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風のオーロラ
6 籠城戦
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「あの綱ひも野郎、まだ隊長やってんのか」
岩山の上から野営地を望遠鏡で監視する山賊の副長バックマンが、吐き捨てるように呟いた。ブリクストの危惧していたとおり、ラルセンの山賊団――ティーサンリードは先の戦闘以後、より厳重な監視体制を敷いている。リードホルム・ノルドグレーン連合部隊とアウロラたちの動向は、すでに敵対者の知るところとなっていた。
「何だ、その綱ひもってのは」
ひとつしかない望遠鏡を奪い取り、山賊の首領リースベットが問う。
「名前だの見た目だのが無駄に長いってのと、首に綱ひも付けられてる飼い犬みてえに上の連中に媚びへつらうから、って付けられたあだ名だ」
「そりゃ、さぞ素晴らしいクズ野郎だったんだろうな」
「ああ。俺が半年やそこらの部隊生活で感じた不愉快の九割以上は、あいつに原因がある」
「気持ちは分かったが、お礼参りはまだ時期じゃねえぞ。さすがに今のウチらで、あの数を相手にすんのは分が悪い」
「わかってますよ。然るべきときに、キッチリ利子つけて返してやるぜ」
数に勝る敵の接近を察知したバックマンは、不利な戦いを挑むより籠城して敵の消耗を待つ戦術を提案していた。ティーサンリードの成員にはまだ傷が完治していない者がいる上、総数も連合部隊の半分程度だ。リースベットを始めとして戦技に長けたものは多いが、正面からぶつかった場合の人的損害は無視しがたい。
彼らが監視している山道側の出入り口を封鎖されても、他の場所から出入りすれば補給は容易である。多少なりとも遠征してきている連合部隊の側が、補給の面ではより不利なのだ。
ブリクストの提案どおり持久戦を開始してから四日の時が過ぎ、野営地は不穏な空気に包まれていた。
「どうなってやがんだ。あれから四日も経ってんのに、補給をよこさねえじゃねえか」
「私に言ったって食べ物なんか出てこないわよ」
「クソッ、あの負け犬野郎、上への報告忘れてんじゃねえだろうな」
「……そんな人じゃなさそうだったけどなあ」
アウロラとセーデルクヴィスト率いる連合部隊の食料が払底してから二日が過ぎたが、なお補給物資は届いていなかった。
これはブリクストが追加補給の具申を忘れたわけでも、ましてティーサンリードの妨害などでもない。リードホルム城の会議室では、外務省、軍務省、内務省それぞれの代表者が、補給の予算をどこが負担するかについて醜い押し付け合いを繰り広げていた。作戦じたいが彼らの自主的な発案でなく、とくに連合部隊の派遣はノルドグレーン軍務省の意向が強く働いたものであることも手伝って、誰も自らを責任者だとは考えていなかったのだ。
急場をしのぐため、連合部隊の兵士たちは軍務を二の次にして狩猟採集の労を執らざるを得なかった。だが百人以上の胃袋を満たすには、初夏に近いといえども冷涼なリードホルムの山岳地帯は恵みに乏しい。果物や木の実、獣はごくわずかで、他にはリラ川で小さな魚が間欠的に釣れるのみだった。アウロラ自身も今日はまだ、小さなウリと熟しきっていないクラウドベリーを数粒しか口にできていない。
兵士たちは空腹で苛立ち、些細なことが口論に発展する機会が増えていた。
諍う連合部隊の兵士たちを、ティーサンリードの面々が遠巻きに眺めていた。彼女らはさながら、桟敷席からオペラグラスで喜劇を鑑賞する貴族のような様子だ。
「奴ら、どうやら補給が届いてないようだな」
「上の連中に見捨てられたか? 持久戦を仕掛けてきてこのザマとは同情するぜ。相変わらず大したお国だ」
リースベットとバックマンは交互に望遠鏡を覗き込むが、眉雪の弓使いユーホルトは裸眼で状況を視認できていた。
「おいバックマン、あの部隊はお前さんの古巣なんだろう?」
「ああ。懐かしき暗黒時代だ」
