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日付不明・二年目
日付不明 決戦の数日後、いなくなった吸血鬼を探して
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これだけ探していないのなら、帰ってこないのなら。吸血鬼はもう、自分と一緒に暮らしてくれないのだろう。嫌な想像ばかりが頭を占有し、そしてそれは現実である。悪夢でもこんなに悪い夢は見ない。たぶん、次の眠りからは、吸血鬼が帰って来たとか、そういう悪夢ばかり見るのだろう。
もうどれくらい日が昇り、決戦の日からどれくらいの時間が経ったのかもわからない。ただ随分とお腹が空いた。今にもふらふらと倒れそうだった。
家に帰ると、中は特に荒れていない。こんな山奥には泥棒も来たがらないし、野生動物もここへは荒らしに来ない。戸締まりの必要がないほどの平穏が、ここでは普段の助けになった。当然、今も。
吸血鬼はもういない。静かな虫の耳鳴りのような鳴き声がじりじり響いている。ざわざわ風が木々を鳴らしている。べたべたした足音や、冷蔵庫を開いたり閉じたりする音がやけに大きい。気が落ち着かない。
すぐ食べられるものを探しても、残り物ばかりが目に入った。それでもなんとか見繕って、それらしいものを一膳、盆の上に作る。
酷く耳鳴りがする。
行儀は悪いが、縁側に持って行って食べる。たっぷり、一人分。外を見ていればもしかしたら、吸血鬼が戻ってくるところを見られるかもしれない。
終わったら風呂に入ろう。ぺたぺたと足音を立てて、風呂を沸かしに行く。古い家ながら便利な生活のためにいろいろな改造がされている。ミカジロがここでの生活を薦めたわけだった。
狩人が望んだものは来なかった。代わりに天使が来た。
「やっほぉ。息災?」
狩人の見張り役、聖なるものの守護天使。そして今はかつての学友。ミハエルが徒歩で彼の家にやって来た。
あまりにもタイミングがいい。食事を終え、しばらく呆然としていたところだ。
「……ミハエル、君は僕が嫌な時ばかりに来るね」
「前のクリスマスは余裕のある時期だったと思うが。君のどん詰まりを取りのぞくために来るのだから、仕方のないことだろう」
「僕に何か悪いことがあったんだな」
「そうだな」
わかりきったことを伝えに、ミハエルは狩人の隣に座る。天使は人とまったく違うルールで生きているから、勝手に人の家に入り、断りなく縁側に座り、無作法にも脚をぶらぶらさせて「もうご飯は終わりか」と訊ねることすら出来る。
「君に伝えることは一つ。君の宿敵たる吸血鬼は今冥府にいる。元気にやってるぞ」
吸血鬼が死んだ。自分の目に見えないところで消えてしまった。腹は満ちたが狩人は再び倒れそうになった。ぐるぐる、じんじん、脳が憂鬱と悲嘆に漬けられたように動かない。でも、せめて。
「僕に殺されて?」
「いや、違う。偶然落ちて来た。逃走の果てだ。森は冥府に通じてる、って言うだろう? この場所の場合は山って言った方が相応しかろうけども。吸血鬼は山の道を来て、我らが冥府にたどり着いた。わかるか」
「シャンジュがただ野垂れ死んだって?」
「違う、違う。彼はただ、落ちて来たんだ。わかるか。君が思っているよりずっと物理的な問題だ、これは。物理的に冥府に落ち、生きたまま冥府にいる。彼は元気でやっている、と言っただろう」
「冥府で? 生きてる?」
「君は食事をしたほうがいい。しばらく休んで、落ち着いてからまた話の続きをしよう」
「休んでいられるものか。生涯の宿敵が僕のいないところで死んだんだ。僕の……僕は……どうすればいいんだ……休んでいられない……」
「……それなら。話を続けよう。人として生まれ、君には自由意志が出来た。あとは吸血鬼が冥府からの脱出を試みない限りは、死ぬまで好きに生きると良い。もっとも君は宿敵に心を移し過ぎたようだが」
吸血鬼が生きている。僕の知らないところで。
狩人は新しい計画を立てることにした。
「僕は彼を人生の一部にしていた。運命でなかったところで、僕らが出会っているのだから、依然変わりない」
「いつもながら不健全だな」
「殺すことそのものが不健全だろう。君たちが僕に課した使命そのものが。僕は一緒に生きていたい」
「自由意志に溺れ、自らの使命すら忘れてしまったか」
「忘れていない。冥府に落ちたんなら、僕はもう彼を殺さなくてもいいんだろ。僕の運命を冥府から連れ戻す。幸せに暮らしてみせる」
「そうか。さながらオルフェウスだ」
音楽が鳴る。素晴らしき現代文明の機械が、風呂を沸かし終えたことを告げる。
「せいぜい振り返るなよ。君と彼の運命はまだ働いている。時が来れば会えるだろう。万に一つは、望みも果たせるかもしれないな。期待はしないが。生きている君があんまり死に急ぐことはないよ。今日は寝て、明日の朝また起きて、それから考えればいい。一旦おやすみ」
「君はどうする。ミハエル。君はどうするんだ」
「いつも通り。たまに他の仕事をして、たまに君の様子を見る。私が君の死を看取り、彼の死を看取ることには変わりない」
「そうじゃなくて。今夜はどこか泊る所があるの? こんな山の中で」
「……」
神は力、そういう器官だったり存在だったり、この星を動かす機能そのものである天使に休息はない。次の命令を得るまで、ただぶらぶらしてサボっているだけだ。人の姿をとった狩人は、そんなことも忘れてしまったらしい。ミハエルに次の命令は来ていない。守護対象の言葉に甘えることにした。
