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日付不明・二年目

日付不明 ある夏の日

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「もう夏だってのにさぁ、この俺を旅行にも連れてってくれないわけ?」
 と吸血鬼が言った。ある夏の日のことだった。
「ここでの仕事を終えられてないから、あんまり遠出は出来ないんだ。ごめん」
「ふーん。ならいいや」
 吸血鬼は己の願いが叶わないとわかるとそっけない男である。
 そういうわけで数日後、通販サイトで買ったビニールプールが彼らの家に届いた。
「何が届いたの?」
「ビニールプール」
 これらの水遊び物品を頼むことは狩人に伝えてはいなかった。段ボール箱の中には小さな水鉄砲が二丁と、言った通りのビニールプール。他にも面白そうな水遊びおもちゃはあったが、今のところはこれくらいでよい。あまり最初から何もかもと揃えても、どうせ途中で飽きて使いこなせない。
 吸血鬼は狩人をサプライズで驚かせたかったわけではない。通販で何かしら頼むことは伝えていたし、同じタイミングで他に頼むものは無かった。自分しか使わないものであるし、特別何を買うか伝える必要はない。たまたま同じビニールプールを買う偶然など、そうそうあるものではない。そうそうあるものではないので、今回もなかった。
 届きたてのビニールプールは幸運にもまともな品で、吸血鬼が必死こいて吹き込んだ空気の殆どをその体の中に取り込んでくれた。午前中に届いたビニールプールは昼前にはすっかり膨らんで、吸血鬼は飯食ったら今日はこれで日が暮れるまで遊ぼうと思った。
 縁側の近くに膨らませたビニールプールを置いて、近くの水道からホースで水を運ぶ。日光を怖れる吸血鬼ではないが、流水は怖い。風呂に入るのも毎回怖い。プールに水が溜まったら蛇口をしっかり捻る。必要になればまた蛇口を開ければよい。
「理人もどうよ。一緒に遊ぶ?」
「僕は……」
 吸血鬼は服を脱ぎ捨て、畳んだバスタオルを縁側のすぐ傍に置く。さすがにジャンプして飛び込む無茶はしない。外履きのサンダルを足置きに踏んで、脚から慎重に浸かる。
 もちろん全裸である。パンツなどは履いていない。水着はもとより持っていない。ハンドタオルを濡らして身体に張り付けることもしない。吸血鬼は生まれたそのままの姿を、恥じること無くお天道様に晒している。まったく吸血鬼らしくない。でも彼らしい。
「裸は、良くないと思う」
「ここ私有地だろ。脱いでたって悪かない」
 吸血鬼は呑気にも、子ども用のビニールプールには長すぎる脚を組んで半分外に放り出し、二丁水鉄砲を沈めてブクブク水を入れている。狩人は辺りを見回す。敵になる生物はいない。でも敵って何なの。狩人に答えは出せない。
「誰かに見られたらどうする」
「人が入ってくる方がおかしいんだよ。今日も人が来る予定は無いだろ」
「ないけど。気がおかしくなった僕には見られてもいいのか」
「どうぞ。遠慮なく御覧じろ」
 吸血鬼は水鉄砲の栓を閉じ、両手を銃を持ったまま上げて身体を見せつける。揺らいだ水の中に見える、骨のように細く蒼褪めた肢体。水の色がほんのり赤く染まっている。
 あと半年ほどでおそらく成人を迎える男が、子ども用のビニールプールではしゃいで遊ぶ。絵面は悪いかもしれない。だが吸血鬼は楽しんでいる。とても楽しそうだ。狩人は吸血鬼が楽しそうにはしゃいでいるのを見るのが好きだ。だから彼のあられもない恰好をじっとり見るのも、趣味の範疇だ。
「足広げないで」
「見飽きた? 女の子にでもなってやるか」
「やめて」
 ただの大きめの水たまりとはいえ、こうまで水に浸かっていては変身はできない。吸血鬼の言うことはただの戯れだった。
「一緒に遊ぼうぜ~。なっ?」
 水鉄砲を狩人に向け、ぴゅっ、と縁側に放つ。
「こらっ」
「後で拭けばいいだろ」