「奴隷部隊ってのは、子供までこき使うのか?」
「……何だって?」
「見てみろ、ガキが混じってる。どう見たって十三、四ってところだ」
ユーホルトが指し示す先には小さな子供、アウロラの姿があった。木の枝の上で頬杖をつきながら、リラ川に釣り糸を垂らしている。川面にたゆたう小枝の浮きは、全く反応がないようだ。
「……こりゃすげえ。二年でえげつなさに磨きがかかったらしいな」
「子供まで……さすがのあたしも反吐が出るぜ」
「年端も行かねえ子供を殺すのは、さすがに寝覚めが悪いな。このまま腹を空かして家に帰ってくれるのを待ちてえところだ」
「あの様子だと、チキンの脚でも放り投げてやりゃ、それ目がけて雪崩を打つだろうよ」
「面白え。魚の骨で奪い合いになるまで、優雅にワインとでも洒落込むか?」
「ありゃ売りもんだろう。オスカリウスが怒るぜ」
「勝ってからなら口実になるだろう」
殺伐とした彼岸の勢力とは対象的な雰囲気で、リースベットとバックマンは洋々と引き上げていった。ユーホルトだけはその場に残り、引き続き監視を続ける。
さらに一日が過ぎ、ついに連合部隊で一部のものが激発した。その先鞭をつけたのが軍規を律するべきセーデルクヴィスト隊長であることが、余計にアウロラを苛立たせた。
「冗談じゃねえ、来ねえもんをこれ以上待ってられるか」
「そう言うなら、あんたが戻って補給を催促してきてよ。そんなに遠くもない場所なのに」
セーデルクヴィストは言葉による返答の代わりに、舌打ちを返しただけだった。奴隷部隊の隊長の具申など、誰もまともに取り合いはしない――その事実を述べることは、彼の虚栄心をいっそう摩滅させる。
「このままじゃ埒が明かねえ。とっとと突っ込んでケリを付けてやる」
「それじゃ、ここまで待ったことが水の泡じゃない」
「うるせえ! 俺はな、ここらで手柄を立てる必要があるんだよ、何がなんでもな。こっちで勝手にやっから、ガキは野イチゴでも探してろ」
「言われなくてもそうするわよ。あんたみたいなのに、誰が協力なんてするもんか」
地位にすがって生きてきたという自覚があるのか、セーデルクヴィストの告白には鬼気迫るものがあった。
討伐が成功すれば隊長の地位を保証し、いくつかの悪事に目をつぶる。しかし失敗した場合は、かねてから隊長候補に挙げられていたサムエルソンを昇格させることになる――出陣前、彼は軍務省の高官から、そのように宣告を受けていた。唯々諾々と上からの命令を受け入れ続けたことによって、“奴隷部隊”の中にあって例外的に恵まれた彼の地位は、安泰であり続けたのだ。
「攻め込むぞ! 食いもん探しに出てる奴ら呼び戻せ!」
「何だよ、待つんじゃなかったのか?」
「特別奇襲隊の負け犬が立てたような作戦に、いつまでも従ってられるかよ」
セーデルクヴィストの指示に乗り気な隊員は少なく、明確な反発はないものの積極的な賛同もない。そんな中から技量を基準に選抜が行われ、先陣として十五人ほどの突撃部隊が編成された。
「いいか、見たところ洞穴の通路は狭え。三人も並んだら剣も振れねえほどだ」
「そんな場所で、この人数がどうやって戦うんだ?」
「だからまず腕の立つテメエらが切り込むんだよ。中は必ずどっかで広がってる、そこまで行きゃあ数で押せるはずだ」
「どうでもいいぜ、とっとと終わらして、メシが食いてえ」
「そうだよ、それだ。早いとこ終わらせようや。腹が減ってぶっ倒れる前にな」
背中に大斧を背負った巨漢の男が、数少ない賛意を示した。
用意しろ、とセーデルクヴィストは部隊を大喝し、いよいよ山賊討伐の準備に取りかかる。多くの隊員は不承不承だが、とはいっても命令に背くわけにはゆかない。釣り竿を仕舞い、焚き火を消し、空腹で普段よりも重く感じる武具を身に着けた。
行軍に先立ち、道中に配していた監視役を引き上げさせ、ティーサンリードの拠点入り口には動きがないことを確認する。セーデルクヴィストは漠然と吉報を期待していたが、それらしき情報はまったくなかった。戦いの除幕は式次どおりに進んだ。
