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エピソード36 悲しみを乗り越えて

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〈エピソード36 悲しみを乗り越えて〉

 勇也は魂でも抜け落ちたかのように放心していた。

 陽気な性格で、義理堅く、何かと自分を支えてくれたネコマタが死んで、勇也は悲しみのどん底に投げ落とされてしまった。

 こんな悲しみを経験したのは生まれて初めてだった。例え親が死んでも、こんな悲しみが込み上げてくることはないだろう。

 自分がただの人間だとは理解していたが、大切な者を守れる力はあると思っていた。でも、それは幼稚な自惚れだったし、その結果がこれだ。

 自分がもっと強ければ、ネコマタを死なせずに済んだかもしれないし、全ては脆弱な人間だった自分のせいだと自責の念が込み上げてくる。

 どうして、俺はこんなに弱いんだっ!
 
 一方、ヴァルムガンドルは神気を集める装置と化していたスマホを破壊したことで満足したのか、勇也と大きく距離を取る。

 やはり、戦いに関しては余人には分からないような美学があるのか、明らかに戦意を喪失している勇也を見て、止めることはないと言っていたはずの剣を止めた。

「ご主人様!」

 イリアはヴァルムガンドルが剣を引いている隙に勇也の元へと降りてくる。だが、勇也の目は生気が感じられず虚ろだった。

「俺がもう少し強ければ、こんなことには……」

 勇也は涙をボロボロと止めどもなく流しながら、そう零した。この悲しみが、ネコマタの存在した価値に思えてならない。

 こんなにもネコマタの価値が大きかったとは思わなかった。触れ合っていた時間は決して長かったとは言えないのに。

 勇也は体を丸めて情けなくすすり泣こうとしたが、その体をイリアが乱暴に引き寄せる。

「しっかりしなさい、勇也!」

 まるで母親が発したかのようなイリアのその言葉と同時に、勇也は自らの頬にいきなり強い痛みが走るのを感じる。

 思わず涙が止まって呆けてしまったし、イリアが自分の頬を引っ叩いたことを理解するのに数秒を要した。

「イリア?」

 ご主人様と恭しく仰いでいたイリアが自分に手を上げるなんて。

「ネコマタさんの死を無駄にしないためにも、私たちは絶対に生きて帰らなければならないんです。この意味、分かりますよね?」

 イリアは子供をあやすような響きを持つ声で言った。

 それを受け、イリアの言葉の意味を自覚した勇也は根元から折れかけていた心が元に戻っていくのを感じる。

 ここで悲しみに屈して動けなくなったら本当にネコマタの死が無駄になってしまう。ネコマタの思いに応えるためにも自分は絶対に生き抜いて見せなければならない。

 そのためには、まず戦う心を蘇らせなければ。

「ああ」

 勇也は生きる気力を取り戻したような顔をすると、落としていた草薙の剣を拾い上げてキッとした鋭い目をする。

 その視線の先には何の感情も窺い知ることができないヴァルムガンドルの顔がある。

 勇也はヴァルムガンドル顔に向かって胸の内から迸る怒りをぶつけた。

「さあ、一緒にあの憎き悪魔を倒しますよ。これはネコマタさんの弔い合戦です」

 イリアは高らかに謳うような声で言ったし、今のイリアの心強さは計り知れない。現に今の彼女と共に戦えば負けることは絶対にないだろう。

 だが、そんなイリアの向こう意気を妨げるように、勇也は手振りでイリアの体を下がらせようとする。
 その目には澄みきったような光が宿っていた。

「いや、ここから先は俺一人で戦わせてくれ」

 勇也は確かな決意を持って剣を構える。

 すると、心の中に充満していた負の感情が嘘のように消える。代わりに胸が透く清らかさのようなものが心の中に満ち溢れた。

 この気持ちがネコマタが最後に自分に与えてくれたものなのだ。それは一人で戦いに臨もうとする自分の糧にしたい。

「えっ?」

 イリアは意味が分からないといった戸惑いの表情を浮かべた。

 無理もない。

 今の勇也の力でヴァルムガンドルと戦うなんて無茶を通り越して自殺行為だと思われても仕方がないことだから。

「ネコマタの仇を取りたいから言っているわけじゃない。俺はあの悪魔を自分の力で打ち倒したい。いや、乗り越えて見せたいんだ」

 勇也は自分でも意外に思えるほど静かで厳かな闘志を体に漲らせながら言った。

「…………」

 イリアは気の利いた反論の言葉が思いつかなかったのか、口を噤んだ。それを見た勇也は、イリアの心配を緩和させようと温かみのある微笑をする。

「ここでお前の力を借りたら、俺は何だか自分を許せなくなるような気がする。今後も同じような戦いが起こった時、常にお前の力を当てにしてしまう。それじゃあ、駄目だ。一歩も前に進めないような人間になっちまう」

