだのは僥倖と言うべきだろう。ゼルガウスト卿の寛大さには感謝だな」
ソフィアは別に気落ちしたような様子を見せるわけでもなく言ったし、むしろ、肩の荷が降りてせいせいしたような顔をしていた。
その顔を見るに何らかの重責から解放されたのは間違いない。
「はあ」
勇也は心に名状しがたい苦さが混じるのを感じる。
ソフィアが不利益を被った責任の一端は確実に自分にあるということをしっかりと認識していたからだ。
なので、そのお詫びは、何らかの形でしなければならないと思う。
「また、組織は君とヴァルムガンドルの戦いの後始末をやらされて、かなり憤懣やる方ない感情を抱いている。これは本当に困ったことだ」
イリアの時みたいに、組織が強硬な手段に打って出るようなアプローチをしてくるかもしれないことを考えると勇也の胃も締めつけられる。
命を懸けるような戦いはもう懲り懲りだ。
とはいえ、誰であろうと自分の日常を脅かそうとするのなら、その時は勇也も敢然と立ち向かうつもりでいた。
やっぱり、自分の平和は自分で守らないとな。他人から与えられた平和は得てして長続きしないものだ。
「確かに困りますね。中央広場を滅茶苦茶にしてしまいましたし、その修繕の費用は一生働いても返せませんよ」
費用の返済を求められたら、自分は破産するしかなくなる。良い大学に行くという目標も諦めざるを得なくなるだろう。
せっかくイリアのおかげで、借金を完済する目途が付いていたのに。
「そういうことだ。だから、組織は君を何とかして取り込みたいと思っている。要するに恩を感じているなら、組織の一員になれということだ」
ソフィアは身も蓋もないような感じで言った。
「それはお断りさせて頂きます。組織には色々と助けてもらいましたが、やはり、俺は裏の世界の住人にはなれません」
一度、組織の一員になったら、なし崩し的に人道に悖ることをやらされるようになる気がしてならない。
それはヴァルムガンドルとの戦いで自分に力を貸してくれた大勢の人たちの想いを裏切ることになる。
清廉潔白な生き方を目指すつもりはないが、それでもみんなを失望させるような悪いことは絶対にできない。
その気持ちだけは、何があろうと決して譲れなかった。
「そう言うと思ったよ。だが、何事も食わず嫌いは良くないぞ。簡単なアルバイトという形で良いから、組織の仕事を手伝ってみないか?」
ソフィアは甘い囁きを感じさせる声で言った。
「じゃあ、考えておきます。組織についてもっと知れば、考え方が変わる可能性はありますし……」
勇也は何とも曖昧な態度で言葉を返したし、今はソフィアの言葉に押し切られないようにするだけで精いっぱいだ。
もっと泰然とした態度を持てるようにならないと人間としては駄目だな。
この先、似たような出来事があれば泥沼に足を取られることにもなりかねないし、そうなれば、後は沈み込んでいくだけだ。
勇也としても、そんな救いのない人生はまっぴらご免だった。
でも、どう息巻いても人間の心はすぐには変わらないし、成長できたと実感するにはやはり時間が必要だ。
「良い返事を期待しているぞ。君が私の仕事を手伝ってくれたら、こんなに心強いことはないし」
「でも、俺の持つ力は俺だけのものではありませんからね。あまり好き勝手なことはできませんよ」
自分の持つ力は草薙の剣の権能によって支えられている。その草薙の剣の精神は高潔の一言に尽きる。
だからこそ、遠くない将来に困難に直面した時、心の弱さに負けて道を踏み外すようなことをやらないためにも、自分が持つ力とは真剣に向き合わなければ。
でないと、草薙の剣に見捨てられることにもなりかねない。
「それは難儀だな。まあ、この話は良いとして、もし、何か聞きたいことがあるなら言ってくれ。組織も今回の件については色々と調べていて、判明したことも幾つかある」
ソフィアは声に頼もしい響きを持たせながら言った。
「なら、どうして悪魔たちは神を生み出す場所として、この町を選んだんですか? あれだけのことをしておいて理由がないというわけではないんでしょ?」
悪魔たちにとっては日本のこの町は完全に異国のはずだ。
モニュメントを設置するだけなら、どこの町でもできたことだし、上八木市に白羽の矢が立った理由はなんだろう。
まさか、実験性が極めて強かった試みを行う場所を適当に選んだというわけではあるまいに。
「それは簡単だ。この町は日本でも有数の霊的に優れた地だからだ。実際、霊脈があるところには寺や神社がたくさん建てられているからな」
ソフィアの話を聞き、勇也もようやくその点について思い至った。
数多くの神社のPRをしてきた自分が今日の今日まで上八木市の霊性を失念していたとは、抜けているにもほどがある。