「第一陣、突っ込め! 通路を確保しろ!」
これまでよりは指揮官らしいセーデルクヴィストの号令により、ティーサンリードの拠点地下壕に、有史以来初めて敵対者が侵入した。先陣を切ったのは大斧の巨漢ルーマンと戦鎚使いサムエルソン、いずれも隊内では屈指の実力者だ。二人が下りの階段を十メートルも降りないうちに、一人の女山賊が立ちはだかった。
「お、女だ、女」
「よしルーマン、お前が先にやれ」
巨漢のルーマンは油膜の張っていそうな目を血走らせ、突き出た腹を揺らしながら女山賊へとにじり寄った。鏡のように磨き上げられた二本の大型ククリナイフ、閃光の峰で右肩を叩きながら、リースベットは顔を歪ませて嗤う。
「お客様、ここは立ち入る前に必ず入場審査を受けなきゃいけねえんだぜ。とくに武器を持ってるようなやつは厳重チェックだ」
「へへ、何言ってんだコイツ」
「……そこまでノリが悪ぃと、言ったこっちが悲しくなってくるぜ」
「ルーマン、余計なこと考えてねえで、とっとと殺っちまえ」
「とびきり厳重な審査をご希望みてえだな」
サムエルソンが指を鳴らすと、ルーマンは悲鳴にも聞こえる異様な叫び声を上げ、両刃の大斧を振りかぶった。低い天井に重厚な刃先が引っかかったが、ルーマンは岩盤を支える坑木を叩き折りながら、強引に大斧を振り下ろした。地鳴りのような轟音と土煙が坑道に満ちる。
「てめえ何考えてんだこのデブ! 天井が崩れたらどうすんだバカ野郎!」
リースベットの口を極めた抗議も聞かずに大斧を出鱈目に振り回し、ルーマンは通路を破壊しながら前進を続ける。
通路の幅いっぱいに荒れ狂う分厚い刃に辟易しながらも、リースベットは左のオスカを逆手に持ち替え、間合いを詰める機会を伺っていた。斧の刃先は過剰な酷使でぼろぼろになっているが、持ち主は全く気にしていないようだ。その重量と怪力ならば、刃こぼれで鈍った刃でも充分な殺傷力があるだろう。
「いいかげんにしやがれ!」
斧が土壁にめり込んだ僅かな隙を見て、リースベットは懐に飛び込んだ。すぐに返す刀が横薙ぎに襲い来るが、二本のオスカを交差させて受け止める。金属がぶつかって震える甲高い音とともに、耳鳴りが響き渡った。
「止めやがった?!」
驚いたルーマンは強引に大斧を薙ぎ払おうとした。リースベットはその力に逆らわず右の壁を蹴って宙返りし、着地ぎわにルーマンの左肩口を斬りつけた。分厚い脂肪に守られた傷は浅い。大斧がさらなる暴威を振るったが、リースベットは横薙ぎの斬撃を跳躍して避け、渾身の力を込めて右首筋から胸へと袈裟掛けに斬り下ろした。オスカがルーマンの身体に根元深く食い込み、吹き出す血泡とともに大斧が床の石畳に落ちる。
ルーマンの突き出た腹を蹴って深く刺さったオスカを抜こうとすると、巨大な死体の左脇から戦鎚の鋭い打撃が奔った。リースベットは咄嗟のところで、逆手に構えていたオスカを盾にして受け止める。だが鎧ごと人の骨を砕く戦鎚の衝撃は強力で、板金鎧よりも分厚いオスカの刀身を隔ててなお、左前腕に強い痛みとしびれが走った。
「てめえ……味方をダシにして狙ってやがったな……」
「ルーマンのバカに勝てる女なんかいねえ。いるとすりゃリーパーに間違いねえってな。こいつの斧をその細腕で受け止めやがるし、そりゃ警戒するぜ」
「癪な野郎だ」
「……俺は知ってんだよ、リーパーってのも不意打ちにゃ弱い、ってな」
その言葉を捨て台詞に、サムエルソンは脱兎のごとく逃げ出した。不意打ちに失敗した以上、勝機はないという判断は正しい。だがその一撃離脱作戦が成立するよりも早く、リースベットは逃走者の背中にオスカを投げつけた。彼女の腕輪に革紐で繋がれたその刀身は、左腕の身代わりとして戦鎚を受け、無惨に折れ曲がっている。
「い、痛え……」
「左腕の礼だよ。謙虚なふりして、受け取らずに帰るんじゃねえ」
「ここを生きて帰りゃ、俺が……」
オスカを背中に突き立てられたサムエルソンが、呟きながらうつ伏せに倒れた。その向こうには、さらなる突撃部隊の手勢が迫っている。
