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ジュニエスの戦い
49 偽装 5
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「こうなれば一軍の将もただの女よ。遊んでいる暇がないのが残念だ」
「……わたくしを誰だと思っていますの?」
ベアトリスが左脚を一歩前に出すと、金属の留め金が外れるような音が聞こえた。
ヴォールファートは眼球がこぼれ落ちそうなほど目を見開いている。彼の胸には、短いクロスボウの矢が上向きに突き刺さっていた。ベアトリスのドレスにはいつの間にか、左の膝付近に小さな穴が開いている。
「わたくしを、無策のままリーパーの前に立つような愚か者とお思いだったのかしら」
「な、なんじゃ、それは……」
ヴォールファートは驚いた顔のまま剣を取り落とし、戦闘馬車の座席から地面に墜落した。
ベアトリスの左脚には、小型のクロスボウが隠してあったのだ。靴に仕込まれた留め金が引き金と連動しており、かかとで地面を蹴るような動作をすると矢が発射される。
「……次期隊長などと、志の低い男ね。狙うならば王座でも狙ってみたらどうなの」
「お嬢様!」
マスクを貼り付けていない陶器人形のような冷たい目でヴォールファートの死体を見下ろすベアトリスに、ロードストレームが大慌てで駆け寄ってきた。
「親衛隊長ともあろう私が、このような失態を……一生の不覚です」
「あら、早かったわねロードストレーム」
「申し訳ありません」
「いいえ。あなたとしていた訓練が役立ちましたわ。そうでなければ、あの剣を受け止められていたかどうか……」
ロードストレームは跪いたまま身じろぎもしない。
ベアトリスの身辺警護を一手に担う親衛隊なのだから、暗殺者の接近を許してしまったことは言い逃れようのない失態である。ロードストレームの失意のほどは大きい。
「もういいわ。顔を上げて仕事に戻りなさい、ロードストレーム」
「……ご寛恕のほど、感謝の念に絶えません」
「まずは、その目障りなものを片付けさせなさい」
参謀の一人が、怪訝な顔でベアトリスを見上げる。
「ローセンダール様、この者は世に聞こえた近衛兵。……晒し者にせぬので?」
「ハーグルンド! あなたもわたくしを誰だと思っているの?! そのような品性に悖る奸策を、このわたくしに弄させるつもりかしら?」
「で、出過ぎたことを申しました」
叱責を受けた参謀は縮み上がって頭を下げた。
かと言ってベアトリスは箝口令などを敷くわけでもなく、路傍の石をどけるようにこの一件を片付けた。この素っ気ない態度がかえって、事件を目にしたすべての者に、より積極的に口の端に掛ける熱意を与えることになる。
そうして、ベアトリスが近衛兵を退けたという事実は、翌日にはノルドグレーン軍全体に広まっていた。結果的にいっそう高まった士気は、さらにフリークルンドたちを苦しめることになるのだった。
ベアトリスは憤然たる面持ちで座席に戻り、戦闘馬車はランバンデット湖畔の軍事拠点へ向けて動き出した。
「まあ、少々意外だったわね、近衛兵がこんなやり方をしてくるとは」
「あるいは夜襲で来るかとは考えていましたが……よもや単独で、このような奇襲を仕掛けてくるとは」
「結果はあの通りとは言え、釈然としないものを抱えているのではなくて? ロードストレーム」
「……言葉もありません。私はあの連中を、少々買いかぶりすぎていたようです」
ロードストレームは下を向いたまま、首を左右に振る。彼の中での近衛兵は、寝首を掻くような暗殺まがいの謀略とは無縁の、誇り高い集団であるはずだったのだ。自身の失態だけでなく、敬意を踏みにじられたような落胆が、ロードストレームをいっそう憂鬱にしていた。
「これは窮鼠のひと噛みというよりも、近衛兵内で統制が取れていないことの証左でしょうね。……あの男、次期隊長になるのだとか喚いていたわ。わたくしだとて、そこまでは予測できないもの」
「予想の斜め上を行かれる、とでも申しましょうか……」