 狩人は当初の予定だった掃除を中止して、ちょっとの間吸血鬼の遊びに付き合ってやることにした。
 プールには入らない。狩人は踏み石にしゃがみ込み、水鉄砲を一つ譲り受ける。それで水を頭にかけてやると、吸血鬼はキャッキャとはしゃいだ。普段のシャワーじゃこうは楽しそうな顔はしない。遊びだとわかっているから楽しいのか。ほんの少し、狩人の心に邪念が生まれる。
「どうしてビニールプールを買ったんだ?」
「水遊びがしたかったんだ。ほら、前に俺海に行きたいって言っただろ? それの予行演習ってとこ」
 風呂は嫌いだが、水遊びは嫌いではないらしい。あのアパートであってもこの家であっても、一人で風呂に入らせると風呂桶でバシャバシャ遊んでいる音が聞こえる。自分の身体を洗い流す、シャワーと泡が嫌いなのだ。
「青い海に青い空。はしゃぎながら。俺には似合わないと思ったか?」
「来年には、ここでの仕事も終わってると思うから。そのときは一緒に海に行こう」
 しれっと来年も一緒にいるという前提で約束をして、狩人は一糸まとわぬ吸血鬼の姿を再び見る。
「海ではちゃんと水着を着なきゃだめだからね」
「わかってらぁ。理人くんはどういうのがお好みだよ?」
「……水着に、好みがあるの?」
 狩人は海に行ったことがない。水着に種類があることもよく知らない。通販でコスプレ用品を見たときに広い世界を知ったが、性欲という狭い世界のことだと思っていた。
「詳しくないから……」
「落ち込むなって。男なんだから下半身隠せてりゃいいんだよ」
「いや、それは駄目だと思う」
「なんでぇ」
「シャンジュは……上半身もちゃんと隠さないと駄目だと思う」
 狩人の視線の先には、吸血鬼のつんと膨らんだ乳首があった。性行為の時に狩人がよく触れて、育った小さな果実だ。
「……やーい、エッチ!」
 不埒な視線に気付いた吸血鬼は、からかった口調で胸を隠し、水鉄砲で眉間を打った。狩人は手で顔に付いた水を拭い、ぺっぺっと口の中に入った水を吐く。
 指の隙間から固くなった先端を見せていた。
「こんなに育ったの、お前のせいだからな。おわかり?」
「わかってるよ」
 狩人は吸血鬼を誰にも見せたくなかった。自分だけのために存在する吸血鬼でいてほしかった。
 自分たちが現代社会にいる以上、無理な話だとわかっていたが、それでも出来るだけ自分だけのものでいてくれないかと、願ってやまなかった。
「どうしようね。隠し方」
「女物着るわけにもいかないし。ホント、どうしような」
「女の子に化けたら?」
「でもそうすると……遊ぶ余裕はないな。そもそも日に当たりたくない。プライベートビーチならまあいいけど、そんな甲斐性ないだろ。感嘆にやってるように見えるけど、化けるのにも体力使うんだぜ」
「そっか。じゃあラッシュガードとかかな……なんでプライベートビーチならいいの?」
 吸血鬼は珍しく真面目っぽい顔をして、銃口に唇を当ててふーっと吹く。そして水鉄砲をちゃぷちゃぷ音を立てながら話す。
「……お前が俺を殺さないこと前提の話だけど。弱ってると人間、何してくるかわからんもんだぜ。邪魔者はいない方がいい。いつも通りだ。それに理人くんは俺の可愛い水着姿、独り占めしたくないの?」
「したい」
「食い気味~。エッチ。今度水着でコスプレエッチしようね」
「そういうことじゃないんだけど」
「じゃあどういうことなんだよぉ。エッチしたくないの?」
「エッチはしたい。それはそれ。これはこれ。可愛い君の水着姿を見たいっていうこと」
 吸血鬼は表情を無くした。一旦視線をよそにやって水鉄砲をプールの中にぼちゃんと落とし、脚を引っ込めて底に付ける。膝を抱えて手のひらで水を押し出し、ばしゃっ、と狩人にかけた。
「何すんの!」
「俺、理人くんがわかんないや」
 僕も君がわからない。びしょ濡れの身体をひとつ震わせて、狩人は着替えてから掃除をしよう、と戻った。
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