さらばブラック企業、よろしくあやかし企業

星野真弓

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10話 定時退社

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 傘部長に書類を提出して席に戻った私は何となく窓の外へ目をやる。
 夕焼けが街並みを赤く染め上げ、逆に空を楽し気に飛ぶ鳥たちは黒く染められている。
 きっと大村でも同じ景色を見ることが出来たのだろうが、こんなにも美しい光景を眺めた記憶は一切無い。これもホワイト企業の恩恵に違いない。

「ぼーっとしてどうした?」

 唐突な猫田さんの呼びかけで我に返った私は考え事をしていたとだけ言って、任されていたもう一つの仕事の続きを始める。
 仕事中に景色に見惚れるなんて私らしくない。そういうのは、仕事が終わってからするものだ。
 自分にそう言い聞かせながら手を動かしていると、猫田さんが私のパソコンを覗き込んで。

「もうそろそろ定時だけど、それ終わる?」

「一時間くらいで終わると思います」

「社長の意向で残業は本当に必要な時だけって決まってるから今日はその辺で辞めちゃいな。勝手に残業すると怒られるから」

「そ、そうなんですか? じゃあ、ここで辞めておきます」

 大村では勝手に定時退社すると電話で怒られ、戻って来いと命令されると聞くのにこの差は一体何なのか不思議だ。
 私はそんな事を考えながら開いていたアプリを全て閉じて、パソコンの電源を落とす。最新の機種なこともあってすんなりとシャットダウンが完了し、どこぞの三十秒は掛かるパソコンに慣れていた私は少し感動する。
 
「ここのパソコン、良いだろ?」

「最高です」

 パソコンを閉じながらそう言う猫田さんに私は自然と本音を零した。
 高速でタイピングするとフリーズしたり、少し負荷のかかる作業をすると高確率でエラーが発生したりと、どこぞのパソコンには良い思い出が無い。
 ……何時間も掛けて作成したデータが消された時は本当に発狂しそうだった。

 嫌な思い出を振り払っていると他の先輩たちも仕事を終えたらしく、あちらこちらで雑談が始まる。
 と、猫田さんは帰る支度をしながら私に。

「深川さん俺より優秀っぽいからもうちょい重要な仕事任せても良い? ミスったら俺が責任取るからさ」

「猫田さんより優秀ってことは無いと思いますけど……やってみたいです」

 お世辞でも嬉しい言葉に乗せられるように私はその提案を引き受けることにした。
 簡単な仕事だけというのも楽ではあるが、やはり少しは重要なもので無いとやりがいが無いというもの。やらせて貰えるのなら引き受けるべきだ。
 猫田さんは私がそう答えることに期待していた様子で笑うと、自分のデスクに置いてあった書類を取り出して。

「明日任せる仕事はこんな感じのやつね。大村でやったことあるんじゃないかな?」

 見せてもらうと確かに何度も大村でやったことのあるものだった。
 これなら問題無くこなせられると見た私は少し安堵しながら。

「はい、何度もやったことあります」

「なら良かった。まあ、もし分からない事とかあったら言ってくれれば教えるから遠慮無く聞いてな」

「分かりました」

 優しくそう言ってくれる猫田さんにつられるようにして私も笑い。
 そうして恐らく人生で初めての定時退社を私は経験した。
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