上 下
53 / 247
絶望の檻

8 過去に住む老者

しおりを挟む
 翌日、リースベットはアウロラを伴い、山賊団拠点のあらゆる出入り口から最も遠い場所に位置する一室を尋ねた。黒褐色こくかっしょくに塗られた木の扉を開けると、真っ暗な部屋の中央に座った白髪の老人が、顔をリースベットたちに向ける。
「よう長老、元気か」
「おかげでな」
「ミカルがお騒がせしてます」
「気になさるな。あの少年のにぎやかさは、よい無聊ぶりょうの慰めになっておる」
 山賊たちに長老と呼ばれる老人には、左右の目尻にそれぞれ違った形の傷跡があった。その傷がもとで、目は見えていない。顔立ちや口調、立ち居振る舞いに不思議な威厳があり、発する言葉の端々から教養を感じさせる。
 二年ほど前、リードホルムの監獄で起きた暴動の夜にリースベットと出会い、その人柄に興味を持った彼女がティーサンリードに招いたのだった。
「長老、あんたヘルストランドの地下牢に長いこと居たんだろ?」
「懐かしい話だ。長かったな。十九年という年月は」
「十九年……そんなに……」
「その地下牢、ヘルストランドのどの辺にあったかって、覚えてるか?」
「……この目、生まれてからずっと盲ていたわけではないぞ。牢に入った頃はまだ見えていたのだ。片方だけな」
 長老は白い口ひげに隠れた唇の右端をわずかにつり上げた。
「あそこは土牢つちろうだ。ヘルストランド城の地下にあるが、外壁を東側に回り込むと入口がある。牢獄らしく、分厚い木を鉄の板で格子状に補強した、四角の無骨な扉だ」
「よく覚えてるんですね」
「絵も色も、もはや記憶の中にしかないからな。繰り返しそればかり見ているのよ」
「あ……すいません、嫌な思い出なのに」
「なに、儂の過去など気にするな。もとより二十年前に死んでいたはずの身よ」
 長老はそう言って、右手をゆっくりと動かして指先で水差しの位置を確かめ、タンブラーに水を注いだ。ミカルによると、長老は食器を前に置いて一度その配置を確認すると、スプーンを差す位置を間違えることなくきれいに食事を終えるらしい。
「すまんが地下牢内の通路までは分からん。何しろ混乱のさなか、すこし右往左往した程度でな」
「入口の場所さえ分かりゃ十分だ」
「出入り口は他にもあるはずだが、そちらは城内に繋がっている。裁きを受けた罪人を牢に送るための通路だが……わざわざ難儀なんぎな道を選ぶ必要はなかろう」
「東側からの正面突破が最短経路か……」
「……何をするつもりかは聞かん。息災そくさいでな」
「ありがとうございます」
「心配しなさんな、れっきとした人助けだよ」
 アウロラが謝意を示すと、部屋の隅の棚に置かれた麻ひも編みのまるいタペストリーの上で、小さな黒い何かがうごめいた。驚くアウロラをよそに、リースベットは謎の黒い球体にゆっくりと歩み寄る。
「なんだ、昼間あまり姿を見ねえと思ったら、こんなとこで寝てたのか」
「え……?」
「デミだよ」
 その黒い毛玉は、しばしば地下壕内をうろついている姿を見かける、リースベットの飼い猫デミだった。一度起きて背伸びをし、あくびをするとまた体を丸めて眠りにつく。
「ここは静かで人もあまり寄り付かんからな。どうやら気に入ったらしい」
「こいつは気位が高くて、あたしとエサを毎日くれる人間以外には懐かなかったんだがな……」
 リースベットが人差し指で小さな額を撫でると、デミはあごを上げて気持ちよさそうに喉を鳴らした。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈 
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...