「まったくね。ラインフェルトとは違った意味で油断がならないわ」
ベアトリスは呆れ気味に言った。
「……わたくしを誰だと思っていますの?」
ベアトリスが左脚を一歩前に出すと、金属の留め金が外れるような音が聞こえた。
ヴォールファートは眼球がこぼれ落ちそうなほど目を見開いている。彼の胸には、短いクロスボウの矢が上向きに突き刺さっていた。ベアトリスのドレスにはいつの間にか、左の膝付近に小さな穴が開いている。
「わたくしを、無策のままリーパーの前に立つような愚か者とお思いだったのかしら」
「な、なんじゃ、それは……」
ヴォールファートは驚いた顔のまま剣を取り落とし、戦闘馬車の座席から地面に墜落した。
ベアトリスの左脚には、小型のクロスボウが隠してあったのだ。靴に仕込まれた留め金が引き金と連動しており、かかとで地面を蹴るような動作をすると矢が発射される。
「……次期隊長などと、志の低い男ね。狙うならば王座でも狙ってみたらどうなの」
「お嬢様!」
マスクを貼り付けていない陶器人形のような冷たい目でヴォールファートの死体を見下ろすベアトリスに、ロードストレームが大慌てで駆け寄ってきた。
「親衛隊長ともあろう私が、このような失態を……一生の不覚です」
「あら、早かったわねロードストレーム」
「申し訳ありません」
「いいえ。あなたとしていた訓練が役立ちましたわ。そうでなければ、あの剣を受け止められていたかどうか……」
ロードストレームは跪いたまま身じろぎもしない。
ベアトリスの身辺警護を一手に担う親衛隊なのだから、暗殺者の接近を許してしまったことは言い逃れようのない失態である。ロードストレームの失意のほどは大きい。
「もういいわ。顔を上げて仕事に戻りなさい、ロードストレーム」
「……ご寛恕のほど、感謝の念に絶えません」
「まずは、その目障りなものを片付けさせなさい」
参謀の一人が、怪訝な顔でベアトリスを見上げる。
「ローセンダール様、この者は世に聞こえた近衛兵。……晒し者にせぬので?」
「ハーグルンド! あなたもわたくしを誰だと思っているの?! そのような品性に悖る奸策を、このわたくしに弄させるつもりかしら?」
「で、出過ぎたことを申しました」
叱責を受けた参謀は縮み上がって頭を下げた。
かと言ってベアトリスは箝口令などを敷くわけでもなく、路傍の石をどけるようにこの一件を片付けた。この素っ気ない態度がかえって、事件を目にしたすべての者に、より積極的に口の端に掛ける熱意を与えることになる。
そうして、ベアトリスが近衛兵を退けたという事実は、翌日にはノルドグレーン軍全体に広まっていた。結果的にいっそう高まった士気は、さらにフリークルンドたちを苦しめることになるのだった。
ベアトリスは憤然たる面持ちで座席に戻り、戦闘馬車はランバンデット湖畔の軍事拠点へ向けて動き出した。
「まあ、少々意外だったわね、近衛兵がこんなやり方をしてくるとは」
「あるいは夜襲で来るかとは考えていましたが……よもや単独で、このような奇襲を仕掛けてくるとは」
「結果はあの通りとは言え、釈然としないものを抱えているのではなくて? ロードストレーム」
「……言葉もありません。私はあの連中を、少々買いかぶりすぎていたようです」
ロードストレームは下を向いたまま、首を左右に振る。彼の中での近衛兵は、寝首を掻くような暗殺まがいの謀略とは無縁の、誇り高い集団であるはずだったのだ。自身の失態だけでなく、敬意を踏みにじられたような落胆が、ロードストレームをいっそう憂鬱にしていた。
「これは窮鼠のひと噛みというよりも、近衛兵内で統制が取れていないことの証左でしょうね。……あの男、次期隊長になるのだとか喚いていたわ。わたくしだとて、そこまでは予測できないもの」
「予想の斜め上を行かれる、とでも申しましょうか……」
「まったくね。ラインフェルトとは違った意味で油断がならないわ」
ベアトリスは呆れ気味に言った。
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