 イリアと一緒に生きていこうとするのなら、平穏無事な生活はもう送ることができない気がするのだ。

 例え、この戦いが終わっても、次の戦いが必ずやってくる。

 そんな未来が待っている気がしてならなかったし、だったら、どんな戦いに巻き込まれても必ず勝利を掴めるような意志と力が必要だ。

 それを一番、最初に発揮できる機会が今なのだ。

 この機会を自分の人生を強く生きていくための礎にできるかどうかが、今、試されている。

 故に絶対に逃げるわけにはいかない。

 そんな勇也の強い意志が伝わったのか、イリアは何も言わずに自らの頬を伝った一滴の涙を手の甲で拭う。
 そして、しばし間を開けると、全てを受け入れたかのような表情で口を開く。

「……分かりました。ご主人様がそう決めたのであれば、私も手出しはしません。思う存分、戦ってください。ただし、負けたら承知しませんからね」

 イリアは今にも泣き出しそうな顔をしながらも、その口から発せられた言葉は浩然の気を感じさせるものだった。

「ありがとう。やっぱり、お前は最高の女神だよ。できれば、もっと早くに会いたかったな。そうすれば、今とは違う展開があったかもしれない」

 こんな時にもしもの話はしたくなかったが、それでも死んだネコマタのことを考えると吐露せずにはいられなかった。

 勇也は今生の別れになってしまうかもしれないと思いながらも、イリアのつぶらな瞳をじっと見詰める。

 今のイリアの瞳はどんな宝石も色褪せて感じられるほど綺麗だった。

 だから、長々と見詰めてしまったし、イリアもこんな時だというのに女の子らしい照れた顔をする。

「それは言わないお約束ですよ。どうせ見詰めるなら、過ぎ去った辛い過去ではなく、これから訪れる明るい未来にしてください」

 イリアのどこか茶目っ気のある言葉を聞き、勇也は擽ったそうな顔で笑う。それを見て、イリアも満天の星空でも見ているような晴れ晴れとした顔で笑った。

 そのやり取りは二人の間にある目には見えないが確かな絆の証だった。その絆を断ち切ることは神にも悪魔にもできない。

「吾輩と一人で戦おうとは、その心意気や良し」

 ヴァルムガンドルは剛腹な感じで笑うと快哉とばかりに言葉を続ける。

「それならば、吾輩も心置きなく全力でこの勝負に臨ませてもらうし、空は飛べないであろうお前を相手に卑怯な空中戦を仕掛けたりはせぬ」

 ヴァルムガンドルは武人としての誇りを全て戦いへの意気込みに転化するように宣言して見せた。

 それを受け、勇也も自らの戦意を心地良く放出させる。

 もはや最後の舞台は整った。

 後は自分に与えられた役を必死に演じるのみだ。

「そうか。なら、かかって来い、ヴァルムガンドル! いい加減、この戦いに決着をつけようぜ!」

 心の導火線に火がついたような勇也は草薙の剣を不撓の精神で構えると、裂帛の気合を込めながら叫んだ。

 それに言葉なく応じるかのように、ヴァルムガンドルは大剣を振り下ろして全てを飲み込まずにはいられない光の塊を放ってきた。

 相手の潔さを認め、尋常な勝負を臨みつつも純粋な剣と剣を打ち合う勝負をしてこないところが悪魔の厳しさだ。

 が、イリアとの戦いで相当なダメージを負い、その回復のためにエネルギーを割いたのか、光の塊に今までのような威力はなかった。

 迫りくるスピードも見るからに減衰している。

 これなら、かわせると勇也は的確に判断しつつ、後ろではなく前に向かって疾走した。

 距離を開けた戦いではヴァルムガンドルの方に圧倒的な部があるし、それは力が落ちている今でも変わらない。
 なら、速やかに接近戦に持ち込むしか勝機はない。

 勇也は残像すら生み出すスピードでヴァルムガンドルとの間合いを詰める。

 草薙の剣も勇也が力を出しきった反動で死んでしまうことも覚悟の上で勇也の身体能力を跳ね上げている。

 後のことを憂いていては、ヴァルムガンドルには打ち勝てない。

 ここで死力を尽くさずしていつ尽くす!

 勇也は二発目の光の塊を斜めに進み出ながら寸前のところでかわす。
 そのまま剣を振りかぶるとヴァルムガンドルに三発目の光の塊を打ち出す時間を与えないように、彼我の距離を一気に縮める。

 ヴァルムガンドルも接近戦が避けられないことを瞬時に理解したのか、光の塊を打ち出すのではなく、イリアを散々、苦しめた時と同じように自らの大剣に大量のオーラを纏わせた。

