山賊王女と楽園の涯(はて)

紺乃 安

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ジュニエスの戦い

75 ヒュードラ 4

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 湖北部の両軍は、リードホルム軍千四百に対しノルドグレーン軍は五千ほどにふくれ上がり、ほとんど絶望的な戦力差となる。
 リースベットは最前線で戦いながら、その差を嫌というほど思い知らされていた。
 目の前の敵を何度打ち破っても、その後ろ、その横から次々と新たな敵が襲いかかってくる。もう出てくるなとうめいても、戦場では誰も聞き入れてはくれない。

 誰かのためと口実をつけ、“人”を個性の消失した“敵”という記号に落とし込み、殺し続ける。
 リースベットは幾多の死線をくぐり抜けてきた身でありながら、そうした心理的変易へんえきを戦いのたび、意識的に繰り返していた。
 神憑かみがかりで戦いに臨む儀式のように自己を分離させる理由は、死や暴力に対する感受性を鈍磨どんまさせることを許さない存在が、彼女の深層に生きているからだ。
 その核となっている人格がある。四年前に王宮で、仲の良い兄とはしゃいでいたリースベットだ。胸底むなぞこでうずくまる十六歳の少女を覆い隠さなければ、リースベットの精神は戦争という地獄に耐えることができない。

 リースベットの苦境は、精神面のみならず肉体面にも及んでいた。意気軒昂いきけんこうなノルドグレーン軍は、リースベットの奮闘にも誰ひとり物怖ものおじする様子はなく、次々と打ち寄せる波のように彼女の前に立ちはだかる。
「これが戦争か……あたし一人がどれほど足掻あがいたところで、ほとんど何も変えられない。これを変えるには、もっと大きなものを動かす力が必要だ……」
 リースベットは、弱気とも違った虚無感に囚われていた。
 その心理的間隙かんげきを突くように、動きの止まった装甲騎馬の武装の隙間に、ノルドグレーン兵の長槍が突き刺さる。
「しまった!」
 馬が悲鳴をあげて上体を大きく持ち上げ、リースベットは振り落とされた。
 リースベットは両足と左手を地面について無事に着地したものの、恐慌状態に陥った馬はノルドグレーン軍の大盾を後ろ脚のひづめで蹴り、どこかへと走り去ってしまった。
 落馬したリースベットにノルドグレーン兵が大挙して襲いかかる。リースベットは薙刀グレイブを拾い上げ、追い払うよに横薙ぎに振るった。
「アネモネ、無理はするな! 役目は十分果たしている」
 その様子を見て、ノアと行動をともにしていたメシュヴィツが加勢に入り、ノルドグレーン兵を押し返した。
「あたしはまだ戦えるよ。お前は王子様から目を離すな」
 リースベットは強がるが、その顔は上気し吐息は白くけぶっている。
 彼女は長時間にわたって前線で戦い続けていたが、その持久力は、人馬一体となった力に助けられていた面が大きい。馬を失ったことで体力の限界が急速に近づいた点は、リースベット自身が実感していた。
「メシュヴィツの言う通り、役割としては十分だ。さあ」
 ノアが駆けつけ、馬上から左手を差し伸べる。リースベットはその手を握り、ノアの前に座った。
「ノア様、そのような者を同乗させるなど?!」
「そんな事を言っている場合ではない。ではメシュヴィツ、お前が人を乗せて戦えなくなったら、誰が私を守るのだ」
「そ、それはそうですが……」
 リースベット勝ち誇った顔でメシュヴィツに舌を出し――てやりたかったが、あまりに大人げない気がして思いとどまった。
「……見ろ、作戦は成功だ」
 ノアがランガス湖を挟んだ対岸を指差す。
 そこには、騎兵とともにノルドグレーン軍の防御陣を突き破って進む第二攻撃部隊、近衛兵隊長エリオット・フリークルンドの姿があった。
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