「君が親切をするというのなら、ありがたく受け取っておく。君が寝て起きるまで、私もこの屋根の下をぶらぶらしておくよ」
「……わかっているだろうけど、奥の部屋にだけは入らないでね」
「承知しているよ」
もうどれくらい日が昇り、決戦の日からどれくらいの時間が経ったのかもわからない。ただ随分とお腹が空いた。今にもふらふらと倒れそうだった。
家に帰ると、中は特に荒れていない。こんな山奥には泥棒も来たがらないし、野生動物もここへは荒らしに来ない。戸締まりの必要がないほどの平穏が、ここでは普段の助けになった。当然、今も。
吸血鬼はもういない。静かな虫の耳鳴りのような鳴き声がじりじり響いている。ざわざわ風が木々を鳴らしている。べたべたした足音や、冷蔵庫を開いたり閉じたりする音がやけに大きい。気が落ち着かない。
すぐ食べられるものを探しても、残り物ばかりが目に入った。それでもなんとか見繕って、それらしいものを一膳、盆の上に作る。
酷く耳鳴りがする。
行儀は悪いが、縁側に持って行って食べる。たっぷり、一人分。外を見ていればもしかしたら、吸血鬼が戻ってくるところを見られるかもしれない。
終わったら風呂に入ろう。ぺたぺたと足音を立てて、風呂を沸かしに行く。古い家ながら便利な生活のためにいろいろな改造がされている。ミカジロがここでの生活を薦めたわけだった。
狩人が望んだものは来なかった。代わりに天使が来た。
「やっほぉ。息災?」
狩人の見張り役、聖なるものの守護天使。そして今はかつての学友。ミハエルが徒歩で彼の家にやって来た。
あまりにもタイミングがいい。食事を終え、しばらく呆然としていたところだ。
「……ミハエル、君は僕が嫌な時ばかりに来るね」
「前のクリスマスは余裕のある時期だったと思うが。君のどん詰まりを取りのぞくために来るのだから、仕方のないことだろう」
「僕に何か悪いことがあったんだな」
「そうだな」
わかりきったことを伝えに、ミハエルは狩人の隣に座る。天使は人とまったく違うルールで生きているから、勝手に人の家に入り、断りなく縁側に座り、無作法にも脚をぶらぶらさせて「もうご飯は終わりか」と訊ねることすら出来る。
「君に伝えることは一つ。君の宿敵たる吸血鬼は今冥府にいる。元気にやってるぞ」
吸血鬼が死んだ。自分の目に見えないところで消えてしまった。腹は満ちたが狩人は再び倒れそうになった。ぐるぐる、じんじん、脳が憂鬱と悲嘆に漬けられたように動かない。でも、せめて。
「僕に殺されて?」
「いや、違う。偶然落ちて来た。逃走の果てだ。森は冥府に通じてる、って言うだろう? この場所の場合は山って言った方が相応しかろうけども。吸血鬼は山の道を来て、我らが冥府にたどり着いた。わかるか」
「シャンジュがただ野垂れ死んだって?」
「違う、違う。彼はただ、落ちて来たんだ。わかるか。君が思っているよりずっと物理的な問題だ、これは。物理的に冥府に落ち、生きたまま冥府にいる。彼は元気でやっている、と言っただろう」
「冥府で? 生きてる?」
「君は食事をしたほうがいい。しばらく休んで、落ち着いてからまた話の続きをしよう」
「休んでいられるものか。生涯の宿敵が僕のいないところで死んだんだ。僕の……僕は……どうすればいいんだ……休んでいられない……」
「……それなら。話を続けよう。人として生まれ、君には自由意志が出来た。あとは吸血鬼が冥府からの脱出を試みない限りは、死ぬまで好きに生きると良い。もっとも君は宿敵に心を移し過ぎたようだが」
吸血鬼が生きている。僕の知らないところで。
狩人は新しい計画を立てることにした。
「僕は彼を人生の一部にしていた。運命でなかったところで、僕らが出会っているのだから、依然変わりない」
「いつもながら不健全だな」
「殺すことそのものが不健全だろう。君たちが僕に課した使命そのものが。僕は一緒に生きていたい」
「自由意志に溺れ、自らの使命すら忘れてしまったか」
「忘れていない。冥府に落ちたんなら、僕はもう彼を殺さなくてもいいんだろ。僕の運命を冥府から連れ戻す。幸せに暮らしてみせる」
「そうか。さながらオルフェウスだ」
音楽が鳴る。素晴らしき現代文明の機械が、風呂を沸かし終えたことを告げる。
「せいぜい振り返るなよ。君と彼の運命はまだ働いている。時が来れば会えるだろう。万に一つは、望みも果たせるかもしれないな。期待はしないが。生きている君があんまり死に急ぐことはないよ。今日は寝て、明日の朝また起きて、それから考えればいい。一旦おやすみ」
「君はどうする。ミハエル。君はどうするんだ」
「いつも通り。たまに他の仕事をして、たまに君の様子を見る。私が君の死を看取り、彼の死を看取ることには変わりない」
「そうじゃなくて。今夜はどこか泊る所があるの? こんな山の中で」
「……」
神は力、そういう器官だったり存在だったり、この星を動かす機能そのものである天使に休息はない。次の命令を得るまで、ただぶらぶらしてサボっているだけだ。人の姿をとった狩人は、そんなことも忘れてしまったらしい。ミハエルに次の命令は来ていない。守護対象の言葉に甘えることにした。
「君が親切をするというのなら、ありがたく受け取っておく。君が寝て起きるまで、私もこの屋根の下をぶらぶらしておくよ」
「……わかっているだろうけど、奥の部屋にだけは入らないでね」
「承知しているよ」
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