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エピローグ7・決別
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屋敷内にある、使用人用の控え室。ノックをすると、掃除婦が中から出てきた。
「………はぁ……待ってました。アルフレッド坊ちゃん」
「ああ。すまないね。それで、ナタリーは…」
「アルフレッド!!!!」
自らの声を遮る様に聞こえてきた甲高い声に、思わず背筋が伸びた。切羽の詰まった声色は自分の心情と重なる所もあり、元々重かった肩身に益々重心がかかる。
覚悟を決めて掃除婦の背に目をやると、そこには予想通りの人物が待ち構えていた。
「アルフレッド……!」
しかし、その格好は予想と違って随分と見窄らしく、髪はボサボサで、唇は真っ青に染まり、腫れた瞳と頬は哀れっぽかった。貴族の令嬢というよりも、浮浪者だとか借金追われだとか、そう言った貧しさを感じさせる容貌である。
思わず、記憶の中のナタリーとの違いに一瞬言葉が止まった。
「ああ……嬉しい。会いにきてくれたのね…」
会いにきたのはお前だろう、と喉元まで出かかった。しかしぐっと言葉を飲み込み、何を言うべきか考える。
「私、本当に自分が愚かなことをしたと思って、反省しているわ。私がバカだった。ソフィアさんがアルフレッドとあんまりに仲が良いから、嫉妬したの」
「……………」
ぴくり、と指先が動いた。
何と言葉をかけるべきか、そればかりを考えていた頭がスッと冷えて、モヤモヤと燻っていた胸の霧が薄まる。ぼんやりとした脳内で、ナタリーが今口にした言葉だけが繰り返し反芻された。
『アルフレッドとあんまり仲が良いから嫉妬して……』
___それは、ソフィアがナタリーをいびる原因だと思い込んでいた理由付けだった。
「でも、全部がほんとじゃないの。少しの行き違いもあるのよ。私、それを話したくてここまで来たの。それに、ソフィアさんにも謝りたいわ。本当に…っ私が愚かなせいで、どれだけ傷ついたことか……」
「………………………」
「今までのこと、全部会って謝りたいの。他人としてじゃなく、今度こそ、家族としてやり直したい。ソフィアさんだけじゃなく、お義母さまやお義父様、レオンくんとも……」
「………………………………」
「…ねえ、私ね、このままだと平民になるか、娼婦になるか、異国のおじさんに嫁がされちゃうの。それしか選択肢がないんだって、お父様に言われた……っ。私、そんなの嫌……。だって、だってね、私……」
「……………」
「アルフレッドのこと、愛してるから…」
「…………アルフレッド?」
自分が好きな女は、こんなにも醜く、惨めで、愚かな生き物だったろうか。
ペラペラと用意されたような言葉を喋る彼女の姿は演技臭くて、瞳に映る焦燥と執着は見ていられなかった。擦り寄ってきた手もギラギラした表情も、かつて己に媚を売ってきた女性達となんら変わらない。素朴で飾り気のない、かつての彼女はどこにもおらず、飾り気が無いどころか格好はボロボロだ。見窄らしい衣服に伽藍等みたいなギラギラした目だけが浮いていて、それが怖気のつくほど不気味だった。
ソフィアの目には、常にこの本性がつぶさに見えていたのだろう。
結局自分が見ていたのは幻想に過ぎず、これがナタリーの本当の姿なのだ。妹にだけ見せていた醜悪さを、今は取り繕う暇もないらしい。
嗚呼、けれど。
どうしようもなく、安堵して、嬉しいのだ。
ナタリーを「可哀想」だとは思わなかった。
ただ「醜い」と、「見窄らしい」と思った。
僕はとっくにこの女を愛してなんかいなかった。情なんて残っていなかった。懸念事項はすべて懸念のままで、心配する必要なんてこれっぽっちも無かったのだ。
そう思えたら、なんだかおかしくて、笑えてきた。
「ふ、ふふ」
「あ、アルフレッド……?」
ぽとりと、頬が何かを伝っていく。嬉し涙だろう、きっと。
「ふふふ。ふふ、ふ」
「ねえ、なんで泣いてるの、大丈夫…?」
初恋だった。
初めて家族になりたいと思った女だった。
愚かな自分が傷つけた、何よりも大事な妹。彼女に償うには、この初恋を捨てる他ない。いや、自分ではとっくに捨てていたのだろう。
ああ、自分の間抜けさに、反吐が出る。
「ナタリー」
