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第6話・弟から見て
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一つ歳上の姉は、幼い自分にとってこれ以上ないほど美しく、聡明な女性だった。
男兄弟に囲まれて育ったせいか、やや箱入りな面があり、人の悪意に疎い鈍感さも持ち合わせていたが、短所と言えばその程度で、勉学も裁縫も、右に出る者はいない程の腕前だった。
僕は、いや、僕たち家族は、そんな姉が大好きだった。両親は唯一の女の子である姉に過保護気味だったし、兄もシスコンと形容して差し支えないほど彼女のことを大切にしていた。勿論僕も、そんな姉のことを一心に尊敬し、敬愛していた。一つしか歳が違わないからか、妹のように感じられることも多々ある。物心ついた頃にはお姉さんぶりたい姉を愛らしく思い、かわいい弟を演じる程度には庇護欲のようなものを感じていた。
だから、兄が婚姻したことを話してくれたときには、姉の様な素晴らしい女性が来るのではと期待に胸を膨らませていた。
しかし、現実は残酷なものだった。兄が選んだ女性の名前はナタリー。子爵位の、それほど高名でもない家の御令嬢。別に、爵位の差なんてどうでもいい。子爵と侯爵ならあり得ない話ではないし、父母は渋っていた様だが、今時珍しいことでもない。
問題は、僕自身に向けられる、欲望の籠った瞳だった。
彼女は、兄がいるというのに頻繁に僕を自室に誘い、二人きりになることや、長く話をすることを望んだ。時には彼女自身のお金ではない、兄、いや両親のお金で買った高価な菓子で釣ろうとすることもあり、一度だけ菓子をつまみに雑談に興じた時には、高級なそれが砂の様に感じられた。
ナタリーは自分の自虐に見せかけた自慢話や、僕への過剰な褒め言葉、そして姉への悪口しか口にしなかった。
それだけなら、まだいい。許せる許せないは置いておいて、被害者は僕だけだった。姉への陰口も、誰にも伝えなければいいことだ。ナタリーのような平凡な娘の周りに姉の様な愛されて育った美しい少女がいれば、劣等感は多少なりとも感じるだろう。
しかし、度し難いことに、ナタリーは陰口では飽き足らず、姉にまで手を出した。それは僕に対する気持ちの悪い行為と比べて大層陰険で、眉を顰める様な醜悪な理由からだった。
両親や兄はあの女に騙されて姉のことを嗜める様になったが、僕は違う。姉の話したことが全て事実であると、実感として分かっていたし、何度も涙を流す姉を慰めたのだ。双子の様に過ごしてきたのだから、刺繍のクセや、彼女がするであろう言動だってなんとなく分かる。ナタリーを信じ、姉を疑う余地などどこにもなかった。
僕が両親や兄に抗議したことも何度かあった。しかし、僕はもともとナタリーを毛嫌いし、同居や結婚にも断固反対していたので、信じてはもらえなかった。それに、あまり大々的に庇うこともナタリーのあの粘着質な視線を思い出せば憚られる。嫉妬心から、姉への被害がもっと大きくなりかねない。
なにより、両親はナタリーの演技力にすっかり騙されている。最早、姉を信じているのは家族の中では僕一人、そして屋敷中の使用人のみだった。仕事を奪われ、中途半端な雑さで丸投げされる雑事に彼等は「結果的に仕事が増えるだけだ」と怒っていたし、若い男の使用人なんかは自室に誘い込まれることも多いらしく、憤っていた。この屋敷の者は皆、なんだかんだ僕たち家族を敬愛してくれている。だから、僕と同様に兄を裏切る様な行動ばかりする彼女を憎らしく思っていたのだ。
だから、その敬愛を裏切らないためにも、ナタリーは追い出さなくてはならない。姉の泣き腫らした顔と、縋る華奢な手を、ずっと覚えている。