もっとも、霊性なんて目に見えるものではないし、ついこの前まで普通の人間だった自分がそういった要素に目を向けられなかったとしても、別に責められるようなことではない。
「なるほど」
勇也は得心のいった顔で相槌を打った。
「霊的に優れた地は、神を生み出す土壌としては打ってつけだ。そういう意味では、この町ほど相応しい場所もあるまい」
なら、この地の霊性の強さは日本だけでなく世界にも誇れるものなのかもしれないな。そこに目を付けて再び悪さをするような連中が現れなければ良いが。
「そういうことですか。やっと納得できましたし、俺もこの町の霊性についてはもっと注目していきたいと思います」
勇也は憑き物が落ちたような顔で言った。
「それが良いな。ちなみに、この町にこぞって宗教団体の支部を立てるように勧めていたのは、どうも悪魔たちらしいな」
「悪魔たちがこの町の特殊な性質について、リークしていたということですか?」
それは笑えない事実だった。
悪魔の計略で、人々を正しく導こうとする神が生まれるなんて、何だか本末転倒の感じがしてならなかったからだ。
もっとも、神も悪魔も互いの立場を分ける境界線は極めて曖昧で、どちらに転ぶかは紙一重の差なのかもしれない。
少なくとも、自分は悪魔だけにはならないようにする所存だ。
「そうみたいだな。一時的とはいえ、宗教団体と悪魔たちの利害が一致したというわけだ。真面目に神を信じている者たちが悪魔の掌で踊らされていたというのは何とも皮肉な話だが」
「確かに、皮肉が利きすぎていますね。宗教に頼っている人たちも、この世界に満ちている悪辣な皮肉をもっと知れば良いのに」
この話を宗教に傾倒している人たちに聞かせたら、どんな反応を示すだろうか。やはり、妄信振りを見せて、茶番のような話だと一蹴するのだろうか。
何にせよ、自分の母親は聞く耳を持たないだろう。
もし、聞く耳があるのなら、とっくに自分や父親の言葉を受け入れて宗教からは足を洗っている。
それができないから今があるのだ。
とはいえ、母親の説得を諦めるつもりは毛頭ない。
その意思があるからこそ、命の危険も顧みずに羅刹神やエル・トーラーと戦ったわけだし。あの戦いが無駄だったとは思いたくない。
「ああ」
ソフィアは何かを感じ入るように目を伏せると、そう返事をした。
「最後に尋ねますが、この町はこれからどうなるんですか?」
この町の行く末こそ本当に案じなければならないもののはずだ。
勇也もまた何かの企みで、この町が利用されるのを許すつもりはないし、その時が来たら万難を排して戦うつもりだった。
「どうにもならんよ。モニュメントの仕掛けについてはイリア君が全て破壊してくれたし、これで神が頻繁に生まれるようなことはなくなる」
イリアのやることに手落ちはないか。粗忽なようで、意外なほど几帳面なところを見せるのがイリアだし。
だから、家事全般もそつなくこなすことができる。
「もう生まれてしまった神たちはどうすれば良いんですか? 彼らを見捨てるようなことは俺にはできません」
この町の神たちのことが、今の勇也にとっては一番の心配事だ。
「それはヴァルムナートも言っていた通り、自分で身の振り方を考えるしかない。連中は人間の子供ではないのだから、自分の意志で責任ある生き方を選ぶべきだ」
ソフィアはそこまでは面倒を見切れないといった感じで突き放すように言った。
それを聞き、あの神たちに、そういう生き方ができれば苦労はしないだろうと勇也も消沈しながら反論したくなる。
「それは大きな課題ですね。残された神たちが、また大きな問題を起こさないという保証はありませんし」
ダーク・エイジが血気に逸るような神たちに対する抑止力になってくれると考えるのはやはり都合が良すぎるか。
「そうだな。だからこそ、私もこの町から離れるわけにはいかないし、人と神の架け橋となろうとしている組織の中で奮闘させてもらうよ」
ソフィアは話を締め括るように言うと、勇也に向かって小さな箱を差し出す。それは、ヴァルムガンドルとの戦いの最中にどこかに行ってしまった護封箱だった。
ソフィアが回収してくれたのなら、礼を言うしかない。
「これは……」
勇也は心がズキズキと痛むのを感じながら、護封箱を受け取る。護封箱を触る指は緊張か、はたまた恐怖のためか微かに震えていた。
「何も言わずに開けてみたまえ。きっと今の君の心を救ってくれるはずだ」
ソフィアは微笑みながら勇也を促した。
それを受け、勇也は恐る恐る護封箱の蓋を開ける。
すると、中から光の球体が飛び出して、それは宙を泳ぐようにクルクルと回転する。何とも懐かしい光景だ。
