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第7話『今日からはじまる②』

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「ボクのすべてをお見せします!」

 姫の部屋を見た瞬間、その言葉の意味を理解した。

 本しかない。

 正確にはタンスと勉強机はあるが、それ以外は本で埋め尽くされている。正面から見て左右の壁に、姫の身長(130cm)ほどの大きな本棚がそれぞれ一個ずつ。床にも本が収納されたカラーボックスがいくつか。

「ここ……寝る場所ある?」
「叔母さんのベッドで寝てます」

 なるほど。まずは左側の本棚を見る。学生向けの本が半分、大人が読むような小説が半分という割合。

「あ、ここは一軍本棚ですね」
「児童書は少ないんだな」
「低学年の頃はいっぱいあったんですけど、部屋に入りきれなくなって、親戚の子にあげちゃいました……叔母さんが」

 恨みがましく呟く姫。不本意だったんだろうな。

「というか姫って何年生なの?」

 見た目は小四くらいだが、言葉づかいが大人びているからもっと上だったり?

「四年生です」

 あ、見た目通りで当たってた。本棚を改めて見る。

「小四で、こんな難しそうな本読めるんだ」
「難しくないですよ!読みやすい文体の作家の本がほとんどです。なかには難しかったりクセのある本もありますが、それは雰囲気が好きで……そういう本は、歳を重ねていくうちに……読む度に違う感想が生まれるので、そこもおもしろかったり……」

 最初の寡黙さが嘘みたいに、マシンガントークを繰り出す姫。その姿はキラキラしている。すごい勢いで花びらをまき散らしているみたい。

「実は……ボクも小説家を目指していて……よかったら、書いた作品を読んでいただけますか?」

 謙虚な口調。しかし、その表情は、はつらつとしていて、瞳はどこまでも透き通っていた。

 これは、有無を言わさず読まないといけないやつだ。うーん……つまらなかった時、反応に困るんだけどな……でも。

「うん。読みたいな」

 そもそも、姫のことを知りたいと言ったのは私だしね。正直、どんな小説か気になりはする。

「ありがとうございます!」

 姫はハキハキとお礼を言って、机の引き出しから、原稿用紙の束を取り出す。どさっと手渡された。

「少女クラブ文庫新人賞の二次選考で落ちました。未熟ですが、これからの可能性に満ちた意欲作だと思います。読者目線での感想、アドバイスをお願いします。遠慮なく、正直に思ったことを言ってください」
「お、おー……」

 自分でそういうふうに言えるのすごいな。私なんか、先生の勧めで応募した絵画コンクールに落選した時、恥ずかしくて即処分してしまったぞ。

 いや、姫はそれだけ夢に真剣で真っ直ぐなんだろうな。……この子も好きなものに懸命なタイプか。私とは全然違う生き物。

 原稿用紙をめくる。……え。お嬢様学校の権力争い!?ドロドロした話だ……好みじゃないかも……

『ピロパロパロポン♪ピロパロパロポン♪』

 スマホの着信音が鳴る。姫のスマホだ。

「でていいですか?」
「もちろん」
「……はい、うしおです。叔母さん?」

 姫は電話に出ながら、部屋の外に出ていった。

 電話の音のせいで、集中力が途切れた。ふと、さっきとは反対側の本棚に目を向ける。左の棚に比べて、どこか異様だな。なぜだ。あ、棚全部に同じ作者の本が並んでいるからだ。作者名は『亜純璃紅』なんて読むんだろう。しかも四段中三段目までが全部文庫。本の焼け具合やデザインは所々で変わっているが、文庫のすべてに『少女クラブ文庫』と表記されている。

 気になって、作者の名前をスマホで検索してみる。Wikiを開く。

 亜純あずみ璃紅りく、本名は田村璃紅(旧姓 粟国あぐに璃紅)。出身は私が今いる県と一緒。十三歳(中学二年生)で少女クラブ文庫、史上最年少デビュー。以後、二十五年間、少女クラブ文庫の看板作家であり続ける、少女小説界のレジェンド。あとがきによると、そーちゃん(姉)とうーちゃん(妹)という二人の娘がいる……享年三十八。

