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ノア王の心裏
氷解 7
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「ジュニエスのあと、あなたはずいぶん変わられた」
「変わった、とは……?」
変わったのはノアの方ではないか、と皮肉のひとつも言い返そうとしたベアトリスだったが、ふと、エル・シールケルのアウロラが読み上げた人物評を思い出した。――現在、その人格はより陶冶され、巧智と惻隠の両面において信頼に足る人物である――ノアはベアトリスをそう評していたという。
「ジュニエスの勝利の直後は自信に満ち、何者をも顧みず世界を手に入れんばかりの気勢にあふれていたが……その後は会うたび、思慮と人格の厚みを増していったように思う」
「そ、そうかしら……」
「そう思っていたら、少々あてが外れた」
「……は?」
「今のあなたであれば、即時武力制圧のような粗忽な真似はするまいと思っていた。だから私もゆっくり構えていたのだが……あなたは予想外な方向に大胆だったよ」
「え……と、いいますと……」
「まさかあなた自身が、早々に会いに行こうとはな」
「あれは! ……まったく詳細不明の山賊であれば、私ももう少し様子を見たでしょう。ですが、ジュニエスでエル・シールケルの者たちがノア様に同行している姿を見かけた、という報告があったからです。話せる相手であることが事前に分かっていれば、みずから話すに如くはありませんわ」
「そういうことか」
ノアは納得したというように小さく膝を打った。
「……私自身はともかく、部下が現場の判断でエル・シールケルを討伐してしまう……とは考えませんでしたか?」
「もっともな仮定だ。組織が大きければそれもあろう。だがローセンダール家は良くも悪くも一枚岩だ。勢力を急拡大しすぎて運営に必要な人材が足りていないが、その半面、末端まであなた自身の声が届く。逆にあなたの言葉がなければ、指先ひとつも動かない……違うかな?」
「……なんでも、お見通しですのね」
「あなたは重要な人なのでね。不愉快ではあろううが調べさせてもらった」
「構いませんわ。それはお互い様ですから」
ベアトリスは諦めたように笑った。この呆れた習性は、権勢の中で生きる者たちにとっては当然の、避け得ないものだった。ただふたりで話しているのに、いつも間にさまざまなものを挟んだ言葉ばかりが交わされる。
「不愉快ついでに伝えておくが、ノルドグレーンの社交界では、あなたの統率力が衰えてきているという噂が立っている。ベステルオースにほとんどいないあなたの耳には入りにくいことだろう」
「快くはありませんが、あまり驚きもしませんわ。その出処も予測がつきます」
「スタインフィエレット鉱山を奪われたままにしているのがその証拠だ……と、もっともらしい理由までつけてあるそうだ」
「それでますます得心がいきましたわ。あの男はどこまでも、現実でなく陰謀で構築した世界で私と戦おうというわけね……」
ベアトリスが所有していたスタインフィエレット鉱山を武装集団が奪った事件は、ノルドグレーン中央から見れば、辺境で起こった小事に過ぎない。それが首都ベステルオースで広まっているのならば、発信源はその当事者以外にありえない。あの男、ヴァルデマル・ローセンダールだ。
「変わった、とは……?」
変わったのはノアの方ではないか、と皮肉のひとつも言い返そうとしたベアトリスだったが、ふと、エル・シールケルのアウロラが読み上げた人物評を思い出した。――現在、その人格はより陶冶され、巧智と惻隠の両面において信頼に足る人物である――ノアはベアトリスをそう評していたという。
「ジュニエスの勝利の直後は自信に満ち、何者をも顧みず世界を手に入れんばかりの気勢にあふれていたが……その後は会うたび、思慮と人格の厚みを増していったように思う」
「そ、そうかしら……」
「そう思っていたら、少々あてが外れた」
「……は?」
「今のあなたであれば、即時武力制圧のような粗忽な真似はするまいと思っていた。だから私もゆっくり構えていたのだが……あなたは予想外な方向に大胆だったよ」
「え……と、いいますと……」
「まさかあなた自身が、早々に会いに行こうとはな」
「あれは! ……まったく詳細不明の山賊であれば、私ももう少し様子を見たでしょう。ですが、ジュニエスでエル・シールケルの者たちがノア様に同行している姿を見かけた、という報告があったからです。話せる相手であることが事前に分かっていれば、みずから話すに如くはありませんわ」
「そういうことか」
ノアは納得したというように小さく膝を打った。
「……私自身はともかく、部下が現場の判断でエル・シールケルを討伐してしまう……とは考えませんでしたか?」
「もっともな仮定だ。組織が大きければそれもあろう。だがローセンダール家は良くも悪くも一枚岩だ。勢力を急拡大しすぎて運営に必要な人材が足りていないが、その半面、末端まであなた自身の声が届く。逆にあなたの言葉がなければ、指先ひとつも動かない……違うかな?」
「……なんでも、お見通しですのね」
「あなたは重要な人なのでね。不愉快ではあろううが調べさせてもらった」
「構いませんわ。それはお互い様ですから」
ベアトリスは諦めたように笑った。この呆れた習性は、権勢の中で生きる者たちにとっては当然の、避け得ないものだった。ただふたりで話しているのに、いつも間にさまざまなものを挟んだ言葉ばかりが交わされる。
「不愉快ついでに伝えておくが、ノルドグレーンの社交界では、あなたの統率力が衰えてきているという噂が立っている。ベステルオースにほとんどいないあなたの耳には入りにくいことだろう」
「快くはありませんが、あまり驚きもしませんわ。その出処も予測がつきます」
「スタインフィエレット鉱山を奪われたままにしているのがその証拠だ……と、もっともらしい理由までつけてあるそうだ」
「それでますます得心がいきましたわ。あの男はどこまでも、現実でなく陰謀で構築した世界で私と戦おうというわけね……」
ベアトリスが所有していたスタインフィエレット鉱山を武装集団が奪った事件は、ノルドグレーン中央から見れば、辺境で起こった小事に過ぎない。それが首都ベステルオースで広まっているのならば、発信源はその当事者以外にありえない。あの男、ヴァルデマル・ローセンダールだ。
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