上 下
35 / 40

エピソード35 逆転劇

しおりを挟む
〈エピソード35 逆転劇〉

 イリアは温かく心地の良い神気が体中を行き巡るのを感じながら、パッチリと目を開く。

 まだ戦える。

 弱り果てていた自分に力を与えてくれる人たちがたくさんいたのだ。自分は今、多くの人のかけがえのない思いを背負って立った。

 絶対に、絶対に負けられない!

 一方、ヴァルムガンドルは満を持して繰り出した自分の一撃がいとも容易く受け止められたことに、驚き惑っているようだった。

「どこにこんな力が……」

 ヴァルムガンドルは剣を一旦、引いて、警戒するようにイリアとの間合いを取ると、再び隙のない動作で大剣を構えて見せる。
 ただ、その目には自らの鉄の意志すら切り崩されているような揺らめきがあった。

「本当の戦いはこれからですよ、ヴァルムガンドルさん。さあ、覚悟はよろしいですか?」

 イリアの口調にはいつものような不遜なまでの自信が戻っていた。

 事実、今のイリアは誰にも負ける気がしなかったし、浮かべている余裕の笑みも単なるこけおどしではない。

 強大な力を持つヴァルムガンドルを前にしても気負うところが全くなく、どこまでも平然としていられる自分自身が不思議に思えてならないほどだ。

 反撃の狼煙を上げるのは今しかない。

 目にもの見せてやろう。

 このみんなの思いが詰まった大切な力を。

 イリアは有り余るほど体に満ち溢れているエネルギーを使って、少しでも触れようものならたちまち肉が弾け飛ぶようなスパークをする光の玉を作り出す。

 良い感じにエネルギーが自分の体の中で流動しているのを感じたし、今ならきっとヴァルムガンドルにも通じる力が放てる。

 そして、イリアは自分でもイメージが追いつかないほどの破壊の力が籠った光の玉を目にも留まらないような電光石火の速さで打ち出した。

 当然、ヴァルムガンドルは今までのルーティンの繰り返しのように大剣で光の玉を弾き飛ばそうとする。

 が、ヴァルムガンドルは予想していなかった衝撃を感じたように、グッと苦悶の表情を浮かべる。

 光の玉は振り払われた大剣を強引に押し返すと、そのままヴァルムガンドルの体にまともに命中した。

 その瞬間、光の玉は空間を撓ませると、ヴァルムガンドルの肉体そのものを爆ぜ割って見せるように恐ろしい規模の大爆発を引き起こす。

 その破壊力ときたら激甚たるもので、一目散に逃れるようにして爆発から飛び出たヴァルムガンドルの体からは白煙が立ち上り、また体の至るところからは大量の血が噴き出していた。

 その傷だらけの顔には確かな苦痛の跡が見て取れる。

 初めてヴァルムガンドルの体にダメージらしきものを与えられたので、イリアも手応えはあったと心の中でガッツポーズを決めた。

 今の自分の力なら間違いなく通じる。

 全ては自分の体にたくさんの神気を届けてくれた人たちのおかげだ。

 まだまだ戦える!

「この力は何だ? 吾輩の与り知らないところで何が起きたというのだ?」

 ヴァルムガンドルはイリアの力が目を見張らなければいられないほど唐突に増大したことに困惑を隠しきれないようだった。

 イリアも何の説明もしないでおくのは何だかフェアな精神に反することだと思い、ゆっくりとそれでいて事も無げに口を開く。

「確かに、盤石たる存在のあなたからしたら、やはり、私はぽっと出の神なのかもしれません。ですが、あなたを上回る力を得られる可能性はそこにあったんです」

 イリアは学校の教室で講義でもするかのように説明を始める。それに対し、ヴァルムガンドルは益々、疑念を深めるような顔をして見せた。

「どういうことだ?」

 解せない顔をするヴァルムガンドルは大剣の切っ先をイリアに向けたまま、浮足立っているような声で尋ねた。

「まだ分からないんですか? 神気によって支えられている私のような神は確かにしっかりと定まっているような力を持つことはできません。ですが、やはりそれが大きな可能性なんです」

