上 下
25 / 247
転生と記憶

8 気まぐれな求道者

しおりを挟む
 アウロラは石壁を蹴って宙返りし、暴風のようなカールソンの打撃を回避した。鋼の拳で殴りつけられた石壁が継ぎ目のモルタルごと砕け散る。
「嬢ちゃん、伏せろ!」
 次の攻撃に備えるアウロラの背後から、二人の男が叫び声を上げて駆け寄ってきた。背丈ほどもある巨大な金槌を二人がかりで持ち上げ、カールソンめがけてゆっくりと振りかぶる。
 だが金槌は鎧を砕くことなく、前に進み出たカールソンの両手で受け止められた。
「置物の鎧じゃねえんだ。はいそうですかって殴られてたまるかよ!」
「リースベットみたいな馬鹿力なら、もうちょっと何とかなったんだろうな……」
「や、やっぱり駄目か!」
 カールソンは両腕を振り払い、二人の山賊ごと金槌を右側に放り投げる。
 分厚い板金鎧プレートアーマーの手甲は物をしっかり掴めるようにはできていないらしく、武器を奪われる事態には至らなかった。山賊たちは乱雑に床を転がり、這々ほうほうていで逃げ出した。
「おい子供、いいかげんに降参しろ。そうすりゃお前は許してやるからよ。おれも少し疲れてきたんだよ」
「それを狙ってるのよ。バカじゃないの」
「なんだと!」
 ここに来たばかり頃、アウロラはあれほど口が悪かっただろうか――金槌とともに投げ出された山賊のうちの一人が、内心で慨嘆がいたんしていた。
 怒りで疲れを忘れたカールソンがふたたびアウロラを追いかけ回していると、荷車に大きな鉄鍋を載せてエステルが姿を現した。
 彼女が普段料理に使っているその大鍋からは、幾本かのロープが垂れ下がっている。ロープの先端には網状の袋がくくりつけてあり、中には握りこぶし大の石が入っていた。
「さあルイン、頼んだよ」
「米の麺、作ってくれ。故郷の食べ物だ」
「ああ、うまくいったらね」
 ルインと呼ばれた黄褐色おうかっしょくの肌の男がロープを手にとり、頭上でゆっくりと振り回し始めた。
「エステルさんは投石? でもあの程度の大きさじゃ……」
「何だあ? あんな石ころ、この鎧はびくともしねえぞ」
 ロープの回転が早まり、ルインの手から放たれた。石はカールソンに命中し、尾を引いて飛んでいたロープが鎧に巻き付く。
「痛いどころか、くすぐってえよ!」
 カールソンは鼻で笑い、投石を意に介さずにアウロラを追い続けた。鎧には僅かなへこみさえできていない。
 だがルインとエステルはそれにも構わず、流れ作業のように投石を続けた。分厚い金属鎧に石は力なく弾かれ、ただロープが腕や足に絡みつくのみだ。
「アウロラちゃん、もう少しだけ頑張って!」
「動きを止めるにしても、軽すぎて効果なさそうだけど……なんか空気が揺らめいてる?」
 アウロラはエステルの声援に頷きつつ、小さな異変に気付いた。そしてすぐに状況を察し、カールソンとの距離を開ける。
「くそっ、お前ら、兄貴の仕事が終わったら一発ぶん殴ってやるか……」
「そろそろね」
「何だ……?」
 木に果物が実るように体中に石をまとわりつかせたカールソンが足を止める。顔全体を覆う兜の隙間から、湯気のように白い吐息が吹き出してきた。
「あ、あちい!」
「なんか熱気を感じると思ったら……」
「ただの石じゃないのよ。焼石」
 エステルが大鍋で持ってきたものは、彼女が調理に使っていたかまどに敷いてある焼石だった。
 ひとつ放り込めば小さな鍋の水をまたたく間に沸騰させる焼石を、ルインが得意とする狩猟用の投擲とうてき武器に組み合わせたのだ。石を包んでいる袋は、鉱夫たちが採石を運び出す際に使っている金属繊維製の網を小さく切り、即席で作り上げたものである。麻や綿の袋では焼石の温度に耐えきれず、すぐに燃え上がってしまう。
「あちい! この石か……くそっ!」
 カールソンは鎧から石を外そうともがくが、分厚い金属板が関節の可動域を狭めており、絡みついたロープに手が届かない。そうしている間にも、鋼鉄製の鎧にはみるみるうちに焼石から熱が伝えられる。
「火の塊をあれだけ抱かせたんだ。早く鎧を脱がなきゃ鉄板焼きになるよ……いや、蒸し焼きかね」
「……えぐいことを考えていらっしゃる」
 カールソンは涙声で意味不明な音を口走り、やがて獣のように絶叫しながら出口の方へと駆け去った。