 勇也は毒々しい光を放つ大剣の威容に気圧されることなく、無数の残影を刻みながらヴァルムガンドルに斬りかかる。

 ヴァルムガンドルはその一撃を余裕を持って受け止めたが、突如、ガクンと大剣を持つ左手をだらけさせる。

 左手がブランと垂れ下がったのを見るに、どうやらイリアの攻撃で罅の入っていた腕の骨が、自分の斬撃を受けた際に砕けてしまったらしい。

 これにはヴァルムガンドルも苦痛に大きく顔を歪ませたが、それでも片手で持った剣を取り零すような真似は見せない。

 その我慢強さはさすがだと勇也も敵ながら称賛したくなった。

 ヴァルムガンドルは片手でも大剣を軽々と振り回して見せると、勇也の頭上に巨岩をも両断する唐竹割を繰り出した。

 勇也はそれを間一髪のところで避けて見せる。

 両手による万全を期した一撃だったら、自分の体は真っ二つになっていたことだろう。今はイリアが与えてくれたダメージに感謝するしかない。

 勇也は限界を超えてしまったような力で体を動かす。

 その動きから繰り出される無数の突きはもはや自分の目でも視認できるものではなく、まさに無限の剣閃とでも言うべきものだった。

 が、それを片手で握る大剣で悉く捌いて見せるヴァルムガンドルの至妙な動きもまた悪夢染みていた。

 勇也はこれだけ力の差を縮めても尚、ヴァルムガンドルの体に自分の剣は届かないのかと阻喪な気持ちに圧し潰されそうになる。

 その心の隙を突くようにヴァルムガンドルは豪風を纏った斬撃を勇也の体に向かって乱舞させる。

 その際、全てを燃やし尽くす炎が、勇也とヴァルムガンドルの間にある空間で猛り狂った。

 勇也は身も心も切り裂くような剣撃と触れただけで体を燃やし、焼き焦がす紫色の炎が精妙なタイミングで襲い掛かってくるのを何とか防ぎきろうとする。

 が、やはり対応しきれずに、肩や太腿が掠めた斬撃で血飛沫を上げ、服や露出していた肌が猛威を振るう炎に焙られ燃え上がった。

 それでも勇也は体を燃やす炎を気にも留めていないような動きで、ヴァルムガンドルの死の風を纏った斬撃の嵐を食い止め続ける。

 精神のタガが完全に外れてしまい、恐怖という感情が完璧にマヒしてしまっていた。だが、それはこの局面においてはプラスに働いた。

 ヴァルムガンドルから押し寄せてくる斬撃の嵐がほんの僅かの間、途切れると、勇也は決死の反撃に打って出るように神域にも達した動きで、際限というものが全くないような連続した突きを放つ。

 その神がかった速さの突きはさすがのヴァルムガンドルでも捌き続けられるものではなく、次々と深い刺し傷を負う。

 ここに来て両者の互いに一歩も譲らない攻防は完全に拮抗した。

                  ☆★☆

 戦いの場へと辿り着いていたソフィアは、すぐには助け舟を出さず様子を窺っていた。

 しかし、その手はスマホを握っていて、勇也とヴァルムガンドルの戦いを撮影し、それをVTUBEのサイトでライブ配信していた。

 ソフィアが勇也たちの戦いに加勢しなかったのは、例え何があろうと自分の姿を衆目に晒す危険を冒すわけにはいかないというダーク・エイジの幹部としての冷静沈着な弁えだった。

 が、それでも勇也たちのために何かできないのかと思った彼女は、自然と勇也とヴァルムガンドルの戦いをこの町の全ての住民たちに届けなければという使命感に燃えた。

 勝敗はともかく、自分の町を守ってくれている人間の直向きな姿を誰かの目に届けずにはいられなかったのだ。

 だからこそ、動画の詳細欄では上八木市が持つ特殊な性質のことも、神気のことも余すことなく説明しておいた。

 例えイリアのように神気を集められなくても、意味はあることだと自身に言い聞かせながら。

                 ☆★☆

 二十八歳の会社員の男性が「あいつは確か柊勇也だったよな。何で、あいつにあんな凄い戦い方ができるんだ?」と疑問を呈する。

 十九歳の男子大学生が「ボロボロじゃないか! イリアに任せていれば勝てる戦いなのに、何で一人であんなに体を張ってるんだよ!」と痛みを覗かせた顔で目を逸らす。

 秋葉原の町をこよなく愛するオタクの男性が「もう良いよ、勇也君。君がそんなに傷ついてまで戦う理由はないはずだろ?」と悲哀の言葉を滲ませる。

 高校中退の虐められニートの少年が「なに一人で格好つけてるんだよ! ペンより重い物は持ちたくないんだろ? なのに、何であんなにボロボロになるまで戦えるんだよ、ちくしょう!」と言って握り拳をブルブルと震わせる。

 小学生の少年が「イリアちゃんと二人で戦ってよ! そうすれば絶対に負けないんだから!」と悲痛な顔で訴える。

 ファミレスで働いているアルバイターの男性が「幾ら何でも無茶だ! これ以上、あんな化け物と戦ったら本当に死んじまう!」と心を激しく揺さぶられる。

 アイドルの追っかけフリーターの男性が「お前はただの人間だろ、柊勇也! そこまでして戦わなければならない理由って何だよ!」と理解に苦しむといった顔をする。

 メイド喫茶で店長を務めている男性が「あいつは何のために戦っているんだ? 俺たちとあいつとでは人間として何かが違うとでも言うのかよ!」と疑念を火の粉ように吹き上げさせる。

 いつもは普通の女子中学生でたまにコスプレイヤーに変身する少女が「もう止めてよ! これ以上、無理をしたら死んじゃうし、あなたのことが大好きなイリアちゃんを悲しませないでよ!」と大粒の涙を流しながらあらん限りの声で叫ぶ。

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