 イリアはヴァルムガンドルの理解が及ぶように簡潔さを心がけている説明をする。

「お前の体に注ぎ込まれる、この神気の流れは、まさか!」

 合点がいったような声を上げたヴァルムガンドルはここに来てようやく神気の流れを探ったのか、驚き入るような表情を浮かべた。

「そうです。力は定まりませんが、それは人間の信仰心の強さと量次第で、どこまでも力が増大する可能性を秘めているということなんです。力の量というものが完全に定まってしまっているあなたにはできない芸当ですね」

 イリアは勇也がスマホを翳して、自分たちの戦いを撮影しているのを知っている。それが自分の力をこうも檄的に底上げしたことにも気付いている。

 だからこそ、勇也の機転の利いた行動には心の中で拍手と喝采を送るしかなかった。

「なるほどな。道理で手強いはずだし、それがこの町の神の可能性というわけか。神を生み出す仕組みを作った一人の吾輩がそのことを失念していたとは。いやはや、とんだ間抜けにもほどがあったな」

 ヴァルムガンドルは敬服したような顔で言葉を続ける。

「いずれにせよ、そこまでの自信を見せられるほどの力を得たというのなら、吾輩としても相手にとって不足はない。全力でお前を叩き潰しに行かせてもらうぞ」

 ヴァルムガンドルはもはや一欠片の油断も見せずに、大剣の刀身に目が眩むような強い光を纏わせて見せた。

 今のイリアと同じく、ヴァルムガンドルの体から発せられるエネルギーの波動の強さもまた並外れている。

 どんな力を得ようとヴァルムガンドルが手強い相手であることに変わりはない。

 そして、ヴァルムガンドルは雷光の如きスピードで、戦いを仕切り直すようにイリアへと果敢に斬りかかる。

 が、逃げる気は毛頭ないとイリアは不敵に笑う。

 死を体現したような斬撃が迫るのに対し、イリアはヴァルムガンドルの大剣をさして力を入れていないような細腕で握るステッキで苦もなく受け止めて見せる。

 今までのような体が大きく軋み、耐えきれないような衝撃はもう伝わってはこなかった。それどころか、今のヴァルムガンドルの斬撃は驚くほど軽く感じられる。

 これがみんなの届けてくれた力……!

 ヴァルムガンドルの斬撃を完全に受け止めきれた喜びも束の間、大剣のオーラで手が燃え上がった。

 が、それを上回る自己治癒力がイリアの体をたちまち完全回復させる。炎など痛くも痒くもなかった。

 今の自分に小手先の攻撃は通用しない!

 イリアはヴァルムガンドルの大剣を軽やかにいなして見せると、ヴァルムガンドルの体へとステッキを横殴りに叩きつける。

 そのぱっと見では分からないほどの重みを秘めた殴打はヴァルムガンドルの脇腹にもろに命中する。
 それから、鋼鉄を遥かに超えるという頑強さを誇る体の肉を圧し潰し、骨を砕いた。

