山賊王女と楽園の涯(はて)

紺乃 安

文字の大きさ
上 下
202 / 247
ジュニエスの戦い

75 ヒュードラ 4

しおりを挟む
 湖北部の両軍は、リードホルム軍千四百に対しノルドグレーン軍は五千ほどにふくれ上がり、ほとんど絶望的な戦力差となる。
 リースベットは最前線で戦いながら、その差を嫌というほど思い知らされていた。
 目の前の敵を何度打ち破っても、その後ろ、その横から次々と新たな敵が襲いかかってくる。もう出てくるなとうめいても、戦場では誰も聞き入れてはくれない。

 誰かのためと口実をつけ、“人”を個性の消失した“敵”という記号に落とし込み、殺し続ける。
 リースベットは幾多の死線をくぐり抜けてきた身でありながら、そうした心理的変易へんえきを戦いのたび、意識的に繰り返していた。
 神憑かみがかりで戦いに臨む儀式のように自己を分離させる理由は、死や暴力に対する感受性を鈍磨どんまさせることを許さない存在が、彼女の深層に生きているからだ。
 その核となっている人格がある。四年前に王宮で、仲の良い兄とはしゃいでいたリースベットだ。胸底むなぞこでうずくまる十六歳の少女を覆い隠さなければ、リースベットの精神は戦争という地獄に耐えることができない。

 リースベットの苦境は、精神面のみならず肉体面にも及んでいた。意気軒昂いきけんこうなノルドグレーン軍は、リースベットの奮闘にも誰ひとり物怖ものおじする様子はなく、次々と打ち寄せる波のように彼女の前に立ちはだかる。
「これが戦争か……あたし一人がどれほど足掻あがいたところで、ほとんど何も変えられない。これを変えるには、もっと大きなものを動かす力が必要だ……」
 リースベットは、弱気とも違った虚無感に囚われていた。
 その心理的間隙かんげきを突くように、動きの止まった装甲騎馬の武装の隙間に、ノルドグレーン兵の長槍が突き刺さる。
「しまった!」
 馬が悲鳴をあげて上体を大きく持ち上げ、リースベットは振り落とされた。
 リースベットは両足と左手を地面について無事に着地したものの、恐慌状態に陥った馬はノルドグレーン軍の大盾を後ろ脚のひづめで蹴り、どこかへと走り去ってしまった。
 落馬したリースベットにノルドグレーン兵が大挙して襲いかかる。リースベットは薙刀グレイブを拾い上げ、追い払うよに横薙ぎに振るった。
「アネモネ、無理はするな! 役目は十分果たしている」
 その様子を見て、ノアと行動をともにしていたメシュヴィツが加勢に入り、ノルドグレーン兵を押し返した。
「あたしはまだ戦えるよ。お前は王子様から目を離すな」
 リースベットは強がるが、その顔は上気し吐息は白くけぶっている。
 彼女は長時間にわたって前線で戦い続けていたが、その持久力は、人馬一体となった力に助けられていた面が大きい。馬を失ったことで体力の限界が急速に近づいた点は、リースベット自身が実感していた。
「メシュヴィツの言う通り、役割としては十分だ。さあ」
 ノアが駆けつけ、馬上から左手を差し伸べる。リースベットはその手を握り、ノアの前に座った。
「ノア様、そのような者を同乗させるなど?!」
「そんな事を言っている場合ではない。ではメシュヴィツ、お前が人を乗せて戦えなくなったら、誰が私を守るのだ」
「そ、それはそうですが……」
 リースベット勝ち誇った顔でメシュヴィツに舌を出し――てやりたかったが、あまりに大人げない気がして思いとどまった。
「……見ろ、作戦は成功だ」
 ノアがランガス湖を挟んだ対岸を指差す。
 そこには、騎兵とともにノルドグレーン軍の防御陣を突き破って進む第二攻撃部隊、近衛兵隊長エリオット・フリークルンドの姿があった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。 実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。 だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。 仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ! そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。 両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。 「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、 その渦に巻き込んでいくのだった… アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。 異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点) 《完結しました》

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました

下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。 ご都合主義のSS。 お父様、キャラチェンジが激しくないですか。 小説家になろう様でも投稿しています。 突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!

記憶喪失の転生幼女、ギルドで保護されたら最強冒険者に溺愛される

マー子
ファンタジー
ある日魔の森で異常が見られ、調査に来ていた冒険者ルーク。 そこで木の影で眠る幼女を見つけた。 自分の名前しか記憶がなく、両親やこの国の事も知らないというアイリは、冒険者ギルドで保護されることに。 実はある事情で記憶を失って転生した幼女だけど、異世界で最強冒険者に溺愛されて、第二の人生楽しんでいきます。 ・初のファンタジー物です ・ある程度内容纏まってからの更新になる為、進みは遅めになると思います ・長編予定ですが、最後まで気力が持たない場合は短編になるかもしれません⋯ どうか温かく見守ってください♪ ☆感謝☆ HOTランキング1位になりました。偏にご覧下さる皆様のお陰です。この場を借りて、感謝の気持ちを⋯ そしてなんと、人気ランキングの方にもちゃっかり載っておりました。 本当にありがとうございます!