そして、病室のベッドの上で静止すると、光の球体は猫の形を取った。
「元気にしてたか、勇也。おいらはこの通り、元気いっぱいだし、お前の活躍はちゃんとソフィアから聞いてるぞ」
護封箱の中から現れたのは体を二つに割られて死んだはずのネコマタだった。これには勇也も絶句しそうになるし、胸にも熱いものが込み上げてくる。
「ネコマタじゃないか! お前は死んだはずじゃ……」
勇也は夢でも見ているのかと思いながら、ネコマタの愛嬌たっぷりの顔を見詰めた。
「ソフィアが生き返らせてくれたんだよ。おいらを生み出せる依り代はソフィアが大切に保管してくれていたし、それに神気を注ぎ込んでもらって、この通りの状態さ!」
ネコマタは白いお腹を形の良い肉球でポンポンと叩いた。
それはいかにも陽気なネコマタらしい振る舞い方だったし、それを見て、勇也は自分の表情が丸めた紙屑のようにクシャクシャになるのを感じる。
自然と両目から涙が溢れ出てきた。
「……良かった。お前の死に顔はずっと目に焼きついたまま離れなかったし、生き返ってくれて本当に良かった……」
勇也は力が抜けたように下を向くと、ネコマタの温かくて柔らかい体の感触を確かめながら低い嗚咽を漏らす。
こんな心温まる感涙が、今までの人生にあっただろうか。少なくとも記憶にはない。
ネコマタは自分が誰を本当に大切にしているのか、それを改めて教えてくれた。自分にとってネコマタはもうイリアと同じ家族なのだ。
だからこそ、二度と家族を失うようなことがあってはならない。
家族を守るためなら、自分はどんな強大な敵と戦うことになっても何度だって立ち上がれるだろう。
それが家族の絆というものだ。
「男が簡単に涙を見せたら駄目だろ。せっかくおいらが復活したんだからもっとシャキッとしなきゃ」
ネコマタ言葉は勇也の心を優しく包み込む。それは実に温かい包容力だった。
「そうだな。お前の言う通りだよ。でも、今は涙を止められそうにないんだ……」
勇也も自分がここまで涙脆いとは知らなかった。でも、それはとても愛おしく感じられたし、誰かのために涙を流せる心を忘れてはいけない。
「おいらのことを思って涙を流してくれるのは嬉しいよ。でも、おいらは勇也がいつも明るく笑ってくれている方が嬉しいな」
そう言って、ネコマタははにかむように笑った。それを見て、勇也も鼻水を服の袖で拭い取りながら笑う。
「そっか。なら、俺も泣いてばかりはいられないし、お前が復活したお祝いもしてやるよ。やっぱり、お前が欲しいのは水月堂の饅頭か?」
饅頭が食べたいのなら、それこそ山のように買ってやっても良い。それくらい今の自分は嬉々としているのだ。
「そういうことなら、栗が入ってる饅頭を買って欲しいな。ちょっと値段は高いけど、お祝いならバチは当たらないだろ?」
「もちろんだ」
つい、栗入りは値が張るなと思ってしまった勇也はたどたどしく返事をした。
「とにかく、おいらはこれからもお前の式神として頑張るつもりだから、よろしく頼むな、勇也!」
ネコマタは竹を割ったような明るさを見せると、勇也の涙を吹き飛ばすように笑った。
「ああ!」
勇也は今度こそ涙を全て拭うと湿っぽい空気を振り払うように破顔一笑する。悲しみはもうなく、目尻に少しだけ残っていたのは嬉し涙だった。
「さてと、私はそろそろお暇させてもらうよ。繰り返すようだが私は君に組織に入ってもらいたいと思っている。ヴァルムガンドルを倒した君なら組織の体質すら変えられると思っているからな」
ソフィアの言葉に勇也は買い被り過ぎだと言いたくなる。でも、自分の力のなさを必死に釈明するのは野暮に感じられたので控えめな言葉を返す。
「持ち上げすぎですよ。俺にある力なんて微々たるものですし、ソフィアさんの期待には応えられません」
勇也はこの場合は美徳とは言えない謙遜の仕方をした。それに対し、ソフィアも息継ぎをするように笑って、涅槃にでも入るような顔をする。
「悲しいことを言ってくれるな。まあ、君らしいと言ってしまえばそれまでだし、今はそれでも良いことにしておこう」
苦笑していたソフィアだが、すぐに険しい顔で言葉を続ける。
「ただし、ヴァルムナートの最後の警告だけは忘れてくれるなよ。世界の終わりは本当に近いみたいだからな。私たちも、それに備えなければならない。でないと、取り返しのつかない後悔を味わうことになるだろう」
ソフィアは親の仇でも見るような目で窓の外を見ながらそう言うと、「ではな」と軽く言葉を発して振り返ることなく病室から出て行った。
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