「グハッ!」

 ヴァルムガンドルはたまらず口から血塊を吐き出す。

 その表情は大きく歪んでいた。

 これほどの苦痛に満ちた反応を見せたのは初めてだったし、絶対に大きなダメージを受けている。

 であれば、畳みかけるのはこの機を置いて他にない。

 イリアは変幻自在の動きを見せながらヴァルムガンドルの体にまるで嵐が巻き起こったかのようにステッキを絶え間なく何度も叩きつけた。

 ヴァルムガンドルは自分に加えられる神速すら超えたスピードを持つ攻撃を受け止めることができずに、体のあらゆる個所に熾烈極まりない殴打を浴びてしまった。

 それはまさに一方的な展開で、ヴァルムガンドルの体には生々しい無数の傷跡が連鎖的に刻みつけられていく。

 そして、とうとうヴァルムガンドルは張り詰めていた力の糸が切れたかのように、頭から地面へと落下していった。

 ズドンッと岩石でも落ちたかのような轟音が辺りに響き渡る。

「お、おのれ、吾輩が剣を交える攻防で、こうも後れを取るとは……」

 悔し気に言葉を吐き出すと、ヴァルムガンドルは地に落ちた体を何とか起き上がらせようとする。

 しかし、すぐにはそれができず、やはりイリアから雪崩を打つように与えられたダメージは大きかったようだ。

 イリアはそんなヴァルムガンドルを見て、これ以上、戦いを長引かせるのは危険かもしれないと思う。

 追い詰められた者は、得てして予想ができないような行動をして見せるものだから。手負いの獅子の力を甘く見てはいけない。

 イリアは一気に蹴りをつけてしまおうと自分が誕生して以来、一番のエネルギーを込めた光の玉を作り出した。

 今なら大きな噴水を破壊したヴァルムガンドルの光の塊以上の威力を生み出すことができる。これが決まれば、この長かった戦いにも確実に決着はつくだろう。

 イリアはヴァルムガンドルに向かって太陽の如き大きさと神々しい輝きを見せるエネルギーの充溢しきった光の玉を放とうとした。

 が、そこで誤算とも言うべきことが起きる。

 ヴァルムガンドルの視線が自分ではなくスマホを翳している勇也の方に向いていたからだ。ヴァルムガンドルの顔には目から鱗といったような感情が生じていた。

 それを見たイリアは全身に震駭するような刺激が駆け巡るのを感じる。思わず心の中でしまったと叫んでしまった。

「貴様だったのか、小細工を弄していたのは!」

 怒号を発したヴァルムガンドルは大剣を大きく振り翳すと勇也に向かって体の傷をものともしないように跳躍し、全てを断裂する勢いで斬りかかる。

 それを止めることはイリアにもできない。

 完全な失態だ!

「危ない、勇也!」

 勇也が斬り伏せられようとしたその時、ネコマタがヴァルムガンドルの前に飛び出る。そのままネコマタは大剣による一撃を浴びて、真っ二つになった。

 それを見たイリアは心からサーッと今までの高揚感が消えていくのを感じる。

 と、同時にヴァルムガンドルの大剣から生み出された凄まじい剣風は勇也の手からスマホをもぎ取る。

 スマホは大きく吹き飛ばされて地面に落ち、液晶の画面はバリンッと割れてしまった。

 が、勇也は壊れたスマホの方には目をくれずに、体の輪郭を霞ませているネコマタの方を見る。

 ネコマタは痛みすら感じ取れないのか、何とも弱々しい笑みを浮かべていた。

「大丈夫か、ネコマタ! しっかりしろ! 絶対に死ぬんじゃないぞ!」

 勇也は二つに分かれ、血の代わりに光の鱗粉を垂れ流しているネコマタの痛ましい体を必死の形相で抱きしめる。

 だが、ネコマタの顔にはくっきりと死相が浮かんでいた。

「……ごめん、勇……也。おいら……弱っちいから、こんなことしか……できなくて……。また水月堂のお饅頭を……一緒に……食べたかった……な……」

 そう切れ切れの声を絞り出すとネコマタは「少しの間……だったけど……勇也と暮らせて……本当に……楽しかったよ……。おいらは……ここで……さよならだ……。でも、勇也は……必ず生きて……イリアと幸せに…………」と言って、安らかな笑みを浮かべたまま消えてしまった。

「ね、ネコマターーーー! うぅぅぁぁぁぁぁーーーーー!」

 勇也は泣き叫びながらネコマタの体をより強く抱きしめようとしたが、その手は虚しく空を切る。

 ネコマタの体の輪郭はもはやどこにも残っていなかった。ネコマタは勇也の身代わりとなって死に、消滅してしまったのだ。

 その事実に、勇也は血のような涙を流しながら、怒りと悲しみが綯い交ぜになったかのような慟哭を上げた。


しおりを挟む

処理中です...