「……しゃあねえ、右腕だけで相手してやる。楽にしてやるから、生きてるのが嫌な奴からかかってこい」
岩山の上から野営地を望遠鏡で監視する山賊の副長バックマンが、吐き捨てるように呟いた。ブリクストの危惧していたとおり、ラルセンの山賊団――ティーサンリードは先の戦闘以後、より厳重な監視体制を敷いている。リードホルム・ノルドグレーン連合部隊とアウロラたちの動向は、すでに敵対者の知るところとなっていた。
「何だ、その綱ひもってのは」
ひとつしかない望遠鏡を奪い取り、山賊の首領リースベットが問う。
「名前だの見た目だのが無駄に長いってのと、首に綱ひも付けられてる飼い犬みてえに上の連中に媚びへつらうから、って付けられたあだ名だ」
「そりゃ、さぞ素晴らしいクズ野郎だったんだろうな」
「ああ。俺が半年やそこらの部隊生活で感じた不愉快の九割以上は、あいつに原因がある」
「気持ちは分かったが、お礼参りはまだ時期じゃねえぞ。さすがに今のウチらで、あの数を相手にすんのは分が悪い」
「わかってますよ。然るべきときに、キッチリ利子つけて返してやるぜ」
数に勝る敵の接近を察知したバックマンは、不利な戦いを挑むより籠城して敵の消耗を待つ戦術を提案していた。ティーサンリードの成員にはまだ傷が完治していない者がいる上、総数も連合部隊の半分程度だ。リースベットを始めとして戦技に長けたものは多いが、正面からぶつかった場合の人的損害は無視しがたい。
彼らが監視している山道側の出入り口を封鎖されても、他の場所から出入りすれば補給は容易である。多少なりとも遠征してきている連合部隊の側が、補給の面ではより不利なのだ。
ブリクストの提案どおり持久戦を開始してから四日の時が過ぎ、野営地は不穏な空気に包まれていた。
「どうなってやがんだ。あれから四日も経ってんのに、補給をよこさねえじゃねえか」
「私に言ったって食べ物なんか出てこないわよ」
「クソッ、あの負け犬野郎、上への報告忘れてんじゃねえだろうな」
「……そんな人じゃなさそうだったけどなあ」
アウロラとセーデルクヴィスト率いる連合部隊の食料が払底してから二日が過ぎたが、なお補給物資は届いていなかった。
これはブリクストが追加補給の具申を忘れたわけでも、ましてティーサンリードの妨害などでもない。リードホルム城の会議室では、外務省、軍務省、内務省それぞれの代表者が、補給の予算をどこが負担するかについて醜い押し付け合いを繰り広げていた。作戦じたいが彼らの自主的な発案でなく、とくに連合部隊の派遣はノルドグレーン軍務省の意向が強く働いたものであることも手伝って、誰も自らを責任者だとは考えていなかったのだ。
急場をしのぐため、連合部隊の兵士たちは軍務を二の次にして狩猟採集の労を執らざるを得なかった。だが百人以上の胃袋を満たすには、初夏に近いといえども冷涼なリードホルムの山岳地帯は恵みに乏しい。果物や木の実、獣はごくわずかで、他にはリラ川で小さな魚が間欠的に釣れるのみだった。アウロラ自身も今日はまだ、小さなウリと熟しきっていないクラウドベリーを数粒しか口にできていない。
兵士たちは空腹で苛立ち、些細なことが口論に発展する機会が増えていた。
諍う連合部隊の兵士たちを、ティーサンリードの面々が遠巻きに眺めていた。彼女らはさながら、桟敷席からオペラグラスで喜劇を鑑賞する貴族のような様子だ。
「奴ら、どうやら補給が届いてないようだな」
「上の連中に見捨てられたか? 持久戦を仕掛けてきてこのザマとは同情するぜ。相変わらず大したお国だ」
リースベットとバックマンは交互に望遠鏡を覗き込むが、眉雪の弓使いユーホルトは裸眼で状況を視認できていた。
「おいバックマン、あの部隊はお前さんの古巣なんだろう?」
「ああ。懐かしき暗黒時代だ」
「奴隷部隊ってのは、子供までこき使うのか?」
「……何だって?」
「見てみろ、ガキが混じってる。どう見たって十三、四ってところだ」
