青の境界、カナタの世界

紺乃 安

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20 彼方の世界へ

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 かなたと亜沙美、中原の三人は後日、柳澤による事情聴取を受けた。内容は以下の通りだ。
「やあお三方。大変でしたよあの後。追跡したはいいけどあんなデカブツどうしようもないでしょ? 実際スピード出したとこで急停止されて、車の鼻先半分もリアバンパーの下に突っ込む大事故。で、車潰しちゃった上にあの初瀬にも逃げられて。仕事はあと公安に回して終わりですけどね。俺も進藤くんも鞭打ちになっちゃって、もう散々です」
「警察内部ではそんな刑罰が」
「違う、違う、首の怪我」
 柳澤が初瀬の追跡を断念したあと、応援に駆けつけたパトカーもコンテナ車を捕捉することができなかった。さらには、主要幹線道路に張られた検問も初瀬を捕らえることができず、当初は市内に潜伏していると考えられていた。
 事件から三日後、交通管制センターの民間派遣職員が一人音信不通になっているという報告があった。内部調査の結果、車両感知器のデータが交通機動隊に渡る前の段階で改ざんされていたことが判明する。そのため事件は県境を跨ぐ広域捜査に切り替えられた。だが、杏子が追跡中に報告していたコンテナ車の車両番号は、警察が誇る自動車ナンバー監視網「Nシステム」をもってしても発見されなかった。
「た、大変だったな……なんというか、あの時は、済まなかった」
「ことの重大さの割に、我々もよく無傷で済んだもので」
「いやまあ、事件発覚が深夜だったりしたら追跡もできなかっただろうし、チーフの骨折りも無駄じゃなかったんだと思いますよ」
「そ、そうか」
「しかし、初瀬というのも不思議な男だなあ。ああ、その初瀬ってのもどうやら偽名だそうで」
「さもありなん」
「矢加部さんのとこに以前、財務省時代の同僚だという人が訪ねてきたそうです。経歴は聞いたとおりでしたが、本当の名前はおそらく大友圭一郎。その同僚が言うには、あいつが出世してくれれば、頼みたいことは山程あった。何事も一人で抱え込むやつだった……と惜しまれていたらしいですわ」
「そんな人物が……わからないものですね」
 中原は顎に手を当て、考え事を始めたようだ。
「特殊法人改革派の政治家と仲良くしたりして……まあつまり、官僚の天下りや何かを止めさせようって動いてたわけで、高官からは煙たがられてたらしいですけど」
「ああ、……あれな」
「出世街道に乗れなかった官僚があぶれないように、省内にずっと法なんかも考えてたそうですが……」
法はやはりあるのですね」
「いや、そうじゃなくて……しかし、あの連中が運び去った物は何だったんだろうな」
「怪我までした俺にすら知らされてないんすよね。旧ソ連流れのブツだって言うし、かなり物騒なのは間違いないですが」
「ソ連と言えばやはり核か……」
「また短絡的な」
「そしてFBIがしゃしゃり出てきて地元警察と対立するんだ」
「その手の案件はCIAでしょうね」
「……」
「その初瀬……大友は、例えば自衛隊内の派閥と繋がりはあったりしませんかね?」
「どういうことだ?」
「戦前の五.一五事件や二.二六事件で行動を起こしたのは、国を憂えた軍人や農本主義者たちでした。もしもそういう目的なら……私の考えすぎですかね」
「目論見次第じゃ、あり得る話です。報告しときましょう。しかしまあ、この件はもう俺や進藤くんも手が届かない世界の出来事になっちまいましたが」
 柳澤は、参考人聴取の場所について、雲雀野署への任意出頭か自室訪問するかを選ばせてくれた。かなたは取調室に入ってみたかったため出頭を選んだが、学校の生徒指導室などと変わらない地味な部屋だったので少し落胆した。取り調べは二十分ほどで終わった。

 女学院生徒の二人が忍者のように雲雀野署から遁走しようとすると、彼女らの来訪を嗅ぎつけてロビーで待ち伏せていた杏子に捕まった。首に包帯を巻いているが、クレイジーな勢いに翳りはない。
「来るなら連絡してくれれば迎えに行ったのにそれに今日はまたスーツなのね制服が凄く似合っていたのにでもあの時着ていたのは春物よね夏服はどうかしら薄手で亜沙美ちゃんも見てみたいわ生足じゃなくて夏服」
「進藤くんまだ懲りてないらしいな」
「主任はいつも間の悪い時に……」
 杏子にとっては折り悪く、かなたと亜沙美にとっては運良く柳澤が通りかかった。
「そうだ進藤くん、この事件の報告やってくれんか。俺がやって公安に戻れみたいな話になったら嫌なんだよ。手柄は十:〇でいい」
「私だって嫌ですそんな同僚もホシも男ばっかりみたいな部署」
 テストが近いので、と言い訳して二人は逃げ帰った。