「!な、なに?」
「きみのことが、好きだった」
「わ、わたしも…」
「今はもう、ただただどうでもいい」
「………はぁ……待ってました。アルフレッド坊ちゃん」
「ああ。すまないね。それで、ナタリーは…」
「アルフレッド!!!!」
自らの声を遮る様に聞こえてきた甲高い声に、思わず背筋が伸びた。切羽の詰まった声色は自分の心情と重なる所もあり、元々重かった肩身に益々重心がかかる。
覚悟を決めて掃除婦の背に目をやると、そこには予想通りの人物が待ち構えていた。
「アルフレッド……!」
しかし、その格好は予想と違って随分と見窄らしく、髪はボサボサで、唇は真っ青に染まり、腫れた瞳と頬は哀れっぽかった。貴族の令嬢というよりも、浮浪者だとか借金追われだとか、そう言った貧しさを感じさせる容貌である。
思わず、記憶の中のナタリーとの違いに一瞬言葉が止まった。
「ああ……嬉しい。会いにきてくれたのね…」
会いにきたのはお前だろう、と喉元まで出かかった。しかしぐっと言葉を飲み込み、何を言うべきか考える。
「私、本当に自分が愚かなことをしたと思って、反省しているわ。私がバカだった。ソフィアさんがアルフレッドとあんまりに仲が良いから、嫉妬したの」
「……………」
ぴくり、と指先が動いた。
何と言葉をかけるべきか、そればかりを考えていた頭がスッと冷えて、モヤモヤと燻っていた胸の霧が薄まる。ぼんやりとした脳内で、ナタリーが今口にした言葉だけが繰り返し反芻された。
『アルフレッドとあんまり仲が良いから嫉妬して……』
___それは、ソフィアがナタリーをいびる原因だと思い込んでいた理由付けだった。
「でも、全部がほんとじゃないの。少しの行き違いもあるのよ。私、それを話したくてここまで来たの。それに、ソフィアさんにも謝りたいわ。本当に…っ私が愚かなせいで、どれだけ傷ついたことか……」
「………………………」
「今までのこと、全部会って謝りたいの。他人としてじゃなく、今度こそ、家族としてやり直したい。ソフィアさんだけじゃなく、お義母さまやお義父様、レオンくんとも……」
「………………………………」
「…ねえ、私ね、このままだと平民になるか、娼婦になるか、異国のおじさんに嫁がされちゃうの。それしか選択肢がないんだって、お父様に言われた……っ。私、そんなの嫌……。だって、だってね、私……」
「……………」
「アルフレッドのこと、愛してるから…」
「…………アルフレッド?」
自分が好きな女は、こんなにも醜く、惨めで、愚かな生き物だったろうか。
ペラペラと用意されたような言葉を喋る彼女の姿は演技臭くて、瞳に映る焦燥と執着は見ていられなかった。擦り寄ってきた手もギラギラした表情も、かつて己に媚を売ってきた女性達となんら変わらない。素朴で飾り気のない、かつての彼女はどこにもおらず、飾り気が無いどころか格好はボロボロだ。見窄らしい衣服に伽藍等みたいなギラギラした目だけが浮いていて、それが怖気のつくほど不気味だった。
ソフィアの目には、常にこの本性がつぶさに見えていたのだろう。
結局自分が見ていたのは幻想に過ぎず、これがナタリーの本当の姿なのだ。妹にだけ見せていた醜悪さを、今は取り繕う暇もないらしい。
嗚呼、けれど。
どうしようもなく、安堵して、嬉しいのだ。
ナタリーを「可哀想」だとは思わなかった。
ただ「醜い」と、「見窄らしい」と思った。
僕はとっくにこの女を愛してなんかいなかった。情なんて残っていなかった。懸念事項はすべて懸念のままで、心配する必要なんてこれっぽっちも無かったのだ。
そう思えたら、なんだかおかしくて、笑えてきた。
「ふ、ふふ」
「あ、アルフレッド……?」
ぽとりと、頬が何かを伝っていく。嬉し涙だろう、きっと。
「ふふふ。ふふ、ふ」
「ねえ、なんで泣いてるの、大丈夫…?」
初恋だった。
初めて家族になりたいと思った女だった。
愚かな自分が傷つけた、何よりも大事な妹。彼女に償うには、この初恋を捨てる他ない。いや、自分ではとっくに捨てていたのだろう。
ああ、自分の間抜けさに、反吐が出る。
「ナタリー」
「!な、なに?」
「きみのことが、好きだった」
「わ、わたしも…」
「今はもう、ただただどうでもいい」
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