婚約破棄してたった今処刑した悪役令嬢が前世の幼馴染兼恋人だと気づいてしまった。

風和ふわ
恋愛
タイトル通り。連載の気分転換に執筆しました。 ※なろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、pixivに投稿しています。

悪役令嬢を陥れようとして失敗したヒロインのその後

柚木崎 史乃
ファンタジー
女伯グリゼルダはもう不惑の歳だが、過去に起こしたスキャンダルが原因で異性から敬遠され未だに独身だった。 二十二年前、グリゼルダは恋仲になった王太子と結託して彼の婚約者である公爵令嬢を陥れようとした。 けれど、返り討ちに遭ってしまい、結局恋人である王太子とも破局してしまったのだ。 ある時、グリゼルダは王都で開かれた仮面舞踏会に参加する。そこで、トラヴィスという年下の青年と知り合ったグリゼルダは彼と恋仲になった。そして、どんどん彼に夢中になっていく。 だが、ある日。トラヴィスは、突然グリゼルダの前から姿を消してしまう。グリゼルダはショックのあまり倒れてしまい、気づいた時には病院のベッドの上にいた。 グリゼルダは、心配そうに自分の顔を覗き込む執事にトラヴィスと連絡が取れなくなってしまったことを伝える。すると、執事は首を傾げた。 そして、困惑した様子でグリゼルダに尋ねたのだ。「トラヴィスって、一体誰ですか? そんな方、この世に存在しませんよね?」と──。

この争いの絶えない世界で ~魔王になって平和の為に戦いますR

ばたっちゅ
ファンタジー
相和義輝(あいわよしき)は新たな魔王として現代から召喚される。 だがその世界は、世界の殆どを支配した人類が、僅かに残る魔族を滅ぼす戦いを始めていた。 無為に死に逝く人間達、荒廃する自然……こんな無駄な争いは止めなければいけない。だが人類にもまた、戦うべき理由と、戦いを止められない事情があった。 人類を会話のテーブルまで引っ張り出すには、結局戦争に勝利するしかない。 だが魔王として用意された力は、死を予感する力と全ての文字と言葉を理解する力のみ。 自分一人の力で戦う事は出来ないが、強力な魔人や個性豊かな魔族たちの力を借りて戦う事を決意する。 殺戮の果てに、互いが共存する未来があると信じて。

玲子さんは自重しない~これもある種の異世界転生~

やみのよからす
ファンタジー
 病院で病死したはずの月島玲子二十五歳大学研究職。目を覚ますと、そこに広がるは広大な森林原野、後ろに控えるは赤いドラゴン(ニヤニヤ)、そんな自分は十歳の体に(材料が足りませんでした?!)。  時は、自分が死んでからなんと三千万年。舞台は太陽系から離れて二百二十五光年の一惑星。新しく作られた超科学なミラクルボディーに生前の記憶を再生され、地球で言うところの中世後半くらいの王国で生きていくことになりました。  べつに、言ってはいけないこと、やってはいけないことは決まっていません。ドラゴンからは、好きに生きて良いよとお墨付き。実現するのは、はたは理想の社会かデストピアか?。  月島玲子、自重はしません!。…とは思いつつ、小市民な私では、そんな世界でも暮らしていく内に周囲にいろいろ絆されていくわけで。スーパー玲子の明日はどっちだ? カクヨムにて一週間ほど先行投稿しています。 書き溜めは100話越えてます…

噂の醜女とは私の事です〜蔑まれた令嬢は、その身に秘められた規格外の魔力で呪われた運命を打ち砕く〜

秘密 (秘翠ミツキ)
ファンタジー
*『ねぇ、姉さん。姉さんの心臓を僕に頂戴』 ◆◆◆ *『お姉様って、本当に醜いわ』 幼い頃、妹を庇い代わりに呪いを受けたフィオナだがその妹にすら蔑まれて……。 ◆◆◆ 侯爵令嬢であるフィオナは、幼い頃妹を庇い魔女の呪いなるものをその身に受けた。美しかった顔は、その半分以上を覆う程のアザが出来て醜い顔に変わった。家族や周囲から醜女と呼ばれ、庇った妹にすら「お姉様って、本当に醜いわね」と嘲笑われ、母からはみっともないからと仮面をつける様に言われる。 こんな顔じゃ結婚は望めないと、フィオナは一人で生きれる様にひたすらに勉学に励む。白塗りで赤く塗られた唇が一際目立つ仮面を被り、白い目を向けられながらも学院に通う日々。 そんな中、ある青年と知り合い恋に落ちて婚約まで結ぶが……フィオナの素顔を見た彼は「ごめん、やっぱり無理だ……」そう言って婚約破棄をし去って行った。 それから社交界ではフィオナの素顔で話題は持ちきりになり、仮面の下を見たいが為だけに次から次へと婚約を申し込む者達が後を経たない。そして仮面の下を見た男達は直ぐに婚約破棄をし去って行く。それが今社交界での流行りであり、暇な貴族達の遊びだった……。

処理中です...