一ヶ月後の食事会の報せを聞いて使用人一同を集めたのは、そのためなのだ。
男兄弟に囲まれて育ったせいか、やや箱入りな面があり、人の悪意に疎い鈍感さも持ち合わせていたが、短所と言えばその程度で、勉学も裁縫も、右に出る者はいない程の腕前だった。
僕は、いや、僕たち家族は、そんな姉が大好きだった。両親は唯一の女の子である姉に過保護気味だったし、兄もシスコンと形容して差し支えないほど彼女のことを大切にしていた。勿論僕も、そんな姉のことを一心に尊敬し、敬愛していた。一つしか歳が違わないからか、妹のように感じられることも多々ある。物心ついた頃にはお姉さんぶりたい姉を愛らしく思い、かわいい弟を演じる程度には庇護欲のようなものを感じていた。
だから、兄が婚姻したことを話してくれたときには、姉の様な素晴らしい女性が来るのではと期待に胸を膨らませていた。
しかし、現実は残酷なものだった。兄が選んだ女性の名前はナタリー。子爵位の、それほど高名でもない家の御令嬢。別に、爵位の差なんてどうでもいい。子爵と侯爵ならあり得ない話ではないし、父母は渋っていた様だが、今時珍しいことでもない。
問題は、僕自身に向けられる、欲望の籠った瞳だった。
彼女は、兄がいるというのに頻繁に僕を自室に誘い、二人きりになることや、長く話をすることを望んだ。時には彼女自身のお金ではない、兄、いや両親のお金で買った高価な菓子で釣ろうとすることもあり、一度だけ菓子をつまみに雑談に興じた時には、高級なそれが砂の様に感じられた。
ナタリーは自分の自虐に見せかけた自慢話や、僕への過剰な褒め言葉、そして姉への悪口しか口にしなかった。
それだけなら、まだいい。許せる許せないは置いておいて、被害者は僕だけだった。姉への陰口も、誰にも伝えなければいいことだ。ナタリーのような平凡な娘の周りに姉の様な愛されて育った美しい少女がいれば、劣等感は多少なりとも感じるだろう。
しかし、度し難いことに、ナタリーは陰口では飽き足らず、姉にまで手を出した。それは僕に対する気持ちの悪い行為と比べて大層陰険で、眉を顰める様な醜悪な理由からだった。
両親や兄はあの女に騙されて姉のことを嗜める様になったが、僕は違う。姉の話したことが全て事実であると、実感として分かっていたし、何度も涙を流す姉を慰めたのだ。双子の様に過ごしてきたのだから、刺繍のクセや、彼女がするであろう言動だってなんとなく分かる。ナタリーを信じ、姉を疑う余地などどこにもなかった。
僕が両親や兄に抗議したことも何度かあった。しかし、僕はもともとナタリーを毛嫌いし、同居や結婚にも断固反対していたので、信じてはもらえなかった。それに、あまり大々的に庇うこともナタリーのあの粘着質な視線を思い出せば憚られる。嫉妬心から、姉への被害がもっと大きくなりかねない。
なにより、両親はナタリーの演技力にすっかり騙されている。最早、姉を信じているのは家族の中では僕一人、そして屋敷中の使用人のみだった。仕事を奪われ、中途半端な雑さで丸投げされる雑事に彼等は「結果的に仕事が増えるだけだ」と怒っていたし、若い男の使用人なんかは自室に誘い込まれることも多いらしく、憤っていた。この屋敷の者は皆、なんだかんだ僕たち家族を敬愛してくれている。だから、僕と同様に兄を裏切る様な行動ばかりする彼女を憎らしく思っていたのだ。
だから、その敬愛を裏切らないためにも、ナタリーは追い出さなくてはならない。姉の泣き腫らした顔と、縋る華奢な手を、ずっと覚えている。
一ヶ月後の食事会の報せを聞いて使用人一同を集めたのは、そのためなのだ。
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