青の境界、カナタの世界

紺乃 安

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15 かなたの世界Ⅲ、そして

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 蓮見かなたが現場に到着すると、既に六台のパトカーが建物を取り囲んでいた。応援要請により、さらに数台が向かっている。建物には武装勢力が立て篭もっており、現状こちらの人員、装備では手も足も出ない。手の空いているパトロール警官をかき集めて、警察特殊急襲部隊SAT到着までの時間を稼がなければいけないのだ。
 武装勢力は、自衛隊の所有するCH‐四七大型輸送ヘリの譲渡を要求している。返答がない場合は、建物内の人質を一時間後から十分おきに一人ずつ殺す、という声明を出していた。回答を六分以内にしなければ、最初の一人が犠牲になる。だが、警察上層部からは何の連絡もない。
「柳澤、動きはあったか」
「チーフ、今のところは何も。しかし撃ち合いになったら、我々の拳銃と奴等のアサルトライフルじゃ勝負になりません」
 建物入り口に目出し帽を被った男が現れ、拡声器で叫んだ。
「あと五分だ。あと五分以内に返答なき場合、処刑を開始する。これは我々の殺人ではない。国家が国民を見放し、殺すのだ」
「ほざくな、テロリスト風情が!」
 一人の若い警官が叫んだ。人質を取られ、装備で劣勢な状況下での挑発は、自殺行為に等しい。
 入り口右の窓際に別の男が現れ、若い警官が身を隠すパトカーに向け、アサルトライフルを三十発フルオートで連射した。ばら撒かれた銃弾は車両のフロント部分に集中し、ボンネットやタイヤ、フロントガラスに幾つもの穴が開く。若い警官は、近くにいた別の警官がパトカー後部側から退避させたた。銃撃した男は空になったマガジンをかなたに向けて放り投げ、挑発するようにライフルを構えて見せる。予備のマガジンをセットしながら、意気揚々と建物の奥に姿を消した。
 かなたは激昂した若い警官を下がらせた。応援が到着し次第署に戻るよう命じ、別の警官に監視させる。
 無為無策のまま時は過ぎ去ってゆく。追加で三台のパトカーと六名の制服警官が到着し、SAT部隊長から到着時刻の連絡が入った。しかし、まもなく刻限を迎える要求の成否については梨の礫だ。
「上のやつら、何をやってんでしょう」
「いつものことだ。自分たちの使命を忘れ、隠蔽と保身に奔走しているんだろう。ヘリが連中の手に渡れば国外逃亡するだろうが、周辺諸国と共同で対処するための外交ルートも今の政府にはない。確かなのは、上の連中には人命を尊重する気がないということだ、奴らと同様にな」
 先ほど拡声器で演説を打った男が再び姿を現し、時間だと叫んだ。
「仕方ないな、私が行く。SATの精鋭たちに賭けよう」
「チーフ? 何を?!」
 銃を柳澤に預け、かなたはパトカーの陰から両手を上げて姿を見せた。
「まだ政治屋からの返答はない。十分おきに人質を一人ずつ増やす、というのはどうだ」
「お前が最初の一人というわけか」
「それなら私が行きます」
 そう言って後尾のパトカーから姿を現した男は、中原浹だった。
「先生、どうしてここに!」
「状況が状況ですから、詳しい話は後です」
「だが民間人を危険に晒すわけには」
「あなたも民間人でしょうに」
「あれ?」
 中原とかなたが敵前でもめている間、武装勢力は数人の主要メンバーが集まって協議していた。提案を受け容れるべきではない、人質が増えて身代金などに目がくらめば状況が不安定化し意思決定が混乱する、その人質自体がトロイの木馬である危険性――人質追加に肯定的な意見はない。
「貴様の提案は却下された。予定通り、これより処刑を執行する」
「ふざけるな!」
 かなたたちの背後で叫んだのは、先ほどの若い警官だった。柳澤に駆け寄ってかなたが渡した拳銃を奪い、何事か叫びながら建物に向けて出鱈目に発砲した。瞬く間に十六発の銃弾を撃ち尽くしたが、一発として武装勢力を捉えた様子はない。中原はかなたの手を引いて、手近なパトカーの陰に隠れた。
 一瞬の静寂ののち、若い警官と同様の手法で、武装勢力側からの返礼が始まった。もちろんその暴力は桁違いの猛々しさで、複数の銃口から、より多くの、強力な弾丸が放たれた。
 かなたの側に属する人間は、発砲した若い警官以外は皆パトカーを盾にして身を低くし、銃弾が避けて通るよう祈るしかなかった。七.六二ミリ弾が次々とスチール製ボディやガラスを貫き、車を鉄くずに変えてゆく。しゃがんだ状態で運転席ドアの陰にいたかなたに対し、フロントタイヤに隠れていた中原が叫んだ。
「蓮見さん、我々がこの場にいてもダメです」
「そんなことはない! いや先生、とりあえず逃げて、何かテレビ局とか呼んでください」
「それは無理です。先月施行された記憶法によって、一般人がテロや戦争に関する記憶を持つことは禁止されたのです。私はここを離れたらすぐ思想警察に捕まって、記憶を消されるんですから」
「記憶法って、そういうんじゃないでしょう」
 銃撃の轟音の中、かなたは身を乗り出して大声で話していた。不意に、左の脇腹に熱を感じた。白いシャツに真っ赤な斑点ができ、大きく広がってゆく。
 警官たちの持っている拳銃と違い、武装勢力の使っているAK‐四七の銃弾は一般車の薄いボディなど容易に撃ち抜くだけの威力がある。弾丸はドアを貫通し、腹部に突き刺さったのだ。かなたは傷を押さえて座りこむ。不思議と痛みは感じない。銃声は止むことなく続く。脇腹から流れ出た血は腰や股間を伝って太ももまで流れ落ち、衣服を濡らして肌に貼り付かせる。出血を抑えるため、かなたは下腹部に力を込めた。

 以上のような夢から蓮見かなたが目覚めた場所は、磐船講のイベントホール控室だった。朝とは一転して悪夢だったが、荒唐無稽さといい不可避で奇妙な現実感といい、まぎれもなく夢である。
 こういった夢を見ることは、かなたにとって然程珍しいことではない。だが今日の夢は、自分にはまだ立ち入れない世界があって、手前で引き戻されたような名残があった。
「……いやこういう夢は!」
 事故に遭って何かに押し潰される夢を見ている時は、猫が胸に乗って寝ていたりするものだ。フレアパンツの大腿部に水の入ったペットボトルが倒れており、我慢ができなかった幼児のように衣服の股間部分が濡れていた。
 黒い色の服ならば目立たなかったのだろうが、今日は折り悪くダークグレーだ。誤魔化しようがないほど明瞭に、濡れた箇所だけ色が違っている。
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