ユーホルトが指し示す先には小さな子供、アウロラの姿があった。木の枝の上で頬杖をつきながら、リラ川に釣り糸を垂らしている。川面にたゆたう小枝の浮きは、全く反応がないようだ。
「……こりゃすげえ。二年でえげつなさに磨きがかかったらしいな」
「子供まで……さすがのあたしも反吐が出るぜ」
「年端も行かねえ子供を殺すのは、さすがに寝覚めが悪いな。このまま腹を空かして家に帰ってくれるのを待ちてえところだ」
「あの様子だと、チキンの脚でも放り投げてやりゃ、それ目がけて雪崩を打つだろうよ」
「面白え。魚の骨で奪い合いになるまで、優雅にワインとでも洒落込むか?」
「ありゃ売りもんだろう。オスカリウスが怒るぜ」
「勝ってからなら口実になるだろう」
殺伐とした彼岸の勢力とは対象的な雰囲気で、リースベットとバックマンは洋々と引き上げていった。ユーホルトだけはその場に残り、引き続き監視を続ける。
さらに一日が過ぎ、ついに連合部隊で一部のものが激発した。その先鞭をつけたのが軍規を律するべきセーデルクヴィスト隊長であることが、余計にアウロラを苛立たせた。
「冗談じゃねえ、来ねえもんをこれ以上待ってられるか」
「そう言うなら、あんたが戻って補給を催促してきてよ。そんなに遠くもない場所なのに」
セーデルクヴィストは言葉による返答の代わりに、舌打ちを返しただけだった。奴隷部隊の隊長の具申など、誰もまともに取り合いはしない――その事実を述べることは、彼の虚栄心をいっそう摩滅させる。
「このままじゃ埒が明かねえ。とっとと突っ込んでケリを付けてやる」
「それじゃ、ここまで待ったことが水の泡じゃない」
「うるせえ! 俺はな、ここらで手柄を立てる必要があるんだよ、何がなんでもな。こっちで勝手にやっから、ガキは野イチゴでも探してろ」
「言われなくてもそうするわよ。あんたみたいなのに、誰が協力なんてするもんか」
地位にすがって生きてきたという自覚があるのか、セーデルクヴィストの告白には鬼気迫るものがあった。
討伐が成功すれば隊長の地位を保証し、いくつかの悪事に目をつぶる。しかし失敗した場合は、かねてから隊長候補に挙げられていたサムエルソンを昇格させることになる――出陣前、彼は軍務省の高官から、そのように宣告を受けていた。唯々諾々と上からの命令を受け入れ続けたことによって、“奴隷部隊”の中にあって例外的に恵まれた彼の地位は、安泰であり続けたのだ。
「攻め込むぞ! 食いもん探しに出てる奴ら呼び戻せ!」
「何だよ、待つんじゃなかったのか?」
「特別奇襲隊の負け犬が立てたような作戦に、いつまでも従ってられるかよ」
セーデルクヴィストの指示に乗り気な隊員は少なく、明確な反発はないものの積極的な賛同もない。そんな中から技量を基準に選抜が行われ、先陣として十五人ほどの突撃部隊が編成された。
「いいか、見たところ洞穴の通路は狭え。三人も並んだら剣も振れねえほどだ」
「そんな場所で、この人数がどうやって戦うんだ?」
「だからまず腕の立つテメエらが切り込むんだよ。中は必ずどっかで広がってる、そこまで行きゃあ数で押せるはずだ」
「どうでもいいぜ、とっとと終わらして、メシが食いてえ」
「そうだよ、それだ。早いとこ終わらせようや。腹が減ってぶっ倒れる前にな」
背中に大斧を背負った巨漢の男が、数少ない賛意を示した。
用意しろ、とセーデルクヴィストは部隊を大喝し、いよいよ山賊討伐の準備に取りかかる。多くの隊員は不承不承だが、とはいっても命令に背くわけにはゆかない。釣り竿を仕舞い、焚き火を消し、空腹で普段よりも重く感じる武具を身に着けた。
行軍に先立ち、道中に配していた監視役を引き上げさせ、ティーサンリードの拠点入り口には動きがないことを確認する。セーデルクヴィストは漠然と吉報を期待していたが、それらしき情報はまったくなかった。戦いの除幕は式次どおりに進んだ。
「第一陣、突っ込め! 通路を確保しろ!」
これまでよりは指揮官らしいセーデルクヴィストの号令により、ティーサンリードの拠点地下壕に、有史以来初めて敵対者が侵入した。先陣を切ったのは大斧の巨漢ルーマンと戦鎚使いサムエルソン、いずれも隊内では屈指の実力者だ。二人が下りの階段を十メートルも降りないうちに、一人の女山賊が立ちはだかった。
