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過去編・夜へ続く道
18 陰謀と逃避 3
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「わたくしは夫もすでに亡く、子どもたちは皆それぞれに家庭を持っています。……お話を伺う限り、リースベット様の身になにかあったら、わたくしが疑われて死を賜ることもありましょう」
ノアははっとして目を見開いた。モニカが嫌疑をかかけられる未来までは想像していなかったのだ。
「ならばいっそ、最後までお供いたします」
「……感謝する。私にはまだ力がない。だがいつか、大手を振ってあなたがたを呼び戻せるよう務めよう」
「そんな日が来ることを祈りましょう。……もっとも、今のリースベット様なら、市井の人としてもうまくやっていけるかもしれませんね」
「昔の、姉上のようだったリースであれば、未来の労苦を思って気が引けたかも知れない、か。なるほど、それはそうだろうな」
ノアの控えめな諧謔に二人が小さく笑い合うと、話の種にされていた当事者が目を覚ました。
「……人の未来、勝手に決めないで」
「リース、起きていたのか」
「そりゃ、枕元でこれだけ話されれば」
リースベットが毛布をよけて上体を起こし、モニカがその肩にショールを掛けた。
「その様子だと、話はほとんど聞いていたようだね」
「まあ、殺されるよりはマシかもね……いつ殺されるのかって怯えながら生きるよりも」
モニカが銀のゴブレットに水を注ぎ、リースベットに手渡した。
「リースベット様、お加減はいかがですか」
「うん……まあ、だいぶ落ち着いたと思う」
「リース、杏のはちみつ漬けだ。口に合うかは分からないが……」
「あら、お見舞い?」
ノアはサイドテーブルに置いていた小さな白磁の器を示した。冷涼なリードホルムで杏は珍しく、子供の頃のリースベットは好んでいたという。
「美味しい……」
リースベットの口の中に、果物のかすかな酸味とはちみつの甘味が広がる。
二日前、凄惨な記憶と恐怖に正体を失っていたリースベットと比べると、ずいぶん穏やかな目と口調を取り戻していた。
「……夢を見てた。もしかして十年前の記憶?」
「子供の頃のことか……」
「そう。兄さんがノルドグレーンに行くって時に、あたしが何かわがままを言って困らせてた」
「ああ……それは確かに、そんなことがあった」
「あたしは旅行かなんかに行くものだと思って、自分も連れて行けってせがんだのかな」
「私自身も、その頃は状況がよく分かっていなかったろうがね」
リースベットはふとノアの顔を見つめ、毛布の上から自分の膝を打った。
「あー思い出した、ちょっと順番が違うわ」
「そうだったかな」
「連れてけとか言ってたのは、そのもっと前」
ノアも当時のことを思い出したが、無言のままだ。
「ノルドグレーンに出発する時、あたしはずっと泣いて謝ってたんだ。人質として行くのは元々あたしで、それをずっと嫌がってたら、兄さんが行くことになって……」
「過ぎたことだ。……その時リースは泣きながら、姉上のように大人しくなりますとか、訳の分からない謝り方をしていたっけ」
「あたしそんなこと言った?」
五日前の事件以後、リースベットは初めて笑った。暖炉の前の椅子に座ってその兄妹の会話を遠巻きに眺めていたモニカは、涙で顔を伏せた。
「なんか疲れた。もう少し寝るわ」
リースベットはそう言ってふたたび横になり、毛布を肩までかけて目を瞑る。
しばしの間を置いて、リースベットが穏やかな寝息を立て始めたのを見届けたノアが席を立った。モニカは衣桁のクロークを、次代の王の肩にかける。その厚手の外套が少し軽くなったような錯覚を覚えながら、ノアはリースベットの部屋を後にした。
ノアははっとして目を見開いた。モニカが嫌疑をかかけられる未来までは想像していなかったのだ。
「ならばいっそ、最後までお供いたします」
「……感謝する。私にはまだ力がない。だがいつか、大手を振ってあなたがたを呼び戻せるよう務めよう」
「そんな日が来ることを祈りましょう。……もっとも、今のリースベット様なら、市井の人としてもうまくやっていけるかもしれませんね」
「昔の、姉上のようだったリースであれば、未来の労苦を思って気が引けたかも知れない、か。なるほど、それはそうだろうな」
ノアの控えめな諧謔に二人が小さく笑い合うと、話の種にされていた当事者が目を覚ました。
「……人の未来、勝手に決めないで」
「リース、起きていたのか」
「そりゃ、枕元でこれだけ話されれば」
リースベットが毛布をよけて上体を起こし、モニカがその肩にショールを掛けた。
「その様子だと、話はほとんど聞いていたようだね」
「まあ、殺されるよりはマシかもね……いつ殺されるのかって怯えながら生きるよりも」
モニカが銀のゴブレットに水を注ぎ、リースベットに手渡した。
「リースベット様、お加減はいかがですか」
「うん……まあ、だいぶ落ち着いたと思う」
「リース、杏のはちみつ漬けだ。口に合うかは分からないが……」
「あら、お見舞い?」
ノアはサイドテーブルに置いていた小さな白磁の器を示した。冷涼なリードホルムで杏は珍しく、子供の頃のリースベットは好んでいたという。
「美味しい……」
リースベットの口の中に、果物のかすかな酸味とはちみつの甘味が広がる。
二日前、凄惨な記憶と恐怖に正体を失っていたリースベットと比べると、ずいぶん穏やかな目と口調を取り戻していた。
「……夢を見てた。もしかして十年前の記憶?」
「子供の頃のことか……」
「そう。兄さんがノルドグレーンに行くって時に、あたしが何かわがままを言って困らせてた」
「ああ……それは確かに、そんなことがあった」
「あたしは旅行かなんかに行くものだと思って、自分も連れて行けってせがんだのかな」
「私自身も、その頃は状況がよく分かっていなかったろうがね」
リースベットはふとノアの顔を見つめ、毛布の上から自分の膝を打った。
「あー思い出した、ちょっと順番が違うわ」
「そうだったかな」
「連れてけとか言ってたのは、そのもっと前」
ノアも当時のことを思い出したが、無言のままだ。
「ノルドグレーンに出発する時、あたしはずっと泣いて謝ってたんだ。人質として行くのは元々あたしで、それをずっと嫌がってたら、兄さんが行くことになって……」
「過ぎたことだ。……その時リースは泣きながら、姉上のように大人しくなりますとか、訳の分からない謝り方をしていたっけ」
「あたしそんなこと言った?」
五日前の事件以後、リースベットは初めて笑った。暖炉の前の椅子に座ってその兄妹の会話を遠巻きに眺めていたモニカは、涙で顔を伏せた。
「なんか疲れた。もう少し寝るわ」
リースベットはそう言ってふたたび横になり、毛布を肩までかけて目を瞑る。
しばしの間を置いて、リースベットが穏やかな寝息を立て始めたのを見届けたノアが席を立った。モニカは衣桁のクロークを、次代の王の肩にかける。その厚手の外套が少し軽くなったような錯覚を覚えながら、ノアはリースベットの部屋を後にした。
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