「存外、強者はどこにでも、数多あまたおるものだ」
 ミルヴェーデンは感慨深げな面持ちで、ラルセン山の斜面を転げ落ちてゆくカールソンを眺めていた。事態の急展開に色を失ったフェルディンとは、対照的な落ち着きようだ。
「とはいえ、これで我が方は敵中に孤立というわけだな」
「むう……」
 フェルディンが小さくうめき、背後の出入り口に不安げな視線を向けた。
「あたしの仲間がよろしくやってくれたようだ。さてどうする剣豪、……その肘で、まだ戦うのか?」
「……ほう、よく見ておるな」
 リースベットは半信半疑で鎌をかけたが、その言葉は図星を指していた。ミルヴェーデンは右肘に、細い刃物を突き立てられたような痛みを覚えながら戦っていたのだ。
「剣に最初ほどのキレがねえ。どうやら身体の限界を超えて動いてるな?」
「……いかにも。師に認められうる剣を目指し修練を続けてきたが、所詮は生身の体。肉を鍛えても骨がわしを裏切りおる……惨めな末路よ」
「そうまでして鍛えて、それほど師匠を超えてえのか? その腕なら、じゅうぶん弟子も取れそうなモンだけどな」
「弟子か……師に遠く及ばぬ身には、過ぎた存在だ」
「そんなもんかね。自分は師匠に遠く及ばねえ、ってことを教えてりゃ、それでいい気もするがな」
「……面白いことを言う」
 ミルヴェーデンは腰の剣にかけていた手を離した。
「なるほど、師も確かに、我が師には遠く及ばん、と日々言われておった」
「どっかで割り切らなきゃ、他人にものを教えられる奴がこの世からいなくなっちまうよ」
「師はおっしゃった。技を磨くこと以上に、己の力の程を知ることが肝要であると。己を知らねば、事にあたって順道じゅんどうを選することあたわぬ」
「己の力の程……か。そうだな。確かにそうだったぜ」
「どれだけ腕を磨き、切っ先を研ぎ澄ましたところで、勝てぬものには勝てぬ。ならば人が生きるべきは眼前の戦いよりも、勝てぬ戦いを避けることにこそ……」
 リースベットは肩をすくめ、呆れ顔で笑う。ミルヴェーデンの求道的な思考にはあまり興味が持てなかったが、思いがけず会話は成立していた。
 たったいま答えを見つけたかも知れない蓬髪ほうはつの剣士は、背後に落ちていたリースベットのオスカククリナイフを拾い、持ち主に手渡した。
「勝敗はすでに決しておる。好きにするがよい」
「ちょっ、ミルヴェーデン……」
「あんた、ほんとに勝手に戦いやめるんだな! ユーホルトに聞いてたとおりだ」
「ユーホルト……どこかで聞いた名だな。まあよい、ままならぬ世にあっても、死地を選ぶ自由くらいは通させてもらう」
「わがままなおっさんだ。少しは他人とか弱い奴とか、そういうモンのことも考えたほうがいいぜ」
「これからは、それもよかろう……」
 一刻いっこく前とは別人のように穏やかな表情のミルヴェーデンが、口元にかすかな笑みを浮かべて背後を振り返った。フェルディンが茫然ぼうぜん自失のていで立ち尽くしている。
「儂の仕事は終わりだ。山賊が首魁しゅかい、討ち果たせなんだゆえ俸禄ほうろくは求めん」
「え……ああ」
「道行きを同じくした者の情け、そなたのむくろは儂が拾ってやろう」
「い、いや、大丈夫だ」
「そうか……では達者でな。フェルディン殿」
「はい」
 緑の色濃いトウヒのこずえを抜けてきた柔らかな朝日が、去りゆくミルヴェーデンの横顔を照らしていた。蓬髪の剣士は年老いた名役者が舞台から退場するように、ラルセン山の坂道を静かに降りてゆく。
 フェルディンとリースベットはその後ろ姿を、虚心坦懐きょしんたんかいとは言い難い心持ちで眺めていた。
 ツグミのさえずりが穏やかに響く中、バックマンがおもむろに灌木かんぼくの中から姿を表す。
「よう、来たか」
「何だかおかしなことが続くな……さあマントの大将、あんたこの状況でまだ、戦いを続けんのか?」
 黒髪の副長は開口一番、フェルディンに挑発的な調子で声をかけた。
「え……? ああ、そうだ。僕は絶対に、やり遂げなければいけない」
「半時前だったら勢いに任せて斬り殺してたところだが、あのおっさんのせいですっかり気が削がれちまった。逃げるにゃ絶好の機会だぞ?」
 フェルディンは自らの言葉で、決意の当初に立ち返ったようだ。ミルヴェーデンの奇行に振り回されていた精神も、落ち着きを取り戻している。
 一息ついて焦慮しょうりょを振り払ったフェルディンは、背筋を伸ばしてリースベットに向き直った。
「もしここで散るようなら、それもまた運命。墓も弔いもいらない」
「うざってえ……」
「仕方ねえ、ティーサンリード総出で歓迎といくか」
 悪心おしんを催したような顔のリースベットと対象的に、バックマンはどこか楽しげだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生幼児は夢いっぱい