 本名は田村璃紅。これってまさか……

 まじまじと本棚を観察していると、姫が戻ってきた。

「あ、それ、お母さんの著作コーナーです。すごいでしょう」

 とても誇らしげだ。どこか高揚してる。

「好きな人に好きな話をできるのって、こんなに楽しいんですね」
「やっぱり母親だったか。Wikiで調べたら、姫に繋がりそうな情報がでてきたから、もしかして……と思ったんだけど」
「あー。あとがきでよくボクらの話が出てきますからね。ボク、お母さんから『うーちゃん』って呼ばれてました」

 姫の本名は田村うしおだ。だから、うーちゃんか。

唯都いとねえねはお母さんの本読んだことあります?『胡桃森女学院シリーズ』や『真琴と月夜シリーズ』が有名ですけど」
「うーん……聞いたことはある気がするけど」
「なんといっても、ボクはデビュー作が一番好きなんです。ほら、これ」

 姫が図書館で……そして、出会った時に持っていた文庫本を見せた。『真実のキボウ』というタイトル。

 本はかなり日に焼けており、少し昔の少女漫画風の女の子が切なげに涙を流している表紙だ。

「この本は……辛い時、いつもボクに寄り添ってくれます。そして、連れ出してくれます」

 目をぎゅっと閉じて、愛おしそうに本を抱きしめる姫。

「ごめん、その本も知らないかも……」
「初版は古いですが、新装版がでてるので、そっちは見たことあるかもしれません」

 姫が本棚の下段から、文庫より大きいソフトカバーの本を取り出した。そちらの表紙デザインは現代風で、タイトルが『真実のキボウ~いじめられている◯◯へ~』に改題されている。

「あ!?」

 その本、読んだことある。私が塾でいじめを受けていることが発覚した時に、親父が買い与えてくれたのだ。余計なお世話だとムカついたが、せっかくなので最後まで読んでみた。結構おもしろかったな。ラストはモヤモヤしたけど。

 学校でいじめられている高校生の主人公が、外の世界に救いを求め、失踪して、行方不明になる。そして、主人公を救えなかったことを後悔した親友が、数年後に教師になって、いじめ根絶を目指す……そんなラストだった。主人公が失踪した後どうなったかは、読者の想像にお任せします、とあとがきに書いてあった、と記憶している。

「ボクはお母さんみたいになりたいんです。死んだ後も誰かを見守っていけるような、そんな小説を残したいです」

 姫はまばゆい光をはなっている。私に告白した時と同じだ。宝物を見つけて、迷いもなく掘り出そうとしている、そんな輝き。

 私はその輝きに魅了されつつある。だって、今まで、こんなにきらめいている女の子に出会ったことがなかったから。

「なるべく早く小説家デビューをするのが目標ですけど、高校生までにデビューできなかったら、県外の文芸科がある芸術高校に行って、技術を磨きます」
「すごいな。小学生でもう高校のことまで考えてるんだ」
「叔母さんには反対されたので、自分で学費を稼いで勝手にいきます。ネットで文章の仕事を探しているんですけど、小学生じゃあ無理そうなので、多少年齢詐称してもいいですかね……」

 姫って……ちょっと危ういな。告白された時も思ったけど、「これ」と決めたことに真っ直ぐすぎる。でも、この真っ直ぐさと危うさが、輝きの元なのかもしれない。

「ねえ。姫って、まだ私のこと運命の人だと思ってる?」
「はい!だって、唯都ねえねのそばにいるだけで、ドキドキが止まりませんもん」
「じゃあ……私がずっとそばにいてって言ったら、ずっと隣にいてくれる?」
「もちろんです!唯都ねえねが離れたとしても、どこまでも探し出して、つきまといますよ!」

 そう宣言する姫は、相変わらず、まぶしい。

 何もない私を、運命的に好いてくれた少女。彼女の光が欲しい。彼女の光に照らされたかった。

 私だって特別になりたいと、ひそかに憧れていたのかもしれない。親に見放されて諦めていたけれど。それを可能にしてくれるのが姫かもしれない。

 強い光を持ちながらも、不幸な姫。あの小説の主人公のように失踪してしまわないように、私が姫を支えて、繋ぎ止めなきゃ。

「私、できるだけ姫の力になれるように頑張るよ」
「ありがとうございます!じゃあ早く原稿読んでください」
「う、うん……がんばるよ……」

 やむを得ず、家に持ち帰って読んだ。ところが、意外とおもしろかった。文章はやや拙いけど、先が気になってグイグイ読ませる力があった。姫、才能があるのかもしれない。ますます彼女のことを好ましく思った。
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