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過去編・夜へ続く道
5 本当の自分 2
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「ノルドグレーンには、私が留学していたときに教えを受けた学者がいるのだ。彼に、リースの身辺に気を使うよう私から頼んでおく。不愉快なことだらけだろうが、どうか待っていてくれないか」
「そう……兄さんはノルドグレーンでずっと幽閉されていたんだったね」
「私は恵まれていたほうだ。他を知ってようやく見える己の姿もある。もちろん自由はなかったが、良き師に出会えたからね」
「どんな人?」
「哲学者だが、歴史にも通じている。彼のおかげで私の人質生活は、名目どおりの留学になったと言えるだろうね。ノルドグレーンは、我が国よりも遥かに学者が多いのだそうだ」
「そんな国なのに、ひどい制度は続けるのね」
「自国民とそれ以外とを区別し、それぞれにまったく違う基準を適用する。国家というものは根本的に、そうした性質のものだ。まして両国には、過去の因縁もある」
「嫌な話だわ……」
ノアはそれ以上言葉をかけることができず、釣鐘型の窓から差し込む日差しをぼんやりと眺めていた。
リースベットは何かを思い立ったように立ち上がり、ベッドの側に置いてあった小型のテーブルをノアのもとに持ってきた。
「ねえ兄さん、腕相撲しましょ」
「何を言ってるんだ?!」
「腕相撲よ。知らないの?」
「それは知っているが……」
「目覚めてからずっと、体調が良くなるにつれて、どんどん力が湧いてくるのよ。わかんないけど、たぶんあたしのほうが強いんじゃないかなって」
ノアは腕力にとくべつ自信があるわけではなかったが、鋼鉄製の長剣をしっかり振るえる程度の力はある。細腕の女性よりも劣るとは考えられない。
「さあ! 女に負けるのが怖いのかしら?」
「わかった。相手になろう」
リースベットの挑発に、部屋に入って初めてノアの表情が明るくなった。妹の唐突な心変わりに半ば感謝しながら、テーブルに肘をつく。
リースベットはドレスの袖をまくり、右腕を顕にする。男性を凌駕する力があるようには全く見えない、細くすべらかな腕だ。
「さあ……レディ、ゴー!」
ノアは試合開始直後は全力を出さず、ただ倒されないよう様子を見ていた。案の定、押し沈める力は小さなもので、手首の力だけで受け流せる程度だ。
「ほら、やはり勝負にならないだろう」
「そうかしら?」
リースベットが不敵に笑うと、ノアは突然右腕に衝撃を受けたような力を感じ、左手でテーブルの端を掴んだ。耳鳴りのような音を感じながら全力で体勢を立て直そうとするが、強い波を受け続けて流されるように右腕は沈んでゆく。
「こんなバカな……!」
「しゃーオラー!」
ノアの手の甲が勢いよくテーブルに押し付けられ、勝敗は決した。リースベットは凱歌をあげるように右腕を回している。
「ね? 言ったでしょ」
「まったく……君は本当にどうしてしまったんだ。何から何まで」
「なんででしょう? あたしも知らないけど」
苦笑しながら顔を上げたノアはふと、リースベットの右腕に違和感を覚えた。
「右腕に痣ができてるじゃないか」
「これ? ずっと前からあったと思うけど」
「いや、……寝込む前にはなかったものだ」
「そうだっけ?」
十六歳の王女の右腕には、細長いx印のような痣があった。ノアの勘違いではなく、痣などなかったことは他の家族や侍従も知っている。
「毒の影響だろうか……他にはないか?」
「たぶんなかったと思うけど……」
リースベットが上腕の裏側を見ようとしたり、ドレスの胸元をつまんで覗き込んだりしていると、ノアが静かに部屋を出ていった。
「あっ……」
一瞬の間を置いてから、リースベットは赤面した。
「そう……兄さんはノルドグレーンでずっと幽閉されていたんだったね」
「私は恵まれていたほうだ。他を知ってようやく見える己の姿もある。もちろん自由はなかったが、良き師に出会えたからね」
「どんな人?」
「哲学者だが、歴史にも通じている。彼のおかげで私の人質生活は、名目どおりの留学になったと言えるだろうね。ノルドグレーンは、我が国よりも遥かに学者が多いのだそうだ」
「そんな国なのに、ひどい制度は続けるのね」
「自国民とそれ以外とを区別し、それぞれにまったく違う基準を適用する。国家というものは根本的に、そうした性質のものだ。まして両国には、過去の因縁もある」
「嫌な話だわ……」
ノアはそれ以上言葉をかけることができず、釣鐘型の窓から差し込む日差しをぼんやりと眺めていた。
リースベットは何かを思い立ったように立ち上がり、ベッドの側に置いてあった小型のテーブルをノアのもとに持ってきた。
「ねえ兄さん、腕相撲しましょ」
「何を言ってるんだ?!」
「腕相撲よ。知らないの?」
「それは知っているが……」
「目覚めてからずっと、体調が良くなるにつれて、どんどん力が湧いてくるのよ。わかんないけど、たぶんあたしのほうが強いんじゃないかなって」
ノアは腕力にとくべつ自信があるわけではなかったが、鋼鉄製の長剣をしっかり振るえる程度の力はある。細腕の女性よりも劣るとは考えられない。
「さあ! 女に負けるのが怖いのかしら?」
「わかった。相手になろう」
リースベットの挑発に、部屋に入って初めてノアの表情が明るくなった。妹の唐突な心変わりに半ば感謝しながら、テーブルに肘をつく。
リースベットはドレスの袖をまくり、右腕を顕にする。男性を凌駕する力があるようには全く見えない、細くすべらかな腕だ。
「さあ……レディ、ゴー!」
ノアは試合開始直後は全力を出さず、ただ倒されないよう様子を見ていた。案の定、押し沈める力は小さなもので、手首の力だけで受け流せる程度だ。
「ほら、やはり勝負にならないだろう」
「そうかしら?」
リースベットが不敵に笑うと、ノアは突然右腕に衝撃を受けたような力を感じ、左手でテーブルの端を掴んだ。耳鳴りのような音を感じながら全力で体勢を立て直そうとするが、強い波を受け続けて流されるように右腕は沈んでゆく。
「こんなバカな……!」
「しゃーオラー!」
ノアの手の甲が勢いよくテーブルに押し付けられ、勝敗は決した。リースベットは凱歌をあげるように右腕を回している。
「ね? 言ったでしょ」
「まったく……君は本当にどうしてしまったんだ。何から何まで」
「なんででしょう? あたしも知らないけど」
苦笑しながら顔を上げたノアはふと、リースベットの右腕に違和感を覚えた。
「右腕に痣ができてるじゃないか」
「これ? ずっと前からあったと思うけど」
「いや、……寝込む前にはなかったものだ」
「そうだっけ?」
十六歳の王女の右腕には、細長いx印のような痣があった。ノアの勘違いではなく、痣などなかったことは他の家族や侍従も知っている。
「毒の影響だろうか……他にはないか?」
「たぶんなかったと思うけど……」
リースベットが上腕の裏側を見ようとしたり、ドレスの胸元をつまんで覗き込んだりしていると、ノアが静かに部屋を出ていった。
「あっ……」
一瞬の間を置いてから、リースベットは赤面した。
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