meimei
ファンタジー
日本に生まれてかれこれ27年大学も出て希望の職業にもつき順風満帆なはずだった男は、 ある日親友だと思っていた男に手柄を横取りされ左遷されてしまう。左遷された所はとても忙しい部署で。ほぼ不眠不休…の生活の末、気がつくとどうやら亡くなったらしい?? らしいというのも……前世を思い出したのは 転生して5年経ってから。そう…5歳の誕生日の日にだった。 これは秘匿された出自を知らないまま、 チートしつつ異世界を楽しむ男の話である! ☆これは作者の妄想によるフィクションであり、登場するもの全てが架空の産物です。 誤字脱字には優しく軽く流していただけると嬉しいです。 ☆ファンタジーカップありがとうございました!!(*^^*) 今後ともよろしくお願い致します🍀

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

えぞのあやめ

とりみ ししょう
歴史・時代
(ひとの操を踏みにじり、腹違いとはいえ弟の想い女を盗んだ。) (この報いはかならず受けよ。受けさせてやる……!) 戦国末期、堺の豪商今井家の妾腹の娘あやめは、蝦夷地貿易で商人として身を立てたいと願い、蝦夷島・松前に渡った。 そこは蝦夷代官蠣崎家の支配下。蠣崎家の銀髪碧眼の「御曹司」との思いもよらぬ出会いが、あやめの運命を翻弄する。 悲恋と暴虐に身も心も傷ついたあやめの復讐。 のち松前慶広となるはずの蠣崎新三郎の運命も、あやめの手によって大きく変わっていく。 それは蝦夷島の歴史をも変えていく・・・

異世界でリサイクルショップ!俺の高価買取り!

理太郎
ファンタジー
坂木 新はリサイクルショップの店員だ。 ある日、買い取りで査定に不満を持った客に恨みを持たれてしまう。 仕事帰りに襲われて、気が付くと見知らぬ世界のベッドの上だった。

異世界で買った奴隷がやっぱ強すぎるので説明求む!

夜間救急事務受付
ファンタジー
「異世界で買った奴隷が強すぎるので説明求む!」の続編です! 前編を引き継ぐストーリーとなっておりますので、初めての方は、前編から読む事を推奨します。

転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】

ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった 【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。 累計400万ポイント突破しました。 応援ありがとうございます。】 ツイッター始めました→ゼクト  @VEUu26CiB0OpjtL

【完結】魔王と間違われて首を落とされた。側近が激おこだけど、どうしたらいい?

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
旧題【竜王殺しの勇者は英雄か(仮)】 強大な魔法を操り、人族の領地を奪おうと戦いを挑んだ魔族。彼らの戦いは数十年に及び、ついに人族は聖剣の力を引き出せる勇者を生み出した。人族は決戦兵器として、魔王退治のために勇者を送り込む。勇者は仲間と共に巨大な銀竜を倒すが……彼は魔王ではなかった。 人族と魔族の争いに関わらなかった、圧倒的強者である竜族の王の首を落としてしまったのだ。目覚めたばかりで寝ぼけていた竜王は、配下に復活の予言を残して事切れる。 ――これは魔王を退治にしに来た勇者が、間違えて竜王を退治した人違いから始まる物語である。 【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう ※2023/10/30……完結 ※2023/09/29……エブリスタ、ファンタジートレンド 1位 ※2023/09/25……タイトル変更 ※2023/09/13……連載開始

エラーから始まる異世界生活

KeyBow
ファンタジー
45歳リーマンの志郎は本来異世界転移されないはずだったが、何が原因か高校生の異世界勇者召喚に巻き込まれる。 本来の人数より1名増の影響か転移処理でエラーが発生する。 高校生は正常?に転移されたようだが、志郎はエラー召喚されてしまった。 冤罪で多くの魔物うようよするような所に放逐がされ、死にそうになりながら一人の少女と出会う。 その後冒険者として生きて行かざるを得ず奴隷を買い成り上がっていく物語。 某刑事のように”あの女(王女)絶対いずれしょんべんぶっ掛けてやる”事を当面の目標の一つとして。 実は所有するギフトはかなりレアなぶっ飛びな内容で、召喚された中では最強だったはずである。 勇者として活躍するのかしないのか? 能力を鍛え、復讐と色々エラーがあり屈折してしまった心を、召還時のエラーで壊れた記憶を抱えてもがきながら奴隷の少女達に救われるて変わっていく第二の人生を歩む志郎の物語が始まる。 多分チーレムになったり残酷表現があります。苦手な方はお気をつけ下さい。 初めての作品にお付き合い下さい。

処理中です...