「お、女だ、女」
「よしルーマン、お前が先にやれ」
巨漢のルーマンは油膜の張っていそうな目を血走らせ、突き出た腹を揺らしながら女山賊へとにじり寄った。鏡のように磨き上げられた二本の大型ククリナイフ、閃光の峰で右肩を叩きながら、リースベットは顔を歪ませて嗤う。
「お客様、ここは立ち入る前に必ず入場審査を受けなきゃいけねえんだぜ。とくに武器を持ってるようなやつは厳重チェックだ」
「へへ、何言ってんだコイツ」
「……そこまでノリが悪ぃと、言ったこっちが悲しくなってくるぜ」
「ルーマン、余計なこと考えてねえで、とっとと殺っちまえ」
「とびきり厳重な審査をご希望みてえだな」
サムエルソンが指を鳴らすと、ルーマンは悲鳴にも聞こえる異様な叫び声を上げ、両刃の大斧を振りかぶった。低い天井に重厚な刃先が引っかかったが、ルーマンは岩盤を支える坑木を叩き折りながら、強引に大斧を振り下ろした。地鳴りのような轟音と土煙が坑道に満ちる。
「てめえ何考えてんだこのデブ! 天井が崩れたらどうすんだバカ野郎!」
リースベットの口を極めた抗議も聞かずに大斧を出鱈目に振り回し、ルーマンは通路を破壊しながら前進を続ける。
通路の幅いっぱいに荒れ狂う分厚い刃に辟易しながらも、リースベットは左のオスカを逆手に持ち替え、間合いを詰める機会を伺っていた。斧の刃先は過剰な酷使でぼろぼろになっているが、持ち主は全く気にしていないようだ。その重量と怪力ならば、刃こぼれで鈍った刃でも充分な殺傷力があるだろう。
「いいかげんにしやがれ!」
斧が土壁にめり込んだ僅かな隙を見て、リースベットは懐に飛び込んだ。すぐに返す刀が横薙ぎに襲い来るが、二本のオスカを交差させて受け止める。金属がぶつかって震える甲高い音とともに、耳鳴りが響き渡った。
「止めやがった?!」
驚いたルーマンは強引に大斧を薙ぎ払おうとした。リースベットはその力に逆らわず右の壁を蹴って宙返りし、着地ぎわにルーマンの左肩口を斬りつけた。分厚い脂肪に守られた傷は浅い。大斧がさらなる暴威を振るったが、リースベットは横薙ぎの斬撃を跳躍して避け、渾身の力を込めて右首筋から胸へと袈裟掛けに斬り下ろした。オスカがルーマンの身体に根元深く食い込み、吹き出す血泡とともに大斧が床の石畳に落ちる。
ルーマンの突き出た腹を蹴って深く刺さったオスカを抜こうとすると、巨大な死体の左脇から戦鎚の鋭い打撃が奔った。リースベットは咄嗟のところで、逆手に構えていたオスカを盾にして受け止める。だが鎧ごと人の骨を砕く戦鎚の衝撃は強力で、板金鎧よりも分厚いオスカの刀身を隔ててなお、左前腕に強い痛みとしびれが走った。
「てめえ……味方をダシにして狙ってやがったな……」
「ルーマンのバカに勝てる女なんかいねえ。いるとすりゃリーパーに間違いねえってな。こいつの斧をその細腕で受け止めやがるし、そりゃ警戒するぜ」
「癪な野郎だ」
「……俺は知ってんだよ、リーパーってのも不意打ちにゃ弱い、ってな」
その言葉を捨て台詞に、サムエルソンは脱兎のごとく逃げ出した。不意打ちに失敗した以上、勝機はないという判断は正しい。だがその一撃離脱作戦が成立するよりも早く、リースベットは逃走者の背中にオスカを投げつけた。彼女の腕輪に革紐で繋がれたその刀身は、左腕の身代わりとして戦鎚を受け、無惨に折れ曲がっている。
「い、痛え……」
「左腕の礼だよ。謙虚なふりして、受け取らずに帰るんじゃねえ」
「ここを生きて帰りゃ、俺が……」
オスカを背中に突き立てられたサムエルソンが、呟きながらうつ伏せに倒れた。その向こうには、さらなる突撃部隊の手勢が迫っている。
「……しゃあねえ、右腕だけで相手してやる。楽にしてやるから、生きてるのが嫌な奴からかかってこい」
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