 テストが近いのはかなたと亜沙美ではなく、雛母離千花だ。
 布留川女学院の編入テストは三ヶ月おきに実施され、千花は六月末に受ける予定でいる。剣根高校とは学習内容に開きがあるが、まだ一年生の三ヶ月目のため差は少ない。
 引っ越しを終えた新居で、かなたと亜沙美もテスト対策に協力している。転入者に対して補修で差を埋める制度があるので入学後も問題はないだろう、と中原が説明していた。その中原は、二人が悪影響を与えて試験に落ちたり、入学の意思をなくす可能性を危惧していた。
 勉強に関しては美希の出る幕はなく、ぼんやりと亜沙美の持って来たお菓子を食べているだけだった。千花と別の学校になってしまうことと、事件後からクジマの姿がないことが重なり、美希はこれまでになく物憂げだ。
「千花、そう言えばさー」
「何?」
「警察署でやってる部活みたいなのに行くの?」
「柳澤が受け持っている、柔道の年少部のことかな?」
「ああ、あれ……そうね、落ち着いたら行ってみてもいいかしら」
「あたしも行こうかな。自主トレだけだとなまっちゃう」
「美希は空手とかのほうが合ってると思うわ……まあ、あの変態に作らせればいいわね」
「千花さん、入っていいですか」
 ドアをノックして四人分の飲み物をお盆に乗せて入ってきたのは、矢加部だった。
「やあ、よく来てくれているのに、忙しくてなかなかお構いできなかった」
「お父さん、飲み物はそういうのじゃなくて、普通のお茶とかでいいってば」
「そうか……オーガニックなスムージーなんだが、言い換えると有機野菜の青汁だね。体に良いけど不味いよ」
 そう言って矢加部は、にこやかに部屋を出て行った。
「お父さん? お父さんって言った?」
「そうですけど。話してなかった……ですね」
「あまねちゃんと同じくらいの年齢かと思っていました」
「見た目はああなのに、けっこう違うのか……」
「あたしはこの前初めて会った。名前はずっと前から知ってたけど」
「名字が違うから、驚いたのも無理はないですね。父も本当は雛母離姓なの。お役所の書類とかでは一緒の名字だから、ああ名乗ってるだけなんですけど。大人の人ってやっぱり、突然名前変えるといろいろ大変みたい」
「なるほど、父娘おやこと言われれば……」
 他者の上に立つ二人の姿は、方向性は異なるがどことなく重なる部分はある。

 矢加部総司そうじが磐船講を継いで、十二年目になる。継いだと言っても休眠状態にあった宗教法人格を譲り受けただけで、信者やご神体は特に付随していなかった。
 今は亡き矢加部の妻は、雛母離六花ゆきと言った。六花の父親である尚嗣が病に倒れたと知って二人は郷里に帰ったが、尚嗣は矢加部と六花の結婚を頑として認めなかった。彼は矢加部個人ではなく矢加部の家系を見下し、旧弊な価値観に生きていた。雛母離の姓を名乗ることも認めず、手切れ金代わりにと宗教法人格の紙切れを矢加部に押し付けた。
 父はもう長くないはずなので、生きている間は希望を受け容れてあげて欲しい――六花の願いに従い、矢加部は旧姓を名乗って別居していた。それから三年で尚嗣は亡くなった。もともと身体の強くなかった六花も、その一年後にはこの世を去る。そうして矢加部に残されたのは娘の千花と、雛母離家の所有していた広大な土地だった。

 矢加部は事件以後、事後処理のため目の回るような日々を送っている。小森千鶴の手前、羽鳥には謹慎してもらうことにした。さらに初瀬も失踪したため、法人として必要な役員を新たに探さなければいけない。警察立ち会いの下で初瀬のアパートに行ってみたが、生活の痕跡すらない完全な空き家だった。
 さらに娘の千花は編入試験を控えている。農作業について技術指導を頼んでいる額田晴美からは、布留川女学院の知り合いやコネがあったら紹介して欲しい、と頼まれていた。
「さすがに状況が状況なので、もしかすると磐船講は解散ということになるかも知れませんね。まあ僕の野望はそのくらいでは潰えませんが。弟たちもどうせやることは一緒です」
「実際ゲームできりゃどこでもいいよ」
「いっそ海外の高額賞金大会にでも出向いて、活動費自力で稼いだらどうっすか。ナヲト復活は話題になるでしょう」
「頻繁には行けねーけど、今後は考えてもいいかもなあ。だいぶ仕上がってきたし」

 事件から二週間後の日曜日、蓮見かなたは再び雲雀野自然公園を訪れていた。以前よりも雑草の背丈が高くなっている。駐車場から園内を見ると、木々の間にだらしなく垂れた黄色い線が目にとまった。
「……やっぱりか」
 それは刑事ドラマやアニメでよく見る立ち入り禁止テープ――のようだが、黄色地に黒文字で「CRIME SCENE DO NOT CROSS」と表記されている。かなたはテープの前に立ち、事件を回想した。
「今はまだ、何もできなかったけど……」
 いつかは自分が誰かを守れるようになりたい。自分がそうされたように。そしていつか、初瀬圭一郎に直接聞いてみたい。何を目的にしていたのか、自分たちを救ったのはなぜか。中原や柳澤たち、あのクジマがそうしたように、初瀬にさえも守られていたのか。

 このテープは自分で作った、小さな世界を区切る境界線だ。
 かなたはテープを切り、バッグに仕舞った。
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